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19 悪戯男児
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事件が起こったのは、二十四日の午後だった。
子供が三人になると急に賑やかしくなる。
男の子を教えた経験がないわけではないが、やんちゃ盛りの男児二人というものがどれだけパワフルなのか、リュネットはまったく想像出来ていなかった。
明日の降誕祭の準備で屋敷中が慌ただしい雰囲気であり、これは落ち着いて授業をするような状況ではないだろう、と判断し、勉強は休みとすることにした。
昨日こちらに到着し、広々とした雪原に興奮しっ放しだったサミュエルとテオドールは大喜びし、そんな二人はアンソニーに連れられて森の方へ遊びに出かけて行った。ジェシカが弁当を用意していたので、昼も帰らないと思われる。
はしゃぎ回っていた少年達の声が聞こえなくなると、なんだかとても静かになったような気がする。今まではずっとこういう雰囲気だったのに、遠い昔のことのように感じて静寂に懐かしささえ感じられた。
授業を休みにはしたが、リュネットは次の授業の準備がある。男の子達の修学度がわからないので、どのように教えればいいのか検討しなければならない。
ヴァイオレットのことも放ってはおけない。弟達が揃って遊びに行ってしまっているので、彼女は結局一人だ。
「ミス・ホワイト」
ヴァイオレットを連れて図書室に行こうと思っていると、マシューに呼び止められた。
「少し時間はあるかい?」
「時間、ですか?」
ないといえばないのだが、と僅かに答えに窮すると、丁度通りがかったマリゴールドがにこにこと近づいて来た。
「先生、なにかお困り?」
「あ、レディ・プレストン……いいえ、ちょっと」
「そうなの? てっきり兄様に困らされているのかと思いましたわ」
空々しい笑い声を響かせて横目で兄の様子を窺う。マシューは表情を変えないながらも、ほんの少し苦々しそうな雰囲気を見せていた。
「ところでヴィオラ。今日はお勉強がお休みで、暇でしょう? ちょっと叔母様に付き合いなさい」
「えぇー……」
マリゴールドはリュネットと手を繋いでいた姪に目を向けると、そんなことを言い出す。対するヴァイオレットは嫌そうな顔で口をへの字にした。
「なによ、その態度」
「だってマリー叔母様、すぐに何処か行ってしまうんだもの」
遊ぼう、と連れ出されても、飽きて他のところへ行ってしまうらしい。置いて行かれるのも嫌なものだが、連れ回されるのも嫌なものだ。
身に覚えのあるマリゴールドは一瞬たじろいだような顔をしたが、すぐに気を取り直し、笑顔で「いやぁねぇ」と手を振った。
「今日はそんなことないわよ。ほら、あなたの苦手な刺繍を教えてあげるから」
「刺繍ならエレノア先生が教えてくれるもん」
「いいじゃない。たまには娘がいる気分を味わわせなさいよ」
マリゴールドは飽き性でお転婆な性格にも拘らず手芸が得意なのだが、それを息子に披露してもつまらないもので、娘相手にそういう話をしたくて仕方がないのだ。けれどまだ娘には恵まれていないので、偶に会う姪を代わりにしている。
「ほら、先生だって、あなたの相手だけじゃなく、なにかやることがある筈よ。家庭教師であって、子守りじゃないんだから。ねえ、先生?」
そう話を振られても答えにくい。確かにやることはあるが、ヴァイオレットの相手をしながらでも出来ることであるし、別に構わないのだが。
「それにほら、兄様も先生になにかご用なのでしょう?」
だからこっちにいらっしゃい、とマリゴールドは言う。
ヴァイオレットは困ったようにリュネットのことを見上げるが、伯父のことも見やり、確かについ今し方、彼がリュネットを呼び止めていたことを思い出す。
少しだけ悩む仕種を見せたあと、リュネットの手を離し、叔母のスカートを握った。
「仕方がないから、叔母様孝行をしてあげます」
「相変わらず生意気な口ね! でも嬉しいわ」
マリゴールドは姪をぎゅうっと抱き締める。ヴァイオレットは嫌がる素振りを見せたが、表情は嬉しそうだ。
「じゃあ、先生。この子のことはお預かりしますわね」
笑顔でそう言うと、リュネットが頷くよりも早く踵を返してしまう。立ち去る足取りは楽しげで軽やかだ。
呆気に取られながら見送るが、気がつくと、マシューと二人きりになってしまっていた。
小さく溜め息をついて振り返る。
「あの……なにかご用だったでしょうか?」
「ん? 時間があったら、少し散歩でもしない? って、誘いに来たんだ」
「散歩ですか?」
「そう。迷惑かな?」
迷惑といえば迷惑にも感じる。けれど、昨夜はいろいろあって、約束していた対話の時間を持てなかった。散歩をする間、その時間に当てて埋め合わせをすべきだろうか。
少し考えてからそう答え、コートを取って来る旨を告げて一度別れる。
揃って身支度を整えて改めて合流してから、銀世界の外へと歩き出した。
