高原貸文房具店

竹野内 碧

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白川さんの気持ち

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「白川さん、ありがとうございました。もう大丈夫ですから…安心して…」
「なんで過去形!?」
「え…だって」
「あーもー僕は本当に物書きか!まるで通じてないじゃないか!なんでこう相手にきちんと伝える術がないのか!これでベストセラァ作家なんて笑わせる!」

 それは自分自身に怒っているようで、ほんの少しだけ力が緩んだけれど、彼の腕の拘束から外れることが出来ない。この態勢は気持ちがいいけれど、辛いものがあるので、なんとか逃れようとしたら「何を逃げてるんですか」とまた抱きしめられてしまった。

「沙奈ちゃん…いいえ、沙奈。僕は一度としてあなたを妹として扱ったことはないですよ?今は勿論小さなころだって。昔は…そうですね…小さな友人のつもりでした」
「友人」
「僕の妹たちは元気が良すぎましてね…。信じられますか?人を呼ぶのに人の頭を叩いたり、背中を蹴ってきたりするんですよ?2歳児に至っては教科書を破くわ、筆箱は投げるわで、これに弟たちが便乗すると本当に修羅場なんですよ。しかもそれを怒ると今度は号泣の大合唱で…」

 そ、それはまたダイナミックな妹さん達だ…。兄弟が多いと、下になるにつれて自己主張が激しいと聞いたことはあるけれど、本当にそうなんだ…。白川さんの実家が私の知る饅頭屋であるなら、買いに行くと確かにいつも賑やかで、奥でおかみさんが子供たちを怒鳴り散らしているのを耳にしていた。

「勿論兄妹はみんな可愛いんです。可愛いんですけど、疲れるというか…僕にとって妹は、なんていうか、そういう存在なんです。ところがあなたは同じ元気とはいえ、どこかちょっと遠慮気味で、妹たちと同じように遊んでやると笑顔を輝かせて喜んで、本を読んであげたら好奇心むき出しで、そんなあなたにすごく癒されていたんです。」

 だけど、と白川さんは言葉を一度切った。ゆっくりと私を抱きなおして、気付いたら私は彼の膝の上に座っていた。

「白川さん!」
「ん?」
「ちょっと恥ずかしいんですけど…」
「誰も見ていないですから、気にしなくていいですよ」
「そういう問題じゃ…」
「じゃあどういう問題?」
「私の心臓が持ちま…ふぎゃっ!」

 白川さんが殺す気か、と小さく呟いたのはきっと気のせい。なんか「かわいいかわいい」って連発しているのもきっと気のせい。だってそう思わないと本当に心臓が持たないよ。

「白川さん…恋人が…」
「そんなものここ数年いませんよ。第一小説家なんて不安定な職業を好む女性も少ないですし」

 そんなもんなのだろうか。みんなを励ましたり感動させたりすることが出来る、素晴らしい職業だと思うのに。

「さぁなんでそんな風に思ったのか言ってごらんなさい?」

 有無を言わさぬ力強さがある。麻里ちゃんやしおりちゃんにしてもそうだけど、どうして私の周りにはこういう人が多いのか。むしろゆうちゃんの方が勝てる気がするのはなぜだろう。

「え…と…白川さんが駅前で女の人といたって……」
「駅前…?ああ…小峰さんですね。彼女は元々僕担当の編集者ですよ。とても切れ者でしてね、今は結婚を機に独立したんで僕の原稿を仕切ってくれています。まぁマネェジメントですね。僕がこっちに引っ込んでしまったので、乗り込んで様子伺いにやってきたんですよ」
「え?じゃあいつもの帝都に行っているのは…」
「仕事って言ってるでしょう。新聞や雑誌の簡単な仕事ならなんとかできるんで、その仕事を一気に片づけてくるんですよ」

 鼻を摘ままれてフガフガ言うと、「全くこの子はいらない気を使いすぎますね」と怒られてしまった。

「沙奈、この際だからちゃんと言います。私はあなたが好きです。大好きです。貴方を守ってあげたいのです。大した力もない私ですが、一緒にこの店にいたんです」

 私はあなたが好きです。

 私はあなたが…。

 好きで…す?

