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第4章 クラブ編
5 俺はソフィアをクラブへ連れていく
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街はすっかり暗くなっていた。
街灯に揺れる人影は少なく、車の赤いテールランプが無数に尾を引いている。
カリフォルニアの夜は光のパネルをはめ込んだようなビル群が都会らしさを主張していた。
俺はそういえば時間を気にしてなかったなと、腕時計を見た。
時刻は、18:38となっていた。
俺の腕に絡みつくソフィアからココナッツオイルの香りが漂う。
日中は日差しが強いため日焼け止めクリームを塗っていたのだろう。
しかし、日没後の夜は肌寒さを感じた。
俺はさっと自分の羽織っていた紺色のジャケットを脱いでソフィアの肩にかけた。
「ちょっと夜は肌寒いだろう。クラブまでそれを着ていなよ」
「あ、はい。すいません。家を出るときにスタイリストさんからカーディガンを持っていくように言われていたんですけど、久しぶりに晴れた外の陽気を感じていたら忘れてしまいました。でも、ミサオは寒くないですか」
「うん、俺は長袖のシャツだから大丈夫だよ」
「じゃあ、遠慮なく、ありがとうございます」
俺のインナーは綺麗めなホリゾンタルカラーの白地シャツを着ていた。
ホリゾンとは襟の形のことで、ネクタイを締めなくても襟が綺麗に開いてビシッとスタイルが決まる優れものだ。
ネクタイをしない俺にとっては使い勝手のいいシャツなのだ。
俺はアメリカに来てからファッションに気をつかえるようになった。
なぜなら、コンクールに出場する機会も増えたし、さらに演奏技術も上がったので入賞する実力もついてきたため賞金をもらえるようになったためだ。
つまり、自分の好きなことにお金を使えるようになったということだ。
自分で稼ぎ自分で選んで物を買うという大人の仲間入りをした気分であった。
俺のジャケットはやっぱり男物なのでソフィアには大きすぎた。
ダボっとしたサイズでソフィアの露出された肌が隠れてしまっている。
そんな、ふわっとしたソフィアを見ていると可愛らしくて思わず顔がほころぶ、
レストランでのソフィアは亡くなったお爺さんを思い出して情緒不安定なところもあった。
しかし、今は落ち着きを取り戻し俺とのデートを楽しんでいるようだ。
俺たちは街灯の乏しいうす暗い道に入る。
すると、一画だけ明るくなっている場所が目立っていた。
建物の外壁に照明があてられ、間接的にそこだけが明るくなっていたのだ。
壁には看板が掛けられていた。
bamboo forest
店の入り口は、にわかに人集りができていた。
客層は20代前半の若い女たちが多い。
その女たちを食い入るように眺める男たちの姿を遠巻きで見かけた。
男たちの年齢層はさまざまなでバリエーションに富んでいた。
彼らの目的は一つしかないであろう。
ガールハントである。察してカップルの数は少ない。
腕を絡み合っているのは俺とソフィアくらいだ。
俺はソフィアの腕をつかんで路地裏へと入っていく。
奥に進むにつれてかすかにダンスビートが聴こえてくる。
心踊る重低音がクラブである建物から音漏れしていたのだ。
「ちょ、ちょっとミサオどこに行くんですか?」
「あ、ああ、今日ここでぼくは一曲披露するから裏口から入るよ」
「え、私も裏から入っていいんですか?」
「うん、大丈夫だよ」
ソフィアは不安な顔をした。
繋いだ手が絶対に離れないように俺の手を強く握ってきた。
裏口のドアを開けると重低音の響きが確かなものと変わる。
まるで恐竜の体内に飲み込まれたかのようだ。
俺たちは建物の奥へと歩みを進める。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……。
まだライブスタートをする前の状況なので客の興奮を抑えるために落ちついたチルアウトミュージックが流れている。
俺たちは通路を歩いて事務所へ入った。
事務所には誰もいなかった。不用心だなと思った。
クラブが開店して従業員総出で客の入場対応をしているためだろうか。
事務所の中は革製デザイナーソファの応接セットとパーテーションが敷かれ、その向こう側には事務デスクとおそらくブラッドの席であろう高級木材を使用した机が置かれている。
俺は腕時計を見た。
時刻は18:55であった。
DJプレイの出番は20時からなのでまだ時間的な余裕はあるな。
よし! まだライブまで時間があるしソフィアの録音した演奏を聴いてみようか。
このままソフィアに臆病なところを見せたままでは終われない。
まあ、何にしても、俺はソフィアのお爺さんであるモルガンの演奏を生で聴いたことがないからな。
したがって録音した演奏を聴いたところでモルガンの演奏だと証明することはできない。
ましてや、科学的に死んだ人間がソフィアの中に入り込むなどありえない!
