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ポイズンマスター
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とある石畳が売りの城下町。その乗合馬車降り場近くに1件の喫茶店があった。昼は軽い昼食と飲み物。一般終業前辺りからは短い時間だけお酒を提供する酒場を兼ねたような喫茶店。そこは男女共に人気のある喫茶店であった。
「こんにちは、ミストレル」
「あら、いらっしゃい。今日は何にするの?」
「サンドイッチと紅茶お願いできるかな?」
「はいよ。ちょっと時間かかるけどいい?」
「ミストレルの手料理だ。親方にも文句言わせないよ」
「あら、ありがと」
ミストレルと呼ばれる女性、金髪碧眼、赤髪緑眼、この様な組み合わせが多いこの国にしては珍しく、真っ黒で、真っ直ぐで、背中まで伸びた髪、眼の色も引き込まれるような黒い色をし、目は切れ長、唇は少し厚みがかかった赤い色。肌は白く、艶も良い。その白と黒のコントラストがとても魅力的だった。顔立ちも綺麗なため、可愛らしい、そして妖艶な美しさを醸し出していた。もちろん顔だけでなく、四肢もスラリと伸び、ほっそりとした体型で、出る所も嫌味がない程度に出ているので、体型を気にしている女性からは羨ましがられていた。
人気の理由はその美しさという人も居る。実際に彼女の気を引こうと毎日通う男性も居るくらいだ。
だが、実際は彼女の人柄、話しやすさに引かれ集まって来ている。その為、男性客以外にも女性客も多く、しかもその大半が一人でこの店に足を運んでいる。二人以上で来ると彼女と話すことが少なくなってしまうからだと言うのが理由らしい。
「ねえ、聞いてよミストレルー。旦那が子育て疲れたって言ってきたのよ。」
「あら、大変ね」
「そうでしょ?お前が何してるんだって」
「確かにそうよね」
「もうやんなっちゃう」
「そうね。でも、頑張らなきゃね。まだ3歳でしょ?可愛い盛りじゃない」
「そうなのよ、可愛いのよー」
「なら、食べてからお母さんに戻らなきゃね」
「わかった。頑張る」
そう言うと女性客はミストレルから出されたサンドイッチを頬張り始めた。
「ミストレル、聞いてくれよ。親方がさあ俺のこと認めてくれないんだよ」
「どうしてなの?」
「多分、俺の才能に嫉妬してるんだよ」
「そうかなー、親方ならその鼻を一回折って、気を入れ替えようとしてるんじゃないの?」
「俺ってそんなに傲慢?」
「親方にはそう見えるんじゃないの?」
「ミストレルにはどう見える?」
「ちょっとー……」
「うわ……俺気を引き締めるわ」
そんな会話をしながらサンドイッチと飲み物の準備をする手は止めない。手際よくお湯を沸かし、パンに具を挟み、切っていく。皿に乗せ、一人用のポットに茶葉と沸騰直前のお湯を入れ、蒸らす為にミトンの様なものをかぶせ、トレーでお客様に渡していく。
「お待たせ。紅茶はこの砂が落ちるまで待ってね」
「はいよ。ありがとう」
この店は昼を過ぎても常にカウンターの席は全部埋まっている状態になっている。一人ひとりの座っている時間はさほど長くない。だが、途切れないと言うのはそれだけ多くのお客様が来店しているという事だ。テーブル席も幾つかあるが、昼食時と夜はそちらも埋まる。全て一人で行なっているため、お客側も気を使い、少々出てくるのが遅くなっても理解してくれる。逆に、昼を食べてない場合は自分が食べる分を遅くしてまでミストレル優先に食べさせたりと微笑ましい光景もあったりした。
日が暮れ始めると店の外に2つ、店内に10箇所あるオイルランプに火種を使い灯していく。店の端にある物はその場に居るお客が手伝い灯す事が多い。
夜のお酒を出す時間が過ぎ、そろそろ閉店時間になってくるとお客様も一人、また一人と帰っていく。全員帰宅してしまい、店を閉じようとした所に一人入ってくる。
「あらクラブカ、いらっしゃい。もう少しで閉店だから、1杯だけで良い?」
「済まない、ミストレル。その一杯だけで帰るから」
「ありがとう。次はもう少しゆっくり出来る時間からお願いね?」
「わかった。それで、ウィスキーを頼む」
「いつものピートが効いてる品のストレートね?」
「ああ。頼む」
そう言うと男はカウンターに座り、ミストレルから出されたウィスキーを一口飲む。
「ふぅ……。ようやく落ち着いた気がするよ」
「どうしたの?」
「ああ、最近女性に付きまとわれてね」
「クラブカって確か独身だったわよね?良いじゃないの」
「見た目は良いんだけど、性格がどうもあわなくてね」
「どうあわないの?」
「簡単に言えば付きまとわれる」
「可愛いじゃないの」
「職場から食事先、更にはお客様に出来た商品を渡しに行った時にも居たんだよ、近くに……」
「お客様の場所は教えてないのよね?」
「ああ。だから気味が悪くてね……」
「困ったものねぇ」
クラブカは残ったウィスキーを一気飲みし、立ち上がってからお金を出す。
「あら、もう飲んじゃったのね?」
「ミストレルも、もう休む時間だろう?これ以上愚痴に付き合ってもらうのも悪いしな」
「気を使わせちゃったわね。ありがと。また来てね」
「ああ、またよらせてもらうよ」
グラスを洗い、乾いた布巾で拭き、棚にしまう。
そこで外の灯をつけたままなのを思い出し、慌てて消しに行くミストレル。遠くの街灯の下に一瞬人影が見えたような気がした。この時間ならまだ本格的な酒場であれば普通に開いてる時間。そこのお客様だろうと考え、外の火を消し、簡単な清掃をしてからドアにぶら下げてある看板を裏返し、閉店の表示にしてから店内の閉店作業へとかかる。
