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交渉
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僕、つまりネアンデルタール人の僕がいることに
村の入り口に立つ見張りが気づいたらしい。
村の中に知らせるために、
見張りが大声を上げるのが聞こえた。
僕は道案内の平地人の首をつかむ。
「逃げようとすると、首をへし折る。」
道案内はすくんだ。
その耳元に、今度は優しくささやく。
「手出しはするな、俺が殺される、この男は話し合いにきた、そう落ち着いて言うんだ。」
道案内は青い顔でうなずいた。
こうして僕は村に入ることに成功した。
周りを、手に手に武器を持った平地人が取り囲む。
木の槍、石つぶて、それに石斧、石の槍。
(なんて精巧な石器だ。)
僕は感嘆の思いだった。
わかっていたことだが、
我々ネアンが持つ武器とは格が違いすぎる。
あの石の槍の鋭さは脅威だ。
武器を持つ集団をかき分けて、
中から一人、小柄だが細く目の鋭い男が現れた。
「ジェイだな!」
僕は機先を制するかのように問いかけた。
ジェイらしき男は少し戸惑う様子を見せた。
「なぜ名前を知っている。」
「人質がいる。エベという男だ。知っているだろう。」
僕が言い終わると、
平地人の集団がどよめいた。
石槍を持った男が前に出て尋ねてきた。
「い、生きてるのか…?」
僕はその男を見ず、ジェイを見据えたまま
「生け捕りにしてある。今から僕の話をきけ。生かすも殺すも、その返答次第だ。」
と答えた。
ジェイも僕をにらんだまま、
「話を聞こう。言え!」
と叫んだ。
「まず、森を襲う理由を聞きたい。何のためか。」
ジェイも答える。
「森の獣、植物が欲しい。我々は村人が多い。食料を多く蓄えたい。」
良かった、想定通りの答えだ。
僕は提案した。
五回、日が上って沈むごとに(つまり5日ごとに)、
森と平地の境界線に、
森の民(ネアンのことだ)が食料を置く。
平地人はそれを取りにくる。
その代わり、
森の民も平地人も、お互いに手出しはしない。
エベはそのまま人質として置いておく。
約を違えた場合、
命の保証はない。
「わかった。それでいい。」
ジェイは驚くほどあっさり条件を飲んだ。
「ただし、エベはこの村で一番の働き手だ。人質は他の者にしてほしい。」
人質の交換か。
しかし、それにはリスクがある。
平地人の村にとって、
不要な人物を人質にされてしまえばどうか。
僕はこう返した。
「わかった、ただし、こちらから選ぶがいいか。」
ジェイは少しもためらわず、
「いいだろう。選べ。」
と答えた。
僕はかえって戸惑った。
即答されるとは思っていなかった。
もう少しジェイが迷い、必ず周りと相談をするとと予想していたからだ。
ジェイが真っ先に相談した相手、
つまりジェイの次に村で権力を持つものを、
人質にする考えだった。
それが見事に裏切られた。
指導者として、
ジェイは絶対の権力を握っているのは間違いない。
とすれば、ジェイの親族、いるならば妻や子が
人質にふさわしい。
「わかった。選ぶために動く。平地人は一歩も動くな。」
そう釘を差すと、ジェイに近づいた。
ジェイのまとう毛皮は、
傷ひとつなく丁寧に剥ぎ取られたものだった。
美しい貝殻をつなげた首飾りを下げ、
長細い石を削ったナイフのようなものが、
腰にぶら下がっている、
僕はジェイの様子を見ながら、
彼から少し離れた横をすり抜けた。
ジェイの後方、
隠れるようにして
女がいる。
首飾りはジェイと同様に貝殻で飾られ、
まとう毛皮も同様に見事なものだった。
美しい顔だった。
現世にいてもおかしくないほど、
整った顔立ちだった。
僕は女を指さし、尋ねた。
「おまえは誰だ。」
女は口を開かない。
僕のやや斜め後方にいたジェイが、
代わりに答えた。
「俺の妻だ。」
決まりだ。
「今から彼女を連れて行く。エベは必ず解放する。」
ジェイがどう出るか…。
「良かろう。」
その言葉を聞き、彼女が目を閉じる。
ジェイは被せるように言った。
「連れていけ。エベは必ず返せ。」
交渉は成功した。
この人質は大きい。
我ながら、よくぞ見抜いた。
ジェイの妻の手を引きながら森へ帰る途中、
僕は高揚とともに思った。
しかし、
この女は美しい。
細く、しなやかで足がすらりと長い。
目が大きく、黒い瞳が宝石のように輝いている。
何より、ネアンのような彫りの深さがなく、
目鼻立ちが小さく整っている。
(大丈夫かな?)