まあ、とりあえず聴いてみよう。
俺は応接ソファに座るとソフィアも一緒に座るよう手招いて促した。
ソフィアは俺から借りていたジャケットを脱いだ。
白い肌、くびれたウエスト、艶かしい女の曲線がそこにあった。
女が目の前で服を脱ぐという行為は男にとっては高揚感に掻き立てられる。
素肌が最初から丸見えになっているよりも、隠されていた部分が見えた時の方が興奮するからだ。
丸みのあるソフィアのヒップが俺のすぐ隣におかれる。
俺の心臓が早鐘を打ち鳴らす。
さっとソフィアを抱き寄せたい気持ち駆られた。
いや、いや。
しかし、俺は話をしなくてはいけないと克己して平静を保った。
そして、ソフィアに質問した。
「ねえ、おじいちゃんがソフィアに転生した時の演奏を録音したって言ったよね」
「あ、はい」
「でもさ、考えたんだけど、俺はソフィアのおじいちゃん、つまり、モルガン先生の演奏をまったく聴いたことがないんだ。だから、録音された音を聴いてもモルガン先生の演奏だと証明できないよ」
「え! あ、そうか、それもそうですね……。じゃあ、録画すればよかったですか」
「ん、いや、録画して実際にソフィアの演奏を見たとしても、モルガン先生の演奏を生で見たことがない限りソフィアがお爺さんに転生されているとは証明できないな」
ソフィアは、顎に手をあてると結論づけた。
「つまり、おじいちゃんの演奏を生で聴いたことがある人でないと私がおじいちゃんに転生されたと証明できない、こういうことですか?」
「ああ、そういうことだね」
「はあ、そうですか……」
ソフィアは、うなだれつつ、落胆と悲しみの表情を浮かべた。
「ソフィア、そんな悲しい顔しないでよ」
俺はそう慰めると、そっとソフィアの肩に手を置いた。
さらに慰めるつもりだったが、さっと言葉が出てこない。
ソフィアの肩は震えていた。そして、何かを絞り出すように口を開いた。
「だって、本当に演奏中にいきなり頭が真っ白になって記憶がなくなったんですよ! 何が起きたかわからなくて、ずっと怖かった……。でも、録音したピアノの音をよく聴いてみると、どこか懐かしくて、ああ、これはおじいちゃんの演奏なんだって気がついたんです」
ソフィアはそういうと、ミサオの胸に抱きついた。
俺たちの心臓の鼓動が壁から漏れるチルアウトの深い音に重なる。
俺はやっとソフィアを慰める言葉を思いついた。
「演奏中に記憶がないのはさ、それだけピアノの演奏に集中していたってことじゃないかな。自分の実力がいきなり発揮されてしまって、びっくりしたんだよ」
「そう、かなあ……」
「きっと、そうだよ。びっくりしたからお爺さんが転生したって勘違いしたんだよ」
「勘違い……。なのかな……」
「まあ、例えさ、お爺さんがソフィアに転生したとしても誰も証明できないしわからないことなんだからさ、気にすることないよ」
「うふふ、誰にもわからないか……。うん、たしかにそうですね」
ソフィアは、なんとも恣意的な俺の意見に笑っていた。
そして、肩をすくめてぼやいた。
「ミサオに相談するとなんだかポジティブな方向に変えられちゃいますね」
「ああ、俺も色々あったからね。人生を楽しい方にハンドルを切るようにしたんだ」
俺は車の運転をするような仕草をした。
「そうなんですね」
すると、ソフィアの目がまんまると開いた。
なにかを思いついたように両手を叩く。
「あ! 実は、コンクールで優勝してからは、ピアノを弾いてもおじいちゃんは私の中に入ってこないんです」
「ん? それは、転生してこないってことかな?」
「はい」
「じゃあ、もうピアノを弾いても意識を失うことはないんだね?」
「はい。もう大丈夫だと思います」
俺は胸をなでおろした。
正直なところ、好きな女性が何者かに転生されているなんていい気分じゃない。
なにより、キスしているときに転生されてたらたまったものじゃない。
体が綺麗な女性なのに、心がおじいちゃんなんて……。
ちょっと、いや、かなり萎える。
だからだろうか、ソフィアは転生なんかされていないと軽視している。
きっと、集中力が極限に達して、俗に言うゾーン体験に入った現象なのではないだろうかと仮説をたてる。
スポーツ選手が最高の成績を収めた過程をあまり記憶していなかったり、後のヒーローインタビューで、無我夢中で覚えてないです、答える選手がいるらしい。