カマドの火を消し、燃えかすを集め、裏口にあるバケツに捨てる。翌日すぐ火を付けられるように炭を上手く重ねておく。
水は日が落ちてからの井戸は危険なため、明日の朝に行うことにする。
今日の売上を伝票と共にケースに入れ、戸締りをして上の階、自分の部屋へと階段を登り、一息つく。
「ようやく今日も終わったわね。さて、集計しますか」
明瞭会計にするために昼食一人分で小銀貨1枚。夜のお酒も一律1杯小銀貨1枚。もっと細かくやれば儲かるのにと多くのお客様から言われ続けているが、一人でやりたいが為にこの様な形に。助けるよ、雇って欲しい等たくさん言われることがあるが、逆にこの明瞭会計な為、回転率やお客様が気楽に来れるのではないかと考えてもいる。
「んー、今日も結構儲かったわね。お酒もそろそろ買い足して置かないと……」
そう呟きながら就寝前にいつも行なっている体を拭く準備をはじめる。朝も体を拭くことをしているが、夜も行う理由は、拭くとすっきりとした気持ちで眠れるからだ。水桶に布を浸し、絞りながら体を拭く。拭き終わったら乾いた布で擦らないように拭きあげる。
外はまだ少し騒がしい所もある。近くに酒場が2件ほどあるので、そこかもしれない。
「私のお店は酒場より早く閉まるけど、長い時間開けるからね。しっかり寝とかないとね」
そうつぶやきながら、寝間着に着替え、布団に入り眠ることにした。
翌朝、街の目覚めより遅く起きる。
まずは共用井戸に行き、水を汲む。毎日必要なこととはいえ、朝から汗をかいてしまう。この様な時は男手が欲しく思う。
お湯を沸かすためにカマドに火を付け、炭に火が移ったのを確認してから体を水で絞った布と、乾いた布で拭く。
仕事着に着替えてから湧いたお湯で紅茶を入れ、朝食にする。昨日売れ残ったパンを火の上で焼き、香ばしい色と匂いが漂う。パンに挟むための野菜は少し萎れてきている。切り刻んでからトマトベースのスープに放り込み、温める。卵もと思ったが、昨日全て使いきってしまったので、お店用にと決めていたハムを少し切り取る。切りそこねた欠片はそのまま口に。味が気に入って買ったハムな為、もう一口……と誘惑に負けそうになるが、頑張って踏みとどまる。
全て揃った辺りで砂時計の砂が落ちきり、紅茶の飲み頃になる。
「いただきますっと」
朝食を終え、外に出るとパンの焼ける匂いが一面に香る。近所のパン屋から漂ってくる香りだ。食べたばかりだがふらふらと匂いに引かれてしまう。
「あ、ミストレル。おはよう」
「おはよう、ノルシュ」
「パン後で届けるよ。いつもの量で良いかい?」
「うん。お願いね」
他の買い物終わらせてから寄ろうと思っていたのだが、パン屋の若旦那のおかげで楽をしてしまった。
「女将さんいる?」
「あら、ミストレル。おはよう。今日はちょっと早いんじゃない?」
野菜を買うためにいつものお店に顔を出す。新鮮な野菜が店頭に並び、声をかけるといつもの威勢の良い女性が顔を出してくる。
「そう?でも、女将さん達に比べれば全然遅いわ」
「それは仕方がないでしょ。こっちはセリで買ってこなきゃならないんだし」
市場から仕入れてきて店頭で野菜を販売する。その他にも直接売りに来てくれている農家の品もある。朝早くから全開で働かなくてはならない。生活のサイクルが違うから起きる時間も違うのは当たり前。ミストレルが起きるより遥か前に起きて重い荷物を持ち運ぶと聞いた時、自分には出来ないなと思った。
「ミストレル、今日も綺麗だね」
「ありがと」
女将さんと話していると店の裏手から走ってくる音が聞こえた。顔を出して直ぐにこういうのはこの店の長男のシュロムだ。特に何もないし、こちらは何も思っていないのだが。
「いつもので良いかい?ミストレル」
「うん。ありがとう」
「それじゃ、このバカ息子に届けさせるから」
「いいの?」
「振られてるのわかってないんだから、どんどん顎で使って。それで教育してバカをちょっとマシなバカにしてやってくれないかい?」
「これ返事しにくいんだけど」
「あははは。まあ、届けておくよ。バカ息子も嫌がってないしね」
「ありがと」
「親父さん居る?」
離れた位置に養鶏場を持ち、その日の取れたて卵を販売している店に顔を出す。
「……」
「あら、ありがとう」
寡黙な親父さんはミストレルの声を聞くと直ぐいつもの量を用意し、手渡そうとする。ミストレルが受け取ろうと籠を掴んだ所、親父さんが離してくれない。
「ん?」
少し首をかげてしまうミストレル。そんなミストレルを見ながら親父さんは顎で店の裏手を示す。裏手には複数の男性の声が聞こえる。
「いいの?いつも持ってきてもらってるけど」
ゆっくりと頷く親父さん。
「ありがと。息子さんにもよろしくね」
最後に酒屋に向かうと店の表で荷馬車から荷を下ろしている男性が居た。
「おはよう、ドグラさん。今日は早いのね」
「ん?おお、ミストレル。おはよう。いつもはもっと早いよ。この時間に戻れてないだけだ」
「あら、そうなのね。そうそう、ウィスキー欲しいんだけど」
「何がいる?」
「ピートのキツイのと、ちょっと塩っぽいの。それと、樽の香りが強いのが良いな。それと、ブランデーを3本。ブランデーはお任せするわ」
「わかった。昼にロケに持たせるよ」
「あら、ロケ君うちで昼食べてるのよくわかったね」
「バカの行動は読みやすいんだよ」
「そうなると、ドグラさんもお仲間になっちゃうわよ?」
ドグラも常連客。そう伝えると真っ赤になって答える。
「俺は良いんだよ!! ちゃんと持って行かせるからな!!」
