奴隷の花嫁

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第9話 暗雲

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「マリカ、今日もラウリ様のところ?」

「うん!」

「ここには居ないわよー。たぶん大部屋から見えるところの花壇じゃないかな?」

「ありがとー!」

「転ばないのよー」

「わかったー! って私もう14歳よ!!」

「ほらよそ見しない」

「あぐっ!」

 マリカと呼ばれた女の子は自分を子供扱いした同じ奴隷の女性に向かい怒るが、走っている最中にその女性に頭を向けたため、全く前方を見ていなかった。

「壁で良かったね。それともラウリ様だったら良かったのかな?」

「もうっ!!」

 廊下ですれ違うだけの事でなんでこの様な惨事が起きるのか、正直すれ違った女奴隷にとっては理解しがたかった。しかし、逆に言えばそれだけ夢中になっているとも捕らえることが出来る。そう考えれば、彼女の落ち着かない状態には納得できる。壁に当たることに関しては頭を悩ませるだけであったが。
 そしてマリカはぷりぷりと怒りながら今度は早歩きで廊下を進んでいった。

「階段で落ちなきゃいいけど……」

 約7年程前にこの奴隷商に売られた少女マリカ。今まで何故オークションに出されなかったのか理由はもうわからない。何故ならば、そのオークションに出すことを決定していた当主が亡くなり、今は次代の当主になっているからだ。

