奴隷の花嫁

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第8話 新体制と革命

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 アールトネン奴隷商当主、アールトネン男爵コスティの死はその業界にそこそこ通じている者達に激震を走らせた。
 だが、深くアールトネン家を知っているものであれば、そこまで不安になるようなことでは無かった。

 一般的に当主が亡くなると次代が継ぐ事になるのだが、大抵順調であったものであればこそ、急制動をかけられたように事業が縮小してしまう。
 しかし、このアールトネン奴隷商に関しては、数年前からラウリが表立っており、オークションやその他すべての事業に手腕を振るっていた。
 いつ交代しても大丈夫だろうと言われていた為、近しいものほど心配の種は少なかった。

 だが、知らぬ者にとってはオークションが無くなってしまうのではないか、娼館が無くなってしまうのではないか等、勝手な噂が飛び交い、一時期的な事でしか無かったが、奴隷を多くの者が購入し始める流れが起こった。
 その中、何事もなかったかのようにオークションが開催され、多くの人々は驚きと、喜びで来場し、普段のオークションより多くの人数が来ることになった。
 しかし、次代当主最初のオークションで、ラウリから聞かされた言葉が一時的な流れでしか無かった奴隷の購入が、長期的な持続力を持つことになってしまった。

「しばらくの間、当奴隷商は閉めさせて頂きます。再開の目処は立っておりませんが、出来るだけ早く皆様の元へと戻れるよう尽力致しますので、ご了承下さい」

 奴隷商筆頭に近いアールトネン奴隷商が一時閉鎖と言う話は王都だけでなく国全体にまで響き、奴隷を買い求める者が増え、更には孤児達は多く仲買人に買い取られていった。中には無理矢理連れて行く偽仲買人等も出始め、一時的に自警団が組織された村まであった。



「ラウリ、再開を求める手紙がまた届いているわよ」

「ああ、廃棄に入れてくれ」

 多数の貴族達、そして一部の一般住民達から奴隷商再開の要望の手紙が届いていた。だが、ラウリにとってまだ再開すべき段階ではない為、コラリーに手紙を読んでもらい特別なことが書いて無ければそのまま廃棄していた。
 父親コスティの死後、コラリーは筆頭使用人となっていた。
 何故、一般の使用人から一気にそこまで登り詰めたかというと、ラウリがこれから行いたい事は、父の息がかかっていた者では反対意見が多く出る事が想定され、まともに機能しないかもしれないとの懸念から、多くの使用人に暇、正しくは別の貴族への転任を行なっていた。
 そこで、新しい使用人を雇うことにするのかというと、雇うことはせず、周りの住民達からは本当に奴隷商を辞めてしまうのかと噂されていた。
 その噂をより真実味を増した出来事が一つある。
 代々アールトネン家に使えてきた筆頭使用人の解雇である。

「アルドルフ、今まで我が家に使えてきてありがとう」

「もったいないお言葉にございます」

「言いたい事はわかっている顔だな」

「そうでございますね。しかし、お考えはお変わりになりませんでしょうか」

「すまない。これからやるべき事、それはお前では出来ないことなのだ」

「私の息子でも駄目なのでしょうか」

「トゥーレか……。いや、駄目だ。ヴァンニネン子爵の元で使用人として学んでいるが、随分と優秀らしいじゃないか」

「ありがとうございます」

「ヴァンニネン子爵から、このまま預からせて欲しいと嘆願書も頂いている。素晴らしいことじゃないか。それならこのままの方が良いと思ってな」

「もったいないお言葉です」

「トゥーレの居る土地は暖かいと聞く。そこで余生を過ごせ」

「……わかりました……。今までお世話になりました……」

「達者でな」



「旦那様、申し訳ございません。ラウリ様のお側を離れることになりました。意志は固く、我が息子でも難しい事と存じます。詫びはあの世でお会いした時にさせて下さいませ」

 そうつぶやくと、屋敷に深く、そして長くお辞儀をし、馬車に乗って行った。
 足元には幾つもの雫の後を残して。

「本当に良かったの?」

「仕方がない。恩義のある彼ら一族だ。ここで離脱してもらった方が俺にとってもありがたい」

「そう……」

「コラリー、これからだ。ようやく俺達は一歩を踏み出すことが出来る」

「だけど、まだ一つ懸念があるわ」

「そうだな。未だに見つからないのか?」

「ええ、ヴェステルは未だに。最後に確認がとれたのが東の国境の町。多分、国外に逃げたと思って間違い無いわ。それに、名前も変えているようだし」

「人相書きは出回っているのだろう?」

「そうね。4人と、ヴェステルだけの物もあるのだけれども、他の国の犯罪者を積極的に探してくれる親切な国は無いわ。それに、逃げ込んだのはあの国というのもあるし」

「そうだな……。カルナ男爵と引き続き連携して頼む」

「わかったわ」

 ヴェステル。ソニアを犯し、殺害した4人の一人。主犯格とされる男。
 現在この一名だけが逃げ延び、刑を受けていない。
 ユール、エトラ、ニーロと言う3人は2ヶ月掛けずに捕まえることが出来た。潜伏先を幾つも保有しており、それらを転々と動いていたため、2ヶ月もかかってしまった。
 その巻き沿いで多数の盗賊達が確保され、国から報奨金が出たのは幸いだったが、俺達の目的は殺害犯の確保。報奨金など目当てではない。

