奴隷の花嫁

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第10話 それぞれの戦い

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「奥様、そんな事私達がやるっすよ」

 東の国境近くの小さな農村。現当主ヴィルヘルム=レミンネン男爵の所領。あまり多くの移住者が居ない村であるため、若干閉鎖的になっているが、人々の心は穏やかで過ごしやすい土地だった。移住者が少ないのはこの村を敬遠してというわけではなく、ただ単に国の外れにあるからという理由だけである。遠い場所にある村はそれだけで人を集めるのに苦労するのだ。
 その為、領主自ら農作業に従事し、村人達の飢えや富を増やすために鍬を振るう。
 そんなところの領主に嫁いだ女性、パウリーナも同じように農作業に従事していた。

「いいんですよ。私は元々奴隷ですよ。魔法のおかげで首に奴隷紋が付いていませんが、そんなに高貴なものの生まれではありませんので、気になさらないで下さい」

 僻地の農村という所領の為、土地持ちであったとしても他の貴族達から婚姻の話が来ることは全くなかった。
 村民からお輿入れを考えもしたが、軋轢を生むことを村民から諭され、他の町から見つけてきてはと送り出された先で捕まえてきた女性がパウリーナだった。

「そんなに綺麗で、頭も良く、私達にも良くしてくださる方が悪い生まれなわけ無いですよ」

 幾度もパウリーナは生まれも大した事のない普通の町民だったと伝えても信じて貰えない。率先して農作業に従事していたため、そして、知らなかった農作業のことを乾いた地面に水滴を垂らすように吸収していくため、尊敬と好意を以って接してもらえていた。

「着飾っているわけではないので、綺麗と言われても実感ありませんし……」

「そんな真っ直ぐで綺麗な髪の毛してるのなんて、うちの村には1人もおらんですよ」

 パウリーナは現在パンツスタイルの男装をしており、真っ直ぐの背中まである長い髪は後ろで一つに乱雑に束ねられていただけだった。
 貴族の妻としての立ち振舞はしっかりと学んであるため、結婚祝いの席では見事な貴族の妻を演じることが出来ている。しかし、その様な光景を目にしている村人にとっては、逆に今の姿のほうが演じているのではないかと考えてしまう部分もあった。
 しかし、農村に来てから約1年。ずっと同じスタンスで同じ話し方で接してもらえているという事で村人は学び、自分の所の領主様は良い嫁を貰ったと皆喜んでいた。
 そんなある日、農作業を終え、領主の館に戻ってくると、武具で装備を固めた数人の一団が居た。

「あなた達はこの領に何用でしょうか」

 汚い格好の男達が8人。だが、手には剣と槍を持ち、たまたま居合わせた村人達を威嚇する。パウリーナの声を聞き、存在に気づくと舐めるように上から下まで眺めた後、リーダーと思しき男が口を開いた。