「ラウリ様何処かな?」

 現当主の事を考えると先ほど軽く笑われ、それについて怒っていたことを完全に忘れ、浮つきながら屋敷の中を軽く走り回っていった。




~~~~~



 スピネル国から一つ西のロバライト国の西外れにある開拓農村。ここが彼女の生まれた村だ。
 開拓する場所は多かったが、あまり入植者が多くなく、発展も今だ手付かずな所が多くある、未発展な村だった。
 そんな村に町から移住し、新たに土地を借り、幼い子供4人を含む親子6人で暮らしていた。

「おかあさーん。今日の収穫、仕分けしておいたよー!」

 元気な声が辺り一面に響く。街で売ってもらう為の下準備が終えたものを一時的に入れておく納屋から大声でマリカは母を呼んだ。
 しかし、いつまで経ってもいっこうに家の中に居るはずの呼んだ母や、父の返事が来ることがなかった。
 明日市場に卸し、町に行って販売してもらうためのものなので、良いものと悪いものを選別していたのだ。良い物だけでまとめておくと多少お金を増やしてくれるので、まだ小さな弟や妹達含めた3人で時間をかけてでも行なっていた。
 その作業が終わり、日がそろそろ傾き始める頃であった為、夕食の準備をするために薪や夕食の食材を選ばなければならない。その許可をもらうために母親を呼んだのだが、一向に返事がない。

「何やってるんだろう?」

 マリカの声は大きく、そして通る声で、そこそこ離れた隣の家までよく聞こえると言われているのだが、母親や父親が聞こえなかったのかと思い、兄妹を仕分け作業で出た廃棄物等を肥料に出来るようまとめて片付けるよう指示してから家に向かう。
 家の扉近くまで来ると突然扉が開き、男性が一人出てきた。身なりはそこそこ良い中年の男だ。しかし、顔は怒っており、その表情でマリカは一瞬たじろぐ。しかし、目は何かに怯えているような感じだった。

「来月まで待つ!! もうこれ以上は待てないからな!!」

 その者は、怒鳴りながらそのまま馬車を止めているであろう、乗合馬車が留まる村の中心の方に歩いて行った。
 何が起こっているのかわからなかったので、閉められることのなかった扉から慌てて家の中に入ると、父親が頭を抱えて座り込み、母親も肩を落としながら来客に出していたお茶を片付けていた。生まれたばかりの妹は部屋の奥で泣いているが、その鳴き声も両親には届いていなかった。

「おかあさん、終わったよ……?」

 いつものように明るくおおきな声で伝えると、ようやくマリカの言葉が届いたのか、両親が慌てて顔を向ける。一瞬垣間見える顔は怯えと苦悩がはっきりと読み取ることが出来た。だが、二人は無理矢理仮面を被るかのように表情を笑顔にする。しかし、どうしても気になってしまい、疑問形になってしまったのだが、両親にはその事は気づかれることがなかった。

「マリカ、ありがとう」

「うん。ねぇ、おかあさん。さっきの人は何?」

「なんでもないわ。マリカが気にすることじゃないのよ」

「うん。わかった」

 母親は努めてやさしく振舞っているつもりだろう。だが、苛立ちはマリカでもはっきりと見えてしまっていた。母親に迷惑を掛けたくないと思ったマリカはそれ以上追求することはせず、そのまま夕食の準備の話も聞かずに外に出る。

「薪はやっておくかな」

 子供だけでやってはいけないと言われているが、あの様な両親を見たことがなかったマリカは鉈を使いある程度小さくなっている薪をより使いやすい大きさに切ることにした。





「いってきまーす!」

「迷惑かけるんじゃないわよー!」

「だいじょーぶー!!」

 翌朝、両親の表情は元に戻っていた為、昨日のことは問題なかったのだと考え、今日の仕事、知り合いの果樹農園の手伝いへと向かう。
 マリカは近隣の農家の手伝いを毎日行なっており、早朝と、手伝いを終えて帰ってから自分の家の畑を見ると言うハードなスケジュールを行なっていた。

 何故、10歳にもならない小さな子がそこまでハードなスケジュールで仕事をしているかというと、頭が良く、感が働き、そして覚えたことは忘れずにすぐ知恵として使うことが出来るため、農作物の育成状況や、種を播くタイミングや苗を植えるタイミング、他には収穫時期等もわかるようになっていた。
 物心着いた時から色々な畑を見て、そして感じ、各々の村の専門家から学んだ結果を総合して導き出している。
 しかし、それだけ頭が良いのだからと出納帳等を学ばせようとした所、顔が真っ赤になって倒れてしまった事がある。
