高原貸文房具店

竹野内 碧

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祖父との別れ

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 帝都の家には電話が当たり前のようにあったけれど、ここではある程度裕福な人しかもっていない。回線をつなぐ工事にお金がかかるため、私が高校生になった頃でも普及率はそれほど高いわけでもなかった。この店に電話があるのは、電話局の人が説明に来たけれど周囲が訝しんでいた時に、祖父が真っ先に手を上げたのだ。祖父曰く「みんな無駄だと言ったけれど、これは絶対に流行ると思った」んだそうだ。事実遠方と取引のある人などが、それまで毎回直接会って話していたのに、電話一つで事足りるのだ。最初は恐る恐る。だけど慣れてくるとその便利さに感動する。まだ電話線の配線するための時期や金額が簡単には手が出せなかったから、町の人たちはうちに借りに来たのだ。この町ではそれで殆どが間に合うレベルなのだ。

 そして電話を借りに来たついでに、なにか買っていってくれる。この店の名の通り文具を借りる人もいる。そうしてこの電話が呼び水になるのなら、高い買い物じゃなかったぞ、と祖父は笑っていた。

 ただでさえ貸文房具という変わったことをしているけれど、その中でも面白いのは大學ノォトだ。人が使ったノォトなんぞなんの意味があるのだろう、と思っていたら、それは嘗て大學受験をして合格した人のだそうで、まだまだ使えるノォトを誰かに使って貰いたくて置いていったそうだ。そうしたらそのノォトを「これは面白い」と借りた人がいた。同じ大學を目指していた学生さんは、そのノォトを参考に勉強をしたら見事翌年合格したらしい。その人はまた自分のノォトと共にそのノォトを置いていった。以後その噂が広まり、ゲンを担ぐ意味もあり、密かな人気アイテムとなった。一番最初のノォトはとても古びていた。ページをめくるとパリパリと音がなって、中心の糸が切れてばらばらになりそうになる。何かのメモにでもつかったのか、一番最後のページだけが破かれていて、そのせいで余計にボロボロになっていた。何度か綴じ糸を交換したりして補強したけれど、やはり紙は耐久性がない。表紙に「白川」と書かれたそのノォトがとても気に入った様子を見て、祖父が「もうお役御免だから欲しかったらあげよう」と差し出してくれた。中に書いてあることはとても難しく、同じ高校生が勉強したとは思えない内容だけど、私はお気に入りの箱に両親の形見であるペンダント共に、まるで宝物のように大事にしまった。

 私の手先が器用だと最初に指摘したのは祖父。しかも何か不思議な力があるという。たしかに機械をいじるのが好きだった私は、祖父が文房具を丁寧に手入れをしているうちに、その仕組みを理解するようになったけれど、それが特別な事だとは全く思わなかったから、特に祖父に話したこともなかった。

 ある日、調子の悪くなったタイプライタァを祖父が拾ってきた。もう年代物だから直せないけれど、私のおもちゃ代わりなるだろうと思ったらしい。好きなようにしていいと言われたので、ドライバァやペンチなどの工具を駆使して片っ端から分解してみた。見る見るうちにバラされている様子に祖父は大笑いをして、そのまま配達へと出かけた。私は夢中になって油をさしたりしながら、今度はパズルを組み立てるかのように元に戻したら、なんとすっかり調子が直っていた。試しに古くなったカァボン紙を下に敷いて、紙に適当に打ち込む。外国語なんて分からないから適当に。カチャカチャカチャカチャ。端まで行ったら、レバァを摘まんでロックを外し、また右側にスライドさせてカチャカチャカチャ。音楽的才能はからっきしだったけれど、まるでピアノを弾くかのように、リズムよくタイピングをしていたら、戻ってきた祖父が目を丸くして私を見下ろしていた。
 そしてこれは分解整備(オォバァホォル)というものだと大いに喜んだ。どうやってやったのかと聞かれたけれど、見ていてなんとなく分かったとしか言いようがない。

