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二十一章 自分で自分を見つめても、正確な自分の姿というものは、意外に見えない

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 加藤は小学二年生くらいから、禅寺で座禅を組み、瞑想に浸り始めた。
 それは加藤が宇宙電波を受信して、自ら寺を訪ねた、というわけでは当然ない。

 小学校に入学し、普通級へ通うようになっても、加藤は適応度合いが異様に低かった。
 トンボを追いかけて、隣町まで走って行って、なかなか帰ってこない。
 小学校の授業に飽きると、いきなり教室の後ろで寝てしまう。

 その度に保護者は呼び出されるため、父は加藤の存在を無視するようになり、母はしくしく泣いていた。 
 兄の憲章は進学校の寮に入っていたので、加藤の面倒を見るには限界があった。

 祖母だけが、そんな加藤を慈しんだ。

「せいちゃんは、ちょっと個性が強いのよ」

 加藤は祖母に連れられて、神社や仏閣を巡るようになる。
 ただし多動と突拍子もない行動は、すぐに治りはしなかった。
 護摩壇に焚かれた炎を見た加藤は、自宅で木の板を燃やそうとして、父にゲンコツをくらった。

 それから祖母は、禅寺にのみ、加藤を連れていくようになる。
 それが加藤のエポックメーキングとなった。
 結跏趺坐けっかふざを組み、曼荼羅を見つめた加藤は、静寂の中に流れる音を聞いたのだ。
 その音が脳内に反響するたび、加藤の脳神経系は著しく発達し、過剰な行動は少しずつ減少した。

「瞑想、か。確かに、俺自身の体験で言えば、情緒の安定にはうってつけだが。学校でうかつにやろうとすると、意識高い系の保護者から、間違いなく苦情が来るだろう」

 蘭佳は、フンと鼻息を吐く。

「スカラーで検索しろ、たわけ。瞑想や内観で、認知状態が改善したというエビデンスが出て来るはずだぞ。子どもの成績向上のために、やると言えば問題なかろう」
「なるほど」

 帰りがけ、加藤は従姉に訊く。

「なあ、そろそろ、憲章と結婚しないのか? 遺伝的にも戸籍上も、問題ないだろう?」

 麗しい顔をくしゃっと歪め、蘭佳はゲラゲラ笑った。
 やはり下品な笑い方だ。

「あんな、超絶激ブラコンの小役人と、この私が、結婚? ムリ無理無理無理!」

 兄を小役人と評されて、加藤はムッとする。

「まあ、なんだ。誠作、お前となら、婚姻を考えないこともないぞ」

 蘭佳の目は半月状に加藤を見つめる。自分にヘンな自信がある女は、本当に面倒くさい。

「それこそ無理ゲーだ。あんたと結婚するくらいなら、カエルの嫁さんでも探すよ」


 その後、期末テストが終わった葛城学園では、夏休みを迎えるまで、朝の自習時間が、「自分を見つめ直す時間」となる。
 自分の内面を見つめることで、脳科学的には前頭葉に影響を及ぼし、病的依存の改善にもつながると、白根澤が職員会議で熱弁を奮ったのだ。

 確かに、軽微な罪の自省にも、有効であった。

 「見つめ直す時間」が設定されて一週間後。

 保健室に、二年生の生徒が一人やってきた。
 クラス委員を務める、真面目な生徒である。
 加藤が話を聞くと、彼はいきなり懺悔を始めた。

「兄が隠し持っていたエロビデオを、だまって盗って観てしまい、いまだ返してないのです!」

 涙ながらの訴えを無下に叱ることもできず、加藤は、こっそりと返す方法も含め、早く返すようにと、彼に諭した。

 十日後に、三年生の生徒がやってきた。

「親は外部の高校に進学しろと言うのですが、僕はこの学校が好きなんです。御園生みそのお先生と、離れたくないんです!」

 御園生は、社会担当の男性教諭である。ロマンスグレーに銀縁のメガネが良く似合う、ダンディな教員だ。言うまでもなく、相談してきた生徒は男子である。
 加藤は、『プラトンの饗宴』を読め、と彼に伝えた。
 さらに白根澤が、クラス担任と進路指導に情報提供をはかり、担任が保護者と彼と三者面談を行った結果、生徒の希望は叶えられた。

 一学期終業の前日。
 一年生が一人やって来た。

「よう、音竹君、久しぶりだな」

 何回か保健室で休みつつ、なんとか一学期を終えようとしている音竹が来室した。

「今日はどうした?」

 加藤が尋ねると、意を決したように、音竹は言う。

「先生。僕……僕、人殺しなんです!」
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