 収穫できた物等の計算は早いのだが、それ以外のいくらで売って、いくら儲ける等の事柄の計算になると、途端に頭がオーバーヒートしてしまうのだ。局所的天才とでも言ったほうが良いのだろうか、ともかく農業に関しては村人達もかなりマリカに期待することが多かった。

 その特別な能力の為、収穫物を増やしたいと言う欲を実現させたい村人によって、マリカはこの様なハードスケジュールになってしまったと言う事だ。
 それだけ多くの家を手伝っているのだから、家が裕福になっているのかというと、そうでもない。
 農家は基本作物が売れなければ現金が入ってくることはない。定期的に入ってくるお金もあるわけではない。マリカに助けられた農家も少なくはないが、種籾等を買うためにお金が必要なので、報酬をお金で支払うことが出来ない。それに一番の要因は村の中で、貨幣でのやり取りがほとんど無く、物々交換でまかり通ってしまっている所だ。その為、マリカの報酬は基本その手助けした家の採れた作物になってしまうのだ。

 その作物の報酬も、まとまった数量ではないのと良い品質だけでまとまっているわけではないので、卸すことも出来ず、さらに大きな町へ簡単に行く事が出来ないので、売り歩くことも出来ない。
 結局家族や近隣の家におすそわけして消費することしか出来ないのだ。
 しかし、6人家族で食に困らないというのは非常にありがたいことなので、マリカや両親にとっても別段困ったことでもなかった。

「マリカちゃん。今日も頼むよ!」

「うん!」

「明日はどこ行くんだい?」

「牛さんのところに牧草みにいくの!」

「あー、山の麓の所か。ずいぶん遠い所行くんだね。家の仕事出来るのかい?」

「うーん、朝から行くからできないの。でも、おかあさんが行ってあげなって」

「なるほどね。弟や妹は連れていけないねぇ」

「うん。でも、美味しい乳もらえるから!」

「そうかい。明日は一日中歩くことになるから今日はゆっくりしなよ」

「だいじょうぶだよ! ちゃんとやるから!」

「ありがとうね」

「うん!」

 村の多くの人に期待され、そして愛され続け、平穏な日常が続いた1ヶ月が経ち、先日の男がまたマリカの家に来訪してきた。

「さて、出してもらおうか」

 今回は一人だけではなかった。先日来訪した男以外に、大きく、しっかりとした体の男が二人。
 今日はマリカの手伝いもなく、家の畑作業も朝のうちに終えてしまい、家族で団欒して居た時の突然の来訪だった。

「まだ予定日までは時間があるだろう!」

「どうせ支払えないんだろう? それならいつ来ても変わらないじゃないか。私が君への借金を何年待っていると思うのだ。大金貨10枚だよ。それともその数日で支払うことが出来るというのかね?」

 父親が男に反論するが、男の言葉で途端に黙りこんでしまった。基本物々交換が主流で貨幣の流動が無い村でどうやって貨幣を稼げば良いのだろうと叫びたかった。生きていくだけで精一杯だとも。しかし、この男との取り決めた契約は彼がまだ町に住んでいた時で考えてもそこまで厳しいものではなかった。この村の、いや、農業と言う天候に左右されやすい流動的なものに手を出したことが間違いだったのかもしれない。マリカの知恵を使おうにも年単位で時間が必要だ。そしてその知恵はマリカが色々な所で手伝い、知識が自分の中で上手く歯車が回り始めた去年の初めから既に使っている。収穫物もかなり増え、ようやく軌道に乗ってきたと言うところなのだ。あと少し待って欲しい。それをずっと言い続け、なんとか先延ばしにしていたが、男の所も金回りが悪くなったのか、今年はかなり厳しい態度で接するようになった。

「さて、何で支払ってもらおうか」

「金は無い……」

「それなら体で支払ってもらおうか。奥さんなんていいだろうねぇ。町で働けば5年くらいで稼げるでしょうし」

 その言葉に一瞬喜んでしまう父親。だが、すぐに働く場所を理解し、思い直して反論する。

「駄目だ!! 子供たちにはまだ母親が必要だ……。まだ乳の必要な赤子もいる……」

「なら貴方が来ますか? 貴方の場合は鉱山になるでしょうが。多分、10年くらいですかねぇ」

 その言葉に父親の顔が真っ青になる。体が震え、嫌な汗が額から流れおちる。

「わかった。俺が行こう」

「いえ、私が行きます」

「駄目だ。子供たちにはまだ君が必要だ!!」

「いえ、10年、それも鉱山です。貴方が命を落とさないとも限りません。娼婦でしたらそうそう命を落とすこともありませんし」

「君にはそんな事させられない!!」

「大丈夫です。ただ、4人も子を生んだ女を抱いてくれるか心配ですが……」

「それは大丈夫でしょう。奥様はまだ磨けば輝きます」