「はーい。よろしくね」
「結局何も持たずに買い物できちゃった」
お店の裏手入り口に戻ると全ての食材が山になって置かれていた。
「ここからが重いんだけどねー……」
全部の食材を片っ端から厨房に運び、昼食の仕込みに取り掛かった。
この日はいつもの通りの混み具合だった。昼食もお客様と一緒に食べたり、夕食を食べるタイミングを逃したりと。
ただ、お酒を出す時間には少し雨が降り始め、早めに帰る人が多く、少し早めに店を閉めようとした所、フード付きの雨よけコートを来た人が入ってきた。
「いらっしゃい」
「紅茶頂けますか?」
フードで顔が隠れていたのでわからなかったが、声を聞いた所女性だった。
カウンター席に座り、フードを取ると、可愛いと綺麗が半々くらいの髪が肩くらいまで伸ばした女性の顔が見えた。ミストレルの事を威圧しているわけではないが、目は何か強い意志を表していた。
「それと、ウィスキーを4滴入れてください」
「それだけでいいんですか?」
「はい。しっかり4滴入れてください」
「わかりました。少しお待ちください」
そう言うとミストレルは表に付けている灯を消し、閉店の表示を変え、ドアを閉めてからカウンターに戻る。
「今日はどのようなご用件でしょうか」
いつもの声とは違い一段と低い声でミストレルは話し始める。表情も明るいところが無くなり、可愛いと言う言葉が全く当てはまらなくなり、引きずり込まれそうな妖艶さを出していた。
「ポイズンマスターの貴方に特別な毒を作って頂きたい」
「どのような毒ですか?」
「私はアルマと言います。彼が私に惚れる毒です。作れますか?」
「問題ありません。ですが、幾つか条件がございます」
「何でしょうか?」
「一つ、料金は前払いでおねがいします。それと、金額は使用対象人物と、内容により変動します」
「はい」
「二つ、当喫茶店では絶対に使用しないでください」
「はい」
「三つ、毒ができてから効果が維持されるのは1日だけです。それ以内にお使いください」
「はい」
「四つ、全てのことに対し、秘密は厳守でお願いします」
「はい」
「以上が守れるようでしたら、お作り致します。ですが、四つ目の事に関しては毒を作らなくても守って頂きます。もし他の人に話してしまった場合、私の知人が貴方のもとに行くでしょう。何処にいようとも」
「わかりました」
「それでは、どの方にお使いになるのですか?」
「クラブカと言う男性に」
「彼ですか」
「できますか?!」
「問題ありません。料金は金貨にして8枚頂きます」
「高すぎませんか?!」
「人の人生を狂わせようというのですよ?安いと思いませんか?」
「そうかもしれませんが……」
「お支払い頂けないようでしたらこの話は無かったことに」
「わ……わかりました。払います!」
「それでは実行する日は何時でしょうか?」
「5日後に彼と食事をする機会があります。その時に実行したいと思います」
「それでは前日の4日後、今日と同じ時刻に取りに来てください。お支払いはお渡し当日ではなく、その前日までにお願いします」
「わかりました……」
2日後の閉店間際にアルマはお金を支払いに来た。顔は多少やつれ、元気はない。だが、目は爛々とし、危険な印象を受けた。
使用前日の夜、閉店間際に再度アルマはお店に顔を出す。他のお客が居なくなった時点でアルマは切り出す。
「出来ているわね?」
「ええ。2本あるわ。この1本は彼に。もうひとつの1本は貴方が飲んで」
「わかった。そうすれば彼は私に惚れてくれるのね?」
「そうよ」
「ああ、ようやく私の願いが叶うのね……」
恍惚とした表情で小さな瓶を受け取るアルマ。優しく、でもしっかりと瓶を握り締めている。それほどにも待ち遠しかったものなのだろう。怪しげな表情をしつつ彼女は瓶を両手に持ったまますぐに店を出ていった。
「革袋くらいあげたのに……」
「今日会いに来たのは君にしっかりと離しておくべきことがあると思ったからだ」
クラブカは厳しい表情をしつつアルマに話し始める。
「こんな所で立ち話もどうかと思いますわ。どうぞ中へ」
仕事を終え、アルマの借家に向かったクラブカは中にはいらず話し合いだけで終わらせるつもりでいたのだが、妙なアルマの迫力に押されリビングに通され椅子に座ってしまう。
「とりあえず、食事にしましょう。食べてから話し合っても遅くはないと思うわ」
アルマから濡れた布巾を渡され、なすがままに手を拭いて食事が準備されるのを待ってしまう。別に食事を待たずに話し合いを始めてもおかしくないのだが、そこで待ってしまうのはクラブカの人の良さと言うところだろうか。
清潔な布巾の上にスプーンやフォーク、ナイフが置かれる。そして、スープにサラダ、肉料理とパンがクラブカの前に準備された所で台所に居るアルマから声がかかる。
「貴方は何を飲むの?」
「ワインで頼む」
「赤ワインしか無いけど良い?」
「ああ、問題ない」
普段ウィスキーをそのまま飲んでいるクラブカ。飲むペースを間違えなければそう簡単にワインで酔うはずがない。そう考えてワインを選択した。アルマはグラスに注がれたワインを二つ自分と、クラブカの席に置き、そしてボトルを持ってくる。
「それじゃ、何に乾杯する?」
「何でもいい」
「そう?なら、未来に」
チンッ、とグラスどうしがぶつかり、中の液が行き交う。そしてお互いに一口飲み込んでから食事をはじめる。
スープは牛の骨から旨みを出した野菜のスープで、ここまで美味しさを引き出すには数日はかかるだろうと思われた。
「美味いな」
「ありがとう。すごく嬉しいわ」
