高原貸文房具店

竹野内 碧

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繋がる記憶

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 幸いにも翌日は定休日だったけれど、その次は月曜日。また一週間の始まりだ。朝早く店を開けると、学校からの連絡を伝え忘れていた子供が、小銭を握りしめて竹ひごを買いに来た。その後、やれバレンがないだの、ノォトを買い忘れだの、子供たちやそれに交じってサラリィマンのお父さんが、ボォルペンの替え芯などを求めてきたので、朝からてんてこ舞いだ。だけどそれも僅かな時間だ。一時間目が始まる頃には遅刻して走っていく子供の姿もなくなり、少しのんびりとしてから店の中の掃除が始まる。いつもならそろそろ白川さんが来る時間だ。でも私が来なくていい、と言ったからだろう。お昼を過ぎてもその気配はなかった。

 自分から断ったくせに寂しいなんて、なんて我儘な感情だろう。食欲もあまりない。この所白川さんと夕食を一緒にする事が多かったから、食生活が充実していた。やっぱり一人で食べるのとは全然違ったのだ。

「沙奈坊、そのインク赤が強くない?」
「あ!ごめんなさい!作り直します!」

 白川さんのメモにあった通り、午後、田所のおじいちゃんが万年筆用のインクを買いに来た。こんな田舎では自分の好みの色のインクなんて早々手に入るものじゃない。祖父はその為帝都で基本色をいくつか購入してきて、それをここで調合していたのだ。私がやっているのはそれをトレースしているだけ。
 田所さんは少し灰色がかった濃い目のブラウンが好みだ。祖父のレシピに従って調合用の瓶に少しずつガラス棒で慎重に垂らしていってかき混ぜる。インクボトル一本だと、ほんの数滴で色味が変わってしまうので気を付けなくちゃいけない。それなのに、気付いたら同じ色を繰り返し入れてしまった。

「んー。今日の沙奈坊はちょいと変だねぇ。何かあったかい?」

 祖父の古くからの知り合いである田所さんは、こうやって私の心配をしてくれる。有難いけれど、そんな風に心配させてしまう自分が情けなくなる。だってこれは体調が悪いとかそういうのではないんだから。

「大丈夫です。面白い本を読んでたら徹夜してしまって。ちょっと寝不足なんですよね」
「それならいいんだけどね。まぁなにかあったら、このジジィが話聞くくらい出来るからね。そういえば、今日は白川の坊やはどうした?また帝都でお仕事かい?」

 突然白川さんの名前がでて、ドキリと心臓が跳ねた気がした。カチャンとインクボトルにガラス棒が当たってしまう。田所さんにかかったら、あんなに大人の雰囲気を醸し出している白川さんも坊や扱いなのか。

「今日は特に配達とかもないから、お休みしています」
「そうか。いや彼は博識で面白いからねぇ。でもあの子もあれで忙しいのかもしれないね」
「え…?」
「この間も駅前の喫茶店で女性と打ち合わせしているのを見たし」

 そんなの…知らない…。女性と打ち合わせ?

「ああ、そんなもんでいいよ」

 少し震える手でインクボトルを差し出すと、田所さんはガラスペンでそれの試し書きをする。一回失敗はしたけれど、今度はちゃんとした色になったようだ。会計を済ませると、また来るねと優しい微笑みを残して田所さんは帰っていった。 

 白川さんが女性といた。そのことは私にとって思いのほか、心の中の汚泥となっていた。白川さんが私のものでも何でもないのに。それがもしかして恋人かもしれないって思うと余計に悲しくて。辛うじて味噌汁とご飯だけの食事を済ます。朝も昼も、食べたり食べなかったり、そんな日が続いた。

「沙奈。今日は配達がありますよね」

 店の中を掃除していると白川さんがじっとこちらを見つめていた。珍しく剣呑とした空気を纏っている。久しぶりに会えてうれしいくせに、今すごく会いづらい人。

「え…?配達なんて…」
「小学校にわら半紙二箱と印刷機のインクとチョォクひと箱、滝田書道教室に硯と墨それぞれ四つ。それから関谷洋菓子店にパッケェジ用のリボ…」
「あー、ほんとうだ!白川さん凄いですね!あははははは…!」

 ワザとらしく遮る私にため息を付きながら、「この程度の予定はすぐに頭に入ります。私がこの前に裏の倉庫である程度準備をしておいたのですよ。あとは昨日届いたはずの分を荷分けすればいいはず。沙奈ちゃんは車を回してきてください」とさっさと店の奥へと向かっていった。自分が原因とはいえ気まずいことこの上ない。
 私は手に持っていた雑巾や掃除道具を片づけると、お寺の駐車場へと車を取りに行った。そして荷捌きしている間も、二人の会話はほとんどなかった。

