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34.四凶

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「ねえ、お前は四凶という言葉を聞いた事はある?」
「ぐすっ…………へ?
しきょう……ですか?
ぐすっ」

 足元に転がってきていた下女は恐怖で悲鳴を上げ続けていたからか、解放された安堵からか、それともそのどちらかかはわかりませんがへたりこんだまま涙を浮かべながら逆に聞き返してまいりました。

 どうやらこの言葉に心当たりは無さそうですね。

 ちなみに四凶とは清国の書物に出てくる人の悪徳を象徴とする悪獣を総称した呼び名で、初代の私が耳にした言葉です。

 こちらの世界にも四神という象徴が在るので四凶も在るのかと思いましたが、元々存在しないのか知名度が低いのでしょう。
各世界の事象が色々と混在していますね。

 悪獣には渾沌こんとん窮奇きゅうき檮杌とうこつ饕餮とうてつという名があり、それらが好む悪徳は物凄く簡潔に言えば順に怠惰、不徳、横暴、貪欲といったところでしょう。

 外見の特徴やその生い立ちは書かれている書物によって複数あるので断定はできませんし、そもそもそれを知ったのは初代の頃ですから世界が違います。
しかし子猫ちゃんは翼の生えた虎のようですから、さしずめ窮奇きゅうきという破落戸不徳者を好む妖に仮断定しておくとしましょう。

 実際、素直に謝罪した下女は解放し、最早興味を示しておりません。
どうやら子猫ちゃんの好みから外れたようで、ずっと傲慢そうだった破落戸をザリュザリュして何かを堪能しています。

 窮奇の生い立ちにも諸説あるのですが、この後宮に限って言うならば西の凶相が表に噴出して生じた妖がこの子猫ちゃんかもしれません。

 こちらの世界でも西の白虎は吉凶混合の相を持つ神とされておりますし、陰気が濃くなり吉が陰転して凶となり、初代ではそれが過ぎて窮奇悪獣に堕ちるという説を耳に致しました。

 初代の私が耳にしたお話では窮奇は正直者の鼻を喰らうとありましたから、子猫ちゃんが大人しく下女を解放してくれてようございました。

 もしくは……今、正に窮奇へと堕ちつつあるのか……。

 鳩の肉を共に食していた少し前の天の邪鬼ながらも可愛らしい面影が薄らいでしまいましたものね。

 今の後宮は謀りに満ち、四神相応の地になるよう配置された宮の意味も為しておりません。

 その上あの小屋の先人が申しますに、過去にはよりによって玄武を象徴とするこの北の宮で人が殺され、まともに弔って頂いてはいらっしゃらなかったようです。

 陰の気、つまるところ陰鬱な気が充満しているかのように陰と陽の均衡が崩れ、後宮の至る所に邪な謀りが横行して拍車をかけております。

 加えてこの北の宮、実は皇城の中央に位置している事に少し前に気づきました。
もっと早く図面と羅針盤を照らし合わせれば良かったとつくづく後悔しております。

 丞相との契約によって私が果たさねばならぬ事の難易度が高すぎて先が思いやられますね。
やはりこの契約は端から私に不利益だらけです。

 三国を統一したという初代皇帝の襟首掴まえてガクンガクンしたくなるくらい面倒です。
何故もっとちゃんと後世に残るような書き置きやら教えやらを遺しておかなかったのでしょうか……。

 でもかの御方なら不遜に笑ってやるだけやったし、知らねえよ、とか言いそうですね。
あの方の顔だけは私の好みドンピシャでしたからね。
それで黙るのわかっていてそんな顔をわざとするんでしょうね。

 何なら当時の城の改善点を風水的な観点から寝物語のように中途半端に話して聞かせた2代目の私お前が悪いとか素で言いそうです。
何故寝物語か?
娼妓でしたからね。
そこは察して下さいな。

 そもそも私、三国統一するなんて聞いてませんでしたから。
こんな意味のわからない配置に後宮と皇城を合体させるなんて予想だにしておりませんでしたよ。

 ……全く、かの御方に転生してからも頭を悩ませさせられるだなんて。

「……ふぅ、手のかかる方」

 片手を頬にやり、思わずため息を吐いてクスリと苦笑いしてしまいます。

 仕方ありません。
2代目の私にたくさんお金を落としてくれたパトロンへの義理を通すのも、これまた私の矜持ですから。

「美しい……」

 ん?
突然下女がうっとりと私を見やります。
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