コース料理では無いので、そのまま食べきる必要はなく、スープが美味しかったクラブカはそのまま他の料理にも手を付けに行った。
「サラダもドレッシングをこだわってるのか?このベースの味はなんだ?」
「極東で作られた特別なソースよ。滅多に手に入らないんだから」
「この肉も随分と良い部位みたいだな」
「そうね。特別に譲ってもらったのよ」
パンに関してはミストレルのお店で食べている味と同じであったので馴染みがあった。
しかし、そのパンも肉料理にかけたグレイビーソースをパンですくいながら食べる。スープに軽くつけてから食べる。サラダにかけたドレッシングを付ける等してパンがどんどん減っていく。
「お口にあいましたでしょうか?」
「ああ、こんなに美味しい料理は初めてだ。おかげでワインが進む」
「食後のワインも準備して有りますわ」
「それは楽しみだ」
クラブカはここに来た目的も忘れ、食事に没頭してしまった。それだけ美味しかったというところだろうか。
「美味かった」
食べ終えると、大きく息を吐きつつ満足感に浸っているクラブカ。そこにアルマはワインをグラスに入れ持ってくる。
「食後のワインよ。これも赤だけど、良いわよね?」
「ああ、ありがとう」
酔うつもりがないのにどんどんお酒が入っていく。不思議な気分でクラブカは座っていた。
「これも変わった味だな。どんなワインなんだ?」
「友人が特別に作ってくれたワインよ。二度と手に入らないのだから」
「そうか。じっくりと味わって飲まなくてはもったいないな」
1杯飲み終えた辺りで酔っていたクラブカにも今日何しに来たのか思い出す。食事に来たのではない。彼女、アルマから離れたい。関わってほしくないと言う言葉を伝えに来たのだ。
今までに感じた彼女に対する不安感は今でも消えない。付きまとわれる恐怖。先回りされる恐怖。現場で見かけた時の彼女の怪しい笑み。これらは思い出すだけで背筋が震える。
「今日は美味しかった。だが、君には伝えなければならない言葉がある」
「何でしょうか?」
「それは……」
続けようと思った瞬間、何かが体の中に、体の各所に流れこむような感覚があり、言葉を止めてしまった。
その違和感が収まりかけた瞬間、大きなめまいがあり、体を強ばらせる。だが、少しするとそのめまいも無くなっていった。
「大丈夫ですか?」
「あ……、ああ。大丈夫だ」
「それで、私に伝えたいこととは、どういった事なのでしょうか?」
「今すぐ君を抱きたいのだが良いだろうか?」
先ほどまでの決意は何処に行ったのか、更には男女の仲を進めるにも1歩も2歩も飛ばして、いや飛ばしすぎて言葉にしてしまう。クラブカに取って違和感を感じたかったのだろうが、ワインによる酔いがその違和感を感じさせなくしていた。
「喜んで」
アルマは綺麗、可愛らしいと言う表情が無くなり、そう、蛇が獲物を捉える瞬間の顔とでも言おうか。怪しい、そして怖い顔をしていた。クラブカにとって、これも恐怖に感じなくてはならないことだろう。だが、その情報が何処かで捻じ曲げられ、良いものだと判断させられ、椅子から立ち上がり、アルマを抱き上げ、キスをしながらベッドルームへと歩いて行く。
丁寧にベッドに寝かせる。伸びた髪を上に広げた後、ゆっくりと服を脱がす。肢体が顕になった辺りで自分も全て脱ぎ去り、覆いかぶさる。
「行くよ」
「はい……ようやく、ようやく願いが叶いますわ」
行為の後、クラブカは全身の力が抜け、アルマに覆いかぶさって居た。
アルマは幸福に包まれていた。念願の彼との繋がり。更には彼から求めてきた事実。そして、既成事実と言う結果。
金貨8枚、小さな馬車位なら買えてしまうかもしれない金額。その位のお金を支払ったかいがあったというものだ。
アルマはミストレルに感謝し、心の中で礼を言う。そして、まだ覆いかぶさっている彼にキスしようと彼の顔を見る。
眠ってしまったのだろうか?
彼は目をつぶっていた。行為の後すぐ寝てしまうのは彼女にとってマイナス点ではあったのだが、それだけ気持ちよかったのだろうと勝手に解釈する。そして彼にキスして横に寝かそうとした所で気づく。
「え……?息してない……?」
慌てて彼の状態を確認する。口や鼻からは呼吸している様子が見られない。慌てて心臓の音を聞こうと彼を横たえ、そして胸に耳を当てる。
「動いて……無い……」
何が起きたのか?なんでこうなったのか?幸せはこれからではなかったのか?彼女の薬は失敗作だったのか?アルマにはもうまともな思考が出来るわけがなかった。
「失敗作だったのだわ……」
怒りに支配されたアルマはミストレルの店に行くために着替え、そして台所にある包丁を持ち出す。
「彼を奪ったアイツを殺してやる!!」
怒りは殺意に塗り替えられ、彼女の中にあった狂気が表に出てきた。
「ミストレル!!」
準備が整い、家を出ようとした瞬間、全身から力が抜けていく。座り込む形ではなく、糸が切れたマリオネットのように。
「何……?」
何が起こったのかわからないまま冷たい床にうつ伏せになっている。体を起こそうにも腕が動かない。もがこうにも足も動かない。手の指先、足の指さえも。
そして混乱したまま彼女の心臓は動くことを止めた。
「私が何故ポイズンミストレルではなく、ポイズンマスターと呼ばれるかわかって?」
誰も居ない部屋で独り言をつぶやくミストレル。
「私はどんな毒でも作ることが出来る。惚れさせること、元気にさせること、記憶を無くすこと。でも、その毒は確実に使用した人を殺すの。だからポイズンマスターなのよ」
いつもの様に体を濡れた布で、そして乾いた布で拭いていく。