道になっている部分の雪掻きをしているのは森番と庭師の三人らしいのだが、屋敷まわりの雪掻きをしているのは実はハワードだということを、リュネットは最近になって知った。ハワード曰く、自分は担当の持ち場もないし、特に面倒が起きなければ暇なのだ、と笑っていたが、そうやって従僕達の負担を率先して減らしているのだろう。だから彼は屋敷の使用人達に慕われているのだと思う。
そして使用人達はみんな、マシューのことも慕っている。
雇われている身なのだから当たり前だろう、という見方もあるだろうが、雇い主だからこそ、不平不満は溜まっていくものだ。このカートランド家の使用人達からそういう声はあまり聞かれなかった。
リュネットも最近夜のひとときを一緒に過ごすようになり、まだ緊張や嫌な気分を抱いたりすることもあるが、以前ほどではなくなっている。親しみを感じているかといえば、茶飲み友達くらいの気持ちではいるのが正直なところだろうか。
「あの、侯爵。昨夜はありがとうございました」
「気にしなくていいよ。いつものことだから」
リュネットの礼に対し、慣れたことだ、とマシューは笑った。
昨夜、いつもの時間を取れなかった原因は、サミュエルとテオドールの所為だった。仲のいい従兄弟同士であり、ただでさえテンションが上がっているところに、広々としたところにいっぱいの雪原に大興奮で、なかなかベッドに入ってくれなかったのだ。
マリゴールド夫婦はお互いの侍女と従者の二人だけを伴った少人数で来ていた。子守りに慣れたモンゴメリやメイド頭達がいるということで、子供達の子守り役は同行していなかったのだ。その為に起こったことだったと思う。
メイド達には仕事があったので、ヴァイオレットの寝かしつけを終えたリュネットが二人のことも引き受けたのだが、少年達はベッドの上を飛んだり跳ねたり、なんとか布団に押し込んでも、目を離した隙に片方が逃げ出し、そちらを追う間にもう一人が抜け出すというイタチごっこを繰り返す羽目になった。
はしゃぎ声が聞こえていたのか、それともなかなか現れないリュネットのことを不審に思ったのか、三十分ほどした頃にマシューがやって来た。
マシューは部屋の中程に静かに立ち、二人に向かって「今は何時だ?」と尋ねた。それだけで少年達はぴたりと騒ぐのを止め、まさにそそくさといった様子で布団に潜り込んだのだった。
あとでモンゴメリにこっそりと尋ねたところ、マシューは甥達の悪戯に対して厳しいのだという。二人の父親達がほとんど怒らない人である為、怒鳴らないながらも厳しく叱りつける伯父を畏怖しているらしい。
「子供達のことはどう? 面倒見れそう?」
「ええ、そうですね……思ったより大変だな、とは思いましたが、大丈夫だと思います」
「あまり無理しないでね。元々きみが預かる予定だったのはヴィオラだけなんだし」
「ありがとうございます」
気遣いは素直に嬉しかった。
そんな話をしながら歩いていると、森の方からアンソニーがやって来る姿が見えた。
「坊主達見なかった?」
マシュー達の姿を見止めると、小走りに近寄って来てそんなことを言った。
「いや、見ていないが……なんだ、きみ。まさか逸れたのか?」
アンソニーは少しバツが悪そうな顔をして、小さく頷いた。
マシューは呆れたように学友でもある義弟の姿を見つめ、大きく溜め息を零した。
「人手がいるな。戻ろう」
よりによって明日の降誕祭の祝宴の準備で使用人達が忙しくしているときに、子供達がいなくなったという話は、母親であるマリゴールドを青褪めさせた。
「どうして子供達を置いて来たのよ! 馬鹿なの!?」
「呼んでも全然返事がないから戻ったのかと思ったんだよ」
「逸れたくせに言い訳しないで!」
「怒鳴り合いはあとにしろ、マリー、アート」
言い合いを始めた妹夫婦を窘め、マシューは防寒ブーツとコートを手にした。
「陽が暮れるまでにはもう少しある。捜しに行くぞ」
敷地内の森といってもなかなかに広い。雪が積もって冷え切っている中、陽が落ちれば更に冷え込む。そんな中に取り残された五歳児二人では、暖を取ったりという命を守る為の行動が出来るとは限らない。手遅れになる前に見つけなければ。
「男は森の奥まで入るから防寒をしっかりと。女性も無理しない程度に協力してくれ。厨房は風呂を使えるように湯を沸かしておいて、全員がすぐに温まれるようにスープをたくさん作っておいてくれ」
マシューは素早く指示を出すと、準備が整った従僕達を連れて森へと向かう。
怒り狂って夫を責めているマリゴールドには屋敷に残るように指示をしていたが、彼女は聞かず、自分の子なのだから自分が行かずにどうする、と鼻息荒くドレスを脱ぎ捨て、動きやすいように男物の乗馬服に身を包んで捜索の列に加わった。
リュネットも居ても立ってもいられず、足手纏いになるかとは思ったが、毛布を抱えて捜索隊のあとを追った。
森に着いた頃には陽はだいぶ落ちていて、あと三十分もしないうちに夜陰に包まれるだろう。そうなると、木の生い茂った森の中は真っ暗だ。
報せを受けた森番の親子も駆けつけて先行し、メイド達は用意して来たランタンに火を入れ、従僕達はより明るく照らす為に松明を掲げ、夕闇に包まれつつある森の中へと分け入った。
「おーい」
「サミュエル坊ちゃまー」
「テオドール坊ちゃまー」