 男の言葉を聞いた瞬間、鬼のような目付きで父親は睨みつける。だが、男が父親のことを軽く目を向けるだけで一気に父親は意気消沈してしまった。しかし、子供達に母親が必要なのは間違いない。そう思い返し、説得を続ける。

「駄目だ! 君は子供たちの所に居るんだ!」

「貴方が生きていなくてどうするのですか!? 私の愛した人が借金のために命を落とすかもしれない所に笑顔で送り出せと?」

 堂々巡りの応酬が続く。どちらも相手を思いやってのことだ。しかし、現実的に考え、すぐにお金が用意できない事を考え、誰かが行かなければならなかった。

「そこで一つ提案があります」

 男が突然会話に割り込む。だが、その提案と言う言葉で光明を見出してしまった二人はその場で黙りこんでしまった。

「お呼び致しなさい」

 男が二人に声をかけると一人が外に出ていく。数分後、もう一人男性を連れて入ってきた。

「初めまして。私はレナルドと申します。お金でお困りの貴方に良い案を授けに参りました」

 身なりの良く大きな男が丁寧に挨拶をする。しかし、大きな体、大きな声、存在感で二人は圧倒され、そのまま頷くことしか出来なかった。

「実は私は行商の傍ら、奴隷商に奴隷を卸しております。そこで、貴方方を査定させて頂いておりました」

 奴隷という言葉を聞いて、二人は顔がより青くなる。体がこわばり、汗が額を流れ始める。
 価値が認められれば、借金など簡単に支払えるくらいになるだろう。だが、価値を見出される事もさほど多くなく、ほぼ恒久的に家族のもとに戻ることが出来なくなるのだ。
 しかし、借金を返すことが出来なければ、この家も土地も押さえられてしまい、全員命を落とすことになるかもしれない。そうならないかもしれないが、より今より苦しい生活になるのは間違い無いだろう。しかし、行きたくはない。だが、返さなければならないと言う事で高い金額をつけてもらえるのかもしれないという淡い期待を持ちつつ言葉を待つ。

「父親の方は大金貨3枚、母親は大金貨5枚」

 ここで二人は絶望してしまった。二人あわせても借金を返すことが出来ないのだから。もっと高く買い取ってもらいたいと抗議をするべきなのだろうが、奴隷となってしまった自分のことを考えると、その様な余裕など全くなかった。
 これならばどちらかが労働力として鉱山か娼婦になったほうがまだ良いと考え、口を開こうとした瞬間、耳を疑う言葉がレナルドから聞こえた。

「そこの娘、マリカなら大金貨9枚で行こう」

「えっ?!」

 もう買い取ってもらえるものは無いと思い込んでいた二人にとって、マリカが買い取ってもらえる対象になっていると言うのも驚きだったが、それ以上に大金貨9枚と言うとても凄い大金というのも非常に驚く要因だった。

「いやいや!! 娘は、マリカは売れん!!」

「私が娼婦になりますので、それだけはご勘弁を!!」

「借金は残り大金貨1枚となりますよ?」

 男の言葉で揺れる二人。だが、やはり売ることは出来ないと反論するが、借金が残り僅かになり、返済できるかもしれない事が頭をよぎり、先程より強い口調では無くなっている。それに気づいた二人は自分の事を呪いそうになったが、それでも売ることは出来ないと強弁する。
 男もレナルドもその様子を何も言わずに見守っている。その理由も後少しで陥落できそうだと理解したからだ。
 二人は幾つもの言葉を投げかけるが、全く反応しない事に恐怖を覚えていた。これ以上何をされるのかと。しかし、その恐怖はとある人物の横殴りで一旦止まる。

「おとうさん、おかあさん。わたし行くよ」

 大人たちの会話に混ざることの出来なかった子供たち。だが、マリカだけは会話の意味がわかっていた。

「マリカ!! お前は黙っていなさい!!」

「心配しなくていいわ!!」

 両親は必死になってマリカを擁護し、二人の内どちらかを選んで欲しいと懇願する。だが、マリカは再度言葉を続ける。

「おとうさん、おかあさん。二人がそんなに怖い顔しているの嫌だよ。私が行って、借金を返すことが出来れば、弟や妹たちにはいつもの顔になってくれるでしょ?」

 その言葉が耳に入ると両親は黙りこんでしまった。
 子供の前で怖がらせるような顔をしてしまったこと、借金を返せなかったこと、娘を売ることで借金を返済すること、その売られてしまう娘の未来、順調になっている自分の畑のこと、娘を売ってしまった事に対する村人からの自分たちへの反応。多くのことが頭の中を巡っている。
 だが、ここでマリカを売る事が一番簡単に全て終わらすことが出来る。そう思ってしまった。いや、そう思えてしまった。