つまり、もう転生されないということは、コンクールも終わったので、ソフィアにとってはもうピアノの演奏をする集中力が極限まで引き出されなくなったということではないだろうか。
ソフィアはしばらく沈黙すると遠くを見ていた。
「私がコンクールで優勝できたことで、おじいちゃんはやっと天国に行けたのかなと思います。でも、おじいちゃんの演奏はもう二度と聴くことができないんですね。そう思うと寂しい気持ちもします……」
ソフィアはそうなげくと俺の側に寄り添った。
そして、耳を俺の胸板に押し当てるように抱きついてくる。
俺の心臓の鼓動を聞いている。
人肌の温もりを感じているようだ。
「ああ、落ち着きますう」
俺は自分の鍛えぬかれた胸板で安らぐソフィアに愛おしさを感じた。
ソフィアの肩に触れていた手に力がこもる。
ぎゅっとソフィアの肩を両手で抱き寄せた。
青い瞳は優しく閉ざされる。
赤い花びらのような唇に俺は顔を近づけていく。
俺たちは情熱的な心情に揺さぶられ重なろうとした。
だが、その時!
事務デスクが並ぶ奥の扉から水が流れる音が響く。
トイレの便器が洗浄される音だ。
俺たちは驚いて距離を離す。
と同時に、俺は思考する。
そうだ! 裏口が解放されているのに、事務所に誰もいないのはおかしい。
しかも鍵もかかっていないのはさすがに不用心すぎるとは思っていた。
したがって、事務所には最初から誰かいて、トイレに入っていただけだったのだ。
開かれたトイレの扉から人が出てきた気配がする。
だが、仕切られたパーテーションで誰かわからない。
それは向こうも同じこと。お互いに人の気配を感じ取ったようだ。
「誰かいるのか?」
野太い声がした。この声の持ち主を俺はよく知っていた。
よかった……。
緊張の糸がほぐれた。
黒い塊のようなドレッドヘアが顔を出した。
街灯に揺れる人影は少なく、車の赤いテールランプが無数に尾を引いている。
カリフォルニアの夜は光のパネルをはめ込んだようなビル群が都会らしさを主張していた。
俺はそういえば時間を気にしてなかったなと、腕時計を見た。
時刻は、18:38となっていた。
俺の腕に絡みつくソフィアからココナッツオイルの香りが漂う。
日中は日差しが強いため日焼け止めクリームを塗っていたのだろう。
しかし、日没後の夜は肌寒さを感じた。
俺はさっと自分の羽織っていた紺色のジャケットを脱いでソフィアの肩にかけた。
「ちょっと夜は肌寒いだろう。クラブまでそれを着ていなよ」
「あ、はい。すいません。家を出るときにスタイリストさんからカーディガンを持っていくように言われていたんですけど、久しぶりに晴れた外の陽気を感じていたら忘れてしまいました。でも、ミサオは寒くないですか」
「うん、俺は長袖のシャツだから大丈夫だよ」
「じゃあ、遠慮なく、ありがとうございます」
俺のインナーは綺麗めなホリゾンタルカラーの白地シャツを着ていた。
ホリゾンとは襟の形のことで、ネクタイを締めなくても襟が綺麗に開いてビシッとスタイルが決まる優れものだ。
ネクタイをしない俺にとっては使い勝手のいいシャツなのだ。
俺はアメリカに来てからファッションに気をつかえるようになった。
なぜなら、コンクールに出場する機会も増えたし、さらに演奏技術も上がったので入賞する実力もついてきたため賞金をもらえるようになったためだ。
つまり、自分の好きなことにお金を使えるようになったということだ。
自分で稼ぎ自分で選んで物を買うという大人の仲間入りをした気分であった。
俺のジャケットはやっぱり男物なのでソフィアには大きすぎた。
ダボっとしたサイズでソフィアの露出された肌が隠れてしまっている。
そんな、ふわっとしたソフィアを見ていると可愛らしくて思わず顔がほころぶ、
レストランでのソフィアは亡くなったお爺さんを思い出して情緒不安定なところもあった。
しかし、今は落ち着きを取り戻し俺とのデートを楽しんでいるようだ。
俺たちは街灯の乏しいうす暗い道に入る。
すると、一画だけ明るくなっている場所が目立っていた。
建物の外壁に照明があてられ、間接的にそこだけが明るくなっていたのだ。
壁には看板が掛けられていた。
bamboo forest