 捕まえた3人は、一人ずつ刑が執行された。
 大通りに面した敷地に裸で貼り付けにされ、立て看板が立てられた
 その内容は、「この者を5分間で果てさせた者には金貨1枚」と言う物だった。
 金貨一枚と言えば、大体1週間の生活費相当になる。それほど大きな額ではないが、ちょっとした小銭稼ぎとしては美味しい物だろう。
 人々の動き始める朝6時ではなく、少し落ち着いた辺りの朝8時から口元を覆う鉄のマスクを付けられた状態でほぼ平らな台に貼り付けにされた。
 季節によって一部を完全露出させた服を着せたりしていたが、基本何も着ない裸で行われた。
 食事、排泄時以外は休憩時間も取らず、終了時刻の夕刻16時まで多くの人々に自分の分身を弄ばれた。
 初めの数日は快楽で喜んでいる様にも見えたが、果てた時の歓声、そして、果てた直後に自分の番が来る者達からは罵声が男女関係無く浴びせられ、徐々に精神を病んでいった。

 しかし、ラウリが健全な状態での果てるタイミングを見計らっていて、果てた直後辺りに娼婦を紛れ込ませていた。
 果てた3人後に、もう一度果てさせることに成功し、うまくすれば果てた直後でも再度果てさせることが出来るとわかり、数回それを実行すると並ぶものがが増えることになった。
 その初めに果てさせた娼婦はがその場で娼婦と言う事を明かし、更には娼館の名前も公表して客を増やしていたのはさすがにしたたかだと言わざるを得なかったが。
 初めの男は1ヶ月過ぎた辺りで立つことを放棄した。しかし、そこからが彼の地獄だった。

 彼を殺し、次の者へと変更しようと思っていた矢先、幾度も果てると言う結果を聞いた。
 驚いて現場に向かってみると、娼婦の列が出来ていた。
 こんな所で小銭稼ぎするより、遥かに客を取った方がお金になるはずなのにと思っていた所、列を無視して移動する女性達が居た。
 だが、その女性は参加することはせず、知り合いが出番になった時、その隣に向かって男性器の扱い方、果てさせ方を説明していたのだった。
 つまり、各娼館の教育用として役に立っていたと言う事だ。
 金銭的には厳しい事になるが、こちらとしては刑を長引かせるのが目的。大小関係無く把握しているすべての娼館に次からは当奴隷商の許可を得てからと言う旨を伝え、今回のは見送ることにした
 おかげで初めの男は2ヶ月で果てた直後に鼓動を止めた。

 二人目の男は2ヶ月で娼婦解禁、3ヶ月で何をしても立たなくなり、裏で処刑された。
 三人目は、一番大きいサイズの者で、一般住民達を驚かせ、そして一部の男達からは嫉妬された。更に、一番果て難い男だった為、5ヶ月で娼婦解禁と言う事になった。
 しかし、男に取ってよかったのか悪かったのか、このサイズで経験し、今後のどの様なサイズの客が来ても対応できる様にしたいという娼婦が多数おり、その行為をしている間だけ、衝立を立てることになった。
 おかげで5分と言うのが守られきれず、一日の対応人数も減ってしまったため、娼婦解禁してから2ヶ月で男は息を引き取った。

 そして次の男を求める声が今でもたまに入ってくることを考えると、娯楽の少ない状態では非常に愉快なことだったのだろうと思う。
 しかし、伯爵、男爵、ラウリが上手く住民の中に紛れ込ませた者が立てた噂がこの声を持続させてたのではないかと思う。
 その噂とは、「殺されたのはとても綺麗で気立ての良い娘だった。奴隷だったが貴族に見初められ、社交界に出るまでになった。社交界では良い性格のため、多くの者から支持され、これから華になっていくだろうと思われてた矢先、盗賊に襲われる。自分を引き取ってくれ、家族となった貴族を身一つで逃し、そして命を落とした」というものだった。
 実際、噂ではなく真実だったのだが、これが民衆に多く支持され、刑の最中暴力に訴えそうになった男女も多かった為、暴力を禁止する旨の立て看板も立てざるを得なかった。
 そして今でも街の一部に4人目の人相書きが貼られ、目撃情報を求めていたが、国境の町を越えた辺りで行方を眩ませていた。

 4人の男達は義兄弟の絆を結んでいたようで、普段から4人で一緒に行動することが多かったそうだ。
 だが、この時だけはヴェステルだけが単独行動しており、3人の男も行方はわからないと言っていた。
 この証言は、刑の最中にヴェステルの行方を話したら今日は終わらせてやると持ちかけた物であり、真実を話していると思われる。しかし、どの男も似たような事しか話せず、情報元としてはそこまで役に立つことはなかった。
 その為、現在打てる手と言えば、国を渡って取引している商人や、旅人相手に依頼や、地道な聞き込みをするくらいしか出来る事がなかった。




「ラウリ様、皆広間に集まっております」

「ああ、すまない。コラリー、行こうか」

「わかったわ」

 部屋がノックされ、使用人から呼び出しを受ける。
 二人が揃って使用人に連れられ、その広間に向かう。
 二人の顔は、より真剣な表情になり、これからの出来事に向かい、静かな闘志を秘めていた。



 一番大きい部屋に椅子が並べられ、その椅子に館内の全員が座って待っていた。
 奴隷、使用人両方居るのだが、奴隷が20人、前に座らせられ、その後ろに使用人が16人座っていた。
 その皆が、奴隷商を一時閉鎖し、使用人も多数他の貴族等に移動してしまったことを知っているので、何が起こるのか不安な顔でラウリの事を見ていた。

「集まってもらってすまない。これから当奴隷商の行く先を皆に話したいと思っている。賛成、反対あるだろうが、まずは俺からの話を聞いてからにしてもらいたい」

 ゆっくりと一つの言葉をはっきりと伝えていく。話すことが目的ではなく、伝えることが目的なのだから。

「先日、多くの使用人達に暇を与えたのは知っていると思う。本日も筆頭使用人のアルドルフがこの館を去った。この奴隷商を閉め、これからどうなるのか不安になって居ると理解している。だが、そうしてでも行いたい事がある」

 ラウリはそこで一度止め、目をつぶる。瞼の裏にはあの暖かい、二度と手に入らない日々が浮かんでは消えていった。もう戻ることは出来ない。これから前に進まなくてはならないと決意をし、目を開いてから再度伝える。

