高原貸文房具店

竹野内 碧

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赤いサインペン

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 この町で一番早起きなのは豆腐屋さん。次にパン屋さんだろうか。魚屋さんや八百屋さんも市場へ競りに行く日はかなり早起きしている。余談だけど、内陸のここは帝都と違ってなかなか新鮮な魚がやってこない。とても高級なものになってしまう。だからそれを保存するために干物がすごく発達した。この土地の名産品だ。

 高原貸文房具店も子供たちの通学時間に合わせて開店する。大体7時半頃。店先を掃除したり、窓を拭いていると、小学3年生の男の子が「コンパス貸して!」と泣きついてきた。今日学校で使う予定なのに忘れてきたことに気付いたらしい。学区が広くて、簡単に家に取りに帰れない子はたくさんいる。1時間近くかけてやってきて、忘れ物に気付いた時の絶望感。学校の先生は忘れ物に厳しいから、こっぴどく怒られるのが怖いんだろう。

「じゃあここに学校名とクラスと名前書いてね。今日のお駄賃はお寺のお掃除。学校が終わったらお師匠さん所に行ってね」

 ノォトに記入してもらっている間に、『コンパス』と書かれた箱から、一つ取り出す。だいぶ古くなってきてはいるけれど、まだまだ使える。この間ネジが緩んでいたから、しっかりと手入れしたばかりだしね。針で手を差さないように、お手製の革カバーを付けて渡すと、一目散に出ていった。それを皮切りに次々とノォトだなんだと子供たちばかりか、仕事に向かう大人もやってきて、まさにてんてこ舞いだった。

「あ、あ、あの……」

 その中で一人少し背が高くて若い男性が声を掛けてきた。

「はい!ああ、先生どうされましたか?」

 売り物を手早く捌きながら返事をすると、男性、小学校教諭の有住先生がはにかみながら近寄ってきた。

「赤いペンが欲しいのですが、見つからなくて…」
「あれ?いつもの所にないですか?」
「ええ…」

 すっかりチェックをしておくのを忘れてた!並んでいたサラリィマンの会計を済ませて、笑顔でお礼を言うと、ペンの所へ向かった。
 本当だ。赤いサインペンだけじゃない。他のペンもだいぶ減っているのに気付かなかった。

「まだ在庫があるはずなんで、倉庫から取ってきますね」
「ああ、いいです!後で…昼休みとかに買いに来ますから…。今はお客さんの方を優先してください」

 年のころは多分私とそんなに変わらない有住先生は、少し童顔なの事を気にしているけれど、こうやってにっこり笑った顔なんて結構素敵で、商店街の女性の会の皆様にも評判なのだ。

「へっへーん!先生、何色気づいているんだよ!」

 すぐ傍にいた少年達がなんか囃し立てていると、有住先生は顔を真っ赤にして「余計なことを言うんじゃない!」と子供たちに軽く拳骨を喰らわせていた。でも子供たちは全然懲りていなくて、ヒューヒューとか言いながら、先生を揶揄いつつ店から出ていった。

「すみません。後でよく言って聞かせますから」

 色気づいているって言葉に笑ってしまった。確かに先生の顔はほんのりとピンク色になっていて、美男子度が上がっている。それに子供のやる事だ。「いいんですよ。全然気にしていませんから」って笑って答えると、なぜか先生は「え…少しは…」などとごにょごにょと言っていた。よくわからないけれど、複雑な事情があるらしい。

「サインペン、後で学校に届けますよ」

 ちょうど学校に納品する教材が昨日届いたのだ。白川さんが来たら配達に回れるから、一緒に届ければいい。そう伝えると、物凄い勢いで何度も頷いてお礼を言われた。赤ペン一本で大げさだし、元々ちゃんとチェックしていない私が悪いのだ。

「授業中だったら用務員の田中さんに言づけますね」
「え?ああ…はい…そうですね…しかたないですもんね」

 なんだかいまいち釈然としない態度ではあったけれど、その後よろしくお願いしますと頭を深々下げたので。それ以上は追及しないことにした。それにそろそろ職員会議の時間。有住先生はそれに気づいて、「と、とりあえずメモだけ買っていきます!」と子供たちと同じように慌てて学校に向かっていった。