 本当はずっと配達していたいけれど、そんなわけにはいかない。第一それをやったら、白川さんは帰れなくなってしまう。夕刻までかかった配達は、さすがにもう引き延ばすことはできなかった。茜色が群青色を引っ張って夜の帳がおちる直前の、ほんの僅かな時間。諦めて車へ戻る途中で、後ろから野太い声がかかった。振り向かなくても分かる。ゆうちゃんだ。

「ひさしぶりー」
「おう、沙奈は配達か?」
「うん」
「じゃあ今日は店は閉まっているのか。母ちゃんから鉛筆買ってくるように頼まれたんだ。まぁすぐに必要ってわけじゃねぇんだよけどさ」
「お使いかぁ。お店は空いてるよ?」
「不用心じゃねぇか!だからお前は!」

 がみがみ状態になる前に「大丈夫!お店番の人がいるから!」と制した。ゆうちゃんはただでさえ体が大きいから、こういう時は無駄に威圧感がある。私は小さい頃から慣れているし、なぜか麻里ちゃん達は動じないけれど、ちょっとやんちゃだった時代もあるゆうちゃんは、周辺の同世代から一目置かれていた。

「バイトでも雇ったのか」
「雇ったっていうか…まぁ色々あって」
「男じゃねぇだろうな」

 なんでこういう事には鋭いのかな。野生児だから野生の勘ってやつか?見た目まんまクマだし。しかも私の様子で何かを確信したのか、更に目を細めて睨んできた。

「怪しい人じゃないよ。昔じぃじの世話になったっていう白川さん」
「白川!?あの川向かいの饅頭屋んとこの?」
「そうなの?その辺の事情はよく知らないけれど」
「え?だってあの白川だろ?兄ちゃんに剣道ですっ飛ばされた…」

 そこの言葉に私の中で何かが走った。白川さんの事を知っている人は数名いたけれど、どの人も具体的な事を教えてくれなかった。ってか私も聞かなかったし。
 でもなにかがいつも引っかかっていた。昔の、本当に昔の記憶。私がここに来て暫くの時の…。あれからもうだいぶ経つ。写真何てないから顔も朧気で…。でもその声や面影はどこか懐かしく、そして切ないものがあって…。

「ゆうちゃん知ってるの?」
「知ってるもなにも、お前の家でよく勉強していたじゃねぇかよ。あそこんち兄妹多いからって。高原のじいさんが貸していたじゃん」

 よく べんきょう して いた

「まぁ確かに世話になっていたよなぁ。今でこそ次男が跡を継いで盛り返したけど、あそこんち昔親父が倒れて、経済的にも大変だったみたいだし。それで頭の出来がいい長男坊が、奨学金で大学に通って銀行に勤めて仕送りしてたって話だったな」

 だいがく  ぎんこうつとめ

「お、おい沙奈!」
「ごめん!ゆうちゃん、鉛筆は明日にしてね!」

 なんてことだ!全てが繋がった。繋がってしまった。居ても立っても居られない私は、そのまま車へと駆けて戻り、急いで店へと帰った。

 息を切らしながらガラス戸を開ける。この前直してもらったから、それはもう勢いよく。カウンタァの向こうで本を読んでいた白川さんは、鳩が豆鉄砲を食ったような目をしていた。

「沙奈ちゃん、そんなに乱暴に開けたら、また扉が…」
「昌お兄ちゃん!昌お兄ちゃんなんでしょう!?」

 掴みかからんばかりにその腕を握る。そうだ。なんで今まで気付かなかったんだろう。この人は「白川昌一郎」…つまり昌お兄ちゃんではないか…。

「あー、ついにバレちゃいました」

 降参というように手の平を前に翳す。やっぱり昌お兄ちゃんなんだ…。

「なんで教えてくれなかったの?」
「だって悔しいじゃないですか。確かにあれから15年も経っているとはいえ、僕は一目見て沙奈ちゃんだって分かったのに、君はさっぱり覚えていない。まるで初めて会ったかのような態度だったんだから」

 私が知っている昌お兄ちゃんよりも、ずっと大人になって、体格も少しがっちりしている。声もほんの少し低くなった気がする。だから分からなかった。でもよく見ていれば、それは正真正銘すべて昌お兄ちゃんのものだった。

「ごめ…ん…なさい…」
「ああ、泣かないで。思い出してほしかったけれど、泣かせたくてやったんじゃないんですよ」
「だって…」
「あの時僕は本当に高原さんにお礼を言いに来ただけで。でも肝心の高原さんは他界されていて、そして随分と素敵な女性に成長した沙奈ちゃんが、一人で頑張っていた。吃驚したんですよ。あの時の女の子が…って」

 「今日はもう店じまいにしましょうね」と看板を中に入れてきた白川さんに促され、居間に移動した私たちは、なぜかぴったりくっついて並んで座っていた。高原さんはしゃくりを上げる私の頭を何度も優しく撫でていた。
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