「奴隷の地位向上、健全化を行いたい」

 奴隷は所詮奴隷であり、人ではなく物として扱われる。実際、その奴隷を気に入っているので人扱いする者も少なくはない。だが、一般的な考え方としては、物扱いされ、死ぬことになっても次を購入すれば良いと言う考え方が普通だった。その考え方を変えて行きたい、それを奴隷商の貴族のラウリが口にする事は誰しも想像出来なかっただろう。
 使用人たちはもちろん、奴隷達も全員例外なく呆けてしまっている。それだけラウリの今伝えた言葉が理解し難かったのだろう。だが、ラウリはそのまま言葉をつなげていく。

「奴隷の地位向上等、耳障りの良い事を言って、何も変わることが無いと思うだろう。だが、集まってもらった君たちは希望するならこの館を出ていってもらって構わない。その時には奴隷紋を消すことを約束しよう。家族の所に行くもよし、友人の所に行くもよし。好きに行動してもらって構わない。だが、人を襲ったり、逆に襲われてもこちらは関与出来ない。逆説的に言えば、それが自由というものなのだから。そして、もし、残って奴隷の地位向上を手伝ってくれるというのであれば、私からは一つ君たちに贈り物をさせてもらいたい」

 ラウリは一度言葉を止める。この場で立って、出ていってしまう奴隷が居るかもしれないからだ。この宣言をした瞬間からラウリと奴隷との繋がりは切れてしまっているのだから。しかし、周りを眺めても誰一人として出ていく者がおらず、ラウリは胸を撫で下ろす。が、ただ単に売られた経緯で戻る家が無いだけかもしれないと思い直し、全てに賛成してくれているわけではないと思い直し、気を引き締める。

「俺は新しく名前を名乗りたいと思う。『ストック』これが私に追加する名前だ。それを、皆にも名乗ってもらいたい」

 ラウリのこの言葉に、理解が及ぶもの、追いつかないもの様々な反応をする。驚きの表情、何を言っているのかわからない表情、それに対する利益を考える表情等様々だ。
 だが、この様々な表情を見て、ラウリは満足している。
 何故ならば、命令されて決めることではなく、それを理解しようとしているもの、それを利用しようとしているものが出てきているのがわかったからだ。

「そう、俺と君たちは家族になるんだ。今後、売られていくだろう君たちの弟、妹たちにも同じ名前を名乗ってもらい、繋がりを持って欲しい。
 奴隷という立場はそう簡単に変わることが無いだろう。とても難しいことだと思う。何年掛かるかわからない。だが、少なくとも私と同じ名前を与えることにより、繋がりを持つことが出来る。その繋がりで単純に酷い扱いを受けないかもしれない。だが、それだけでは絶対に地位向上等出来るわけがない。だから、君たちにはこれから色々な事を学んでもらいたい。
 使用人の行い、戦士の行い、農業の行い、商業の行い。何処まで教える事が出来るかまだわからないし、何処まで君たちが覚えることが出来るかわからない。だが、それらを学び、付加価値とし、購入先で発揮することにより、すぐ買い換えれば良いと言う考え方を改めてくれるだろう。その噂が広がることにより、奴隷たちには学ぶことにより、もっと役に立つ、簡単に変えるものではないと理解されていくだろう。
 そして、全奴隷に対し、学ぶ機会と学ぶ場所を提供し、不当な扱いを受ける奴隷を無くして行く。出来るならば、奴隷という立場その物を無くしていく。その手伝いを、いつまで掛かるかわからない厳しい戦いになるが、君たちに力を貸してして欲しいんだ」

 この国のあり方を変えていこうという宣言を聞き、さすがに集まった奴隷たちには動揺が走る。いや、後ろに座っている使用人達も動揺していた。

 この程度やれなくてどうする、彼女の失った喪失感を、あの無理に作った笑顔を考えるとまだ一歩踏み出しただけの位置でしか無いのだから、と伝え終えた安堵感で気が抜けそうな所に思い直し、皆の顔を再度じっくりと見つめていく。

 ほとんどの者が全て受け身で過ごしてきた者達だ。そう簡単に答えを出せるわけではないだろう。だが、もう止まっては居られない。この国のあり方を変えてしまうのだから、決めざるを得ない。もう一度、皆に問いかける。

「お願いだ、手を貸してくれ」

 そう言って頭を下げる。皆がどの様な顔になっているのか想像も付かない。貴族が奴隷に、そして使用人に頭を下げているのだから。
 しかし、顔を上げると次々にラウリの顔を見てうなづいてくれる者が多く、ようやく一息つくことができそうだと思った矢先、奴隷ではなく使用人の方から声が上がった。

「ラウリ様、私には過ぎた事の様なので、遠慮させていただきたいのですが」

 その声と共に女性二人が恐るおそる挙手する。全員賛成と言う事が出来ず、少し落胆してしまうが、これだけの人数であるならば、問題ないと思い、二人に伝える。

「わかった。今まで使えてきてくれてありがとう。次の行き先が無いようならすぐには無理だが、手配しよう。しかし、これだけは守ってもらいたい。今日この場で聞いたことは当面の間、他言しないことを」

 守ってくれるとは思っていない。だが、守ってほしいとは思っている。
 一度でもオークションを開き、購入してもらえればこの方法は良い物だと理解されるだろう。だが、その前に潰されることがあってはならない。二人の脱落者が出たという事は、出来るだけ早い段階で奴隷商を再開せざるを得ないと、ラウリは考えていた。
 だが、今だけは、この厳しい未来しか見えない状況でも、賛同してくれる仲間が出来たという幸せを感じても良いだろうと思い、その状況に浸っていた。