 またメモを買っていった。有住先生は相当のメモ魔らしく、頻繁にここによってはメモだのボォルペンだの買っていく。決まった好みの形があるのかと思っていたけれど、今日はなんとも可愛らしい絵柄のものを買っていった。あまりこだわりがないのかな。それとも恋人か誰かにあげるとか。

 それよりも朝の忙しい時間にわざわざ寄るというのは、それだけ必要だったいう事。最近修理が多かったから、その辺の管理を怠っていた。ちゃんと全体を調べないといけない。

「まぁそんな事があったんで、無理のない範囲で少しずつやろうかと。この所さぼっていたんで」

 白川さんが来てくれたので、そう提案すると、彼は少し難しい顔をして腕を組んでいた。何か間違ったことを言ったのかなぁ。でも在庫把握するのは、注文する上でも必要だしなぁ。

「そんなに朝忙しいとは知りませんでした」
「まぁ今日はまた忙しかったですけど、そうでもない時もありますよ」

 貸文房具店なんて朝の慌ただしさが抜けたら暇なものだ。だけど頻繁に店を閉めるわけにはいかなくて、配達はどうしても遅い時間になってしまっていたから、こうやって白川さんが来てくれるだけでもありがたいんだ。学校が終わる時間から文房具店はまた忙しくなる。可愛らしいシィルやオリガミ、めんこやガチャガチャ、学校から用意しておくように伝えられたものなどを求めて、子供たちのみならずお母さん達も顔を出す。白川さんの柔らかな応対はそんなお母さんたちにも評判なのだ。

「もっと私に頼ってください」
「うぐ…っ」

 学校に納品するものを検品していたら、後ろから白川さんがのしかかってきた。有住先生に頼まれた赤いサインペンがコロコロと転がっていく。それを拾うどころか、白川さんの体にすっぽりと覆われた私の心臓は爆発寸前だ。

「し、し、白川さん…」
「なんですか?」
「恥ずかしいです…」

 そう訴えているのに、止める所か、より体重をかけてきて、さらには顎で頭をぐりぐりと押してきた。

「あのね、僕はあなたが『10時位からでも大丈夫だ。それよりも仕事を優先してくれ』とあんまり言うから、それに合わせていたのに」
「だって」
「だってもへちまもありません。恐らくあなたが夜仕事をしている私を気遣っての事でしょうが、それはいらぬお世話です」

 だって本当に白川さんのお仕事の邪魔にならないようにって思ってたのに…。うちは朝のピークさえ超えれば、当分の間時間があるわけだし、それだって今までなんとかこなしていたから問題ないのに、白川さんはそれでは納得してくれなかった。

「でもそうなると朝7時半の開店に間に合うようにってなるから、白川さん、大変ですよ?」
「以前朝に弱いって言ってたの気にしているんでしょう?でもこれでも銀行に勤めていたんですよ?それに比べたら全然楽です。体力的には問題ありません。何よりも沙奈の傍にいれる。なにか不都合でも?」

 だめだ。口で白川さんに敵う気がしない。降参すると顔中にキスを落とされた。白川さんは事あるごとにこうやってキスをしてくるけれど、私は嬉しいけれどまだまだ慣れなくて、体をぎゅっと縮こませると、まるで猫のように完全に白川さんの中に収まってしまう。

「僕は沙奈を甘やかしたいんですよ。その気持ちは分かってください」
「はい…」
「よろしい」

 そうして白川さんは拾ってくれた赤いサインペンを、はいっと掌に置いてきた。

「サインペンの納品なんてありましたっけ?しかも1本」
「それがさっきの話なんです。在庫はあるのに補充し忘れてしまったんで、ちょうど納品があるから一緒に届けるんです」
「なるほどね。まぁじゃあ陳列棚の方は私がやっておきますから、小学校へ行ってらっしゃい」

 私の事を開放すると、最後に、と柔らかな接吻が落ちてきた。ドキドキするけれど、白川さんとの口づけは好きだ。体の中に白川さんの体温がほんのり入ってくるようで気持ちがいい。
 そんな風にうっとりしていると「そういう顔をしないの!」とデコピンをやられてしまった。その後「これだから無自覚天然は」とブツブツ言っていて、なんだか失礼な事を言われている気がして、ちょっとだけムッとしてしまった。


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