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はくじつのもとに
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鼻つまみ者が去った、その翌日ーー
午後のティータイムを楽しんでいるサブリナの部屋に、ふたりの人間が訪れていた。
ひとりは、使用人のタチアナ。
そしてもうひとりは……
「まあ、アルバートじゃないの!」
彼の姿を認め、サブリナは喜色満面で名を呼んだ。
愛しい愛しい婚約者の名前である。
ウールウォード家の嫡男で、軍人だ。
「サブリナ。変わらず美しいな」
「あなたのためですもの」
言いながらサブリナは駆け寄り、アルバートの胸に飛び込んだ。
軍服を着た大きく長い腕が彼女を包む。
サブリナは、すこしだけ火薬のにおいのする、彼の腕の中が大好きだった。
「……タチアナ、あとは私が。心配してくれてありがとう」
「はい」
アルバートが目配せすると、タチアナは扉を閉めて出て行った。
そのときに自分へと注がれていた疑いに満ちた目に、サブリナは気づいていない。
数ヶ月ぶりに逢う、婚約者のにおい。
彼女は全身で吸い込んでいた。
ーーが、
「タチアナから聞いたぞ」
突然、頭の上から硬く低い声が聞こえてきた。
婚約者との逢瀬を楽しむような声色ではない。
はっとして、サブリナが抱きついたまま見上げると、アルバートは彼女の抱擁を解いて、すこし距離を置いて立たせた。
サブリナが首を傾げて問う。
「? タチアナが、何か……?」
サブリナは、タチアナを手際の良い使用人と捉えていた。
専属で世話をするようになってからまだ一年弱だったが、丁寧にそつなくこなしてくれている。
今朝だって、汚れていたサブリナの顔をきれいに拭いてくれた。
床の掃除も隅々まで行ない、薔薇の香りの香水で部屋をリフレッシュしてくれたことに、サブリナは感心していた。
きょとんとするサブリナに、渋面のアルバートが告げる。
「ゆうべ誰が来たか、私に正直に言いなさい」
「え……」
アルバートを見る。
これまで見たことがない表情で彼女を見ている。
サブリナは、彼が怒りを抑えていることに気づいた。
こんなことは初めてだった。
「あ……あ……ごめんなさい。ごめんなさい、アルバート!」
「正直に言うんだ。たまたま訪れた私に、真っ青になったタチアナが教えてくれたんだ。ゆうべ、いったい誰と会っていた?」
「ごめんなさいーー」
サブリナは涙を流しながら答えた。
「名前は、聞いてないの」
そして続ける。
「わたしにはあなたしかいません。だから、わたしを頼ってくださるかたのお名前なんて、まるで興味がないの。名前がそんなに重要だなんて思ってなくって……」
「私は名前に興味があって言ってるんじゃない!」
サブリナはわからなかった。
彼女の肩を掴んで怒鳴る、アルバートの怒りの意味がわからなかった。
彼の軍服から漂う火薬の匂いが、敵兵を撃ったものなのか、訓練で的を撃ったものなのか、気になりも訊きもしないように。
彼女は、自分が果たしている役目について、彼がなぜそこまでこだわるのか理解できなかった。
ただーー
こうやって彼女に詰め寄る男の対処法は、心得ている。
「サブリナ⁉︎」
彼女はアルバートのまえにひざまずき、いつものように手を伸ばした。
午後のティータイムを楽しんでいるサブリナの部屋に、ふたりの人間が訪れていた。
ひとりは、使用人のタチアナ。
そしてもうひとりは……
「まあ、アルバートじゃないの!」
彼の姿を認め、サブリナは喜色満面で名を呼んだ。
愛しい愛しい婚約者の名前である。
ウールウォード家の嫡男で、軍人だ。
「サブリナ。変わらず美しいな」
「あなたのためですもの」
言いながらサブリナは駆け寄り、アルバートの胸に飛び込んだ。
軍服を着た大きく長い腕が彼女を包む。
サブリナは、すこしだけ火薬のにおいのする、彼の腕の中が大好きだった。
「……タチアナ、あとは私が。心配してくれてありがとう」
「はい」
アルバートが目配せすると、タチアナは扉を閉めて出て行った。
そのときに自分へと注がれていた疑いに満ちた目に、サブリナは気づいていない。
数ヶ月ぶりに逢う、婚約者のにおい。
彼女は全身で吸い込んでいた。
ーーが、
「タチアナから聞いたぞ」
突然、頭の上から硬く低い声が聞こえてきた。
婚約者との逢瀬を楽しむような声色ではない。
はっとして、サブリナが抱きついたまま見上げると、アルバートは彼女の抱擁を解いて、すこし距離を置いて立たせた。
サブリナが首を傾げて問う。
「? タチアナが、何か……?」
サブリナは、タチアナを手際の良い使用人と捉えていた。
専属で世話をするようになってからまだ一年弱だったが、丁寧にそつなくこなしてくれている。
今朝だって、汚れていたサブリナの顔をきれいに拭いてくれた。
床の掃除も隅々まで行ない、薔薇の香りの香水で部屋をリフレッシュしてくれたことに、サブリナは感心していた。
きょとんとするサブリナに、渋面のアルバートが告げる。
「ゆうべ誰が来たか、私に正直に言いなさい」
「え……」
アルバートを見る。
これまで見たことがない表情で彼女を見ている。
サブリナは、彼が怒りを抑えていることに気づいた。
こんなことは初めてだった。
「あ……あ……ごめんなさい。ごめんなさい、アルバート!」
「正直に言うんだ。たまたま訪れた私に、真っ青になったタチアナが教えてくれたんだ。ゆうべ、いったい誰と会っていた?」
「ごめんなさいーー」
サブリナは涙を流しながら答えた。
「名前は、聞いてないの」
そして続ける。
「わたしにはあなたしかいません。だから、わたしを頼ってくださるかたのお名前なんて、まるで興味がないの。名前がそんなに重要だなんて思ってなくって……」
「私は名前に興味があって言ってるんじゃない!」
サブリナはわからなかった。
彼女の肩を掴んで怒鳴る、アルバートの怒りの意味がわからなかった。
彼の軍服から漂う火薬の匂いが、敵兵を撃ったものなのか、訓練で的を撃ったものなのか、気になりも訊きもしないように。
彼女は、自分が果たしている役目について、彼がなぜそこまでこだわるのか理解できなかった。
ただーー
こうやって彼女に詰め寄る男の対処法は、心得ている。
「サブリナ⁉︎」
彼女はアルバートのまえにひざまずき、いつものように手を伸ばした。
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