店の入り口は、にわかに人集りができていた。
客層は20代前半の若い女たちが多い。
その女たちを食い入るように眺める男たちの姿を遠巻きで見かけた。
男たちの年齢層はさまざまなでバリエーションに富んでいた。
彼らの目的は一つしかないであろう。
ガールハントである。察してカップルの数は少ない。
腕を絡み合っているのは俺とソフィアくらいだ。
俺はソフィアの腕をつかんで路地裏へと入っていく。
奥に進むにつれてかすかにダンスビートが聴こえてくる。
心踊る重低音がクラブである建物から音漏れしていたのだ。
「ちょ、ちょっとミサオどこに行くんですか?」
「あ、ああ、今日ここでぼくは一曲披露するから裏口から入るよ」
「え、私も裏から入っていいんですか?」
「うん、大丈夫だよ」
ソフィアは不安な顔をした。
繋いだ手が絶対に離れないように俺の手を強く握ってきた。
裏口のドアを開けると重低音の響きが確かなものと変わる。
まるで恐竜の体内に飲み込まれたかのようだ。
俺たちは建物の奥へと歩みを進める。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……。
まだライブスタートをする前の状況なので客の興奮を抑えるために落ちついたチルアウトミュージックが流れている。
俺たちは通路を歩いて事務所へ入った。
事務所には誰もいなかった。不用心だなと思った。
クラブが開店して従業員総出で客の入場対応をしているためだろうか。
事務所の中は革製デザイナーソファの応接セットとパーテーションが敷かれ、その向こう側には事務デスクとおそらくブラッドの席であろう高級木材を使用した机が置かれている。
俺は腕時計を見た。
時刻は18:55であった。
DJプレイの出番は20時からなのでまだ時間的な余裕はあるな。
よし! まだライブまで時間があるしソフィアの録音した演奏を聴いてみようか。
このままソフィアに臆病なところを見せたままでは終われない。
まあ、何にしても、俺はソフィアのお爺さんであるモルガンの演奏を生で聴いたことがないからな。
したがって録音した演奏を聴いたところでモルガンの演奏だと証明することはできない。
ましてや、科学的に死んだ人間がソフィアの中に入り込むなどありえない!
まあ、とりあえず聴いてみよう。
俺は応接ソファに座るとソフィアも一緒に座るよう手招いて促した。
ソフィアは俺から借りていたジャケットを脱いだ。
白い肌、くびれたウエスト、艶かしい女の曲線がそこにあった。
女が目の前で服を脱ぐという行為は男にとっては高揚感に掻き立てられる。
素肌が最初から丸見えになっているよりも、隠されていた部分が見えた時の方が興奮するからだ。
丸みのあるソフィアのヒップが俺のすぐ隣におかれる。
俺の心臓が早鐘を打ち鳴らす。
さっとソフィアを抱き寄せたい気持ち駆られた。
いや、いや。
しかし、俺は話をしなくてはいけないと克己して平静を保った。
そして、ソフィアに質問した。
「ねえ、おじいちゃんがソフィアに転生した時の演奏を録音したって言ったよね」
「あ、はい」
「でもさ、考えたんだけど、俺はソフィアのおじいちゃん、つまり、モルガン先生の演奏をまったく聴いたことがないんだ。だから、録音された音を聴いてもモルガン先生の演奏だと証明できないよ」
「え! あ、そうか、それもそうですね……。じゃあ、録画すればよかったですか」
「ん、いや、録画して実際にソフィアの演奏を見たとしても、モルガン先生の演奏を生で見たことがない限りソフィアがお爺さんに転生されているとは証明できないな」
ソフィアは、顎に手をあてると結論づけた。
「つまり、おじいちゃんの演奏を生で聴いたことがある人でないと私がおじいちゃんに転生されたと証明できない、こういうことですか?」
「ああ、そういうことだね」
「はあ、そうですか……」
ソフィアは、うなだれつつ、落胆と悲しみの表情を浮かべた。
「ソフィア、そんな悲しい顔しないでよ」
俺はそう慰めると、そっとソフィアの肩に手を置いた。
さらに慰めるつもりだったが、さっと言葉が出てこない。
ソフィアの肩は震えていた。そして、何かを絞り出すように口を開いた。