二人を呼ぶいくつもの声が森の中に響き渡り、その声に驚いた鳥や栗鼠などの動物が枝を揺らして雪を降らせる。雪の塊が頭上に降って来て悲鳴を上げる者もいたが、それでも子供達を呼び続ける声は途絶えなかった。
物音がした、と振り向いて松明を翳すが、それは小鹿や野兎の立てた音だったりして、がっかりしたことが数えきれなくなってきた頃、小さく声が聞こえた。
子供特有の甲高い笑い声が二人分響き、皆で一斉にそちらへ向かって進み出すと、闇の奥から小さな姿が現れた。
「あれー? お母様だ」
「みんなでなにしてるのー?」
二人は呆れるほどにケロッとしていた。
心配で堪らなかったマリゴールドはテオドールに駆け寄ると、その冷え切った小さな身体を抱き締めて泣きながら、ぎゃんぎゃん文句を言った。サミュエルにはアンソニーが駆け寄り、ふっくらとした頬を両手で包んでその冷たさに驚き、何度も詫びていた。
使用人達も総出で囲まれている今の状況がよくわかっていない二人は、泣いたり謝ったり文句を言ったりのマリゴールド達を見つめ、二人で顔を見合わせて首を傾げている。
「怪我はないのか?」
マシューが安堵と呆れが半々になった溜め息を零しながら、きょとんとしている少年達に尋ねる。
「ううん。ないよ」
「あ、でも、お膝のとこ破いちゃった。ごめんなさい、お母様」
歩き回っているときに茨の茂みに引っかけて破いたらしい。幸いにも皮膚には少し擦った痕がある程度で、大きい怪我ではなかった。
全員でホッとしつつ、すっかりと暗くなった森から早々に退散することにする。リュネットは抱えて来た毛布をマリゴールドに渡し、子供達にかけてあげるようにと告げると、両目を潤ませた彼女は大きく頷き、感謝の言葉を口にした。
やんちゃ小僧達はまだまだ遊び足りずにぴんぴんとしていたので、従僕達に背負われることをよしとせず、毛布をマントのようにはためかせながら駆けて行く。元気なのはいいことだが、なんとも傍迷惑な子供達だ。
遊び回っていた二人は身体が温まっているようだが、捜し歩いていた大人達はそこまででもなく、逆に冷え切ってしまっているくらいで、慣れない夜の森歩きも手伝って疲労困憊だ。言葉少なに屋敷に帰り着き、居残り組が暖めておいてくれた休憩室と温かいスープに感謝しつつも、それにありつく前に主人達の世話に駆り立てられる。キッチンメイド達がまずは冷え切ったマリゴールドの為に風呂に湯を運び、その僅かな時間に暖炉で温まったメイド達が職務を全うすべく、さっと準備を整える。
「気にしないでいいわよ」
冷え切った身体をぐったりと浴槽に沈めたマリゴールドは溜め息交じりに零し、身体が温まったら適当に出るから、とメイド達を下がらせようとしたところで、たまたまタオルの替えを運んで来たリュネットの姿に目を止めた。
「ねえ、先生。ちょっとお話ししましょうよ」
突然の申し出に戸惑うリュネットに、こんな格好でなんだけど、とマリゴールドは笑う。確かに人と話すのに相応しい姿ではない。目のやり場にも困る。
メイド達が出て行ったので、浴室の中には二人きりになった。
そこへ座って、と促されたので、身支度用に置かれているベンチに腰を下ろす。
「今日はごめんなさいね。大騒ぎになってしまって」
「いいえ。私も目が行き届きませんで、申し訳ございませんでした。お子様達のことは家庭教師である私の責任です」
「あら、そんなことないわ。悪いのはどう考えても勝手なあの子達よ」
謝罪の言葉を口にするリュネットに、マリゴールドは肩を竦める。以前からあの二人を一緒にしておくと碌なことが起こらないらしい。今日はアンソニーが一緒だから無茶はしないと思っていたが、そんなことはなかった。
「兄様に叱ってもらわなきゃ。うちの人だと甘いから」
困ったように溜め息を零して呟きながら、ふふっ、と小さく笑う。
「先生は兄様を怒らせたことある?」
「いいえ……あ、たぶん、一度だけ……」
ホルス男爵家で再会したときのことを思い出す。元は格下の家であるホルス家の夫人から見下されていたことと、それを当然のこととして受け入れていたリュネットの態度に、とても腹立たしそうにしていた。あれは多分、あちらの家に対してではなく、リュネットに対して怒っていたのだと思われる。
「恐かったでしょう?」
面白がるようにマリゴールドが尋ねる。四つ年上の兄は小さな頃お転婆だったマリゴールドに厳しかったらしい。
別に恐くはなかった。狭い馬車の中で黙り込まれるので気不味くなったのは事実だが。
あらそう、とマリゴールドはつまらなさそうに頷いた。自分の気持ちを共感してもらえなくて残念だったらしい。
全身がすっかりと温まったのか、そこで彼女は立ち上がった。リュネットは慌ててタオルを差し出す。
「ねえ、先生。明日の晩餐はご一緒なさるの?」
身体を拭くのを手伝っていると、そんな話を振られた。
「私は一介の家庭教師ですから……ご家族と一緒のお席に参ることは致しません」
「でも、メグの友達でしょう? 兄様とも親しくなさっているようだし」
少し引っかかりのある言い方をされる。メグの結婚式の夜に行われた宴会での出来事のことを指しているのだろうか。
あれはジョセフから上手く逃げる為の方便だったということを伝えてみるが、マリゴールドは微笑むだけで、その言葉をあまり信用していないような雰囲気だ。マシューの為にも家族には誤解を解いておきたいと思うのだが、彼女は聞き流している。
