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第5章 廃病院に集まる悪霊たち

第43話 キリンのマスコット ※ホラーあり

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 その日の仕事を終え、夕飯の買い物も済ませて自宅に戻ってきた千夏は、コートを脱いで自室のハンガーにかけた。そのとき、コートのポケットからポトリと何かが落ちる。

(何だろう?)

 拾い上げてみると、小さなキリンのマスコットだった。

(あれ? これ、どこかで見たような……)

 そう思ったのだが、特段気にすることもなくタンスの上にそれを置くと、部屋着に着替えてキッチンへと向かった。

 今日の午後は二人分の仕事をこなしたので、疲れ気味。そんなこともあって、今夜はコンビニで買ったおでんに簡単な付け合わせを作るくらいにした。

 そしてその日の晩。
 疲れたため早めにベッドに入っていた千夏は、夜中に目を覚ました。

 隣には寝ている元気のふわふわとした頭が見える。彼は触れ合う時間が長くなると霊的に消耗してしまうらしく、回復のためか最近は寝ることもあった。

(寝るっていうより、どっちかっていうと、電源がオフになってる感じなのかもね……)

 呼吸を必要としない彼は寝息をたてたりすることはないので、なんとなくそんなことを思ってしまう。
 元気の髪をそっと撫でると、千夏はベッドわきに置いたスマホの画面を見た。

(夜中の二時か……なんで起きちゃったんだろう。まぁ、いいや。喉乾いたから、お水飲んでこよう)

 起き上がると、ベッドの下にあるスリッパに足を入れて立ち上がろうとした。
 そのとき、ゾワッと両腕が鳥肌をたてる。

(え……?)

 冬の室温は低いとはいえ、それとは明らかに違う冷たさ。嫌な悪寒が背筋を這い上ってくるようだった。
 ズンと部屋の空気が重くなる。

(なにこれ。まるで幽霊物件に行ったときみたいな)

 いままで自宅で心霊現象を体験したことなど一度もなかった。元気のことを除いては。

(もしかして、どっかの物件で妙なもの拾ってきちゃったのかな)

 立ちっぱなしの鳥肌を収めようと、腕を抱くようにさする。恐怖で呼吸が浅くなる。

「げ……元気……起きて。なんか、おかしい……」

 しかし、いつもなら声をかけるとすぐに眼を覚ますはずの元気が、今日に限ってまったく反応しない。

 何かがおかしい、そう感じ始めたとき。

 暗い部屋の中を、パタパタと走る音が聞こえてきた。ついで、

 キャキャキャッ

 部屋のあちこちから、笑い声が聞こえる。子供の声のようだった。

 パタパタパタパタ

 走り回る足音。たくさんの子供の笑い声。
 遠くからも近くからも、後ろからも前からも。上からも下からも。あちこちから聞こえてきた。

 千夏はたまらず、両耳を掌で押さえると床に座り込んで目をぎゅっと閉じた。

(やめて……やめて……!!!)

 耳を押さえているはずなのに、声は変わらず鼓膜を震わせる。

 キャキャッキャ
 ケラケラケラケラ
 アハハハハハハハハハハ

 笑い声に頭の中をかき乱され、おかしくなりそうだった。

(やめて……!!!)

 もう一度、心の中でそう叫んだ瞬間、ピタリと声も足音も消えた。

(……いなくなった?)

 おそるおそる目を開けると、足元にいつのまにかキリンのマスコットが落ちていた。

(あれ? これ、なんでこんなところに)

 タンスの上に置いたはずのマスコット。なぜそれが、ベッドの脇に落ちているのだろう。千夏はそのマスコットから目を離せなくなっていた。

 ……カエリタイ……カエリタイ……

 小さな声が聞こえてくる。
 その声は目の前のキリンのマスコットから聞こえてくるようだった。

 マスコットが、独りでに動き出す。
 一歩一歩、よろめくようにこちらに近づいてきた。

 ……カエリタイ……ボクモ……カエリタイ……

「ひっ……」

 ヒタヒタとこちらに寄って来るマスコットに、千夏は戦慄した。
 そのマスコットの目が、黒いビーズのようなそれではなく、人間と同じ目をしていたからだ。
 かわいらしいマスコットに不釣り合いな人間の目。その姿は異形としか言いようがなかった。

 ……ドウシテ……カエレナイ……?
 ……ボク、ガンバッタノニ……イワレタトオリ、ガンバッタノニ……

 マスコットが千夏の足を登ってくると、座り込んでいた千夏の膝の上で白目をむいた。その双眸からは赤い血のような涙がボタリと落ちる。

 ……カエシテ……

「やめてーーー!!!!!」

 恐怖のあまり大きな声で叫んだところで、誰かが自分の名前を呼んでいることに気がついた。

「千夏! 千夏! どうしたんだ!?」

 元気の声だ。

「え……」

 ハッと我に返ると、千夏の目の前に元気の顔があった。彼は心配した様子でこちらをのぞき込んでいる。しかも、さっきまで真っ暗だったはずの部屋は煌々と明かりが点いていた。