「ああ、これからこの村は俺達が占領する」




~~~~~




 金属をこする音が騒がしく、そして色々な方向から聞こえる。
 それに合わせて、強めの口調で指示する声、それを受けて了承する声。
 草原の上の為、足音は聞こえないが、馬の鳴き声や、馬車のきしむ音等様々な音が鳴り響き、辺りが騒然となっている。

 ここは王都から二つ隣の町ヨエンスー、その先にある草原に造られたスピネル国軍の防衛線。
 もっと広い場所もあるが、農業地帯であるため、その様な所で戦争をすると領民に反感を喰らうため、多少手狭ではあるがこの様な場所に陣を敷いた。

 戦いを主とした貴族は、過去に力が強かったため、貴族になることが出来た人達である。暴力的なことで貴族になったため、乱暴し放題と思われがちだが、実際乱暴を働くのは土地持ちの貴族の一部や、土地を持たない貴族のほうが多かった。

 基本領地を持たず、兵のみ貸し与えられているこの様な者達は、民衆に指示を得られる事が一番自分の力を誇示できたのだ。
 中には増長し、暴力的で民衆にも暴力を振るうものも居たが、その様なものは長い歴史でも極一部であった。
 所有する兵士をずっと持ち続ける事はとても費用がかかってしまう。その為、普段は町民であるが、戦いの時徴集される民兵を扱うので、戦闘をより最適な方法で行うために良好な関係を築いていくことが重要だった。

 戦争に参加するものは、貴族所有の兵士、各町で抱える正規兵、民兵、そして奴隷兵である。
 貴族所有の兵士はもちろん職業軍人であるが、常時攻め入られている南の領地以外、殆ど数が居ない。
 各町に備えられている正規兵は、衛兵としての役目も兼用しているところもあり、少しは人数がそろっている。

 民兵は、その都市の大きさや将軍の人気、そして士気の高さにより増減することが多い。

 奴隷兵は、参加貴族が戦争に参加することを怖がり、代理で出席させる場合が一番多いが、町民でも徴集される場合の代理で送られることもある。その為、安定した数を揃えることは出来ないのだが、一番士気が高く、そして戦線が崩壊したら一番早く散るのもこの部隊である。
 士気が高い理由は、購入主から報奨金、地位向上、その他融通権の他、最高で奴隷から開放されることもある。その報酬や権利を取得するために士気が否が応にも高くなる。

 民兵などは自分の土地を守るため、そして、愛する家族を守るため、ここで一旗揚げたいと考えている者や、戦いが怖いが周りの意見に流されて来るもの、親から無理矢理参加させられたもの等も多いため、士気もさほど高くない。

 多くの戦争が行われている時はそうではなかったが、貴族保有の兵や正規兵の士気が一番低い。
 何故ならば、ここ何年も訓練しているだけでお金を稼ぐことができて体は苦痛を伴うが、死を意識することが無かったのだ。そして、相手の所領を奪うわけではないので、報奨金等も期待できず、だが一番活躍しなければ貴族からも、町民からも叱責されると言う辛い立場にあった。





「あーあ、本当に戦争になっちまったよ」

「そうですね、カルロ先輩」

 南征軍に参加したことのあるカルロと、軍人になってまだ3年目のエメリの二人が馬車に乗せてある自分達の武器や予備武器を受け取るために陣内を歩いている。
 馬は専ら戦車や騎兵と言われるものに使われるのではなく、荷馬車に使われることが多かった。南征軍での防衛戦では相手の弓騎兵を相手にすることがあるが、そこまで馬を扱うにはかなり習熟が必要であるため、基本歩兵が主役である。

「これだけの人数で大丈夫なのですか?」

 エメリは既に陣を敷いている攻めこんできているコランダム軍の兵数と、現在陣を作ろうとしているこちらの兵数を考えると不安になっていた。

「大丈夫だ。戦争は貴族達が名乗り上げ、そして日時を決めて衝突する。それまでにはこちらの数も揃うだろうよ」

「何度も聞いてますけど、大丈夫なんですかねぇ……」

「わからん」

 過去に蛮族と呼ばれていた時期には無差別戦闘が主体だった国々。そして、文化が発達したと共に戦争形態をあわせてきた。だが、カルロには現在でも無差別戦闘をしている国を知っている。懐いてくれている後輩に対し、安心させる一言を伝えたいところだが、南征軍に参加していたことを思い出すとわからないの一言で済ますことしか出来なかった。

「ともかく、貴族様の対面を整えるために、俺達は綺麗に整列してこっちは強いんだぞって威圧しなきゃならん。とっとと武器取りに行くぞ」

「はい!」

 ここに来ている正規兵達は、幾つも前の町から逃げ出してきたものや、この土地の領主に拠点を置く者ばかりだ。町付きは裕福な町でなければさほど多くない。逃げ出してきたものも多かったため、鎧などが無いものも居る。だが、数を揃えなければならないため、鎧を着ているものは前に、着てない者は見えないように後ろに立たせる。武器は待に保管してある予備を使えば良いのだが、鎧に関しては大きさがあるため、予備を放出しても全然足りなかった。前列で足りないものは鎧は胸だけ付け、後ろの端に立っているものは左側だけや、右側だけ鎧を装備している者等もいた。だが、おかげで500人ばかり見た目だけは揃えることが出来た。
 人数だけでも民兵や奴隷を混ぜなければならなかったことを考えればまだ良い方だと思わなければならなかった所だ。

「先輩、こんな装備で大丈夫ですかね……?」

「遠くから見てるから大丈夫……と言いたいところだが、駄目だろうな。まあ、今回出てくる東征将軍が恥をかくだけだ。全部揃えてる俺とお前がかく恥じゃない」

「貴族様って対面重視するのはわかるけど、もうちょっと何とかならなかったのかなぁ」

「そうしたら俺達の鎧を部分的に剥がされるぞ。両足取られて曲げられて、胸当てに無理矢理あてがわれて。継ぎ接ぎだらけの兵士が出来上がりだ」

「それは嫌だなぁ……」

「基本買い取りだもんな。この鎧。しかも、給金から天引きと来たもんだ」

「そこまで良い鎧じゃないんだから支給でもいいじゃないですか……」