「一人常連のお客様が居なくなっちゃったか。寂しくなるなあ。そう言えば、今日も卵使いきっちゃったわね。これから多めにしてもらおうかしら」
寝間着に着替えた彼女はそう呟きながらベッドに入った。
「こんにちは、ミストレル」
「あら、いらっしゃい。今日は何にするの?」
「サンドイッチと紅茶お願いできるかな?」
「はいよ。ちょっと時間かかるけどいい?」
「ミストレルの手料理だ。親方にも文句言わせないよ」
「あら、ありがと」
ミストレルと呼ばれる女性、金髪碧眼、赤髪緑眼、この様な組み合わせが多いこの国にしては珍しく、真っ黒で、真っ直ぐで、背中まで伸びた髪、眼の色も引き込まれるような黒い色をし、目は切れ長、唇は少し厚みがかかった赤い色。肌は白く、艶も良い。その白と黒のコントラストがとても魅力的だった。顔立ちも綺麗なため、可愛らしい、そして妖艶な美しさを醸し出していた。もちろん顔だけでなく、四肢もスラリと伸び、ほっそりとした体型で、出る所も嫌味がない程度に出ているので、体型を気にしている女性からは羨ましがられていた。
人気の理由はその美しさという人も居る。実際に彼女の気を引こうと毎日通う男性も居るくらいだ。
だが、実際は彼女の人柄、話しやすさに引かれ集まって来ている。その為、男性客以外にも女性客も多く、しかもその大半が一人でこの店に足を運んでいる。二人以上で来ると彼女と話すことが少なくなってしまうからだと言うのが理由らしい。
「ねえ、聞いてよミストレルー。旦那が子育て疲れたって言ってきたのよ。」
「あら、大変ね」
「そうでしょ?お前が何してるんだって」
「確かにそうよね」
「もうやんなっちゃう」
「そうね。でも、頑張らなきゃね。まだ3歳でしょ?可愛い盛りじゃない」
「そうなのよ、可愛いのよー」
「なら、食べてからお母さんに戻らなきゃね」
「わかった。頑張る」
そう言うと女性客はミストレルから出されたサンドイッチを頬張り始めた。
「ミストレル、聞いてくれよ。親方がさあ俺のこと認めてくれないんだよ」
「どうしてなの?」
「多分、俺の才能に嫉妬してるんだよ」
「そうかなー、親方ならその鼻を一回折って、気を入れ替えようとしてるんじゃないの?」
「俺ってそんなに傲慢?」
「親方にはそう見えるんじゃないの?」
「ミストレルにはどう見える?」
「ちょっとー……」
「うわ……俺気を引き締めるわ」
そんな会話をしながらサンドイッチと飲み物の準備をする手は止めない。手際よくお湯を沸かし、パンに具を挟み、切っていく。皿に乗せ、一人用のポットに茶葉と沸騰直前のお湯を入れ、蒸らす為にミトンの様なものをかぶせ、トレーでお客様に渡していく。
「お待たせ。紅茶はこの砂が落ちるまで待ってね」
「はいよ。ありがとう」
この店は昼を過ぎても常にカウンターの席は全部埋まっている状態になっている。一人ひとりの座っている時間はさほど長くない。だが、途切れないと言うのはそれだけ多くのお客様が来店しているという事だ。テーブル席も幾つかあるが、昼食時と夜はそちらも埋まる。全て一人で行なっているため、お客側も気を使い、少々出てくるのが遅くなっても理解してくれる。逆に、昼を食べてない場合は自分が食べる分を遅くしてまでミストレル優先に食べさせたりと微笑ましい光景もあったりした。
日が暮れ始めると店の外に2つ、店内に10箇所あるオイルランプに火種を使い灯していく。店の端にある物はその場に居るお客が手伝い灯す事が多い。
夜のお酒を出す時間が過ぎ、そろそろ閉店時間になってくるとお客様も一人、また一人と帰っていく。全員帰宅してしまい、店を閉じようとした所に一人入ってくる。
「あらクラブカ、いらっしゃい。もう少しで閉店だから、1杯だけで良い?」
「済まない、ミストレル。その一杯だけで帰るから」
「ありがとう。次はもう少しゆっくり出来る時間からお願いね?」
「わかった。それで、ウィスキーを頼む」
「いつものピートが効いてる品のストレートね?」
「ああ。頼む」
そう言うと男はカウンターに座り、ミストレルから出されたウィスキーを一口飲む。
「ふぅ……。ようやく落ち着いた気がするよ」
「どうしたの?」
「ああ、最近女性に付きまとわれてね」
「クラブカって確か独身だったわよね?良いじゃないの」
「見た目は良いんだけど、性格がどうもあわなくてね」
「どうあわないの?」
「簡単に言えば付きまとわれる」
「可愛いじゃないの」
「職場から食事先、更にはお客様に出来た商品を渡しに行った時にも居たんだよ、近くに……」
「お客様の場所は教えてないのよね?」
「ああ。だから気味が悪くてね……」
「困ったものねぇ」
クラブカは残ったウィスキーを一気飲みし、立ち上がってからお金を出す。
「あら、もう飲んじゃったのね?」
「ミストレルも、もう休む時間だろう?これ以上愚痴に付き合ってもらうのも悪いしな」
「気を使わせちゃったわね。ありがと。また来てね」
「ああ、またよらせてもらうよ」
グラスを洗い、乾いた布巾で拭き、棚にしまう。
そこで外の灯をつけたままなのを思い出し、慌てて消しに行くミストレル。遠くの街灯の下に一瞬人影が見えたような気がした。この時間ならまだ本格的な酒場であれば普通に開いてる時間。そこのお客様だろうと考え、外の火を消し、簡単な清掃をしてからドアにぶら下げてある看板を裏返し、閉店の表示にしてから店内の閉店作業へとかかる。
カマドの火を消し、燃えかすを集め、裏口にあるバケツに捨てる。翌日すぐ火を付けられるように炭を上手く重ねておく。
水は日が落ちてからの井戸は危険なため、明日の朝に行うことにする。
