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二十章 洗脳何それ、美味しいの?
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それはもう、遥か昔のこと。
加藤がようやく日本語を喋れるようになった頃、自宅に、母方の叔母とその娘がやって来た。
その娘こそ、当時どこかの雑誌の読者モデルをやっていた、東条蘭佳である。
女の子が欲しかった加藤の母は、可愛い可愛いと大絶賛。
母は、庭の隅でカエルを追いかけていた、加藤を客間に呼んだ。
のちに、加藤の母は、息子誠作を呼んだことを、深く後悔したのである。
「ねえ、せいちゃん、従姉の蘭佳ちゃんよ。可愛いわね、美人よね。お目もこんなにパッチリしてて」
蘭佳は、聞き飽きた誉め言葉に表情も変えず、紅茶を飲みながら加藤に軽く会釈する。
一方、加藤は、言語中枢が発達し始めたとはいえ、いくつかの認知機能障害により、人の顔の判別が難しい、所謂、相貌失認症が色濃く出ている時期でもあった。
よって、女性の美醜というものなど、興味もなければ判別もできなかった。
さらにこの頃、加藤の母は、息子に対し、「きちんと・素直に・わかりやすく話す」ことを指導していた。加藤は母の教えに従って、きちんと素直に答えたのだ。
「美人かどうか僕にはわからない。可愛いかどうかで言えば、カエルの方が可愛い!」
加藤の母の顔は真っ青になった。
同時に、加藤の頭から、赤茶色の飛沫が上がった。
蘭佳が投げつけた紅茶カップが、ハイスピードで加藤の頭を直撃していたのだった。
あれから幾星霜。さすがの加藤でも、多少は世の中に適応できるようになった。
多少? いや少々だ。
よって、蘭佳の質問に対して、女性を喜ばせるような返答をすることは難しい。というか加藤には出来ない。
「どうだ、誠作。答えられるか?」
ため息をひとつ、仕方なく加藤は答えた。
「解剖学的に言えば、蘭佳の顔貌は縦横比率から言って美人だろう?」
「そんなことはとっくに知っている。お前から見て、私が美人かどうかを聞いているのだ」
ああ、もう、本当に面倒くさい。
一般的に美人と言われているなら、それでいいじゃないか、と加藤は思う。
配偶者か恋人ならともかく、一回り下の従弟を追い詰めて、どうする気だ。
口には出さないものの、加藤の表情には思いきり面倒くささが表れていた。
「俺の美の基準は、『広隆寺の弥勒菩薩像』だ。蘭佳の顔の造りは、どう見ても弥勒菩薩ではないだろう。どっちかと言えば、インド神話のラクシュミーだ。よって、俺の好みでない! 美人とも思わん!」
「……ぶわっははは」
蘭佳は、どこぞの親父のような笑い声をあげる。
「それでこそ誠作だ! さすが、私の進路を大きく捻じ曲げた奴。カエルよりも可愛くないとお前に言われ、私は女優の道を諦めたからな」
知るか、そんなこと。
「学校の教員になって、こじんまりと大人しくなっていたら、お前の相手などしたくなかったのだ。まあ、いいだろう。記憶の改ざん、書き換えか。ある種の洗脳とも言えるな」
「洗脳、だと?」
「宗教がらみの事例などは、お前も知っているだろう。元は戦争中、捕虜に対して行った、思想を強引に変えさせたことを指した言葉だ」
蘭佳は語った。
例えば、望ましくない体験の結果、脳疲労が進み、悲観的な心理状態におかれているとき、それを緩和できる方法を提示されたら、多くの人はその方法に飛びつくであろう。特に、閉ざされた環境であれば、それは顕著である。
望ましくない体験を認知的にコントロールできる、すなわち記憶を消去したり改ざんしたり出来るなら、不安や不快感は減少し、その方法を与えてくれる人や組織に依存するようになる。
「それを、神経ブロックで行うことが出来るのか?」
「不可能ではないと言っただろう。前頭前野のブロックを行えば、な」
「では解除するには、どうしたらいい? 更に別の神経をブロックするのか?」
「いや、それは必要ない。というか、解除なら、お前の専門分野が有効だな」
専門? 保健室運営のイロハか?
「座禅による瞑想だ」
【後書き】
相貌失認症とは、人の顔が覚えられない、見分けがつかないという症状のこと。
参考文献 Gard エHblze BK , SackAT,et al :Painattenuation through mindfullness isassociated with decreasedcognitive control and increasedsensory processinginthe brain.