そうこうしているうちに、マリゴールドは簡単に着替えを済ませて浴室を出てしまったので、リュネットは溜め息を零しつつ、後始末をする為にメイドを呼びに行く。
廊下に出ると、やんちゃ小僧達が駆けて来るところだった。
「あ、エレノアさん! マリゴールド様はもう出られた?」
子供達を追い駆けていたミーガンが尋ねる。
「ええ、今し方……」
「よかった。今度は坊ちゃま達を入れるから、ちょっと手伝って!」
「いいわよ」
他のメイドはどうしたのかと思えば、アニーはヴァイオレットの世話をしていて、サラは夕食の準備の手伝いに行っているという。タウンハウスから来ているメイド達は、途中になっていた明日の為の準備に追われているらしい。
本来なら家庭教師は勉強を教えることに専念して、こういったことには手を出さない。けれど、リュネットは手が空いていれば率先して手伝うようにしていた。お客様扱いされるのが心苦しいこともあるが、一人手持無沙汰にしているのも嫌だからだ。
「さあさあ、坊ちゃま方。お風呂の時間ですよ」
ミーガンが二人の背中を押して浴室に連れ込み、逃げ出せないようにドアを閉めた。
「えー! やだぁ!」
「お風呂嫌ーい」
子供達はきゃあきゃあ声を上げて走り回る。一日駆け回って来たのに元気なものだ。
これは大変そうだ、とリュネットも覚悟を決め、袖を捲くり上げた。
「今日は寒いお外で散々遊んで来たのですから、綺麗にして、芯まで温まらないと病気になりますよ」
走り回っているテオドールの襟首を捕まえて諭すように言うのだが、それに対して「病気になったって平気だもーん」と、けらけらと笑い声で返された。風邪で寝込んだ方がみんなに優しくされるので楽しい、と呆れたことまで言い出す。ミーガンに捕まえられたサミュエルも同じように返した。
まあ、とリュネットもミーガンも顔を見合わせてしまう。
キッチンメイドがぬるくなった浴槽に熱湯を足してくれている間に、リュネットは二人を並んで立たせる。
「いいですか、お二人とも。明日はなんの日か知っていますか?」
急に教師の表情になった目の前の女性の姿に、やんちゃ小僧達もさすがになにかを察する。ふらふらと落ち着きなく笑い合いながら立っていたが、しゃんと背筋を伸ばした。
「降誕祭です」
「イエス様がお生まれになった日」
その通りです、と頷いて見せる。
「降誕祭の朝にはなにをしますか?」
優しく笑みを浮かべながら尋ねると、少年達はパッと顔を輝かせて声を揃えた。
「プレゼントを開ける!」
ヴァイオレットと共に飾りつけをしたツリーの下には、両親や親類達から贈られたたくさんのプレゼントが積まれている。明日の朝にはそれらを開くことが出来るのだ。
少年達の笑顔に向けて、そうです、ともう一度頷いたリュネットだったが、すぐにその表情を冷たげなものに変える。その様子に二人は目をぱちくりとさせた。
「プレゼントを開けるのは楽しみですね。けれど、病気になってしまってはその楽しみは失われることでしょう」
ミーガンでもちょっと驚くような低い声で告げると、二人はさすがに表情を強張らせる。
「病気になんてならないもん」
「そうだよ。意地悪言わないでよ、エレノアお姉さん」
「あら。病気になっても平気なのではなかったのですか?」
意地の悪い声音で冷たく微笑むと、少年達は身震いした。そうして、二人して顔を見合わせてもじもじしていたかと思うと、揃って服を脱ぎ始めた。
「いい子ですね、お二人とも」
リュネットはにっこりと笑う。
そんな一連の遣り取りに、へえ、とミーガンが感嘆の声を漏らした。
「うちの妹が小さいとき、やっぱりお風呂を恐がってたんだけど、そういう風に言い聞かせればよかったんだねぇ」
「いつも通用するわけではないと思うわ。サミュエルさんもテオドールさんも素直で聞き分けのよい方達だったから上手くいったのよ」
「まあ、いい子達でよかった」
すっかり裸になった二人は素直に浴槽に入ったが、お湯が熱いとか、もう出たいとか、すぐに騒ぎ始める。頭を洗ってやろうと石鹸を泡立てれば、顔に泡がついた、と泣き喚き、結局リュネットとミーガンもずぶ濡れになりながら洗う羽目になった。
「……前言撤回」
顔に張りついた前髪を払い除けながら、ミーガンがうんざりしたように呟いた。本当にね、とリュネットも苦笑した。
「あら、終わっちゃった? 間に合わなかったみたいね」
文句を垂れている子供達の身体を拭いていると、タオルを抱えたリタがやって来た。
「遅いよぉ。何処に行ってたの」
「ちょっとハワードさんに話があって……ごめん。あとはやっておくから、あなた達もお風呂頂いちゃいなさいよ。それだと風邪ひくわ」
「え? でも、まだ仕事が……」
「今夜はもういいって、旦那様が。みんな疲れただろうから、少し早めに休むようにって」
夕食はパンとスープなどで簡単に済ませるので給仕もいらない、と言われたらしく、従僕達も感謝しているらしい。滞在客であるマリゴールド夫婦も心得たもので、最低限の用事だけは頼ませてもらうが、あとは自分達で出来ると言っていたという。
「本当にうちの旦那様って、寛容な方よねぇ」