 特別強い両親ではない。平凡な町民の家族から生まれ、たまたま祭りで知り合った二人。そして、自分だけの土地を持つと言う夢を追って開拓農村に来た。子供が4人生まれ、幸せな家庭をこれからも平凡に築いていけると思っていた。

「3年前と一昨年の不作が無ければ……!!」

 父親は拳を握り締めながらそうつぶやく。
 不作がなければ借金はもっと減らすことが出来たかもしれない。だが、それは仮定でしかない。その減らした借金で、新たにお金を借り、土地を増やしたかもしれない。その様な不確定な可能性を考えても起こってしまった事を変えることは出来ない。
 その事に気づくことが出来ないのか、気づくことをしないのかわからないが、心の天秤が大きく傾き始めてしまったのには間違いなかった。

「わかった。大金貨10枚だ」

 レナルドの言葉により、両親の心の天秤は一気に反対側に傾いてしまった。





「おとうさん、おかあさん。行ってきます!」

 その声は、まるで普段近所にお手伝いに出かけるような言い方だった。
 努めて明るく、そして元気よく。その好意が両親にとってとても心が痛いことだった。
 マリカはそのままレナルドに引き取られることになり、特にまとめる荷物も無いマリカは、両親との別れの時間もほとんど取ることが出きなかった。幾つかの着替えのみ袋に入れて。
 4人の男に連れられて、自分の生まれた家を、物心着いてからずっと過ごしてきた村を出ていくために歩き初める。
 男達の隙間から裏を見ると、膝から崩れ、放心した状態の父親、泣き崩れる母親、何が起こっているのかわからない弟や妹たち。自分の血の繋がりのある家族の顔が見えた。
 マリカにとって父親は強い者。母親もやさしく、そして強い者。そう思っていた。
 その二人があんなにうろたえ、泣いている状況を作ってしまった事に対し、とても悲しく思ったが、明日から弟や妹たちの事を普通に世話し、畑も見てくれるだろうと、元の優しい両親に戻ってくれるだろうと確信していた。いや、希望していた。

「良かったのですかな、あの娘に大金貨10枚などと言う大金を出してしまって」

 マリカの父親の借金を受けた男がレナルドに対してそう質問をする。

「ここに来るまでにあの娘の噂を聞いていたのだよ。作物を増やすことが出来る娘だと」

 行商人として、奴隷卸商人として買い取れそうな良い者や物は早く耳に入れ、情報を集め精査する。その能力がなければ大きな商人にはなることが出来ないだろう。

「そうだったのですか。ここの所、資金回収が滞っていて、情報に疎かったようです。しかし、どの様にして回収なさるのですか?」

「宛はある。それに、あの娘であれば、商会だろうが大農家だろうが問題無く能力を発揮するだろう」

 レナルドは農民の2~3年分の年収である大金貨を10枚と軽く出してしまった事に対し、そこまで気にはしていなかった。

「それを見込んでと言う事ですね」

「まあ、そこを見込んで買い取ってもらえるかは卸先ではなく、奴隷を最終的に買ってもらえる者次第になるのだがね」

 宛がある。その宛もこの娘を買い取ることは当然だろうと疑っていない為、少なくとも自分の手元に損失は無いと確信していた。

「それもそうですね。本日はお時間を頂きありがとうございました」

「いや、こちらこそ良い商品を買わせてもらった。ありがとう」

 レナルドは男との会話を終わらせ、後ろについて着ているマリカに対し、声をかける。

「マリカ、これからお前は隣のスピネル国の王都に向かう。奴隷として売られてしまえば、もうこの村に戻ることはほとんどあり得ないだろう。だから、今のうちに目に焼き付けておくのだ。自分の生まれたこの村を。自分を育ててくれたこの村を。そして自分を産んでくれた両親を」

 もう一度家の方を見ると両親は立ってこちらに手を振っていた。娘の最後の両親の記憶が泣き伏せている状態ではあまりにも忍びないと言う事なのだろうか。4人と抱えられた一人は大きくマリカに向かって手を振っていた。

「おとうさん! おかあさん! みんな! 元気でね!!」

 大声で伝えても届かないくらいの距離になってしまった。だが、それでもマリカは大きな声で、満面の笑みで大きく手を振り返す。
 後ろ向きで歩いて居ると速度がどうしても落ちてしまう。初めのうちは後ろに立っていた4人はそのペースにあわせてくれたが、少しすると速度を上げることを即される。
 マリカは前を向いて歩き出す。両親に心配かけまいとして、気丈に。そして、元気に。
 だが、局所的に雨は降る。土の地面にはすぐ吸収されてしまう程度の量でしか無いが。



 そして、3ヶ月後。マリカはラウリと出会うのである。

「王子様?」