この美しい女が人質であることに、
仲間が欲望を抑えきれるだろうか…。
(いや、僕がこの人を守らないと。)
そう思いながら、
僕は軽やかな足取りで森に向かった。
森の入り口では、
長をはじめ、たくさんの仲間が僕を待っていてくれた。
僕が笑顔で
「おーい!」
と声をかけると、
仲間たちが奇声を上げながら、
地面を叩いて喜ぶのが見えた。
(ゴ、ゴリラだな…。)
先ほどまで平地人の間にいた僕は、
仲間たちを見て改めて感じた。
僕の横にいるジェイの妻は、
あれを見てどう感じたのだろう。
長が言った。
「どうであったか?」
僕は誇らしげに答えた。
「成功だ。人質も連れてきた。」
仲間たちがジェイの妻をのぞきこむ。
大丈夫だろうか、
興奮して女に襲いかかったりしないだろうか。
その不安に反して、
仲間たちは突然、大声で笑い出した。
「?」
ポカンとする僕。
仲間たちが堪えきれずに口にする。
「き、気持ち悪い顔だなァ!」
「変な顔!」
「こんなの、よく連れてこれたな!」
ま、まさか…。
美醜の違いがここまで大きいとは。
しかし、僕もむきになって言い返す。
「彼女が美しくないって言うなら、誰が美しいんだ!?」
仲間たちはまだ笑っていたが、
そのうち一人が僕を指さして
「おまえの妹。」
と言うや、
他の仲間も口々に同意しだした。
あ、あのゴリラ顔が…。
自分の妹のことを誉められ、
嬉しいのか悲しいのか、わからなくなる。
「人質は、おまえが預かれ。」
長が言った。
ふと見ると、
仲間たちから嘲笑された彼女は、
うつむいて涙をこらえている。
その横顔が、天女のように美しい。
その日から、僕は彼女と過ごすことになる。
ー続くー
村の入り口に立つ見張りが気づいたらしい。
村の中に知らせるために、
見張りが大声を上げるのが聞こえた。
僕は道案内の平地人の首をつかむ。
「逃げようとすると、首をへし折る。」
道案内はすくんだ。
その耳元に、今度は優しくささやく。
「手出しはするな、俺が殺される、この男は話し合いにきた、そう落ち着いて言うんだ。」
道案内は青い顔でうなずいた。
こうして僕は村に入ることに成功した。
周りを、手に手に武器を持った平地人が取り囲む。
木の槍、石つぶて、それに石斧、石の槍。
(なんて精巧な石器だ。)
僕は感嘆の思いだった。
わかっていたことだが、
我々ネアンが持つ武器とは格が違いすぎる。
あの石の槍の鋭さは脅威だ。
武器を持つ集団をかき分けて、
中から一人、小柄だが細く目の鋭い男が現れた。
「ジェイだな!」
僕は機先を制するかのように問いかけた。
ジェイらしき男は少し戸惑う様子を見せた。
「なぜ名前を知っている。」
「人質がいる。エベという男だ。知っているだろう。」
僕が言い終わると、
平地人の集団がどよめいた。
石槍を持った男が前に出て尋ねてきた。
「い、生きてるのか…?」
僕はその男を見ず、ジェイを見据えたまま
「生け捕りにしてある。今から僕の話をきけ。生かすも殺すも、その返答次第だ。」
と答えた。
ジェイも僕をにらんだまま、
「話を聞こう。言え!」
と叫んだ。
「まず、森を襲う理由を聞きたい。何のためか。」
ジェイも答える。
「森の獣、植物が欲しい。我々は村人が多い。食料を多く蓄えたい。」
良かった、想定通りの答えだ。
僕は提案した。
五回、日が上って沈むごとに(つまり5日ごとに)、
森と平地の境界線に、
森の民(ネアンのことだ)が食料を置く。
平地人はそれを取りにくる。
その代わり、
森の民も平地人も、お互いに手出しはしない。
エベはそのまま人質として置いておく。
約を違えた場合、
命の保証はない。
「わかった。それでいい。」
ジェイは驚くほどあっさり条件を飲んだ。
「ただし、エベはこの村で一番の働き手だ。人質は他の者にしてほしい。」
人質の交換か。
しかし、それにはリスクがある。
平地人の村にとって、
不要な人物を人質にされてしまえばどうか。
