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第一章
新生
しおりを挟む頭の中がすべて1人の姿に埋められる。
苦しいことも、憎しいことも、不快なことすべてがたった1人の笑顔で、言葉で、目線一つで和らいでいく。
その人の名前をつぶやくだけでとてつもない幸福感に満たされる。
この世でたった1人、無条件で自分の味方をしてくれる人。
「カナト……」
かすれ気味の声が暗い室内にこだまする。
ゆらりと立ち上がった。おぼつかない足取りで部屋の中央にくると、ぐるりと部屋のなかを見渡す。
カナトが歩いた場所、カナトがひざをついた場所、カナトが座ったソファ。
カナトがカナトが、カナトがーーこの部屋の隅々まですべてカナトのにおいと跡をつけたい。
会ったばかりの弟は憎い。血縁にばかり注目する父も憎い。周りから注がれる品定の視線も憎い。
だが1人だけ、この世で1人だけいた。血縁も何もない自分に味方してくれる人。あのキラキラした猫のような目が自分を見つめている。
アレストは背中を曲げて笑った。
お腹を抱えて声を押し殺すが、耐えきれずに笑い出す。
「ははは!」
汗のせいで服が肌に張り付いて気持ち悪い。しかし、同時にとてつもなく気分は爽快だった。
息苦しさがどんどんなくなっていく。
アレストはその場にひざをついて耐えられない笑いをもらした。
「ははは……渡さない。ユシルにも誰にも!」
カナトが異変に気づいたのは悪夢から覚めて、隣の部屋からドコッという音を聞いたからだった。
暖炉側の壁のせいで、壁が暖かくいつの間にか眠ってしまったようである。
それなのに見た夢はアレストが闇堕ちして、イグナスに胸を剣で貫かれる場面だった。
カナトは胸の動悸にしばらくそのままだったが、壁から音が伝わってきたことで、ふたたび耳を押し付ける。
わずかな声が聞こえる。
笑い声?
なぜか胸騒ぎがした。
部屋を出てアレストの部屋をたたく。
「なあ、アレスト!変な音聞いたけどどうした?開けてくれないか?」
いくら呼びかけても返事はない。
入るぞ!と言ってカナトは首にぶら下げている鍵を取り出した。
鍵でドアを開けると、なんと部屋の真ん中でうずくまる人影が見えた。
他の人に見せていいのかどうかわからず、とりあえずドアを閉めて駆け寄る。その肩に手をそえるとハッとした。
服が汗でぐっしょりぬれていた。
暗い中、暖炉の光だけ借りて見る。アレストはうつむいているせいでその顔は見えないが、息遣いだけはやけに荒い。まるで激しい運動後のような酸欠じみた息遣いだった。
「顔も体もめっちゃ汗出ているじゃないか!どうしたんだよ!おい、医者呼ぼうか?」
その時、腕を抱いていたはずのアレストが突然ガシッとカナトの腕をわしつかんだ。
「………ッ!!びっくりさせんな!……なあ、何か言えよ。ちょっと怖いぞ」
アレストはゆっくりと顔を上げた。
汗に濡れた顔に病的な笑顔が浮かぶ。見ていたカナトは思わず背中がぞわりとした。
青い瞳が愉快げに細められる。
「ああ、生まれ変わった気分だ。こんな気分で最初に見たのがきみでよかった。僕は祝福されているのかもしれない」
「なに、言ってんだ……?」
カナトの顔は困惑と不可解で満たされていたが、そのなかからでも心配の色が見える。
アレストはその顔を見るとまた笑いたくなった。どうしようもなく愛おしい。
しかし、カナトの内心はそんなものではなかった。
さっきの「生まれ変わった気分だ」という言葉に冷や汗を流す。
なんでた?
あれは確か、悪役として自分の不満、恨み、憎しみをすべて受け入れた時、生まれ変わった気分だと言葉に出したはずだ。それがなぜ今言われる?言うのはアグラウ毒殺後のはずだ。
少し早くないか?
というか闇堕ちした!?カナトは驚愕の表情でアレストを見る。
ま、まさか、そんなわけあるか?この時期はまだ不満と激しさの増した恨みが溜まる程度なのでは?物語覚え間違えた?
あり得なくはないが、やはり進展が早いような気がする。
カナトの思考が迷路入りした。どうあがいても抜け出せないように、この状況に説明がつけない。
「カナト」
「な、なんだ?」
「そういえば、もうすぐ誕生日だよな?」
「え?ああ……17になるな。それがどうかしたのか?」
アレストは立ち上がって棚に置いたタオルで顔をふいた。
「何か欲しいものは?ケーキ以外にないのか?」
「ケーキ?」
そういえば、以前聞かれた時に三段ケーキが欲しいと言っていた気がするな。まだ覚えていたのか、こいつ。
「ケーキだけでいいぞ?」
「まあ、さすがに聞いてすぐには答えられないか。来月初めが誕生日なんだろ?時間はまだあるからゆっくり考えるといい」
そう言って振り返り、アレストはいつものように笑った。
笑った、が、その笑顔を見てカナトは胸騒ぎがまったく収まらない。暗い中で暖炉の火の光に怪しく照らされてそう思えるだけかもしれない。
だが、さっきの言葉といい、表情といい、何かが変わった気がする。
カナトは確信が持てず、かといってどう聞けばいいのか分からなかった。
「その……本当に、大丈夫か?」
「大丈夫だよ?」
不思議そうにその首が傾げられる。
「そうか……それならいいんだ」
なおも心ここにあらずといった様子でカナトは立ちすくむ。
「……じゃあ、俺は部屋に戻るな」
「わかった。ゆっくり休んでくれ」
ドアを開けて部屋を出る直前、
「カナト」
「なんだ?」
振り返ると、アレストは暖炉前のソファに移動して、その背もたれに手を置いていた。オレンジ色の光が白い貴族服に鮮やかな色を足し、その青い目すら光の揺らぎで燃えているように見える。
カナトの語彙力では表現しきれないが、見る者を不安にさせる、そんな危ない雰囲気が漂っていた。
胸騒ぎがどんどん大きくなる。
「おやすみ」
静かで、なのに粘着質で、聞いていてまたもぞわりとする。
「お、おやすみ」
ドアを閉めるまでその青い目はカナトから外れることはなかった。
ふらふらと部屋に戻ってから、さっきのアレストの様子を思い返す。
なんだったんだ?
具体的に何がとは言い切れないが、確実に何かが変わった気がする。あの目、あの雰囲気、あの立ち姿……変わらないはずなのに、とてつもなく人を不安にさせる。
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