他のお屋敷ではこうはいかないだろう、とミーガンが零すと、子供達に寝間着を着せかけているリタも笑った。
細々した仕事はまだ当然残っているのだが、主人達の世話をしなくていいとなると、その分だけほんの少しだけ余裕が出て来る。心から有難く思いながら、取り敢えずは風邪をひく前に、濡れた身体を温めて乾いた服に着替えなければ。
少年達がまたきゃあきゃあと騒ぎ出した声を背中に聞きながら、リュネットとミーガンも使用人用の風呂場に向かった。
風呂場に着くと何人かは外で冷えた足を足湯で温めていたりして、ずぶ濡れの二人を見て驚いたようだが、腕白少年達を風呂に入れていたと愚痴れば、すぐになにがあったのか察してくれたらしく、心から労ってくれた。
すぐに夕食にしてくれるという声を聞き、二人はギリギリまでなんとか身体を温め、慌てて身支度を整えてから休憩室へと駆け込んだ。
テーブルの上にはもう食事が揃っていて、ハワードさえも席に着いている状態だったが、リタが上手く言っておいてくれたらしく、お咎めはまったくなかった。有難く思いながら席に着くと、
「皆揃ったようなので、食事の前ですが、少しだけ話があります」
とハワードが口を開いた。
何事か、と皆が若い家令を注視する中、彼の口から語られたのは、リタが明日いっぱいで退職するということだった。
突然の話にリュネットは驚いたが、噂をなんとなく聞いていたミーガンもアニーも特に驚いた様子は見せず、他のメイド達がほんの少しだけざわついただけだった。
「リタには六年ほど勤めてもらったかと思います。とても残念ですが、結婚が決まったということなので、皆で祝福しましょう」
話はそれだけだ、と打ち切られたので、各々リタに拍手を送ってから食事を始める。
「こんなに急な話で、人手は大丈夫なの?」
明日いっぱいとはまたなんとも急な話だ。今はタウンハウス勤めのメイド達もいるが、当主であるマシューが社交シーズンに入って再びロンドンに移れば、その人員もいなくなってしまうではないか。
「大丈夫じゃない? すぐに求人出すと思うし」
ね、とアニーに同意を求めると、あっさりと肯定の言葉が返る。
随分と落ち着いているな、とリュネットは思った。もっとも、元々必要最低限と思われるメイドの数で仕事を熟していたようなので、分担場所がほんの少し増える程度、としか捉えていないのかも知れない。今までの慣れもあるのだろうか。
真似出来ないことだな、と感心して溜め息が零れる。同じ立場に立たされたら、リュネットはきっと慌ててしまうだろうし、そのことで失敗もたくさんしてしまうような気さえもする。
働くということは、やはり自分には向いていないのかも知れない。彼女達のような考えを持てないことに、改めて自分がぬくぬくと過ごしているらしいことを思い知らされた。
子供が三人になると急に賑やかしくなる。
男の子を教えた経験がないわけではないが、やんちゃ盛りの男児二人というものがどれだけパワフルなのか、リュネットはまったく想像出来ていなかった。
明日の降誕祭の準備で屋敷中が慌ただしい雰囲気であり、これは落ち着いて授業をするような状況ではないだろう、と判断し、勉強は休みとすることにした。
昨日こちらに到着し、広々とした雪原に興奮しっ放しだったサミュエルとテオドールは大喜びし、そんな二人はアンソニーに連れられて森の方へ遊びに出かけて行った。ジェシカが弁当を用意していたので、昼も帰らないと思われる。
はしゃぎ回っていた少年達の声が聞こえなくなると、なんだかとても静かになったような気がする。今まではずっとこういう雰囲気だったのに、遠い昔のことのように感じて静寂に懐かしささえ感じられた。
授業を休みにはしたが、リュネットは次の授業の準備がある。男の子達の修学度がわからないので、どのように教えればいいのか検討しなければならない。
ヴァイオレットのことも放ってはおけない。弟達が揃って遊びに行ってしまっているので、彼女は結局一人だ。
「ミス・ホワイト」
ヴァイオレットを連れて図書室に行こうと思っていると、マシューに呼び止められた。
「少し時間はあるかい?」
「時間、ですか?」
ないといえばないのだが、と僅かに答えに窮すると、丁度通りがかったマリゴールドがにこにこと近づいて来た。
「先生、なにかお困り?」
「あ、レディ・プレストン……いいえ、ちょっと」
「そうなの? てっきり兄様に困らされているのかと思いましたわ」
空々しい笑い声を響かせて横目で兄の様子を窺う。マシューは表情を変えないながらも、ほんの少し苦々しそうな雰囲気を見せていた。
「ところでヴィオラ。今日はお勉強がお休みで、暇でしょう? ちょっと叔母様に付き合いなさい」
「えぇー……」
マリゴールドはリュネットと手を繋いでいた姪に目を向けると、そんなことを言い出す。対するヴァイオレットは嫌そうな顔で口をへの字にした。
「なによ、その態度」
「だってマリー叔母様、すぐに何処か行ってしまうんだもの」
遊ぼう、と連れ出されても、飽きて他のところへ行ってしまうらしい。置いて行かれるのも嫌なものだが、連れ回されるのも嫌なものだ。
身に覚えのあるマリゴールドは一瞬たじろいだような顔をしたが、すぐに気を取り直し、笑顔で「いやぁねぇ」と手を振った。