「だってね、じぃじ。パズルは最初どんなふうになっていたか分からないけれど、これは最初が分かっていて、それをばらばらにして組み立て直すだけだよ?簡単じゃない」

 キョトンとして答える私に、同じような顔をしている祖父。

「沙奈はこういう作業が好きか?」
「うん!楽しい!ワクワクしてくる!」
「そうか!楽しいか!」

 楽しいかと聞いてくる割にはよっぽど祖父の方が嬉しそうに破顔し、私を抱き上げてグルグルと踊りながら回った。涙を浮かべながら何度も声を上げて笑った。昌お兄ちゃんがいなくなった後、何する訳でもなくぼーっと家にいる私をとても心配していたらしい。

 そして次第に舞い込んでくる修理は私が担当するようになった。学校の印刷機や扇風機、電話も直したことがある。どれも多少時間がかかるにしても、仕組みとしてはそんなに難しくない。都会と違ってすぐに修理する業者のいない田舎だから、そこそこ重宝がられた。これは私にとってはいいお小遣い稼ぎになった。
 それに目を付けた時計屋のシゲさんが、「うちの跡取りにどうだ!なんならぼんくら息子を追い出してもいい!」と言い寄ってきたけれど、その度に幼馴染である祖父が蹴りを入れて追い返している。ぽかーんとしていたら、横で見ていたゆうちゃんの母である花さんは、ゲラゲラと嗤い転げていた。気の置けない友人だからできるんだそうだ。実際シゲさんはその後も懲りずに何度もアタックしてきたし、祖父も毎回同じように蹴りだしていた。そのくせ二人で時折夜呑みにも行っていたのだから、やはり仲良しなのだろう。

 最初は怖かったこの町だけど、私はそうやって皆に大切に扱ってもらい、すべてを失った悲しみを癒していったのだ。

 ところが大好きだった祖父は流行り病で倒れて、あっという間に亡くなった。あの時は本当に恐ろしかった。町中の人たちが次から次へと倒れて、小さな病院に担ぎ込まれる。でもワクチンが足りない。少し離れた大きな病院はさらにごった返していて、付き添っていた人までが感染して倒れていった。私はまだ帝都にいた頃、集団予防接種を受けていたので、罹患しても軽くて済んだ。ところが帝都では当たり前だったけれど、田舎ではまだ予防接種がそれほど重要視されていなかった。その為予防接種をした人も少なく、衛生状態もあまりよかったわけではなかったから、あっという間に広がってしまったのだ。
 重症化する人はいても流石に亡くなる人は少なかったのに、祖父は不幸なことにそれ以外の感染症を併発して、本当にころっと逝ってしまった。

 かろうじてやった葬儀や法事。病み上がりの私が何か大きな波にのまれるかのように、くるくる目まぐるしく動き回っていた。不思議と涙は出なかった。悲しくないはずないのに。もしかしたら子供の頃に泣きすぎてしまったからか。
 ゆうちゃんが何度か心配して、私を休ませようとしたけれど、私の心はそれを頑なに拒んでいた。今緊張の糸が切れていたら…私は倒れるもしれない。そんな不安があった。

 笑顔が素敵な僕の宝物。沙奈、生きて。生きて、生き抜くんだよ

 父の最後の言葉が頭にこだまする。また一人ぼっちになってしまったけれど、私にはこの町があり、この町の人たちはとても親切だ。そして私も大人になった。幼かった頃とはすべてが違う。それでも気を許すと、負の連鎖に陥りそうで、それが怖かったんだろう。

 そんなこんなで三年が経った。私もいい年した女性ではあるけれど、なんせ他の乙女と違って、趣味は機械いじり、好きなものは古道具という人間だ。高校時代の友人たちが華やかなワンピースでオシャレをしているのを余所目に、ひたすら工具を握って文房具店のカウンタァの内側で修理に勤しんでいる。最近は物流が安定してきて、貸文房具業も若干鳴りを潜めているけど、まだまだ頼ってきてくれるお客さんはいるし、何よりも私がこの店を愛している。
 模様ガラスの入った若干建付けの悪い木製の引き戸、ちょっと埃っぽい香りの漂う店内。所狭しと置かれた文房具や友達が作った作品たち。どれも祖父との思い出と共に掛け替えのない大切なものだ。