 決起の次の日からすぐに奴隷たちの勉強が始まった。
 まずは言葉遣いや仕草から。コラリーを筆頭とした賛同してくれた使用人達も手伝い、一人ひとりしっかりと学ばせて行く。
 使用人の人数が減ることにより、奴隷たちの仕事の比率が多くなってしまったが、それも使用人として雇われることを想定して全員に順に学ばせるよう組む。
 文字の読み書きも出来るように座学も行う。この座学に関しては使用人が行うことが出来ず、ラウリ本人が行うことにした。

 初日からこの様な座学を行うのだが、学ぶことに慣れてない者達と、教えることに慣れてない者の組み合わせは非常にちぐはぐな状況を作り、想定していた所までまったく届かなかった。
 しかし、徐々にラウリも過去に教わった教師達の事を思い出し、真似事を行なってみる。上手く言っている実感はさほど無かったが、簡単なテストを行なってみると、皆はかなり学んでおり、日常生活段階での文字の読み書きは少し出来るようになっていた。
 既に読み書きできる者にとっては退屈な事だったかもしれないが、その者達が夜、皆の復習を手伝ってくれていると聞き、とても嬉しく思った。
 しかし、これだけでは奴隷たちの習熟した者と判断できるわけではない。
 そこで以前から話を付けていた人を雇うことになった。

「今日からあなた達の事を躾ける為、そして一人前の使用人に仕上げる為に来たイーナと申します。昨年までタルヴェラ伯爵の所で筆頭使用人と、その躾役を仰せつかっておりました。短い時間で使用人として一人前にせよと言伝です。厳しく行きます。あなた達は私のことを恨むことでしょう。ですが、短い付き合いになるのか、長い付き合いになるのかはあなた達次第です。知りなさい、覚えなさい、学びなさい。そして、それらを得て、使用出来るようになりなさい。そうすればあなた達は希望する高みに登れるでしょう」

 老年期に指しかかろうという女性が奴隷達の前で挨拶をする。真っ直ぐな目、背筋が伸び、厳しい顔つきの為、見た目からとても厳しい人と見えた。
 そして、その予想通り、使用人として一人前になる為にとても厳しく躾を行なっているようだ。
 ラウリの座学の時間でだらける者が増え始めたのがその理由だろう。だが、学ぶ事に関して楽しみを覚えているようで、今では書籍を読み、手紙などを書けるようになってきている。だらけているが、学ぶことはしっかりと行なっているので、飴と鞭では無いが、ラウリの座学の時間は厳重に注意することはしなかった。

 半年ほど経った辺りでようやくもう一つ依頼していた人がようやく重い腰を上げてくれた。

「ようこそおいでくださいました、ヨナ軍武官殿」

「わざわざお出迎えありがとうございます、アールトネン男爵。それと、殿はやめて下さい。私は一庶民ですので……。それにもう辞めましたので、軍武官も。ヨナとお呼び下さい」

「わかった。ヨナと呼ばせてもらおう。私もラウリと呼んでほしい。爵位名の方はまだ慣れないのでね」

「承知いたしました。ラウリ様」

 まだ壮年期まっただ中の大柄で屈強な男性であり、笑顔が似合わない男性だった。
 軍武官とは、形骸化しつつある軍部ではあるが、その中で一人前の兵士に育て上げる者の事を言う。

 ただ執拗にいじめるだけの軍武官が多い中、一人ひとりしっかりと特徴を見て育て上げていくと言う特技を持っている彼を2年ほど前から説いていたのだ。だが、一向に首を縦に振ってもらえず、奴隷育成の実行段階になって焦っていた時、ふとヨナから軍を辞めたので雇って欲しいと手紙が先日届いたのだ。慌てて軍部に確認を取ったが、正式で無理のない辞め方であったため、何も軋轢がなく、逆にどこに行くのだろうと噂になっていたと聞いた。

 重要なポストに居たわけではないが、彼を尊敬している兵士は多く居たため、引き止める声は多かったそうだが、他の派閥で力が持っているものがそれを封殺したと言う噂があった為、何事もなく辞められた理由なのかもしれない。

 座学の時間と使用人として学ぶ時間を割いてヨナ軍武官に割り当てる。
 奴隷達は、初顔合わせの時から緊張し、萎縮してしまっていた。しかし、そんな事では体を動かすことも出来ないし、ラウリが目指す所にも辿り着くことが出来ない。
 ヨナ軍武官もそれがわかったのか、いきなり屋敷の敷地を長い距離走らせ、全員ヘトヘトにさせた後無手に寄る組手を全員に施して行った。
 全員、男女それも、小さい子供関係無く叩きのめし、立っている者がヨナ軍武官だけになった時、ようやく話し始めた。

「改めて自己紹介だ。私はヨナ。元軍武官だ。お前達を一人前にするべくラウリ様に雇われた。いきなり走らされて、いきなり組手をやらされ、怒りを覚えるものも居るだろう。俺に向ける怒りは大いに結構。いつでも相手にしてやるからかかってこい。だが、ラウリ様に怒りを向けるのは筋違いだ。理由は考えればわかる。もしわからなかったらそこの小さい娘、マリカに聞け。それが答えだ」

 全員がマリカと呼ばれた12歳位の女の子に注目する。だが、当人は何故自分が理由を知っているのか、何故自分の名前を出されたのかわからず、困惑していた。
 ヨナは、その事を無視し、最後に締めた。

「これからもこの様な訓練や、各々得意な武器を調べ、全力でやって行く。しっかりと学べ。だが、使用人の方も疎かにしてはならない。イーナさんにも話をつけてある。そっちでだらける事があったらより厳しくして良いとな。良いなお前ら!!」