「だって、本当に演奏中にいきなり頭が真っ白になって記憶がなくなったんですよ! 何が起きたかわからなくて、ずっと怖かった……。でも、録音したピアノの音をよく聴いてみると、どこか懐かしくて、ああ、これはおじいちゃんの演奏なんだって気がついたんです」
ソフィアはそういうと、ミサオの胸に抱きついた。
俺たちの心臓の鼓動が壁から漏れるチルアウトの深い音に重なる。
俺はやっとソフィアを慰める言葉を思いついた。
「演奏中に記憶がないのはさ、それだけピアノの演奏に集中していたってことじゃないかな。自分の実力がいきなり発揮されてしまって、びっくりしたんだよ」
「そう、かなあ……」
「きっと、そうだよ。びっくりしたからお爺さんが転生したって勘違いしたんだよ」
「勘違い……。なのかな……」
「まあ、例えさ、お爺さんがソフィアに転生したとしても誰も証明できないしわからないことなんだからさ、気にすることないよ」
「うふふ、誰にもわからないか……。うん、たしかにそうですね」
ソフィアは、なんとも恣意的な俺の意見に笑っていた。
そして、肩をすくめてぼやいた。
「ミサオに相談するとなんだかポジティブな方向に変えられちゃいますね」
「ああ、俺も色々あったからね。人生を楽しい方にハンドルを切るようにしたんだ」
俺は車の運転をするような仕草をした。
「そうなんですね」
すると、ソフィアの目がまんまると開いた。
なにかを思いついたように両手を叩く。
「あ! 実は、コンクールで優勝してからは、ピアノを弾いてもおじいちゃんは私の中に入ってこないんです」
「ん? それは、転生してこないってことかな?」
「はい」
「じゃあ、もうピアノを弾いても意識を失うことはないんだね?」
「はい。もう大丈夫だと思います」
俺は胸をなでおろした。
正直なところ、好きな女性が何者かに転生されているなんていい気分じゃない。
なにより、キスしているときに転生されてたらたまったものじゃない。
体が綺麗な女性なのに、心がおじいちゃんなんて……。
ちょっと、いや、かなり萎える。
だからだろうか、ソフィアは転生なんかされていないと軽視している。
きっと、集中力が極限に達して、俗に言うゾーン体験に入った現象なのではないだろうかと仮説をたてる。
スポーツ選手が最高の成績を収めた過程をあまり記憶していなかったり、後のヒーローインタビューで、無我夢中で覚えてないです、答える選手がいるらしい。
つまり、もう転生されないということは、コンクールも終わったので、ソフィアにとってはもうピアノの演奏をする集中力が極限まで引き出されなくなったということではないだろうか。
ソフィアはしばらく沈黙すると遠くを見ていた。
「私がコンクールで優勝できたことで、おじいちゃんはやっと天国に行けたのかなと思います。でも、おじいちゃんの演奏はもう二度と聴くことができないんですね。そう思うと寂しい気持ちもします……」
ソフィアはそうなげくと俺の側に寄り添った。
そして、耳を俺の胸板に押し当てるように抱きついてくる。
俺の心臓の鼓動を聞いている。
人肌の温もりを感じているようだ。
「ああ、落ち着きますう」
俺は自分の鍛えぬかれた胸板で安らぐソフィアに愛おしさを感じた。
ソフィアの肩に触れていた手に力がこもる。
ぎゅっとソフィアの肩を両手で抱き寄せた。
青い瞳は優しく閉ざされる。
赤い花びらのような唇に俺は顔を近づけていく。
俺たちは情熱的な心情に揺さぶられ重なろうとした。
だが、その時!
事務デスクが並ぶ奥の扉から水が流れる音が響く。
トイレの便器が洗浄される音だ。
俺たちは驚いて距離を離す。
と同時に、俺は思考する。
そうだ! 裏口が解放されているのに、事務所に誰もいないのはおかしい。
しかも鍵もかかっていないのはさすがに不用心すぎるとは思っていた。
したがって、事務所には最初から誰かいて、トイレに入っていただけだったのだ。
開かれたトイレの扉から人が出てきた気配がする。
だが、仕切られたパーテーションで誰かわからない。
それは向こうも同じこと。お互いに人の気配を感じ取ったようだ。
「誰かいるのか?」
野太い声がした。この声の持ち主を俺はよく知っていた。
よかった……。
緊張の糸がほぐれた。
黒い塊のようなドレッドヘアが顔を出した。
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