~~~~~




「ラウリ、今回もまた契約不成立が出たよ」

「なんだと?!」

 アールトネン奴隷商再開から3回目のオークションが終えた後、私室にコラリーが報告に来た。
 前回、かなり競り合った者が、金貸しを通しても到底返済が出来ない金額になり、断念する事があった。
 その為、競り合ったもう一人に落札権が移ったのだが、その次の奴隷を落札したため、落札権を拒否したのだ。
 三番目の落札権利者を確保していたのだが、交渉中、既にオークションは終え、その権利者は帰宅してしまっていた。
 基本オークション会場から出てしまった場合、落札権を放棄すると言う形になっているため、結局この奴隷は売れ残ってしまったという形になった。
 そして、今回も同じ様な事が起こってしまった。それも2件。

「今までの落札した者の爵位は?」

「侯爵1人、伯爵2人、子爵3人、男爵8人、将軍1人。伯爵の内二人は同一人物だよ。今回の2件と、前回の1件の不成立は全部男爵家」

「つまり、高い爵位の者にとってあまり意味を成してない。もしくは、理解されていないと言う事か」

「必要性がないとも考えられるね」

「そうか……。評判が広まればと思っていたが、裕福な地位の者には雇う人を増やせば良いだけという事なのか……」

「価値観を変えるか、あの子達の価値が上がれば良いんだけどね……」

「しかし、これ以上どうすれば……」

 教えるべきことは多岐にわたって教えている。今では農、商、工の知識も選択して学ばせている。武一筋な者や使用人一筋な者など既に居ない。それでいて武では正規兵団の中頃から上位、使用人では男爵家くらいであれば即筆頭になれる程に学ばせている。中には頭がよく体が動かせない奴隷も居るので、絶対というわけではないのだが、特殊例を除き、最低限そのテストを合格したものだけが販売されていたのだ。

 しかし、高くて買えないと言う事は想定していた。だが、高くても買いたいと言う意欲が二人だが居ると言う事も非常に良い傾向だろうと考える。だが、まだ優先順位が低いと言わざるを得ないだろう。どうにかして優先順位を上げて行かなければならないが、奴隷の売買他、性に関する事しか知らないラウリにはどうやれば良いのか良い案は出て来なかった。
 今の所娼館だけでなんとか黒字を保っている。しかし、メインの奴隷商で売上が下がってしまうことは非常によろしくない。使用人も数を減らし、奴隷を育てるという事で何とか保つことの出来ている状況だ。

「部分的にしか教えてない者も出すべきなのか……」

 ラウリは頭を抱えながら悩み込む。しかし、コラリーはすぐに反論した。

「ラウリ、それは駄目。一定以上の質の者を確実に出さなければ、評判は下がる。その案こそ悪手よ」

「そうか……。そうだよな……。皆の評判を下げるためにやってる訳じゃないんだからな」

「まだ、しばらくは収入無しでも問題ない。アルドルフさんが上手くやりくりしてくれてたおかげでかなり余裕があるから。余計なことは考えないで」

「わかった」

 大きく深呼吸し、意識を戻す。自信を持っていたあんなに優秀な者達が売れ残ると言う事が信じられなかったのだ。本当に欲しければ借金や、金額を上乗せしてでも買うはずなのだから。

「それと、悪い噂だよ」

「何かあったのか?」

「隣の国で軍事演習が頻繁に行われているみたい」

「軍事演習?」

「うちの王族がどうやら向こうのバカ息子を怒らせたらしい」

「何やったんだよ……」

「うちのお姫様ってまぁまぁ見栄えが良いじゃない。それで妾にさせろって言ってきたのを、お前馬鹿だろうって返しただけ」

「その返し方もどうかと思うが……。まあ、うちも隣も国としては古いからな。何度もやりあってるし。300年前に王都まで攻め込んできたのがあの国だから、やり兼ねないとは思うが、蛮族って言われてたの未だに根に持ってるのかもな」