今日の売上を伝票と共にケースに入れ、戸締りをして上の階、自分の部屋へと階段を登り、一息つく。
「ようやく今日も終わったわね。さて、集計しますか」
明瞭会計にするために昼食一人分で小銀貨1枚。夜のお酒も一律1杯小銀貨1枚。もっと細かくやれば儲かるのにと多くのお客様から言われ続けているが、一人でやりたいが為にこの様な形に。助けるよ、雇って欲しい等たくさん言われることがあるが、逆にこの明瞭会計な為、回転率やお客様が気楽に来れるのではないかと考えてもいる。
「んー、今日も結構儲かったわね。お酒もそろそろ買い足して置かないと……」
そう呟きながら就寝前にいつも行なっている体を拭く準備をはじめる。朝も体を拭くことをしているが、夜も行う理由は、拭くとすっきりとした気持ちで眠れるからだ。水桶に布を浸し、絞りながら体を拭く。拭き終わったら乾いた布で擦らないように拭きあげる。
外はまだ少し騒がしい所もある。近くに酒場が2件ほどあるので、そこかもしれない。
「私のお店は酒場より早く閉まるけど、長い時間開けるからね。しっかり寝とかないとね」
そうつぶやきながら、寝間着に着替え、布団に入り眠ることにした。
翌朝、街の目覚めより遅く起きる。
まずは共用井戸に行き、水を汲む。毎日必要なこととはいえ、朝から汗をかいてしまう。この様な時は男手が欲しく思う。
お湯を沸かすためにカマドに火を付け、炭に火が移ったのを確認してから体を水で絞った布と、乾いた布で拭く。
仕事着に着替えてから湧いたお湯で紅茶を入れ、朝食にする。昨日売れ残ったパンを火の上で焼き、香ばしい色と匂いが漂う。パンに挟むための野菜は少し萎れてきている。切り刻んでからトマトベースのスープに放り込み、温める。卵もと思ったが、昨日全て使いきってしまったので、お店用にと決めていたハムを少し切り取る。切りそこねた欠片はそのまま口に。味が気に入って買ったハムな為、もう一口……と誘惑に負けそうになるが、頑張って踏みとどまる。
全て揃った辺りで砂時計の砂が落ちきり、紅茶の飲み頃になる。
「いただきますっと」
朝食を終え、外に出るとパンの焼ける匂いが一面に香る。近所のパン屋から漂ってくる香りだ。食べたばかりだがふらふらと匂いに引かれてしまう。
「あ、ミストレル。おはよう」
「おはよう、ノルシュ」
「パン後で届けるよ。いつもの量で良いかい?」
「うん。お願いね」
他の買い物終わらせてから寄ろうと思っていたのだが、パン屋の若旦那のおかげで楽をしてしまった。
「女将さんいる?」
「あら、ミストレル。おはよう。今日はちょっと早いんじゃない?」
野菜を買うためにいつものお店に顔を出す。新鮮な野菜が店頭に並び、声をかけるといつもの威勢の良い女性が顔を出してくる。
「そう?でも、女将さん達に比べれば全然遅いわ」
「それは仕方がないでしょ。こっちはセリで買ってこなきゃならないんだし」
市場から仕入れてきて店頭で野菜を販売する。その他にも直接売りに来てくれている農家の品もある。朝早くから全開で働かなくてはならない。生活のサイクルが違うから起きる時間も違うのは当たり前。ミストレルが起きるより遥か前に起きて重い荷物を持ち運ぶと聞いた時、自分には出来ないなと思った。
「ミストレル、今日も綺麗だね」
「ありがと」
女将さんと話していると店の裏手から走ってくる音が聞こえた。顔を出して直ぐにこういうのはこの店の長男のシュロムだ。特に何もないし、こちらは何も思っていないのだが。
「いつもので良いかい?ミストレル」
「うん。ありがとう」
「それじゃ、このバカ息子に届けさせるから」
「いいの?」
「振られてるのわかってないんだから、どんどん顎で使って。それで教育してバカをちょっとマシなバカにしてやってくれないかい?」
「これ返事しにくいんだけど」
「あははは。まあ、届けておくよ。バカ息子も嫌がってないしね」
「ありがと」
「親父さん居る?」
離れた位置に養鶏場を持ち、その日の取れたて卵を販売している店に顔を出す。
「……」
「あら、ありがとう」
寡黙な親父さんはミストレルの声を聞くと直ぐいつもの量を用意し、手渡そうとする。ミストレルが受け取ろうと籠を掴んだ所、親父さんが離してくれない。
「ん?」
少し首をかげてしまうミストレル。そんなミストレルを見ながら親父さんは顎で店の裏手を示す。裏手には複数の男性の声が聞こえる。
「いいの?いつも持ってきてもらってるけど」
ゆっくりと頷く親父さん。
「ありがと。息子さんにもよろしくね」
最後に酒屋に向かうと店の表で荷馬車から荷を下ろしている男性が居た。
「おはよう、ドグラさん。今日は早いのね」
「ん?おお、ミストレル。おはよう。いつもはもっと早いよ。この時間に戻れてないだけだ」
「あら、そうなのね。そうそう、ウィスキー欲しいんだけど」
「何がいる?」
「ピートのキツイのと、ちょっと塩っぽいの。それと、樽の香りが強いのが良いな。それと、ブランデーを3本。ブランデーはお任せするわ」
「わかった。昼にロケに持たせるよ」
「あら、ロケ君うちで昼食べてるのよくわかったね」
「バカの行動は読みやすいんだよ」
「そうなると、ドグラさんもお仲間になっちゃうわよ?」
ドグラも常連客。そう伝えると真っ赤になって答える。
「俺は良いんだよ!! ちゃんと持って行かせるからな!!」
「はーい。よろしくね」
「結局何も持たずに買い物できちゃった」
お店の裏手入り口に戻ると全ての食材が山になって置かれていた。
「ここからが重いんだけどねー……」
全部の食材を片っ端から厨房に運び、昼食の仕込みに取り掛かった。