 ようやく終わりだと感じた者達はそのまま地面に倒れこんでしまった。だが、ヨナから怒号が飛ぶ。

「全員立て!!」

 力無くゆっくりと立つ者には容赦なく罵声が飛び、更に続ける。

「気をつけ!!」

 気をつけをしたことの無い奴隷達。だが、兵士達の行動は見たことがあるため、見様見真似で行なっていく。

「返事は!?」

「はい!!」

 各々、かなりバラバラのタイミングで次々と叫ぶ。

「揃っていない!! 返事は!?」

「はい!!」

「よろしい。次からは整列も含めた行動も行う。以上解散!!」

「はい!!」

 ヨナが皆の視界から消えるまで気をつけの姿勢を崩すことがなかったが、居なくなった途端全員がその場でへたり込んでしまった。
 少し余裕のある者はマリカの元に理由を聞きに行くが、心当たりのないマリカに取ってはわからないと説明するしか出来なかった。

「なんだろう? 古くから居るだけなのに……」



 ヨナはラウリの元へと挨拶に向かった。後ろでだらけきった声が聞こえたが、やはりどこでも同じだなと、そして昔の自分を思い出して苦笑いする。

「ラウリ様、あの話は伝えなくても良かったのですか?」

「ああ、伝えなくて良い」

「しかし、伝えておいた方が、気が入ると思うのですが」

「ラウリはね、恥ずかしいのよ。もう死んで欲しくないって皆に伝えるのがね」

「コラリーさん……。そういうことにしておきましょう」

 ラウリの顔が少し赤くなっているのは図星だったからなのかもしれない。ヨナの助けがなければもう少し恥ずかしい心を暴露されてたかもしれない。しかし、もう二度とソニヤの様な事にはなって欲しくないというのは本心だろう。
 それがわかったからヨナはこれ以上追求することはせず、その話題は終わりにした。

「イーナさん、これからしばらくだらける者が増えると思いますけど、よろしくお願い致します」

「わかりました。容赦なく行きますので、あまりお気になさらずに」

「あいつらの代わりに言っておきます、おて柔らかに」

「どうしましょうね?」

 イーナさんは厳しい顔つきかと思いきや、意外といい笑顔で返す。
 厳しくするのは皆を思うからであって、好き好んで行なっているわけでは無いと言う事がわかるだろう。
 奴隷に付加価値を付けることにより、捨てられることが減る、横暴なことが減る。そういう考えではあるが、熟練の使用人を一つのミスで意図も簡単に死を与える貴族も全く居ないというわけではない。だからこそ厳しくしつけ、そして指導するのだ。皆、死んでほしくないのだから。

 更に半年ほどすると、この厳しい状況にも慣れが来て、違う意味でだらけてしまう。
 そこで、もう一つ、学ぶ科目を増やすことにした。

「ここで、皆には歴史と言うものを学んでもらう。そして、希望であれば、さらに時間を割き、戦史を学ぶことも出来る。オラヴィ=ヘルマンニ退役貴族だ。中央貴族であり、戦貴族でもある。今は実子に爵位を譲っているが、元々は伯爵の称号を賜っていた。ロヴァニミエ戦役で我軍を南征将軍として指揮し、勝利へと導いている。さらには、戦史を研究し、後世に残す為に尽力してくださっている方だ」

 皆の前でヘルマンニを紹介する。ヨナは尊敬できる上司である為、緊張し、微動だにしない綺麗な気をつけを皆に見せつけていた。
 そんなヨナを微笑みつつ、左腕の中ほどから先が見ることの出来ない歴戦の将軍と呼べるヘルマンニは皆の前に立ち、自己紹介を始める。

「皆がこの国の歴史を学び、貴族同士の会話に混ざることは無いと思うが、最低限の受け答えが出来るよう学ばせて欲しいという事で承っている。左腕の先が無いのは気にせんでくれ。ただ単に切り落とされただけじゃ。それと、別講義で戦史を教える。戦史は楽しいぞ」

 始終この様な緩やかな雰囲気が室内を包みつつ終わった。
 教えも、さほど厳しいわけではなく、その時の時代背景や食事、関連する出来事を雑談に近い形態で行なっていたため、皆も楽しみつつ歴史を学んでいたそうだ。
 だが、戦史を選んだ者に関してはかなり厳しかった。
 常に戦術、戦略を考えさせ、いかに短時間で最適解にたどり着けるか、と言う事を行なっていた。
 即答えが言えない者はヨナから言付けされていた室内で出来る肉体強化を行いながら。さらに、答えを間違ったものは室内だが走らされ、そして突然の質問にも答えられるようにしなければならなかった。

 しかし、これには理由があった。
 戦争をしている最中は、非常に体が疲労した状態で物事を考えなければならない。疲れた状況でいかに最適解を求め、そして実行に移すかが問題になると。座学で学んでいるものが十全に発揮できる状況等あり得ないのだと。
 戦場その現場で培った知識を戦術、戦略だけでなく、精神的にも教えこむことにより、生き残る事を諦めない様になってほしいという願いもこの中には籠っている。
 その様な事を知ってか知らずか、ラウリの座学の時間ではラウリ相手にぼやく者も出てきたりする。しかし、ラウリは諌めることはせず、大変だなと少し優しくするのだった。
 鞭だけでは人間は育たない。飴も必要だ。そこで、飴と鞭の使い分けで、ラウリが飴役になっているというのもあるのだが、各々の厳しい躾の中、ふとしたきっかけで飴を与えるので、教える者達の株が下がることはなかった。



 2年が経ち、ようやく使用人として合格点をあげられる者が5名に達した事により、ようやく奴隷商を再開する目処が立った。
 この2年で、奴隷は昨年5人、仲買人のレナルドから購入しただけであり、収支的にはかなり赤字だった。だが、5人を半年ごとに販売することが出来れば、黒字に落ち着く計算になるので、予定通りの進捗状況と言えた。蓄えにはかなり余裕があるのだが、それでも皆を不安にさせないよう予定通りに進めるのは良いことだと思われる。
 過去に購入して下さった方々に、来場して下さった方々に、それぞれ文面を変え、書面を送る。
 羊皮紙に全て手書きと言う形になる為、筆記士を多数雇わなければならない状況であったが、皆が率先して手伝ってくれ、赤字続きなアールトネン商会にとってはとても有難いことだった。
 ホールの空き状況もコラリーに確認し、普段のオークションとさほど変わらないような日程が組める事がわかると、少なくとも日程的に来ることが出来ないという者が少ないだろうと言う事が無いとわかり、安心できた。