「そう考えるとやっぱり襲ってくるのはうちかな?」

「東は寒い国だし、その可能性はあるね」

「いやだねぇ……」



 この出来事が半月後、真実になってしまう。

「ラウリ! 既に王都から3つ先の町まで占拠された!」

「本当かそれは!?」

「一番東の村から脱出してきた行商人と、3つ先の町でギリギリ逃げることの出来た旅人から聞いた話でしか無いけど、正しいと思う」

「まっすぐでも6個の村と3個の町はそこまでにもあるだろう。それがほんの数日で占領できるものなのか?」

「宣戦布告してないみたいだからね。こっちの準備は全く整っていなかったらしいのよ」

「それにしても早すぎるだろう」

「行商人が逃げること出来たのは、占領宣言しても兵士達が街の出入口を完全に占拠出来てなかったからなのよ。拠点だけを確保して、完全占領部隊はその次からという事なんじゃないの?」

「隙間のおかげで逃げられたが、その分足を使うことが出来たと言う事か」

「それでどうするの?」

「王都まで攻め込まれることを考え、カルナ男爵にお願いしてくる。コラリーは家族たちと使用人たち、それと娼館に行ってくれないか」

「わかった。荷物をまとめておくようにと伝えておくわね」

 ラウリはコラリーに頼み込むとそのまま約束もせずにカルナ男爵の館に向かう。



「急に押しかけてしまい申し訳ございません。緊急を要することでしたので」

「ラウリ君、構わないよ。それで、緊急とはどういうことかね?」

「隣の軍に3つ先の町まで占領されたと言うのはご存知でしょうか?」

「もうそこまで来たのかね?!」

「確定情報ではありませんが、コラリーがその町から逃げてきた旅人にその話を聞いたそうです」

「なるほどな。私が知っているのは一番東の町が占領されたと言う事だけだったよ。それで、領地を持たない君の願いは我が領で保護して欲しいと?」

「はい。私以外の家族と使用人、そして私の運営している娼館の者達です」

「君は行かないのかね?」

「一人、私の家族で軍部に向かった者が居ます。その者の動向がいち早く知れる位置に居たいと思いまして」

「ああ、あの者か……」



「レフトサロ南征将軍、ご報告があります」

「ヴァロ、いつも何事にも動じない君がどうしたのかね?」

「はっ! 東のコランダム国およそ6,000が王都を目指して進軍中との事です」

「なるほど。今の敵軍の位置は?」

「既に国境の町は占拠されたとのことです」

「早馬での報告ですよね。それならば早ければもう次の町に向かっている頃でしょう……。ヴァロ、南軍の半分を連れていきます。第7~第9部隊はそのまま防衛部隊として残します。第1~第5部隊を王都防衛に向けます」

「民兵や奴隷兵はいかが致しますか?」

「集めている余裕はありません。私達だけで行きます」

「了解いたしました。しかし、500名くらいにしかなりませんが、大丈夫でしょうか?」

「敵軍の最終数によって前後しますが、今は少しでも早く防衛陣を敷くことが先決でしょう。副将に現地で民兵は集めさせます」

「了解いたしました。早速手配致します」

 ヴァロと呼ばれた従者が駆け足で砦の中をかけて行く。

「宣戦布告も無しですか。多分占領された町や村は略奪されてるでしょうね。東征将軍と王都防衛省軍は何をやっていたのでしょうかねぇ……。今までの戦争をそのままやっていたのでしょうか……。どうも気になります。向かう場所を変更しますか……。」

 幾度も南の国からの進行を防いでいる歴戦の将軍が頭を悩ませながらヴァロの向かった方向にそう呟きながら歩いて行った。



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