「えええぇぇぇぇぇっ!?」
「沙奈、声が大きい」
「ご、ごめんなさい!」

 いや、だって白川さんが私の事を!?妹としてとかじゃなくて、私の事を好きとか!!白川さんがしかめっ面をしたから、申し訳なくて少し離れようとしたら「もう逃がさないですよ」とにんまりと嗤われた。

「沙奈が右往左往する姿は見ていて微笑ましくて好ましいんですが、思い余って避けるような態度にとられると、それが例えどんな理由であったとしても僕も癪に障りましてね。次の一手を考えていた所に、あんな風に告白されてしまったんですから、もう逃がす理由がありませんよね」

 こめかみに暖かくて柔らかな温もりが当たったと思ったら、それは白川さんの唇だった。

「し!し!しらかわしゃん!」

 きっと顔が真っ赤だ。この間よりもずっと真っ赤だ。言葉だって呂律が回っていない位なんだから!

「ん?ずっと我慢してきたんですからね。この位は許されるでしょ?」
「我慢!?」
「当たり前でしょう。じゃなければここに日参する理由はありません」
「それはじぃじに対して恩が」
「ああ、それもありましたね」

 それ「も」!?

「あのね、どこのお人よしが恩だけでここまでやるとおもっているんですか。いや、勿論やりますよ?高原さんには本当に感謝しているんですから。だからやりますけど、それは沙奈が希望した場合であって、こちらから押してやるわけないじゃないですか」

 そこが重要だったんじゃないんですか!?ってか麻里ちゃん達すげぇ!当たってたよ!!

 私が言葉を失ってパクパクさせていたら、今度はそこに唇を当てに来た。つまりこれは接吻で……。

「くち…!くちっ!!」
「もう、そんな風に美味しそうに開けていたら、食べてくださいって言っているようなものじゃないですか」

 何を知れっとにこやかに言っているんだこの人は。

「嫌でしたか?」

 そのくせ、急にしおらしい表情になるなんて。

「いや、な…わけじゃない…です…。でも初めてなんで…」
「そう……初めて……なんですね」

 こくこくと頷いて「だからどうしていいのか分からないんです…」と蚊の鳴くような声で訴えた。自分がこんなに乙女な仕草になるなんて思わなかった。だからすごく恥ずかしいのに、それよりもなんだか白川さんが嬉しそうなのが気になる。

「そういう時は抱き着いちゃえばいいんですよ」
「抱き着く?」
「人の温もりは案外あったかくて安心するものです」

 恐る恐る彼の体に手を回してみる。細身ではあるけれどやっぱり体は男の人だ。固くてしっかりしている。いつもよりもずっと近くに白川さんの香りを感じる。視線をちょっとあげればそこには喉仏があって、彼が男性であることを示していた。
 そういえば私は誰かに抱き着くという事を、母と離れて以来やっていなかったかもしれない。祖父は抱きしめてくれたけど、私から抱き着くという事ほとんどしなかった。
 温もりが気持ちいい。抱き着くことによって彼の心臓が私の耳元で鼓動をうつ。意外と早いそれは規則的で心地よかった。

「どうですか?沙奈」

 声が彼の言葉を通じて響いてくる。普段聞いているよりも少し低く感じるのはどうしてだろう。

「すごく…白川さんの心臓の音が聞こえます」
「うん。生きていますからね」

 くっくっくと笑ってる。でもそれすら心地よく感じてしまう。そう。白川さんは生きている。記憶の彼方へと薄れゆく父や母、最期はやせ細ってしまった祖父とは違う。しっかりとしたその存在が私には涙が出るほどうれしかった。
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