「戦争が多かった時は国にも領地にも金が無かったからな。苦肉の策みたいなものだったんだろう。だが、今は商人と貴族が儲けるためだけというような形だな」

「うちの領主様も儲けてる方ですかねぇ」

「さあな。少なくとも雇ってくれている人を悪く言うもんじゃねえ。特に俺達は今までほとんど無駄飯喰らいだったんだからな」

「それもそうですねぇ……。しかし、勝てるんですかねぇ……」

「いつも手合わせと言う同じ人数で同じ条件で戦わせる事しかやってない貴族様だ。戦争が多かった昔は凄かったのかもしれないが、南征軍を除けば今はそんな遊戯に近いことしかやってない。「初め!」の掛け声が無ければ動けないような人達じゃ、多分負けるだろうよ」

「え? それじゃ僕達ここで死んじゃうの?」

「南征将軍が放置したままにはしないだろうよ。あの人なら信頼できる」

「つまり時間稼ぎ?」

「そうだな。2~3日稼ぐことが出来れば多分先遣隊だけでも辿り着くだろう」

「そうすれば勝てるんですかね?」

「正直わからない。南征将軍が得意なのは防衛戦だけど、拠点防衛なんだよな。数での力押しがしやすい平地防衛が何処まで行けるのかは見てないからわからない」

「先輩はその拠点防衛に行ったんですか?」

「ああ、もちっと若い頃にな。相手は弓を持った騎馬兵でな、機動力で色々な方向から攻撃を仕掛けてきたよ」

「馬なんて高いものを戦争に使うんだ……」

「あっちは元々馬の産地らしい。品種が違うとか言っていたけどな。ちっと細かったような気もするがよくわからん。しかし、上手く乗るものだったよ」

「先輩は出来るんですか?」

「歩かせるだけな。真似して弓撃ってみたら馬から落ちたよ」

「器用な先輩でも駄目なんですね……」

「地に足がついてないと駄目なんだよ……」

「僕も足がついてないと駄目です、って貴族様来ましたね」

「あー、なんか間抜けな顔してるな」

「先輩初めて見たんですか?」

「一応東征軍じゃ一番えらい人だからな。滅多に見ること出来ないぞ。さて、始まるかな……」

 一枚の壁のように整列していた兵士達の真ん中から綺麗に別れ、その間から貴族が馬に乗り敵陣へと歩いて行く。
 兵士たちもその貴族に合わせて行進を初める。この行軍の訓練はしており、槍を持ったまま、周りと揃って進む。この威圧行動をすることにより、相手に恐怖心を植え付け、戦争の日時を決める。歴戦の兵士がやるのと、今回が初陣の者達がやるのとではかなり違うものだろう。その上、装備が整っていないので、威圧感と言うより遊戯に近しいものだったかもしれない。
 カルロはそのまま行進を続けるが、嫌な予感が浮かび上がってきた。

「エメリ、準備しろ」

 小さな声でカルロは後輩に伝える。何のことだかわかっていない後輩だったが、小さな声だが真剣な声なので、気を引き締めることにした。
 馬上の貴族がその歩みを止め、大声で相手陣にまで届くように宣言する。

「我こそはスピネル国軍、東征将軍マルック=ピトゥカネンである! 戦闘開始の時刻を決めるために参上した! お前たちの主は……」

 と言いかけた所で矢の雨が降り注ぐ。

「畜生! やっぱりそうだったかよ!!」

 カルロは槍を投げ捨て、東征将軍に射られた矢を防ぐために剣を抜き、走り始める。
 東征将軍は馬上に居たはずだが、はじめに射られた矢が近くを通り、驚いたのか馬から落ちてしまっていた。だが、これが功を奏して、カルロが矢を防がなければならない空間が減ることになった。
 何本も矢を防ぎつつカルロは将軍に聞こえるように大声で叫ぶ。

「将軍!! 撤退の指揮を!! このままでは戦争で勝利は愚か、戦線維持さえ出来ません!!」

 しかし、いっこうに返事が来ない。危険を承知で将軍の方を見ると、恐怖で真っ青な顔で、腰を抜かして座り込んでいた。

「ちっ! 誰か手助けしてくれ! 将軍を連れ戻る!!」

 近くの兵士に目を向けると嫌な顔しながら走り寄ってきた。この将軍、人望が無いなと思いつつも、一応現在最上位指揮官であるため、この人を守らなければならないと言う使命だけで行動していた。
 将軍をよく見ると、腹も出ており、筋肉があったかもしれないと言う腕。こんなのでよく前線に出てくる気になったなと。他の普通の貴族のほうがもっと筋肉が付いていたのではないかと思ってしまうくらい酷い肉体だった。
 他の兵士たちの所に戻った所でカルロの体に衝撃が走る。

「先輩!!」

 エメリはカルロの体に矢が生える所をしっかりと目にしてしまった。

「撤退だ!! 攻めこんでくるぞ!!」

 カルロは最後の足掻きと言わんばかりに大声で叫び、そして倒れた。

「将軍を誰か代わりに!! 先輩は僕が連れて行く!」

 エメリは全ての武器を捨て、倒れたカルロを起こし、体に腕を回して歩く。歩く衝撃が傷口に響くのか、一歩ごとに小さく呻くカルロ。だが、急いで逃げなければ、このまま殺されてしまう。
 その恐怖心と、カルロを死なせまいと言う気持ちがエメリに力を与えていた。
 町に近づいた所で矢の攻撃が止んだ。追撃をされなかったのか、ただ単に矢が届かなかったのかわからないが、ともかく逃げることに成功したと安堵した。だが、カルロの顔色が少しずつだが悪くなっていく。痛みに耐え、力を入れて先ほどまでは赤かった顔だが、今では青白くなっている。
 早く矢を抜かなくては。抜くためには傷を塞げる用意の出来て居る場所に行かなくては……と、より強い焦燥感に煽られながらエメリは足を運ぶ。

「エメリ、俺を置いていけ」

「何言ってるんですか! 絶対生きて帰るんです!! カティヤさんはどうするんですか!? もう少し偉くなったら告白するって言ってたじゃないですか!!」

「カティヤはお前が連れて逃げろ。王都になら彼女は知り合いくらい居るだろうよ……」

「駄目です! カティヤさんは先輩が連れて行くんです!」

「頑固だな、お前は」

「先輩もですよ!!」

 そんな兵士たちを遠くで見つめるものが居た。

「結局間に合いませんでしたね。横槍を入れた部隊が戻り次第町の入り口まで退避。住民退去が完了次第戦線を一つ下げます。ヴァロ、皆に伝えて下さい」