 そして、オークション当日、多くの人々が、開場前に並んでいた。
 ラウリはその光景をとてもありがたく思った。だが、今日売られることになる自分の家族の未来を考えると、不安、そして良い先に行けるようにと言う願いしか思い浮かぶことがなかった。

「おお、ラウリ君。再開おめでとう。しかし、奴隷が居ないようだが、趣向を変えたのかね? それとも買えなかったのかね?」

 開場後、受付の所に立っていたラウリに、幾人もラウリと仲の良い貴族達が多く居る中、カルナ男爵がその場に集まった皆の代表の様な者として、一番初めに声をかけてくる。

「ありがとうございます。一重に皆様のお力添え、そして多数のお声を頂いたおかげで再開することが出来ました。重ねてお礼を申し上げます。本日から私共の奴隷商は一風変わった奴隷を販売して行こうと思い、今までのシステムと若干変えております。その為、今までの様に奴隷が並んでいないのです」

「なるほど。それでは、今この場でその内容を聞くのは無粋というものだろうな」

「そうして頂けると大変ありがたく思います」

「わかった。今回は見学は数十人が一塊になって行動するというのもそういうことなのだろうな」

「お察し頂き、大変恐縮にございます」

「うむ。では、楽しみにしているよ」

「ご満足頂けるよう、皆誠心誠意尽くさせて頂きます」

 そう言うと控えの間に他の貴族達と談笑しながら歩いて行った。



「それではご案内致します」

 多くの来場者に挨拶を終え、ある一定人数毎に部屋に割り振った初めの一部屋に入り、挨拶と口上を述べ、来場者を案内していく。
 今回は5名しか準備できていないが、特別な奴隷だという事もこの場で伝える。納得するものもいれば、納得しないものも居た。
 それもそうだろう。ようやくお金をため、質の高い奴隷が購入するチャンスが巡ってきたのに、5名しか居ない。さらに特別だと言うのだ。
 今までの奴隷の平均金額を想定していた者にとっては購入できるわけがないと諦めてしまう事になっただろう。だが、その奴隷を見て頂ければ納得できると思っている為、自信を持って一組目を案内していく。

「まずこの部屋からです」

 部屋に入ると一部の者達から感嘆の声が上がった。
 しかし、それ以外の者達からは違ったざわつきがあった。そう、一人目の奴隷、一人しかこの部屋に居なかったからだ。
 5人しか居ないのだから全員すぐに見比べられると思ったのだろう。しかし、それでは奴隷一人ひとりを区別して評価してもらうことが出来なくなる。不満の声が上がったとしても、評価をしてもらうためには致し方ないのだ。
 そして、最前列に居たものにとっては早く気づいた者も居るだろう。その奴隷に関しての評価コメントが無いことに。
 それが口々に広がり、ざわつきが大きくなっていく。
 それもそうだろう、単純に女奴隷が一人部屋に立っているだけなのだから。
 だが、俺も奴隷も直立したまま特に何もしない。逆にそれが不安になり、徐々に声が大きくなっていった。
 しかし、目の前の女奴隷が手を上げると、何が起こるのか気になった来場者は一斉に静まった。

「リーツカ=ストックと申します。本日はお越しいただき、誠にありがとうございます」

 はっきりとした口調で丁寧に来場者に伝え、カーテシーを使い体でも表現をする。
 ここで、一部の者がまた口を開き始めた。内容もこの女奴隷は貴族だったのかと。来場している貴族の中でも口を開いている者も居るのだから、一般住民にとってはより驚きになっただろう。さらには、着ている衣服も高価なものなのだろうと思われる。デザイン的には使用人の着ている服に似ているのではあるのだが、隅々の作り込みやシワの無い綺麗な作りに注目してしまうものも居た。
 頭を上げ、人々にしっかりと向かい合ってからリーツカは話し始める。

「私は貴族ではありません。ストックとは、アールトネン男爵ラウリ様から今後売られていくであろう私達の弟、妹達にも継がれていく名前となります。今後はこの喉元の奴隷紋以外にもアールトネン奴隷商出身と言う事がはっきりとわかりやすくなりました」

 奴隷に名前を与えると言う事を耳にした貴族達は非常に動揺した。名を与えるという事はラウリとの繋がりを持続すると言う事を意味するのだから。つまり、この奴隷に何か酷いことをすれば、ラウリの耳に届く。逆に言えば、奴隷が何かしでかしてもラウリの耳に届くと言う事だ。縁と言う非常に曖昧な繋がりでしか無いが、それでも奴隷達に名を与える事のリスクは多くの意味で高いと思わざるを得なかった。失敗もアールトネン奴隷商に及ぶかも知れないのだから。

「皆様のお越しいただいたこの部屋ですが、私が一から掃除し、模様替えさせて頂きました。コンセプトは侯爵様へのおもてなしです。お子様が成人なさる位の男性の侯爵様をおもてなしするイメージで部屋を整えさせて頂きました」

 その言葉を聞くと皆部屋を見回し始める。先ほど待機していた部屋と比べて落ち着いた色彩であり、調度品も少々高いと思える物を揃えていた。一部声が上がったのも部屋の雰囲気が変わったからだと言えよう。