「今日はそんなことないわよ。ほら、あなたの苦手な刺繍を教えてあげるから」
「刺繍ならエレノア先生が教えてくれるもん」
「いいじゃない。たまには娘がいる気分を味わわせなさいよ」
マリゴールドは飽き性でお転婆な性格にも拘らず手芸が得意なのだが、それを息子に披露してもつまらないもので、娘相手にそういう話をしたくて仕方がないのだ。けれどまだ娘には恵まれていないので、偶に会う姪を代わりにしている。
「ほら、先生だって、あなたの相手だけじゃなく、なにかやることがある筈よ。家庭教師であって、子守りじゃないんだから。ねえ、先生?」
そう話を振られても答えにくい。確かにやることはあるが、ヴァイオレットの相手をしながらでも出来ることであるし、別に構わないのだが。
「それにほら、兄様も先生になにかご用なのでしょう?」
だからこっちにいらっしゃい、とマリゴールドは言う。
ヴァイオレットは困ったようにリュネットのことを見上げるが、伯父のことも見やり、確かについ今し方、彼がリュネットを呼び止めていたことを思い出す。
少しだけ悩む仕種を見せたあと、リュネットの手を離し、叔母のスカートを握った。
「仕方がないから、叔母様孝行をしてあげます」
「相変わらず生意気な口ね! でも嬉しいわ」
マリゴールドは姪をぎゅうっと抱き締める。ヴァイオレットは嫌がる素振りを見せたが、表情は嬉しそうだ。
「じゃあ、先生。この子のことはお預かりしますわね」
笑顔でそう言うと、リュネットが頷くよりも早く踵を返してしまう。立ち去る足取りは楽しげで軽やかだ。
呆気に取られながら見送るが、気がつくと、マシューと二人きりになってしまっていた。
小さく溜め息をついて振り返る。
「あの……なにかご用だったでしょうか?」
「ん? 時間があったら、少し散歩でもしない? って、誘いに来たんだ」
「散歩ですか?」
「そう。迷惑かな?」
迷惑といえば迷惑にも感じる。けれど、昨夜はいろいろあって、約束していた対話の時間を持てなかった。散歩をする間、その時間に当てて埋め合わせをすべきだろうか。
少し考えてからそう答え、コートを取って来る旨を告げて一度別れる。
揃って身支度を整えて改めて合流してから、銀世界の外へと歩き出した。
道になっている部分の雪掻きをしているのは森番と庭師の三人らしいのだが、屋敷まわりの雪掻きをしているのは実はハワードだということを、リュネットは最近になって知った。ハワード曰く、自分は担当の持ち場もないし、特に面倒が起きなければ暇なのだ、と笑っていたが、そうやって従僕達の負担を率先して減らしているのだろう。だから彼は屋敷の使用人達に慕われているのだと思う。
そして使用人達はみんな、マシューのことも慕っている。
雇われている身なのだから当たり前だろう、という見方もあるだろうが、雇い主だからこそ、不平不満は溜まっていくものだ。このカートランド家の使用人達からそういう声はあまり聞かれなかった。
リュネットも最近夜のひとときを一緒に過ごすようになり、まだ緊張や嫌な気分を抱いたりすることもあるが、以前ほどではなくなっている。親しみを感じているかといえば、茶飲み友達くらいの気持ちではいるのが正直なところだろうか。
「あの、侯爵。昨夜はありがとうございました」
「気にしなくていいよ。いつものことだから」
リュネットの礼に対し、慣れたことだ、とマシューは笑った。
昨夜、いつもの時間を取れなかった原因は、サミュエルとテオドールの所為だった。仲のいい従兄弟同士であり、ただでさえテンションが上がっているところに、広々としたところにいっぱいの雪原に大興奮で、なかなかベッドに入ってくれなかったのだ。
マリゴールド夫婦はお互いの侍女と従者の二人だけを伴った少人数で来ていた。子守りに慣れたモンゴメリやメイド頭達がいるということで、子供達の子守り役は同行していなかったのだ。その為に起こったことだったと思う。
メイド達には仕事があったので、ヴァイオレットの寝かしつけを終えたリュネットが二人のことも引き受けたのだが、少年達はベッドの上を飛んだり跳ねたり、なんとか布団に押し込んでも、目を離した隙に片方が逃げ出し、そちらを追う間にもう一人が抜け出すというイタチごっこを繰り返す羽目になった。
はしゃぎ声が聞こえていたのか、それともなかなか現れないリュネットのことを不審に思ったのか、三十分ほどした頃にマシューがやって来た。
マシューは部屋の中程に静かに立ち、二人に向かって「今は何時だ?」と尋ねた。それだけで少年達はぴたりと騒ぐのを止め、まさにそそくさといった様子で布団に潜り込んだのだった。
あとでモンゴメリにこっそりと尋ねたところ、マシューは甥達の悪戯に対して厳しいのだという。二人の父親達がほとんど怒らない人である為、怒鳴らないながらも厳しく叱りつける伯父を畏怖しているらしい。
「子供達のことはどう? 面倒見れそう?」
「ええ、そうですね……思ったより大変だな、とは思いましたが、大丈夫だと思います」
「あまり無理しないでね。元々きみが預かる予定だったのはヴィオラだけなんだし」
「ありがとうございます」
気遣いは素直に嬉しかった。
そんな話をしながら歩いていると、森の方からアンソニーがやって来る姿が見えた。