僕はこう返した。
「わかった、ただし、こちらから選ぶがいいか。」
ジェイは少しもためらわず、
「いいだろう。選べ。」
と答えた。
僕はかえって戸惑った。
即答されるとは思っていなかった。
もう少しジェイが迷い、必ず周りと相談をするとと予想していたからだ。
ジェイが真っ先に相談した相手、
つまりジェイの次に村で権力を持つものを、
人質にする考えだった。
それが見事に裏切られた。
指導者として、
ジェイは絶対の権力を握っているのは間違いない。
とすれば、ジェイの親族、いるならば妻や子が
人質にふさわしい。
「わかった。選ぶために動く。平地人は一歩も動くな。」
そう釘を差すと、ジェイに近づいた。
ジェイのまとう毛皮は、
傷ひとつなく丁寧に剥ぎ取られたものだった。
美しい貝殻をつなげた首飾りを下げ、
長細い石を削ったナイフのようなものが、
腰にぶら下がっている、
僕はジェイの様子を見ながら、
彼から少し離れた横をすり抜けた。
ジェイの後方、
隠れるようにして
女がいる。
首飾りはジェイと同様に貝殻で飾られ、
まとう毛皮も同様に見事なものだった。
美しい顔だった。
現世にいてもおかしくないほど、
整った顔立ちだった。
僕は女を指さし、尋ねた。
「おまえは誰だ。」
女は口を開かない。
僕のやや斜め後方にいたジェイが、
代わりに答えた。
「俺の妻だ。」
決まりだ。
「今から彼女を連れて行く。エベは必ず解放する。」
ジェイがどう出るか…。
「良かろう。」
その言葉を聞き、彼女が目を閉じる。
ジェイは被せるように言った。
「連れていけ。エベは必ず返せ。」
交渉は成功した。
この人質は大きい。
我ながら、よくぞ見抜いた。
ジェイの妻の手を引きながら森へ帰る途中、
僕は高揚とともに思った。
しかし、
この女は美しい。
細く、しなやかで足がすらりと長い。
目が大きく、黒い瞳が宝石のように輝いている。
何より、ネアンのような彫りの深さがなく、
目鼻立ちが小さく整っている。
(大丈夫かな?)
この美しい女が人質であることに、
仲間が欲望を抑えきれるだろうか…。
(いや、僕がこの人を守らないと。)
そう思いながら、
僕は軽やかな足取りで森に向かった。
森の入り口では、
長をはじめ、たくさんの仲間が僕を待っていてくれた。
僕が笑顔で
「おーい!」
と声をかけると、
仲間たちが奇声を上げながら、
地面を叩いて喜ぶのが見えた。
(ゴ、ゴリラだな…。)
先ほどまで平地人の間にいた僕は、
仲間たちを見て改めて感じた。
僕の横にいるジェイの妻は、
あれを見てどう感じたのだろう。
長が言った。
「どうであったか?」
僕は誇らしげに答えた。
「成功だ。人質も連れてきた。」
仲間たちがジェイの妻をのぞきこむ。
大丈夫だろうか、
興奮して女に襲いかかったりしないだろうか。
その不安に反して、
仲間たちは突然、大声で笑い出した。
「?」
ポカンとする僕。
仲間たちが堪えきれずに口にする。
「き、気持ち悪い顔だなァ!」
「変な顔!」
「こんなの、よく連れてこれたな!」
ま、まさか…。
美醜の違いがここまで大きいとは。
しかし、僕もむきになって言い返す。
「彼女が美しくないって言うなら、誰が美しいんだ!?」
仲間たちはまだ笑っていたが、
そのうち一人が僕を指さして
「おまえの妹。」
と言うや、
他の仲間も口々に同意しだした。
あ、あのゴリラ顔が…。
自分の妹のことを誉められ、
嬉しいのか悲しいのか、わからなくなる。
「人質は、おまえが預かれ。」
長が言った。
ふと見ると、
仲間たちから嘲笑された彼女は、
うつむいて涙をこらえている。
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その日から、僕は彼女と過ごすことになる。
ー続くー
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