「で、私は思うわけよ。もうちょっと手工芸が注目されてもいいんじゃない?って!」
「麻里ちゃんの作品は私大好きよぉ」
「ありがとう、しおりちゃん。ちょっと!沙奈!聞いてる?」
「んー聞いてるよー」

 学校が授業の間の文房具店は暇なものだ。いつものように店番をしつつ頼まれ物のオルゴォルの修理をしていたら、小学校の頃からの友達である麻里ちゃんとしおりちゃんがやってきた。しおりちゃんは高校を卒業してすぐに結婚したので、私と同じ年なのに、もう二人の子持ちである。今日はお買い物ついでに実母に子供を預けてきたらしく、アトリエで煮詰まっていた麻里ちゃんを引っ張り出して遊びにやってきた。二人はこうして時折遊びに来てくれる気の置けない友人だ。ついでにしおりちゃんの子供が壊したおもちゃを直している。

 髪飾り作家の端くれである麻里ちゃんは、すごく美人でとってもお洒落だ。雑誌から飛び出したような、いわゆるモダンガールのような格好で、颯爽と自作のスーツを着こなしている。彼女の着る服のほとんどが自作だ。
 お洒落とは無縁そうなこの町だったけれど、そういう波が押し寄せているのは実感していた。

「全く、化粧っ気の一つもない。ねぇ、この間プレゼントした口紅は使ってる?」
「あー、大事にしまってあるよ」
「意味がない!もう!しおりちゃん、何とか言ってやってよ!」
「沙奈ちゃんらしいなぁ。でも少しはおしゃれしたら?」
「そんなことして行く場所ないし」
「そんなんだから、あなたはいつまでたっても処女なのよ!」
「ちょ…!」

 図星と恥ずかしさに私は真っ赤になりながら、麻里ちゃんを睨み付けるも効果なし。「そんなの関係ないもん」と小さく抗議しても、「何か文句ある?」とばかりに腕を組んでふんぞり返っていた。しおりちゃんなんて二人の子持ちだし、二人の子持ちだし、ふた……。うううう…。そうだよね。子持ちという事はそういう事だよねぇ。いや分かってはいるんだけど。

「貞操観念は大事ですけどね、あなた今何歳よ。もう23よ?一昔前だったら行き遅れババア扱いよ!」

 辛辣な意見を吐き捨てている麻里ちゃんも結婚してないですけどね、と言いそうになるけれど堪える。性格に難ありだけど、この美貌。きっと彼女が望めば恋人なんてすぐに出来るだろう。彼女の場合は仕事で一人前になりたくて必死に頑張っている最中なのだ。

「いい?恋は人生に艶をもたらすわ。大変なこともあるけどね。花の命は短し恋せよ乙女!」
「乙女ってがらでもなぁ…はい。直ったよー。これは代用品を使っているからちょっと色が変わっちゃうけど」
「わぁ!さすが沙奈ちゃん!充分よ!史郎も喜ぶわ!」
「ったくもう!その年まで免疫ないと、いざ恋した時大変なんだからね!……それにしても相変わらずいい腕だわ」

 ブリキのおもちゃをみていたら、ガタガタッと扉を開ける音がして三人で音の方向を見る。どうやらお客さんのようだ。なかなか手こずっているようなので、内側から開けるのを手伝ってみる。これを開けるのにはちょっとしたコツがいるのだけれど、店としては致命的なので、現在近所の建具屋さんに修理を依頼中。私でも多少できるけれど、やはり餅は餅屋だ。

 引き戸を開けたそこに立っていたのは、クリィム色の三つ揃えスーツと揃いの中折帽を被った、すっきりした顔立ちの眼鏡の青年だった。初めて見る顔のようで、どこかで見覚えがある気がする。まじまじと見つめていたら、青年は帽子を取って軽く会釈をしながら、祖父の事を訪ねてきた。
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