この日はいつもの通りの混み具合だった。昼食もお客様と一緒に食べたり、夕食を食べるタイミングを逃したりと。
ただ、お酒を出す時間には少し雨が降り始め、早めに帰る人が多く、少し早めに店を閉めようとした所、フード付きの雨よけコートを来た人が入ってきた。
「いらっしゃい」
「紅茶頂けますか?」
フードで顔が隠れていたのでわからなかったが、声を聞いた所女性だった。
カウンター席に座り、フードを取ると、可愛いと綺麗が半々くらいの髪が肩くらいまで伸ばした女性の顔が見えた。ミストレルの事を威圧しているわけではないが、目は何か強い意志を表していた。
「それと、ウィスキーを4滴入れてください」
「それだけでいいんですか?」
「はい。しっかり4滴入れてください」
「わかりました。少しお待ちください」
そう言うとミストレルは表に付けている灯を消し、閉店の表示を変え、ドアを閉めてからカウンターに戻る。
「今日はどのようなご用件でしょうか」
いつもの声とは違い一段と低い声でミストレルは話し始める。表情も明るいところが無くなり、可愛いと言う言葉が全く当てはまらなくなり、引きずり込まれそうな妖艶さを出していた。
「ポイズンマスターの貴方に特別な毒を作って頂きたい」
「どのような毒ですか?」
「私はアルマと言います。彼が私に惚れる毒です。作れますか?」
「問題ありません。ですが、幾つか条件がございます」
「何でしょうか?」
「一つ、料金は前払いでおねがいします。それと、金額は使用対象人物と、内容により変動します」
「はい」
「二つ、当喫茶店では絶対に使用しないでください」
「はい」
「三つ、毒ができてから効果が維持されるのは1日だけです。それ以内にお使いください」
「はい」
「四つ、全てのことに対し、秘密は厳守でお願いします」
「はい」
「以上が守れるようでしたら、お作り致します。ですが、四つ目の事に関しては毒を作らなくても守って頂きます。もし他の人に話してしまった場合、私の知人が貴方のもとに行くでしょう。何処にいようとも」
「わかりました」
「それでは、どの方にお使いになるのですか?」
「クラブカと言う男性に」
「彼ですか」
「できますか?!」
「問題ありません。料金は金貨にして8枚頂きます」
「高すぎませんか?!」
「人の人生を狂わせようというのですよ?安いと思いませんか?」
「そうかもしれませんが……」
「お支払い頂けないようでしたらこの話は無かったことに」
「わ……わかりました。払います!」
「それでは実行する日は何時でしょうか?」
「5日後に彼と食事をする機会があります。その時に実行したいと思います」
「それでは前日の4日後、今日と同じ時刻に取りに来てください。お支払いはお渡し当日ではなく、その前日までにお願いします」
「わかりました……」
2日後の閉店間際にアルマはお金を支払いに来た。顔は多少やつれ、元気はない。だが、目は爛々とし、危険な印象を受けた。
使用前日の夜、閉店間際に再度アルマはお店に顔を出す。他のお客が居なくなった時点でアルマは切り出す。
「出来ているわね?」
「ええ。2本あるわ。この1本は彼に。もうひとつの1本は貴方が飲んで」
「わかった。そうすれば彼は私に惚れてくれるのね?」
「そうよ」
「ああ、ようやく私の願いが叶うのね……」
恍惚とした表情で小さな瓶を受け取るアルマ。優しく、でもしっかりと瓶を握り締めている。それほどにも待ち遠しかったものなのだろう。怪しげな表情をしつつ彼女は瓶を両手に持ったまますぐに店を出ていった。
「革袋くらいあげたのに……」
「今日会いに来たのは君にしっかりと離しておくべきことがあると思ったからだ」
クラブカは厳しい表情をしつつアルマに話し始める。
「こんな所で立ち話もどうかと思いますわ。どうぞ中へ」
仕事を終え、アルマの借家に向かったクラブカは中にはいらず話し合いだけで終わらせるつもりでいたのだが、妙なアルマの迫力に押されリビングに通され椅子に座ってしまう。
「とりあえず、食事にしましょう。食べてから話し合っても遅くはないと思うわ」
アルマから濡れた布巾を渡され、なすがままに手を拭いて食事が準備されるのを待ってしまう。別に食事を待たずに話し合いを始めてもおかしくないのだが、そこで待ってしまうのはクラブカの人の良さと言うところだろうか。
清潔な布巾の上にスプーンやフォーク、ナイフが置かれる。そして、スープにサラダ、肉料理とパンがクラブカの前に準備された所で台所に居るアルマから声がかかる。
「貴方は何を飲むの?」
「ワインで頼む」
「赤ワインしか無いけど良い?」
「ああ、問題ない」
普段ウィスキーをそのまま飲んでいるクラブカ。飲むペースを間違えなければそう簡単にワインで酔うはずがない。そう考えてワインを選択した。アルマはグラスに注がれたワインを二つ自分と、クラブカの席に置き、そしてボトルを持ってくる。
「それじゃ、何に乾杯する?」
「何でもいい」
「そう?なら、未来に」
チンッ、とグラスどうしがぶつかり、中の液が行き交う。そしてお互いに一口飲み込んでから食事をはじめる。
スープは牛の骨から旨みを出した野菜のスープで、ここまで美味しさを引き出すには数日はかかるだろうと思われた。
「美味いな」
「ありがとう。すごく嬉しいわ」
コース料理では無いので、そのまま食べきる必要はなく、スープが美味しかったクラブカはそのまま他の料理にも手を付けに行った。
「サラダもドレッシングをこだわってるのか?このベースの味はなんだ?」
「極東で作られた特別なソースよ。滅多に手に入らないんだから」
「この肉も随分と良い部位みたいだな」
