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第ニ章
欲しいもの
しおりを挟むカナトの脳内ではどうしてもあの夜のことが消えない。
アレストが見せたことのない笑顔で笑い、人を不安にさせる雰囲気をまとう姿はどうも普通だと考えられない。
いつものように事務室でじぃと見つめる。
カナトはアレストの背後に立ち、まばたきもせずにその顔を見つめていた。見つめられている当人は機嫌良く書類にペンを走らせていく。
今ユシルはアグラウが選んだ家庭教師について勉強をしている。そしてテストの意味を重ねて、実践としてアレストのところへ勉強しにいくというやり方を繰り返していた。
そのため、今事務室では2人しかいない。
あらかた仕事を終わらせたアレストは立ち上がった。
「残りはユシルの実践の分だから、これから訓練でもしに行かないか?」
「え?あ、そうだな。行くか」
だが屋敷の廊下でも、庭に出てもカナトはじぃと見つめていた。通り過ぎる使用人たちがその背後霊じみた姿に驚くが、アレストがいつになく機嫌がいいのを見て何も言わない。
除雪された庭で木剣を振るって感触を確かめていると、「カナト」と名前を呼ばれた。
「なんだ?」
振り返るとアレストが木剣を掲げていた。
「対戦してみないか?」
「対戦?」
「久しぶりにやってみたくなった」
「いいけど、手加減しろよ」
「はは!カナトのほうが絶対強い。いつも頑張っているからな」
「言ってろ!事務室にばかりいて体なんか鍛える暇ねぇんだよ」
「………どうしてユシルがいないのに事務室にいようとするんだ?」
「え?いや……だから心配なんだよ。それに、ユシルのこと少し苦手なんだろ?」
おそらくアレストがユシルに向ける感情は少しどころではないはずだ。そして苦手ではなく、嫌っていると言ったほうがいいかもしれない。
カナトはすでに1週間は観察しているが、いつも通りだった。何も変わってない。強いて言えば自分との距離が近いような気もするが、以前と変わらない気もする。
あの夜のことに感じたものは勘違いとすら思えてきた。だが、アグラウの事務室から帰ってきた時に感情を露わにした顔は見間違いや勘違いではないはずだ。
今はかなり危険な時期と言ってもいい。
「もしかして、クッキー持って来た時に言った心配も僕のことだったのか?」
「あ?当たり前だろ」
「……そっか、そうだったんだな」
おもむろにアレストが背中を向け、その肩が震えだす。
「お、おい。どうした」
「なんでもない……」
アレストは必死に込み上げてきそうな笑いをこらえた。振り向く時にはいつも通りの表情に戻り、なんでもないと言うように笑いかける。
だが、カナトを見つめるその目には隠しきれない激情がギラついている。
見つめられてカナトの肩が本能的に持ち上がった。
「アレスト?」
「ああ、ごめん。準備運動から始めようか」
2人は簡単に準備運動をした。
カナトが地面に座って前屈姿勢をとった時、手伝うよ、と言って上着を脱いだアレストが近づいてくる。
カナトは断りたかったが、すでにそばまで来た。
脚の長いやつめ。
仕方なく、背中にそえられた手を感じながら体を前に倒す。緊張しているためかなかなか思うようにできない。
アレストもそれを分かったのか、片手をカナトの腰にそえて体をくっつかせた。
「カナト、力を抜いて。息は止めないように」
腰に置かれた手がスッとお腹へ回される。
耳もとで吐かれる熱い吐息とお腹に置かれた手に集中しすぎて、思わずぶるりと震えた。
「ち、近い……」
「そうか?」
「耳もとでしゃべるな!くすぐったいだろ!」
「そうだな。ごめんごめん」
耳もとの熱さが離れたことでカナトはやっとひと息つけた気がした。
手が離れる時もお腹をさするようにぐるりと腰に戻り、そしてまた背中に置かれる。
「前屈する時は息を吐いたほうが楽だぞ」
「わ、わかっている!準備運動はもういい!早く対戦しろ!」
耳を赤くしながらカナトはズボンを払って木剣を手にとった。その様子にアレストは手で口もとを隠し、気づかれにくい笑みをもらした。
対戦ではカナトが先に攻撃を仕掛けたが振り返される一撃一撃が重く、受け止めるのに精一杯だった。いつの間にか追い詰められ、後ろの木にぶつかりそうになる。先ほどのどの攻撃よりも一段と強い一撃を受け止めた木剣がそのまま自分の首に食い込み、体が後ろの木に押し付けられた。木に残った雪がパラパラ落ちてくる。
「ぐっ!」
視線を上げると、獣のようにギラついた目がカナトを見下ろしていた。首に食い込んだ木剣の感触が牙のようで、その視線にまたも本能的に震えそうになる。
「っ、ケホッ!」
アレストがパッと力を抜き、解放されたカナトは首を押さえながらせき込んだ。
「ケホッ、ケホッ!」
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫。剣が本物だったら俺死んでたな」
「そんなことは起きないさ。あるとすれば……」
あるとすれば!?