「坊主達見なかった?」
マシュー達の姿を見止めると、小走りに近寄って来てそんなことを言った。
「いや、見ていないが……なんだ、きみ。まさか逸れたのか?」
アンソニーは少しバツが悪そうな顔をして、小さく頷いた。
マシューは呆れたように学友でもある義弟の姿を見つめ、大きく溜め息を零した。
「人手がいるな。戻ろう」
よりによって明日の降誕祭の祝宴の準備で使用人達が忙しくしているときに、子供達がいなくなったという話は、母親であるマリゴールドを青褪めさせた。
「どうして子供達を置いて来たのよ! 馬鹿なの!?」
「呼んでも全然返事がないから戻ったのかと思ったんだよ」
「逸れたくせに言い訳しないで!」
「怒鳴り合いはあとにしろ、マリー、アート」
言い合いを始めた妹夫婦を窘め、マシューは防寒ブーツとコートを手にした。
「陽が暮れるまでにはもう少しある。捜しに行くぞ」
敷地内の森といってもなかなかに広い。雪が積もって冷え切っている中、陽が落ちれば更に冷え込む。そんな中に取り残された五歳児二人では、暖を取ったりという命を守る為の行動が出来るとは限らない。手遅れになる前に見つけなければ。
「男は森の奥まで入るから防寒をしっかりと。女性も無理しない程度に協力してくれ。厨房は風呂を使えるように湯を沸かしておいて、全員がすぐに温まれるようにスープをたくさん作っておいてくれ」
マシューは素早く指示を出すと、準備が整った従僕達を連れて森へと向かう。
怒り狂って夫を責めているマリゴールドには屋敷に残るように指示をしていたが、彼女は聞かず、自分の子なのだから自分が行かずにどうする、と鼻息荒くドレスを脱ぎ捨て、動きやすいように男物の乗馬服に身を包んで捜索の列に加わった。
リュネットも居ても立ってもいられず、足手纏いになるかとは思ったが、毛布を抱えて捜索隊のあとを追った。
森に着いた頃には陽はだいぶ落ちていて、あと三十分もしないうちに夜陰に包まれるだろう。そうなると、木の生い茂った森の中は真っ暗だ。
報せを受けた森番の親子も駆けつけて先行し、メイド達は用意して来たランタンに火を入れ、従僕達はより明るく照らす為に松明を掲げ、夕闇に包まれつつある森の中へと分け入った。
「おーい」
「サミュエル坊ちゃまー」
「テオドール坊ちゃまー」
二人を呼ぶいくつもの声が森の中に響き渡り、その声に驚いた鳥や栗鼠などの動物が枝を揺らして雪を降らせる。雪の塊が頭上に降って来て悲鳴を上げる者もいたが、それでも子供達を呼び続ける声は途絶えなかった。
物音がした、と振り向いて松明を翳すが、それは小鹿や野兎の立てた音だったりして、がっかりしたことが数えきれなくなってきた頃、小さく声が聞こえた。
子供特有の甲高い笑い声が二人分響き、皆で一斉にそちらへ向かって進み出すと、闇の奥から小さな姿が現れた。
「あれー? お母様だ」
「みんなでなにしてるのー?」
二人は呆れるほどにケロッとしていた。
心配で堪らなかったマリゴールドはテオドールに駆け寄ると、その冷え切った小さな身体を抱き締めて泣きながら、ぎゃんぎゃん文句を言った。サミュエルにはアンソニーが駆け寄り、ふっくらとした頬を両手で包んでその冷たさに驚き、何度も詫びていた。
使用人達も総出で囲まれている今の状況がよくわかっていない二人は、泣いたり謝ったり文句を言ったりのマリゴールド達を見つめ、二人で顔を見合わせて首を傾げている。
「怪我はないのか?」
マシューが安堵と呆れが半々になった溜め息を零しながら、きょとんとしている少年達に尋ねる。
「ううん。ないよ」
「あ、でも、お膝のとこ破いちゃった。ごめんなさい、お母様」
歩き回っているときに茨の茂みに引っかけて破いたらしい。幸いにも皮膚には少し擦った痕がある程度で、大きい怪我ではなかった。
全員でホッとしつつ、すっかりと暗くなった森から早々に退散することにする。リュネットは抱えて来た毛布をマリゴールドに渡し、子供達にかけてあげるようにと告げると、両目を潤ませた彼女は大きく頷き、感謝の言葉を口にした。
やんちゃ小僧達はまだまだ遊び足りずにぴんぴんとしていたので、従僕達に背負われることをよしとせず、毛布をマントのようにはためかせながら駆けて行く。元気なのはいいことだが、なんとも傍迷惑な子供達だ。
遊び回っていた二人は身体が温まっているようだが、捜し歩いていた大人達はそこまででもなく、逆に冷え切ってしまっているくらいで、慣れない夜の森歩きも手伝って疲労困憊だ。言葉少なに屋敷に帰り着き、居残り組が暖めておいてくれた休憩室と温かいスープに感謝しつつも、それにありつく前に主人達の世話に駆り立てられる。キッチンメイド達がまずは冷え切ったマリゴールドの為に風呂に湯を運び、その僅かな時間に暖炉で温まったメイド達が職務を全うすべく、さっと準備を整える。
「気にしないでいいわよ」
冷え切った身体をぐったりと浴槽に沈めたマリゴールドは溜め息交じりに零し、身体が温まったら適当に出るから、とメイド達を下がらせようとしたところで、たまたまタオルの替えを運んで来たリュネットの姿に目を止めた。
「ねえ、先生。ちょっとお話ししましょうよ」