「はっ! 了解致しました!」

「しかし、進路を変えて良かったというべきか。それとも後方から攻めて挟み撃ちにするべきだったか……。いや、そもそも戦線を維持出来ないかもしれませんでしたね……」

 レフトサロ南征将軍はそのまま撤収準備をしている兵の所に向かっていった。



 結局、町の入り口にたどり着くと、カルロは息を引き取った。
 エメリには気づくことが出来なかったのだが、逃げている最中にもう一本矢が増えてたのだ。
 それを気づかせまいとしたカルロの強さに改めて敬意を感じると共に、生きて会わせたかったと言う後悔の念が絶えない。
 しかし、南征軍が声高に町に撤退指示を出していること状況を考えれば、カルロがしなければならないことは一つだった。

「先輩、ここに置いていきます。カティヤさんは僕が連れていきますね」

 カルロの私室のベッドに遺体を横にし、エメリは出ていく。出る時に敬礼をするが、すぐにやめる。その理由はカティヤを連れて逃げ出すためには時間がない事。だが、もっと強い理由があった。そのままカルロを見続けていると、色々と思い出し、その思い出で自分が動けなくなってしまうかもしれなかったからだ。
 エメリは頬に伝わる水滴を拭くこともせず、カティヤの居るはずの酒場に急いで向かった。

「カティヤさん!! 居ますか?!」

 酒場の扉を開け放つと走ってきて息が整わない状態にも関わらず、大声で呼ぶ。

「なんだい、エメリじゃないか。どうしたんだい、そんなに慌てて」

 看板娘というにはかなり妖艶さが勝ってしまう女性が厨房の辺りから出てきた。

「聞いてないんですか? この街は占領されます。まだ、南征軍が街の入り口を抑えているので時間が作れていますが、そう長くはもたせられないと思います。なので、急いで逃げる準備をおねがいします!」

「そうかい。私は、カルロを待つから、エメリ、先に行っとくれよ」

 その言葉を聞くとエメリはいたたまれない気持ちになった。伝えなければならない事。だが、自分の口からはとても言い出せない事。しかし、言わなければ彼女は行動に移してくれない。自分でも認めたくはないし、口に出すことで思い出が溢れでてしまい、自分も、カティヤも行動できなくなってしまうのではないかと怖れていた。

「カルロ先輩は亡くなりました。名誉の戦死です……」

 カルロにカティヤのことを頼まれた。その言葉を思い出し、勇気を振り絞って言葉を口にした。

「そうかい。ならエメリ、あんたが私を連れ出してくれるんだね?」

「……は……はい」

 意外とあっさりとした口調でエメリの勇気が霧散しかけた。だが、自分がこのまま泣き腫らしてしまう事は出来ず、無理にでも涙を止める。
 カティヤはエメリの返事を聞くとすぐに2階に上がり、荷物を持ってきた。しかし、その荷物もかなり少なかった。

「大切なものなんて何もないのさ。着替えがあったほうが楽と言う程度さ」

 カルロから送られた物も幾つも持っていたはずだし、服も幾つも送られたはずだ。しかし、装飾品はわからないが、送られた服飾系の物は一切持っていないように見えた。
 カティヤにとってカルロはその程度の存在なのかと一瞬憤慨しかけたが、カルロの遺言でもある彼女を王都に連れていく事を優先し、何も言うことはなかった。

 王都までの2日の行程では、特に問題になることは全くなかった。
 一つ前の町で一泊宿を取ることになったが、逃げ出した住民たちが多く、一部屋に二人で止まらなくてはならない状況でも文句ひとつ言わず、全てエメリの指示で行動してくれた。
 だが、それが逆にエメリを傷つけた。カルロを守れなかったこと、助けることが出来なかったことを少しでも攻めてくれればエメリはカティヤに対して怒ることもなかっただろう。理不尽な怒りだったが、カルロのことを何も思っていないように思えたのだ。

「ここでお別れです」

 王都の入り口でエメリはカティヤに対しそう告げる。これ以上一緒に居るとどうしても暴言を吐いてしまいそうだった為だ。それに、急いで戻ればカルロの仇を打つために戦闘に参加できるかもしれない。そう思い、早く戻りたかったのだ。

「そうかい。ありがとうよ」

「カティヤさんはこれからどうするんですか?」

 特に聞かなくてもいいことだった。だが、ふと口に出してしまい、エメリは少し後悔した。話を聞くことによって戻る時間が少なくなってしまうからだ。

「そうだね。古巣にでも戻るかね。エメリ、来たら安くすることは出来ないけど、その時は精一杯相手させてもらうわ」

「?」

 エメリは何を言っているのかすぐにはわからなかった。

「その時はカティヤじゃなくて、ジェーンと呼んでおくれ。昔聞いた話なんだが、何処か遠い国でとある姓名をつけると誰でもないという意味になるらしいの。元々奴隷で娼婦だった私にはお似合いなのさ」

「えっ?! それはカルロ先輩には……」

「もちろん話してあるわ。それでも構わないと言ってたんだけどねぇ……。何処の娼館に行かされるかわからないから、アールトネン奴隷商でその場所は聞いておくれよ」

 エメリは何を言ったらいいのかわからず、言葉を出すことが出来なかった。そのままカティヤは後ろに振り向く。

「嫌な思いでしか無い王都だから逃げ出したのにね。結局戻ってきちゃったか……」

 小さな声のつぶやきだったが、エメリにもその言葉は聞こえた。そして空を見上げながら続ける。

「惚れた男に売られ、やっとの思いで自分を買い戻し、そして男を嫌いになった私を救い出し、もう一度好きになる気持ちを思い出させた相手に先立たれ、まだ私は生きている。運が良いのか悪いのか……」

 軽く手をふりつつカティヤは街中へと歩いて行く。エメリはカティヤに声をかけることも出来ず、ただ彼女の態度に現れなかった愛の深さに涙した。





「ラウリ様。また私を買って欲しい」

 アールトネン奴隷商にたどり着いたカティヤは、ラウリにそう伝えた。久しぶりに帰ってきた王都で彼女の宛は娼館の仲間か、この奴隷商しか無い。娼館の仲間はもう命を落としたか、自分を買い戻せたかしてとうに居ないだろう。それを考えるとこの奴隷商しか宛にすることが出来なかった。