「そうね。特別に譲ってもらったのよ」
パンに関してはミストレルのお店で食べている味と同じであったので馴染みがあった。
しかし、そのパンも肉料理にかけたグレイビーソースをパンですくいながら食べる。スープに軽くつけてから食べる。サラダにかけたドレッシングを付ける等してパンがどんどん減っていく。
「お口にあいましたでしょうか?」
「ああ、こんなに美味しい料理は初めてだ。おかげでワインが進む」
「食後のワインも準備して有りますわ」
「それは楽しみだ」
クラブカはここに来た目的も忘れ、食事に没頭してしまった。それだけ美味しかったというところだろうか。
「美味かった」
食べ終えると、大きく息を吐きつつ満足感に浸っているクラブカ。そこにアルマはワインをグラスに入れ持ってくる。
「食後のワインよ。これも赤だけど、良いわよね?」
「ああ、ありがとう」
酔うつもりがないのにどんどんお酒が入っていく。不思議な気分でクラブカは座っていた。
「これも変わった味だな。どんなワインなんだ?」
「友人が特別に作ってくれたワインよ。二度と手に入らないのだから」
「そうか。じっくりと味わって飲まなくてはもったいないな」
1杯飲み終えた辺りで酔っていたクラブカにも今日何しに来たのか思い出す。食事に来たのではない。彼女、アルマから離れたい。関わってほしくないと言う言葉を伝えに来たのだ。
今までに感じた彼女に対する不安感は今でも消えない。付きまとわれる恐怖。先回りされる恐怖。現場で見かけた時の彼女の怪しい笑み。これらは思い出すだけで背筋が震える。
「今日は美味しかった。だが、君には伝えなければならない言葉がある」
「何でしょうか?」
「それは……」
続けようと思った瞬間、何かが体の中に、体の各所に流れこむような感覚があり、言葉を止めてしまった。
その違和感が収まりかけた瞬間、大きなめまいがあり、体を強ばらせる。だが、少しするとそのめまいも無くなっていった。
「大丈夫ですか?」
「あ……、ああ。大丈夫だ」
「それで、私に伝えたいこととは、どういった事なのでしょうか?」
「今すぐ君を抱きたいのだが良いだろうか?」
先ほどまでの決意は何処に行ったのか、更には男女の仲を進めるにも1歩も2歩も飛ばして、いや飛ばしすぎて言葉にしてしまう。クラブカに取って違和感を感じたかったのだろうが、ワインによる酔いがその違和感を感じさせなくしていた。
「喜んで」
アルマは綺麗、可愛らしいと言う表情が無くなり、そう、蛇が獲物を捉える瞬間の顔とでも言おうか。怪しい、そして怖い顔をしていた。クラブカにとって、これも恐怖に感じなくてはならないことだろう。だが、その情報が何処かで捻じ曲げられ、良いものだと判断させられ、椅子から立ち上がり、アルマを抱き上げ、キスをしながらベッドルームへと歩いて行く。
丁寧にベッドに寝かせる。伸びた髪を上に広げた後、ゆっくりと服を脱がす。肢体が顕になった辺りで自分も全て脱ぎ去り、覆いかぶさる。
「行くよ」
「はい……ようやく、ようやく願いが叶いますわ」
行為の後、クラブカは全身の力が抜け、アルマに覆いかぶさって居た。
アルマは幸福に包まれていた。念願の彼との繋がり。更には彼から求めてきた事実。そして、既成事実と言う結果。
金貨8枚、小さな馬車位なら買えてしまうかもしれない金額。その位のお金を支払ったかいがあったというものだ。
アルマはミストレルに感謝し、心の中で礼を言う。そして、まだ覆いかぶさっている彼にキスしようと彼の顔を見る。
眠ってしまったのだろうか?
彼は目をつぶっていた。行為の後すぐ寝てしまうのは彼女にとってマイナス点ではあったのだが、それだけ気持ちよかったのだろうと勝手に解釈する。そして彼にキスして横に寝かそうとした所で気づく。
「え……?息してない……?」
慌てて彼の状態を確認する。口や鼻からは呼吸している様子が見られない。慌てて心臓の音を聞こうと彼を横たえ、そして胸に耳を当てる。
「動いて……無い……」
何が起きたのか?なんでこうなったのか?幸せはこれからではなかったのか?彼女の薬は失敗作だったのか?アルマにはもうまともな思考が出来るわけがなかった。
「失敗作だったのだわ……」
怒りに支配されたアルマはミストレルの店に行くために着替え、そして台所にある包丁を持ち出す。
「彼を奪ったアイツを殺してやる!!」
怒りは殺意に塗り替えられ、彼女の中にあった狂気が表に出てきた。
「ミストレル!!」
準備が整い、家を出ようとした瞬間、全身から力が抜けていく。座り込む形ではなく、糸が切れたマリオネットのように。
「何……?」
何が起こったのかわからないまま冷たい床にうつ伏せになっている。体を起こそうにも腕が動かない。もがこうにも足も動かない。手の指先、足の指さえも。
そして混乱したまま彼女の心臓は動くことを止めた。
「私が何故ポイズンミストレルではなく、ポイズンマスターと呼ばれるかわかって?」
誰も居ない部屋で独り言をつぶやくミストレル。
「私はどんな毒でも作ることが出来る。惚れさせること、元気にさせること、記憶を無くすこと。でも、その毒は確実に使用した人を殺すの。だからポイズンマスターなのよ」
いつもの様に体を濡れた布で、そして乾いた布で拭いていく。
「一人常連のお客様が居なくなっちゃったか。寂しくなるなあ。そう言えば、今日も卵使いきっちゃったわね。これから多めにしてもらおうかしら」
寝間着に着替えた彼女はそう呟きながらベッドに入った。
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