「私の得意分野としましては、料理長を行えるほどではありませんが、支える位の腕はあると自負しております」

 リーツカは来場者に伝え終えると優雅にカーテシーを行う。ゆっくりと顔を上げると皆が拍手するのが見え、ようやく安堵の表情が浮かび上がった。
 一般的にはここまで部屋を整える事は長年使用人を行なってきた者がなんとか出来るかもしれないと思われるものだった。その為、これを一人で行ったという事に感嘆し、拍手が湧き上がったのだろう。しかし、これだけで彼女の自己紹介を終えるつもりは無かった。

「最後の自己紹介として、どなたか体の大きな男性と組手を行いたいのですが、お手伝い頂けませんでしょうか?」

 すました顔で言うので、なにか手伝って欲しいと言う事だけは理解したようだが、皆一様にその言葉を理解していなかった。

「入口近くにいらっしゃる、頭ひとつ大きく体もがっしりした男性、お手伝い頂けますか?」

「いや、君に悪いよ。怪我しちゃうでしょ」

「再開した今日だけの特別と言う事で、もし私を組み伏せることができたら落札時に価格を5割ほど減らしても良いとラウリ様から言伝頂いております。それでもお手伝い頂けませんか?」

「そうかい。皆様、申し訳ないが、このお嬢さんは私が落札することになりそうですよ」

 そう言うと着ていたジャケットを知人に手渡し、戦うための準備を始める。
 その間、他の来場者から非難の声が上がるが、リーツカも、ラウリも特に話すことはなく、彼が表に出てくるのをただ単に待っているだけだった。
 お互いが近くによってきたことにより、よりその身長差がはっきりとしてきた。男とリーツカは約頭ひとつ半ほど差がある。小さな声でこれは止めたほうがいいのではないかという声も幾つか上がっているが、ラウリはその声に反応することもなかった。

「待たせたね。私は少々訓練をしているのでね。君を怪我させてしまわないかと不安ではあるが、大丈夫かね?」

「ええ、問題ございません。全力でお願い致します」

「全力ねぇ。君くらいの子なら軽く持ち上げることできそうだけどねぇ。いいのかい?」

「はい」

「そうかい。それなら君から来てくれ。そのくらいはハンデだ」

「わかりました。それでは行かせて頂きます」

 そう言うとリーツカは数歩ほど離れた位置に立っていたが、あっという間に男の間合いに入り、腹に掌底を加える。
 虚を突かれた男性は意図も簡単に体を折り、頭が下がる。その下がった頭にリーツカは遠心力を利用し、かかとを当てる回し蹴りを放ち、男の側頭部に打撃を加える。が、そのまま大きく間を開け下がってしまう。
 周りからは鋭い攻撃に対する驚きと、感嘆した声が上がる。しかし、すぐにとどめに行かなかった為、何故追い込まないのかという声も少数だが上がっていた。
 回し蹴りを喰らい、頭に衝撃が残っていた男だったが、リーツカが下がっていた間に男はダメージを回復させ、構えを取る。

「油断していたよ。こんなにやるとはね」

「全力でとお願いしたと思いますが」

「そうかい。それは悪かったね。お望みどおり全力で行ってやるよ!!」

 そう言うと男は全力で振りかぶり、拳でリーツカを殴りつける。
 来場者の女性客から悲鳴が上がる。男が本気で彼女を殴りつけようというのがわかったのだろう。中には男を止めよう動き出す者も居た。

 しかし、それらが全て無為に終わる。

 プライドを傷つけられた男は怒りに任せて本当に全力で攻撃をしてきた。だが、リーツカは冷静にその軌道を読み、意図も簡単にその拳を避ける。そして、避けると同時にその拳を軽く掴み加速させる。その加速させることと同時に引いている足のつま先辺りに自分の足を置く。
 男は拳を引かれたおかげでバランスを崩し、前に転倒するのを防ごうと足を運ぶつもりが足が前に出ず、結果簡単に前のめりで転んでしまった。

 リーツカはそれだけで終わらせなかった。うつ伏せに倒れた男の右腕を掴んだまま自分の左足を男の脇に入れた状態で背に回し、その左腕に体重を書けるように手を起きつつ座り込む。
 自分の体に座られたと言う辱めを受けた男は怒りのままに起き上がろうする。身長差も体重差もあるため、簡単に起き上がれるかと思ったが、男は全力でもがくが起き上がることが出来なかった。さらに、両手が自由になっているリーツカは、男の首筋に両手を当てた。

 もがいていた男はようやく観念し、声を上げた。

「参った。降参だ」

 その言葉を聞くと周りから大きな歓声が上がり、リーツカを褒める声が多く届いた。
 少し恥ずかしそうにしつつも、男の手を取り起き上がらせ、そして前を向いてカーテシーで締めた。
 来場者への礼を終えた後、男と握手を交わす。

「強いな。かかとの打撃も手加減してくれていたのだろうな。今冷静に考えてみると、あの鋭い動きであの勢い。手加減してもらったとしか思えない。そこら辺はどうなんだい?」

 リーツカはラウリに確認を取るために顔を向けると、ラウリはそのまま頷いた。

「大変失礼かとは存じましたが、当てる瞬間力を抜かせて頂きました」

「なるほどね。頭に血が上ってしまったので、冷静に判断出来なかったが、意図も簡単に転ばされた事で冷静になることが出来たよ。あの動きであの打撃では軽すぎると思えたが、やはり手加減されていたのだな」