 久しぶりに見たラウリはとてもかっこよく育っていた。素材は元々よく、人懐っこい性格だったが、今では落ち着きを持ち、少し影のある男になっていた。人懐っこいというのも娼館の者たちと一部の使用人だけかもしれなかったが、カティヤにはその様子を幾度も見ていた。

「ジェーン……いや、今はカティヤか。君は逃げ出した奴隷を演じ、その報酬で満額になったのだろう。そして君の首の奴隷紋を解き、開放したのは俺だ。今更奴隷に戻るのか。それに誰にそのお金を支払えばいいのだ?」

 久しぶりに会うことの出来た知り合いに対し、カティヤは少し驚いていた。元々奴隷という立場だが、そんな自分に対して丁寧な対応をするとは思ってなかったのもあるが、昔はもっと明るい笑顔と、砕けた口調で話している記憶しか無かったのだから。

「支払先はわからないねぇ。でも、何でもいいのさ。愛人でも奴隷でも。ともかく行く場所を無くしちまったのさ。それに、もう新しく探すのには疲れたのさ」

 目を落としつつラウリに告白する。生きるのが疲れたとでも言いたかったのだろうが、そこまではまだ考えられていなのかもしれない。しかし、近い将来そう言いかねない不安はその仕草から垣間見えた。

「そうか」

 昔のラウリなら簡単に買い取っていたことだろう。しかし、今は方針が違う為、買い取ってもよいものなのか迷っていた。その迷いを感じたのか、カティヤは少し話を逸らす。

「しかし、屋敷の中が慌ただしいねぇ。どうしたんだい?」

 カティヤがこの屋敷に入ってからひっきりなしに使用人が行き交っていた。しかも、色々と急いでいるので不思議に思っていた。その中、カティヤを案内する使用人は何事もなかったかのようにゆったりと優雅に案内するのでさすがだとも思っていたが。

「ああ、皆、娼館もそうだが、一時的に王都を離れさせようと思ってね」

「ここを出ていくのかい?」

「カルナ男爵領に戦争が終わるまで居てもらうつもりだ」

 嘘を言っても仕方がないし、既にこの王都から脱出している貴族も表立っていないが、実はもう既に自分の領地に引きこもった者も居たりする。一般流通している商品ならお金があればいくらでも買い戻すことができるが、一般的でない人的資源と言えるラウリの所有する奴隷に関しては、どうあがいても買い戻すことが出来ない。

「負けると思ってるのかい?」

「いいや、南征将軍の噂は聞いている。だから、持ち返すだろうとも思ってる。だが、万が一と言う事を考えてね」

「それでも逃げるんだ」

 カティヤから怒りのような感情を感じる。だが、ラウリには何故彼女が怒りを感じているのかは理解することが出来なかった。

「いや、俺とコラリーは残る。俺の家族……と、そうか知らないんだったな。今奴隷たちは俺から名前を与えて家族になったんだ。その家族達は皆奴隷紋を刻んでいるからどう扱われるかわからないのでね。それと買われた先に軍部の将軍がいる。そこに居る家族の事も気になるからね」

「随分と変わったんだね」

 家族になったことを聞かされたカティヤから、先ほどの怒りの感情は消えていた。大きな変化の為、呆れたのか、感心したのか、それとも他の何かかわからないが。

「カティヤが居るときに出来なくてすまない。だが、あの時にそのような考えも持っていなかったのは事実だがね」

「そう。しかし、俺ね。ずっと僕って言ってたのに。それと、そんな顔するようになったのね」

「ああ、ある出来事がきっかけでね。そう言っていられなくなったんだ」

 ラウリの表情が暗くなる。カティヤが会話の誘導をあからさまに間違ったと考えてしまうほどに。その為、慌てて話題の方向性を変えるために会話を続ける。

「女性の体に興味津々のイタズラ好きがこうもねじ曲がっちゃうなんてね。お姉さん思いもしなかったよ」

「あー……、色々と試してすまなかった……」

「いいって事さ。あれから余裕が出来たのは仕事する上で助かったんだからね」

「そう言ってくれると助かる」

 ラウリの表情が少しカティヤがおどけたことで、元に戻る。古傷だが、未だに治っていないと言うようなものなのだろうと理解できた。カティヤの居ない間でもラウリも生きていたのだと、遊んでいただけではないのだと理解できた。

「それで話は戻るけど、私は買ってくれるのかい?」

 会話の切れ目。全体的に少々タイミングが早いような気がしなくもないが、もう一度切りださなければならないこと。自分の人生がまた大きく別れる言葉を表情を変えず、だが振り絞るようにラウリに伝える。

「それなら一つ質問がある。君は俺が来るまでに幾度かトイレに行ってるな。体調が悪いのか?」

 ラウリは入室前に、使用人からそのような話を聞き、一つの結論に達していた事をカティヤに対し質問した。

「体自体は問題ないさね。ただ、吐き気が先月辺りから……ね」

「ここに来るまでにも何度も吐いたか?」

「同行者に知られるのがなんとなく怖くてね。華を摘むと言って遠くでしてたさ。水の減りが早いと怒られたけどね」

「そうか」

 この様なことで嘘を言ってもいずれ露見するだろう。高く買ってもらうために否定したかったが、最近回数が増えた為、もう隠し切れないとも思っていた。

「ラウリ様、こんな壊れかけの私は買い取って貰えないかい?」

 もう行き先が無いカティヤは涙ながらに懇願していた。苦しい体、戦争でこの国もどうなるかわからない。少しでも落ち着ける場所を求めてだ。

「話は聞いたわ。約3~4ヶ月って所かしら。これから約1年はお客様として当家でお世話するわ。でも、その後は私達の家族や、専属講師のイーナさんに使用人のことを学びなさい。あと、戦争が終わるまででいいわ。一人面倒見てもらいたい人が居るのよ」

 そんなカティヤの命乞いに近い願いを告白している所で、コラリーが入ってくる。

「ラウリもそのつもりでしょ?」

 買い取ってもらう事以上の条件が提示され、そして受け入れてもらえる事がわかり、カティヤは涙する。
 二人には、その涙が先ほどのものとは違う意味を持っているのに気づいていた。



