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青年時代
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しおりを挟むルージュの夜は、絵を描くためにある。
といっても過言ではない。
凄まじい集中力、費やす時間、努力の結晶が絵画に表現されていた。
王都セピアを流れる川の情景。石の桟橋、風になびく木々、蒼穹の泳ぐ白い雲……。
「描けたわ、セピアの川が……」
ふぅ、とため息をついたルージュは、筆を置くと窓の外を眺めた。
相変わらず横殴りの雨粒が窓を叩いていた。ざーざーと大地に降り注ぐ雨、ガタガタと揺れる窓、不吉な嵐が夜を駆ける。
「朝にはやむといいけど……」
暗闇の窓に映る金髪の娘はつぶやく。
十七歳のルージュは少女から大人へと成長していた。容姿端麗な顔立ち、雪のように白い肌、まつ毛の長い赤銅色の瞳には、遠くに光る稲妻を映していた。ゴゴゴゴゴゴ、とどろく遠雷の音。それに呼応するように、トントントン、と扉をノックする音が響く。
「お姉様、ちょっといい?」
妹、ロゼッタの声。
いいわよ、とルージュが返事をすると扉が開かれる。
可愛いピンク髪をした少女が部屋のなかに入ってきた。
「クッキー、食べない?」
ロゼッタは白い皿を持っていた。そこにはハートの形をしたクッキーが、ころんと一口サイズに並べられていた。なんとも美味しそうで、はしゃぐルージュの胸は踊った。
「わぁ! メルシーカフェのクッキーやん」
「お姉様に好きでしょ、これ?」
「うんうん、スコスコのスコだよぉ、あざーすっ!」
「うふふ、なにそれ? ありがとうってこと?」
「そうよ、ちょうど小腹が空いていたの、ロゼッタってよきよき」
「よきよき?」
「ロゼッタはいい子ってことよ」
「……まぁね」
ゆっくりとロゼッタは歩くと、ルージュの目の前に皿を持ってきた。
「おひとつどうぞ、お姉様」
「いただきまーす」
といったルージュは、満面の笑みでクッキーに手を伸ばす。
ロゼッタはにやりと笑った。
そのとき。
トントントン、と扉が叩かれた。
「お嬢様、シオンです。開けてください」
どうしたの? とルージュは訊いた。
「紅茶を持ってきました。一緒に飲みながら話しませんか?」
「よき」
ルージュはクッキーを食べるのをやめた。
ふんふーん、と鼻歌を鳴らして椅子から立ちあがる。
「チッ!」
舌打ちをするロゼッタは、顔を横に向けた。
ガチャリとルージュが扉を開けると、シオンはお盆を右手に持っていた。どうりで扉が開けられないわけだ。皮肉なほど、紅茶のいい香りが漂っている。
「シオン、ちょうどロゼッタがクッキーを持ってきたの」
テーブルにお盆を置いたシオンは、チラッとロゼッタを見据え、
「ロゼッタ様も飲まれますか? 茶葉はもちろん最高級ですので、ご安心してください」
いらない、とロゼッタは即答した。
「誰が人殺しが淹れた紅茶を飲むものですかっ!」
「……」
シオンは視線をティポットに移す。
「そうですか……残念です」
こぽぽ、とティカップに紅茶を注ぐシオンの横顔は、心なしか泣きそうに見えた。
ルージュはロゼッタに微笑みかけ、
「そろそろ許してあげても……」
といったが、ロゼッタは大きく首を横に振った。
「許す? こいつはお母様を殺したのよ!」
「ロゼ、あなた、なんてことをいうの?」
「だって、こいつが調子こいてドラゴンに立ち向かうからいけないんだ。あたしはこの目で見た。お母様が犠牲になったところを……くそっ」
「……ロゼ、お母様は正義感が強いの。だからシオンの命が助けられた、とも言えるわ」
「はあ? あたしはそれが気に入らないのっ! こいつが……こいつがっ……」
言葉を切ったロゼッタは、
「こいつが死ねばよかったんだっ!」
と叫んでシオンを睨んだ。まるで鬼の形相だった。
「ロゼ……」
「お姉様って、頭おかしいんじゃない?」
「え?」
「なんで、こんな人殺しと仲良くできるのよ?」
「シオンの命は、お母様が助けた命、大切にしなきゃ」
「はああ? 馬鹿馬鹿しい……」
「ねぇロゼ、もうシオンを許してあげて」
「無理よ」
ロゼッタは肩をすくめた。
「あーあ~、お姉様は天才だから人殺しでも許せちゃうんだね~、すごいすごい。どうせ、凡人のあたしは人を恨むことしかできないわ」
「ロゼ……私はそんなつもりは」
「お姉様は前世の記憶があるみたいだけど、あたしにとっては気持ち悪いわ」
「え?」
「お姉様って人形みたい。子どもの皮を被った冷徹な大人」
「……な、なんでそんなことを?」
「だって、お姉様は……」
言葉を切ったロゼッタの目から涙がこぼれた。
「お母様が死んでも泣かなかった。一滴の涙すら流れていなかった! ずっと泣いていたあたしの隣で、泣かないで、泣かないで、人は必ず死ぬ運命なのよ、っていってた」
「……」
「あのときあたしは六歳なのよ、そんなこと言われたってわかるわけないじゃないっ! あたしは……あたしは……」
「ロゼ……」
「お姉様も一緒に泣いて欲しかった!」
泣き叫ぶロゼッタは、突然、持っていた皿をテーブルに置いた。ガシャ、と大きな音が響くと、ロゼッタは扉に向かって駆けだしていく。扉を開けて部屋からでるとき、
「人はいつか死ぬと言うのなら、お姉様だって死ぬわよね……」
と吐き捨てると、バタン、と扉が閉めて出ていった。
「……」
沈黙するルージュとシオン。
走る雨音、それに風にゆれる窓の衝撃が響く。おもむろに動きだしたルージュはテーブルに向かうと、冷たい目で皿を見つめ、持ちあげた。皿の上には美味しそうなクッキーが並んでいる。だが、口をつけることはなく、ルージュは、すすっーと歩くと壁際に置いてあるゴミ箱の前で立ち尽くす。
「誰が怨恨を抱く人が持ってきたクッキーを食べるものですか……」
そう吐き捨てたルージュは、クッキーを皿ごとゴミ箱に捨てた。
「あっ、クッキーがもったいないっ! なぜ捨てるのですか?」
びっくりするシオンは訊いた。
「このクッキーは嫌な予感がします」
「え?」
「毒が入っているかも……」
「え!? まさか……」
訝しむシオンは、じっとゴミ箱を眺める。
ゴミ箱のなかにはクッキーが粉々になっていた。
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