「あ、あれ……?」

 床に座り込んでいたはずなのに、いつの間にか千夏は自分のベッドで横になっていた。しかも部屋着に着替えたはずだったのに、スーツを着ている。

「あ、あのキリンは?」

 自分の身体を見回すが、何もない。そのとき、自分の手の平が何かをぎゅっと握りこんでいることに気がついた。おそるおそる手のひらを開いてみると、

「きゃっ……!」

 握りこんでいたのは、あのキリンのマスコットだった。その姿を見た瞬間、恐怖のあまりそれを力一杯投げ捨てた。
 壁にぶつかって床に落ちたそれを、元気が拾い上げる。

「どうしたの? これ」

 それは確かにあのキリンのマスコットだったが、目はビーズのような黒いつぶらな瞳に戻っていた。さっき見た不気味な人間の目ではない。

「い、いつの間にか私のコートのポケットに入っていて。そのあとタンスの上に置いたんだけど、足に這い上ってきて……!」

 そこで違和感を覚える。あのマスコットはいつ自分のコートのポケットに入ったのだろう。自分で入れた覚えは全くない。

「元気。それ……なにか嫌な感じとか、したりしない?」

 聞いてみるが、元気はマスコットを目の高さまで掲げて眺めると、小首をかしげた。

「いや……とくには。ちょっと、変な気配は感じるけど」

「そ、そっか……」

 元気が嫌な気配を感じないというのなら、そんなに悪いものではないのだろうか。それにしては、さっき見た恐ろしい姿は何だったのだろう。

「私、いつ寝たんだっけ……晩御飯食べて、すぐ……?」

 帰宅してからの記憶があいまいになっていた。スマホを見ると待ち受け画面にはまだ九時過ぎと表示されている。おかしい。そんなに早いはずはない。
 千夏の様子に、元気は訝しげな顔をする。

「今日は晩御飯は食べてないだろ? 帰ってきてすぐに疲れたからって部屋に入っていったよ。スーツのままで寝ちゃったんだな」

 記憶がおかしい。部屋着に着替えて、晩御飯を食べて、シャワーも浴びて……いつもと同じようにベッドに入ったはずなのに。
 一体、いつから記憶が混同してしまっているのだろう。

「元気は、いままでどこにいたの……?」

「俺は今日はずっとリビングにいたよ。ぐっすり休みたいだろうと思ったし。でも、叫び声みたいなのが聞こえたから急いでこっち来たんだ。そしたら君が寝ながらうなされてた」

「そう……」

 家に帰ってきてからの記憶だと思っていたものがドンドン薄れてきて、そういえば駅から自宅に向かうあたりから身体がだるくなってきて、帰宅するなり速攻でベッドに倒れこむように寝てしまったのだと思い出した。
 だとしたら、マスコットが迫ってきたあの記憶はなんだったのだろう。

(夢……?)

 夢というには、なんだかとても質感のある夢だった。

「……ねぇ。元気は、そのキリンのマスコットって……前に、見た覚えあったりする?」

 うーんと元気は考えて、「ああ、そういえば」と声をあげた。

「あそこで見たものに似てる気もする。ほら。晴高が倒れた時に霊と同調したみたいになっただろ?」

「うん」

「あの中で、駆け寄ってきた男の子が手に持ってたのが、こんなのだったよ」

「え……」

 あのときは、千夏にはそこまで鮮明には視えてはいなかった。駆け寄ってくる男の子が何か黄色いものを持っているなというのはわかっていたが、それが何なのかまでは千夏にはわからなかったのだ。それが元気に指摘されて急に記憶が鮮明になってくる。

(そうだ、あの時、あの子が持ってたマスコットだ……)

 なんで、それと同じものが千夏の部屋にあるのだろう。
 そういえば、晴高も今朝はひどく体調が悪そうだった。無事に家へ帰り着いたのだろうか。彼はたしか一人暮らし。自宅でまた倒れたりしていないか心配になるが、彼のことを考えていて千夏はゾクリと背筋が冷たくなった。

(もしかして、晴高さん。何か悪いものに憑りつかれていたりしない?)

 千夏の奇妙な同調や悪夢は、彼に憑りついていたものに千夏と元気が触れてしまったために起きたと考えるとつじつまが合うように思えた。彼の体調不良も、そのせいではないのか。

「元気……。晴高さん、大丈夫かな」

 元気も同じことを考えていたのだろう。千夏と目を合わせてこくんと頷く。

「まだ九時過ぎだから、寝てるかもしれないけど、一応電話してみるか?」

「うん。そうだね」

 すぐにベッドサイドに置いてあった千夏のスマホを手に取ると、彼のスマホに電話をかけた。呼び出し音が聞こえてくるが、何度コールしても晴高は出ない。寝てしまったのだろうか。しかし、なんだか嫌な胸騒ぎがした。
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