 ~~~~~



「ふざけないで!! 即刻この領から立ち去りなさい!!」

 パウリーナは汚い男達に武器で威圧されつつも気丈に振る舞い対応する。

「ふざけてねえよ。俺達はコランダム軍の占領部隊だ。これからこの国は全てコランダム軍が支配することになるんだ。オメエは綺麗だから俺がもらってやるよ」

 下卑た笑いが汚い男達から漏れ出る。その様子に幾人かの村人が悲鳴を上げて逃げ出す。
 その悲鳴を聞いた領主のヴィルヘルムは慌てて館から飛び出してくる。

「何事だ!?」

「おう、お前が領主様かい。なら丁度いい。俺達がこの村をもらってやるから死んでくれ」

「なっ?!」

 そう言い終わると、男の1人がヴィルヘルムを殺すために歩き始めた。
 パウリーナはそれを阻止する為に走り始める。夫であるヴィルヘルムとの間には8人の武装した男達が居るにも関わらず。
 しかし、突然走り寄ってくるとは想定していなかった男達は不意を突かれ、簡単に通してしまう。
 ヴィルヘルムに向かっていた男はパウリーナに対応しようと振り向き、剣を振り下ろす。しかし、速度の乗ったパウリーナを振り向きざまに捕らえることは出来ず、簡単に懐に入られてしまった。
 体当たりと、足を掛け跳ね上げる動作を一挙にし、右腕で男の頭を掴み、押し出す。体の回転速度の上がった男の頭はそのまま後頭部から地面に叩きつけられ、それだけで意識を刈り取った。

「あなたには絶対手を出させません」

 痙攣している男を足元に、そして自分の夫を背にし、襲いかかってきた男達に宣言する。

「何しやがる!!」

「あら、襲いかかってきたのだから、襲われる覚悟は無くって?」

 当然のことだろう。誰が好き好んでこの様な理不尽を受け入れるのだろうと。

「くそっ! オメエら3人は後ろの男をやれ。俺達4人はこの女を何とかする!」

「おい、殺すなよ。べっぴんだ。楽しもうぜ」

「わかってるよ」

 1人男の生命が冥府に旅立ちそうな状況なのだが、目先の利益を優先し行動する。

「そんな事はさせません。全員私が相手します」

「パウリーナ!?」

「あなたは急いで逃げて下さい。私が時間を稼ぎます」

「君にそんな事はさせられない! 君は私の妻になるためにここに来たんだから!」

 男達に聞こえないくらいの声で二人はやり取りをする。パウリーナは男達を睨みつけながら、ヴィルヘルムはパウリーなの背に守られながら。

「私はあなたの妻であることに誇りを持っています。まだ1年しか経っていませんが、あなたにも、ここの領民たちにも非常に良くしてもらっています。その人達を助けたいという気持ちもありますし、ただ、それ以上にラウリ様に恩返ししたいと思っているのですよ」