CerebCortex doi: 10,1093 cercor /bhr352 ,2011
加藤がようやく日本語を喋れるようになった頃、自宅に、母方の叔母とその娘がやって来た。
その娘こそ、当時どこかの雑誌の読者モデルをやっていた、東条蘭佳である。
女の子が欲しかった加藤の母は、可愛い可愛いと大絶賛。
母は、庭の隅でカエルを追いかけていた、加藤を客間に呼んだ。
のちに、加藤の母は、息子誠作を呼んだことを、深く後悔したのである。
「ねえ、せいちゃん、従姉の蘭佳ちゃんよ。可愛いわね、美人よね。お目もこんなにパッチリしてて」
蘭佳は、聞き飽きた誉め言葉に表情も変えず、紅茶を飲みながら加藤に軽く会釈する。
一方、加藤は、言語中枢が発達し始めたとはいえ、いくつかの認知機能障害により、人の顔の判別が難しい、所謂、相貌失認症が色濃く出ている時期でもあった。
よって、女性の美醜というものなど、興味もなければ判別もできなかった。
さらにこの頃、加藤の母は、息子に対し、「きちんと・素直に・わかりやすく話す」ことを指導していた。加藤は母の教えに従って、きちんと素直に答えたのだ。
「美人かどうか僕にはわからない。可愛いかどうかで言えば、カエルの方が可愛い!」
加藤の母の顔は真っ青になった。
同時に、加藤の頭から、赤茶色の飛沫が上がった。
蘭佳が投げつけた紅茶カップが、ハイスピードで加藤の頭を直撃していたのだった。
あれから幾星霜。さすがの加藤でも、多少は世の中に適応できるようになった。
多少? いや少々だ。
よって、蘭佳の質問に対して、女性を喜ばせるような返答をすることは難しい。というか加藤には出来ない。
「どうだ、誠作。答えられるか?」
ため息をひとつ、仕方なく加藤は答えた。
「解剖学的に言えば、蘭佳の顔貌は縦横比率から言って美人だろう?」
「そんなことはとっくに知っている。お前から見て、私が美人かどうかを聞いているのだ」
ああ、もう、本当に面倒くさい。
一般的に美人と言われているなら、それでいいじゃないか、と加藤は思う。
配偶者か恋人ならともかく、一回り下の従弟を追い詰めて、どうする気だ。
口には出さないものの、加藤の表情には思いきり面倒くささが表れていた。
「俺の美の基準は、『広隆寺の弥勒菩薩像』だ。蘭佳の顔の造りは、どう見ても弥勒菩薩ではないだろう。どっちかと言えば、インド神話のラクシュミーだ。よって、俺の好みでない! 美人とも思わん!」
「……ぶわっははは」
蘭佳は、どこぞの親父のような笑い声をあげる。
「それでこそ誠作だ! さすが、私の進路を大きく捻じ曲げた奴。カエルよりも可愛くないとお前に言われ、私は女優の道を諦めたからな」
知るか、そんなこと。
「学校の教員になって、こじんまりと大人しくなっていたら、お前の相手などしたくなかったのだ。まあ、いいだろう。記憶の改ざん、書き換えか。ある種の洗脳とも言えるな」
「洗脳、だと?」
「宗教がらみの事例などは、お前も知っているだろう。元は戦争中、捕虜に対して行った、思想を強引に変えさせたことを指した言葉だ」
蘭佳は語った。
例えば、望ましくない体験の結果、脳疲労が進み、悲観的な心理状態におかれているとき、それを緩和できる方法を提示されたら、多くの人はその方法に飛びつくであろう。特に、閉ざされた環境であれば、それは顕著である。
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「それを、神経ブロックで行うことが出来るのか?」
「不可能ではないと言っただろう。前頭前野のブロックを行えば、な」
「では解除するには、どうしたらいい? 更に別の神経をブロックするのか?」
「いや、それは必要ない。というか、解除なら、お前の専門分野が有効だな」
専門? 保健室運営のイロハか?
「座禅による瞑想だ」
【後書き】
相貌失認症とは、人の顔が覚えられない、見分けがつかないという症状のこと。
参考文献 Gard エHblze BK , SackAT,et al :Painattenuation through mindfullness isassociated with decreasedcognitive control and increasedsensory processinginthe brain.
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