 そう言うと男は大きく深呼吸をしてリーツカに対して頭を下げた。

「本気で行かずに済まなかった。今は君の一世一代の大勝負の時だったのにな。ここまで頑張ってきた君と、その育て上げた人達の事を侮辱する所だった」

「そんな、頭をお上げ下さい。私は奴隷という立場にございますゆえ、謝罪等勿体無く思います」

「私の謝罪を受け入れてくれるまでは頭を上げるわけにはいかない」

「わかりました! わかりましたので、謝罪を受け入れますので、頭をお上げ下さいませ」

「そうかい。ありがとう」

 余裕を持って今まで接していたリーツカが慌てふためく様が見れたのか、男も、来場者も少し穏やかな気持ちでこのやり取りを絞めることが出来た。

 そこから4部屋、「貴族夫人のお茶会をコンセプトにした部屋」、「貴族のお嬢様が人を招く会をコンセプトにした部屋」、「お年を召した貴族達の会をコンセプトにした部屋」、「若い男性貴族の会をコンセプトにした部屋」を眺め、そして別のものも無手にて女奴隷から組み伏せられる事が続いた。
 最初の男以外にも、腕っ節に自身があるものが多く居たのと、貴族の用心棒も居合わせたことで、かなり厳しい戦いになった者もいたが、基本生き残ることを主体としているために、相手を倒すことが出来なくても、奴隷達は高く評価された。

 さらに考えれば、主人が襲われている時、それだけ時間を稼ぐことが出来ると言う事も非常に評価が出来る点だろう。奴隷も、主人もお互いに生き残る確率が高くなるのだから。
 カルナ男爵にはそのラウリの意志が痛い様にわかったのだろう。一人ひとりの奴隷をじっくりと観察し、組手を終わらせると必ずその奴隷に対し惜しみない賛辞を送っていたのだから。

 事前紹介が終わり、オークション本番となる。
 いつものように二人の進行役がルールを教え、慣れている来場者が合いの手を入れる。この普段通りの光景は非常にラウリを安心させた。

 そして、始まりの鐘が鳴り、オークションが開催される。
 今回5人しか販売することがないという事で、一人目から満員となっていた。
 一人目の自己紹介、そしてもう一度対人の組手を行い、進行役からの最低落札価格の提示。
 この最低落札価格の提示では、かなりの動揺が来場客から起こった。
 その理由は、今までのオークション最低落札価格の平均的な金額からかなりかけ離れ、約3倍~4倍ほどになっていたからだ。
 今までのように軽い気持ちで買いに来ていた一般住民達ではそうそう手の届かない額になってしまっていたのだ。

 オークションルールとして、手持ちがない場合や回数払いにしたいもの等の相談は受けると伝えてあるのだが、その今までで購入できたプランをもう一度考えなおさなければならないくらいの衝撃だった。
 しかし、オークションスタートの鐘が鳴ると多くの者がすぐさま入札することになった。

 今まで開催されなかった期間、しっかりと貯めることが出来たのか。それとも、単純に安い価格で落札できれば良いと言う短絡的な考え方なのか。ただ単に再開を祝して盛り上げようとしてくれていたのか。
 どれが本音なのかわからないが、ともかく多くの者がオークションに参加してくれていた。



 5人の奴隷全てが落札され、つつがなく契約も終え、各々が帰路に着く。
 販売価格は最低落札価格の1.5倍~3倍と言うかなり高価な取引となった。
 初回なので、ご祝儀落札と言う事も考えられたが、最後まで白熱したオークションになったため、前向きな考えを持っても良いだろうと思う。
 その買われた5人と、イーナ、ヨナ、ヘルマンニ、そしてラウリとコラリーの5人が一部屋に集まった。

「5人とも、購入おめでとう……というのも変な言い方だな」

 締まらない始まりだった。しかし、5人ともラウリの言いたいことはわかったようで、各々御礼の言葉を伝えていく。

 ラウリに対しては名をくれたこと、文字を教えてくれたこと、きつい訓練の中、一時の和らぎの様な時間だったことを。

 イーナに対しては、きつく言われたこと、しかし、それが身になっていく事が楽しかったこと、そして、礼儀作法を学び、今まで失礼な言い方をしてしまったことへの詫びを。

 ヨナに対しては、苦しい訓練、痛い体術、泥だらけになった日々の文句。だが、生きなければならない、生きて欲しいと言う気持ちは十分に伝わったことを。

 ヘルマンニに対しては、教えの中で幾つか言われた嫌味のことを、そして、歴史の面白さ、人々の愚かさ、そして優しさを学ばせてくれたことを。

 コラリーに対しては優秀な使用人としての例を見せてくれていた事がとても参考になったと伝えていた。そして、いつも一緒に作業してくれて嬉しかったと。

「皆さん、貴族の館に行くとこことは違う教えになる場所もあるかもしれません。ですが、基本的なことは何も変わりません。丁寧な仕事をお願いします」

「買われた貴族を助けるためにお前たちは生命を投げ出せと言われるかもしれない。だが、下手な軍人数人相手にして勝てないが、負けないようには訓練した。戦闘が長引けば逃げる機も訪れるだろう。ともかく、生き残れよ!」

「ヨナ君の言う事を根本的に崩してしまうが、買われた所の当主に気に入られなさい。そうすれば、歴史で学んだ愚かなことを当主がしそうになった時に諌めることが出来る。無理ならヨナ君の言ったように力ずくでな」

「最後は俺からだ。5人とも皆貴族のところに送り出すことができた。4人は使用人として、1人は嬉しいことに家族として。東の国境近くにある小さな農村の男爵様の元にね。初めの5人と言う事で、多くの期待を背負わせてしまうことを申し訳なく思う。だが、困ったら遠慮なく言って欲しい。男爵位程度の力しか無いが、その程度で良ければ何とかしよう。もう君たちは家族なのだから。それに、イーナさん、ヨナさん、ヘルマンニさんにも遠慮なく相談して欲しい。その位の金額は支払ってるつもりだ」

 3人は苦笑いするが、5人の前で頷く。頼ってくれるのは嬉しいことなのだから。
 しかし、尽きない会話も終わらせなければならない。
 もう5人には行く所があるのだから。

「お世話になりました」

 そう皆に伝え、少ない荷物を抱え、旅立っていく。

 売ることが最終目標ではない為、これから彼らに頑張ってもらわなければならない。
 ラウリは、不安と期待で胸が苦しいまま彼女たちを見送った。



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