「アールトネン男爵にか?」

「ええ。あの方が売られ、使い潰され、そして捨てられるだけだった私を救い出してくれた方です。あの方には野望があります。全ての奴隷の地位を上げること。まず初めに売られた私達5人が模範を示し、奴隷は使い潰すだけではないと証明しなくてはならないのです。今後同じ名前、ストックを受け継いで売られていくであろう私達の弟、妹たちのためにも」

 ヴィルヘルムはパウリーナの独白に返す言葉が見つからなかった。優しく、気が聞く良い女性だと思っていた。しかし、その中に芯がしっかりしたモノもあると気づいていた。もう、何を以っても動かせることが無いだろうと。

「わかった。でも、約束して。絶対に生き残るんだよ!」

 パウリーナは返事をせず、ただ次の言葉を男達に向かって大声で叫んだ。

「お前たちはこの私、パウリーナ=ストック=レミンネンが受ける! かかってこい!!」

 ヴィルヘルムはタイミングを合わせ、屋敷の中に走り込んだ。



「7人も相手してくれるとよ。俺のはでっかいからな。俺一人で気絶しちまわねぇか心配だよ」

 下品な笑いが7人から来る。しかし、そんな汚い男達に差し出す体など無い。

「怖いのか? なら先に行くぞ!」

 そう言うとパウリーナは右端に立っていた男の喉目掛けて肘を突き出す。
 未だにパウリーナを餌だと思い込んでいた男は対応できずに全体重をかけた肘をそのまま受け吹き飛ばされる。

「なっ!!」

 吹き飛ばされた男は血の泡を吹き出しながら絶命した。
 意図も簡単に二人を倒された男達はさすがに意識を入れ替え、広がってパウリーナを包囲するように陣形を組む。
 後ろに回りこんだ男からパウリーナに剣が振り下ろされる。パウリーナは、体を入れ替え、タイミングを併せて相手の振り下ろした腕を掴みそのまま正面方向に勢いをつけて送り出す。
 正面方向に居た男は対応しきれずにそのまま二人がぶつかり合う。
 お互いに剣を差し出したままであったのが不幸であり、ぶつけられた男はぶつかった男の剣の切っ先が腹に刺さっていた。

「畜生! 何しやがる!!」

「言ったでしょう? 殺しに来るのなら殺される覚悟があってしかるべきだと」

 しかし、パウリーナの反撃はここまでだった。男達は槍を持った男を中心に攻撃を組み立て、少しずつパウリーナの機動力を削ぐ事になった。
 負けないため、生き残るために学んだ無手の体術。パウリーナは武器も学んでいたが、男達の持っている幅広の剣ではなく、片手で持てるような細身の剣を学んでいた。その為、男達の剣を巻き上げて使うことが出来ず、無手で行うしか無かった。
 剣や槍の切っ先を逸らすことが出来ず、腕や足を少しずつ斬られていく。
 傷は浅いが、動く度にひどく痛む。
 動かなければまだ耐えられるが、動かなければ剣や槍が腕や腹に刺さっていることだろう為、無理にでも動く。しかし、それがパウリーナの精神をより蝕んでいった。

「ひひっ、もう少しだな」

 舌なめずりをする男達。勝利を確信し、その先にある出来事を想像し始めた。目が座り始め、興奮し顔が赤くなっていく。

「あなた……、ラウリ様……」

 男達の欲望を隠そうとしない顔に怯み、心の頼り処を思わず口に出してしまっていた。

「弱ってるぜ。もう良いか。食っちまおう」

 だが、そう言った男は両脇の男達から返事を聞くことが出来なかった。
 向かい側に居た男二人は何も起きてなかったが、驚愕の顔を浮かべていた。慌てて左右にいる仲間を確認すると、彼らの背中から農作業用の用具が生えていた。

「何事だっ?!」

 慌てて後ろを振り向くと、幾人もの村人が男女関係無く、鍬等の農作業具を抱え、こちらを睨んでいた。

「奥様を離せ!!」

 村人の誰かがそう言いながら手鎌を投げつける。慌てて剣で防ぐが、次々と投げつけられる手鎌や鍬、鉈等には対応できず、足に手鎌が刺さってしまう。
 痛みに耐え切れず男はうずくまる。そして、うずくまった男に対して農具を投げてない他の村人が押し寄せ、頭に鍬を振り下ろし、絶命させる。
 パウリーナはその好機を逃さず、槍持の男を体当たりで倒し、喉を踏みつけて戦闘不能にする。
 残った男も、初めの男と同じように勢いをつけて頭から地面に叩きつけ、この村に来た全ての男達は全滅した。

「パウリーナ!!」

「あなた!!」

 村人の中に、逃げたはずの夫、ヴィルヘルム男爵が居た。ここまでボロボロになるまで我慢したのにまだ逃げてなかったのかと呆れる気持ちもあったが、無事だった、村の中に別働隊が入って無く、生きていてくれたという安心感の方が強く、力が抜け、座り込んでしまう。

