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いつか静寂だった島
いつまでも、静かな日々
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すっきりした目で、改めて、人形をじっくりと眺めまわす。
小さな人形が抱く小さな赤ん坊の表情は、目を凝らさなければよく見えない。
ようやくその寝顔を目がとらえたのか、悲しみに染まっていた女性の面は見る間に変わっていく。
大雨の直後、晴れ上がった青空のように深い慈しみに塗り替えられていった。
せっかくお休みの日だったのにお邪魔してごめんなさい、ありがとうございました。
そう頭を下げて、女性は店を出た。
思わず深い溜息をついて、葉織はふらふらと歩き、羽香奈がひとりで座っていたソファーへ向かう。
彼女はそこから、口を挟まずに一部始終を見守っていた。
たったひとり相手にしただけでも、内容があまりに重たくて疲れ果てて、ソファーに座る際も加減をし損ねた。
ただでさえ古いソファーのクッションが苦しげに跳ねる。
「お疲れ様……」
「ん……」
羽香奈は、自分に寄りかかってくる葉織の左腕に自分の両腕を絡める。
普段の営業時間中ならこんなことはとても出来ないが、今日は特別営業で本来は休みなのだから構わない。
疲れている時には、愛する人の温もりを感じることが、何よりの疲労回復の効果をもたらすものだ。
「私もね、波雪さんにはありがとうって、いつも思ってる。
葉織くんを生んでくれて、私を迎えに来てくれて、ありがとうございます、って」
……俺も……一度も会ったことないんだけど……。
そして、その人は羽香奈の心を散々に傷付けてきたんだってことも、わかってるけど……。
「羽香奈を生んでくれて……
羽香奈が今、俺の側にいてくれてること、本当にありがとうって、思ってるよ」
江ノ島の中の細い道は、今や、春夏秋冬どの季節もそれぞれ異なる賑わいの雑踏になっている。
それでもふたり、葉織と羽香奈の暮らしはいつまでも、静寂の中で続いていくのだった。
小さな人形が抱く小さな赤ん坊の表情は、目を凝らさなければよく見えない。
ようやくその寝顔を目がとらえたのか、悲しみに染まっていた女性の面は見る間に変わっていく。
大雨の直後、晴れ上がった青空のように深い慈しみに塗り替えられていった。
せっかくお休みの日だったのにお邪魔してごめんなさい、ありがとうございました。
そう頭を下げて、女性は店を出た。
思わず深い溜息をついて、葉織はふらふらと歩き、羽香奈がひとりで座っていたソファーへ向かう。
彼女はそこから、口を挟まずに一部始終を見守っていた。
たったひとり相手にしただけでも、内容があまりに重たくて疲れ果てて、ソファーに座る際も加減をし損ねた。
ただでさえ古いソファーのクッションが苦しげに跳ねる。
「お疲れ様……」
「ん……」
羽香奈は、自分に寄りかかってくる葉織の左腕に自分の両腕を絡める。
普段の営業時間中ならこんなことはとても出来ないが、今日は特別営業で本来は休みなのだから構わない。
疲れている時には、愛する人の温もりを感じることが、何よりの疲労回復の効果をもたらすものだ。
「私もね、波雪さんにはありがとうって、いつも思ってる。
葉織くんを生んでくれて、私を迎えに来てくれて、ありがとうございます、って」
……俺も……一度も会ったことないんだけど……。
そして、その人は羽香奈の心を散々に傷付けてきたんだってことも、わかってるけど……。
「羽香奈を生んでくれて……
羽香奈が今、俺の側にいてくれてること、本当にありがとうって、思ってるよ」
江ノ島の中の細い道は、今や、春夏秋冬どの季節もそれぞれ異なる賑わいの雑踏になっている。
それでもふたり、葉織と羽香奈の暮らしはいつまでも、静寂の中で続いていくのだった。
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