変に言葉を切るせいで、カナトが緊張した面持ちになった。
アレストはフッと吹き出して笑った。
「ははは!そんな顔をしないでくれ。カナトが言ったじゃないか。殺しても構わないって」
言った。確かに言った。雪山からの帰りの馬車で言った言葉だ。
カナトは相手があの目的を果たすためなら手段を選ばない悪役だと再認識した気がした。なんだか、本当についていかなければ冗談抜きで殺される気がする。
ごくりと固唾をのみ込む。
「あ、安心しろ。裏切ったりしないからさ」
「信じてるよ」
カナトは上目にアレストを見た。
やっぱり何か変わった気がする。物語の中盤あたりまではイグナスすらだませるほど表面を取り繕うのが得意な人だ。
隠しているだけなのかもしれない。
「その、剣技また上手くなったな。本当にいつ練習してんだ?」
「書籍?」
「はあ?書籍って言った?」
「そう。それからは実践で使ってみたりすると、おのずとこうなったかな」
天才は嫌いだ。
カナトはふてくされたようにそっぽを向いた。
「そうかよ」
「よかったらいつでも対戦に付き合うよ。ユシルのおかげでだいぶ暇になったしな!」
そう言って明るく笑う。
たぶん「ユシルのおかげ」ではなく「ユシルのせいで」のほうが本人の伝えたい意味に近いのだろう。
カナトはあえて言わずに、こくっとうなずいた。
その後は腕立て伏せや剣の素振り、ランニングを終えると2人は疲れたように木の根元に座った。
「あー……疲れた」
「やっぱり汗を流すと気持ちいいな」
「そうだな。お前も心に溜めるんじゃなくて、運動なりなんなりと吐き出すようにしとけ」
「わかった。言うようにするよ……そうだ」
「ん?」
「成人の日に欲しいものはもう決まったのか?」
「え?」
カナトはあれからまったく考えていなかった。
「あー、そうだな。んじゃ……犬欲しい!」
「犬?」
「そう!犬って人懐っこいだろ?絶対裏切らないし、人間より信頼できるだろ?」
カナトは自分がいた世界でアニマルセラピーというものを思い出した。それが今のアレストに必要なのかもしれないと思った。
「だったら小型犬かな?この家には番犬の大型犬がいるわけだし」
それでいやなことを思い出したのか、カナトが眉をひそめる。
「そうだな。番犬、お前と同じ名前の番犬」
アレストがうっと頬をかく。
昔、アレストがアレンという偽名を使ってカナトと会っていた。いない金髪のアレンを探していたら番犬のアレンにたどりついたことがある。後々からそれを知ったアレストはかなり大爆笑した。もちろんカナトに怒られた。
ふたりのあいだに風が吹き抜けていく。もうすぐ夕食の時間になる。夕闇が近づいてくる時間帯に空の色もだんだんと変化していく。
ふいにアレストが動いた。不思議そうにするカナトの腰に抱きつきどこか憐れみを乞うような目で見上げる。
「わん」
「………っ!?何やってんだ」
「犬のマネ。飼いたいか?」
「に、人間じゃなくて本物の犬だ!それにお前級の大きさはどう考えても小型犬じゃないだろ!」
ははは!とアレストが愉快げに笑う。
そんな相手を見て、なんだかこの時間は嫌いじゃない、とカナトは思った。できれば闇堕ちなんかせずこんな時間がずっと続いて欲しい。なんならユシルのことも…いや、好きとまで思わなくても、せめて作中みたいに憎悪しなければいい。
夕食後、カナトと部屋の前で別れたアレストは、バタンと背後で閉まるドアの音を聞きながら地面に座り込んだ。
両手で口を覆い、もれ出してしまいそうな声を隠す。
本当に……可愛い!ずっと僕を見ている。頭の中までずっと僕のことでいっぱいだ!
またもあの病的な笑顔を浮かばせてアレストは天井を仰いだ。
「はは………気分がいい」
立ち上がって窓辺に来るとバッと開けた。冬の冷たい風が暗闇から爪のように伸びてくる。
アレストはゆっくりと暖炉前のソファに座った。
「そこにいるだろ」
窓辺にいつの間にか黒い人影が立った。
「ここにいます」
「前に、カナトのことを狙ったやつがいただろ。あれからどうなった?」
「申し訳ありません。まだ見つかっていません。あれから行動も見せず、狙われたご本人もすっかり忘れた様子です」
「ふっ……カナトは本当に不用心だな」
灯らない暖炉を見つめてアレストは口の端を吊り上げる。
もはや自分を温めてくれるのは暖炉でも火でもない。
「カナトを守ってくれ。自分のせいで雪山のようなことはもう見たくない」
「………はい」
暗殺者はまだ何か言いたげだったが、言いたいことは飲み込んで暗闇に姿をくらませた。窓が閉じ、風が止む。
いつの間にか、いつもからんでくる猫たちはアレストが姿を現すたびにベッドの下に隠れるようになった。いつも鳴くオウムもすっかり声をひそめた。
ただ、隣の部屋から聞こえてくるわずかな音を子守唄のように聞き、アレストは目を閉じていく。
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