「パウリーナ! 大丈夫か?!」

「ええ、命に問題ありませんわ」

「こんなに傷ついてしまって……。君には命も救ってもらったし、何を持って感謝をすれば良いのか……」

「生きていてくだされば、それが一番です」

 ヴィルヘルムはパウリーナを抱きしめたい衝動に駆られるが、傷だらけの体に負担がかかってしまう事を考え、思いとどまる。

「それと、私も命を救っていただきましたわ。ありがとうございます」

 その言葉で我慢していた思いが決壊し、せめて痛くないだろうと思われる頭を引き寄せ、口付けする。
 気の済むまま口付けをしたいところだったが、村人の手前と、現在の置かれている状況が頭をよぎり、お互いにすぐ離れる。
 その光景をじっくりと見ていた村人達は暖かい笑顔で二人のことを眺めていた。

「えー……、皆様、助けて頂いてありがとうございます。それと、申し訳ございませんでした」

 パウリーナが慌てて立ち上がり、お礼と謝罪をする。

「なんてことねえさ。お二人が生きてくだされば、わしらは何も言うことないです」

「でも、命を育むあなた達の手や農具が、命を奪う事に利用させてしまいました……」

 その一言で、村人達は動揺してしまった。命を奪う行為、それも同族である人間の命を奪ってしまったのだから。だが、他の村人がパウリーナに向けて声をかける。

「大丈夫だべ。なんてたって、命を救ったんだからよ」

 その一言に、パウリーナは目を丸くして驚く。1年しかまだ一緒に居ないこの村に、何処まで溶け込めているのかと不安になった事も多かった。夫であるヴィルヘルムは味方してくれているが、奴隷出身という事で未だに引け目が無いと言えば嘘になる。夫にも村人にも作りたくない壁を自分で作ってしまっていると思っていたパウリーナにとって、とても嬉しい言葉だった。本来だったらここで暴言をもらっても仕方がなかったのだから。村人に受け入れてもらえていたという事がとてもありがたく、嬉しいことだった。

 感情の波が押し寄せ、涙が溢れ始める。思わず顔を伏せ両手で隠してしまう。とても嬉しい言葉だった事に、お礼が言いたいが、上手く言葉に出せず届けられない。
 そんな時にヴィルヘルムが優しく抱き寄せる。すると、パウリーナの張り詰めた糸が切れ、声を出して泣き出してしまった。
 ヴィルヘルムはオロオロとパウリーナを泣き止ませようとするが、村人は変わらず暖かい笑顔でその光景を眺めているだけだった。
 しばらくして泣き止んだパウリーナは改めて礼を言い頭を下げた。村人は貴族に頭を下げられる事など初めてのため、狼狽えるものばかりだったが、とある村人の一言が全員が現実に引き戻す。

「また攻めて来るんでねえのか?」

 野蛮な男達を撃退して大団円というわけには行かない。それに気づいた、いや、気付かされた。

「村の入り口を重点的に監視し、敵兵士の侵入を防ぐ!」

 ヴィルヘルムが方針を決め、指示をしようとする所で村人達から意見があがった。

「お二人は逃げてくだせえ」

 予想外の言葉が村人達から掛けられ、思考回路が止まり、開いた口が閉じられなかった。

「私が、あなた達を、置いて、逃げると……?」

 上手く言葉がつなげることが出来ない程に狼狽していた。領主としてあるまじきことである上に、その様な卑怯なことを村人からしてくれと言われたのだ。怒りを通り越して悲しみさえ浮かび上がってくる。しかし、続いた老婆の言葉にヴィルヘルムもパウリーナも涙を見せることになった。

「万が一国境の町が占領されてたとします。その場合、この村にいる男達だけじゃお二人をお守りできません。生きていてくだされば、また会うこともできましょう」

「そうだな、この村の一番強い奥様がその様な状況じゃ、勝ち目無いな」

「あの強さはすごいっぺよ」

「村最強は奥様だな」

「こりゃ、旦那様は奥様に尻に敷かれないようがんばらなきゃ」

「ほら、急がんと。来ちゃうよ」

 次々と続いて二人をたたみ掛けてくる。基本的に二人を心配することや、この村は守れないこと、それ以外にはパウリーナの強さを褒めること、中にはかかあ天下を心配する声が。
 基本二人を心配してかけてくる言葉。二人がそれに気づかないはずがない。

「すまない、すぐに皆を助けに戻るからな!!」

「ありがとうございます。できるだけ早く戻りますので、皆さんもご無事で」

 ヴィルヘルムもパウリーナも鼻声で皆に伝える。

「ほら、奥様はまず体を綺麗にしないと。傷の消毒や着替えも必要でしょうし。男ども。馬車の用意しな。少なくとも4日分の食料と水だよ。簡単に食べられる物にしておくんだよ」

 先ほど二人を諭してくれた老婆から指示が出る。村人達は急いでその準備を初める。男達は馬車と食料、女達は食料の手助けとパウリーナの湯浴みと消毒、そして二人の旅装の為に。

「旦那様、奥様は私達に任せて出発の準備をお願いします。他の後始末は私達が全て行なっておきますので」

「すまない!!」

 国境の町が陥落して翌日の出来事だった。



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