突然の申し出に戸惑うリュネットに、こんな格好でなんだけど、とマリゴールドは笑う。確かに人と話すのに相応しい姿ではない。目のやり場にも困る。
メイド達が出て行ったので、浴室の中には二人きりになった。
そこへ座って、と促されたので、身支度用に置かれているベンチに腰を下ろす。
「今日はごめんなさいね。大騒ぎになってしまって」
「いいえ。私も目が行き届きませんで、申し訳ございませんでした。お子様達のことは家庭教師である私の責任です」
「あら、そんなことないわ。悪いのはどう考えても勝手なあの子達よ」
謝罪の言葉を口にするリュネットに、マリゴールドは肩を竦める。以前からあの二人を一緒にしておくと碌なことが起こらないらしい。今日はアンソニーが一緒だから無茶はしないと思っていたが、そんなことはなかった。
「兄様に叱ってもらわなきゃ。うちの人だと甘いから」
困ったように溜め息を零して呟きながら、ふふっ、と小さく笑う。
「先生は兄様を怒らせたことある?」
「いいえ……あ、たぶん、一度だけ……」
ホルス男爵家で再会したときのことを思い出す。元は格下の家であるホルス家の夫人から見下されていたことと、それを当然のこととして受け入れていたリュネットの態度に、とても腹立たしそうにしていた。あれは多分、あちらの家に対してではなく、リュネットに対して怒っていたのだと思われる。
「恐かったでしょう?」
面白がるようにマリゴールドが尋ねる。四つ年上の兄は小さな頃お転婆だったマリゴールドに厳しかったらしい。
別に恐くはなかった。狭い馬車の中で黙り込まれるので気不味くなったのは事実だが。
あらそう、とマリゴールドはつまらなさそうに頷いた。自分の気持ちを共感してもらえなくて残念だったらしい。
全身がすっかりと温まったのか、そこで彼女は立ち上がった。リュネットは慌ててタオルを差し出す。
「ねえ、先生。明日の晩餐はご一緒なさるの?」
身体を拭くのを手伝っていると、そんな話を振られた。
「私は一介の家庭教師ですから……ご家族と一緒のお席に参ることは致しません」
「でも、メグの友達でしょう? 兄様とも親しくなさっているようだし」
少し引っかかりのある言い方をされる。メグの結婚式の夜に行われた宴会での出来事のことを指しているのだろうか。
あれはジョセフから上手く逃げる為の方便だったということを伝えてみるが、マリゴールドは微笑むだけで、その言葉をあまり信用していないような雰囲気だ。マシューの為にも家族には誤解を解いておきたいと思うのだが、彼女は聞き流している。
そうこうしているうちに、マリゴールドは簡単に着替えを済ませて浴室を出てしまったので、リュネットは溜め息を零しつつ、後始末をする為にメイドを呼びに行く。
廊下に出ると、やんちゃ小僧達が駆けて来るところだった。
「あ、エレノアさん! マリゴールド様はもう出られた?」
子供達を追い駆けていたミーガンが尋ねる。
「ええ、今し方……」
「よかった。今度は坊ちゃま達を入れるから、ちょっと手伝って!」
「いいわよ」
他のメイドはどうしたのかと思えば、アニーはヴァイオレットの世話をしていて、サラは夕食の準備の手伝いに行っているという。タウンハウスから来ているメイド達は、途中になっていた明日の為の準備に追われているらしい。
本来なら家庭教師は勉強を教えることに専念して、こういったことには手を出さない。けれど、リュネットは手が空いていれば率先して手伝うようにしていた。お客様扱いされるのが心苦しいこともあるが、一人手持無沙汰にしているのも嫌だからだ。
「さあさあ、坊ちゃま方。お風呂の時間ですよ」
ミーガンが二人の背中を押して浴室に連れ込み、逃げ出せないようにドアを閉めた。
「えー! やだぁ!」
「お風呂嫌ーい」
子供達はきゃあきゃあ声を上げて走り回る。一日駆け回って来たのに元気なものだ。
これは大変そうだ、とリュネットも覚悟を決め、袖を捲くり上げた。
「今日は寒いお外で散々遊んで来たのですから、綺麗にして、芯まで温まらないと病気になりますよ」
走り回っているテオドールの襟首を捕まえて諭すように言うのだが、それに対して「病気になったって平気だもーん」と、けらけらと笑い声で返された。風邪で寝込んだ方がみんなに優しくされるので楽しい、と呆れたことまで言い出す。ミーガンに捕まえられたサミュエルも同じように返した。
まあ、とリュネットもミーガンも顔を見合わせてしまう。
キッチンメイドがぬるくなった浴槽に熱湯を足してくれている間に、リュネットは二人を並んで立たせる。
「いいですか、お二人とも。明日はなんの日か知っていますか?」
急に教師の表情になった目の前の女性の姿に、やんちゃ小僧達もさすがになにかを察する。ふらふらと落ち着きなく笑い合いながら立っていたが、しゃんと背筋を伸ばした。
「降誕祭です」
「イエス様がお生まれになった日」
その通りです、と頷いて見せる。
「降誕祭の朝にはなにをしますか?」
優しく笑みを浮かべながら尋ねると、少年達はパッと顔を輝かせて声を揃えた。
「プレゼントを開ける!」
ヴァイオレットと共に飾りつけをしたツリーの下には、両親や親類達から贈られたたくさんのプレゼントが積まれている。明日の朝にはそれらを開くことが出来るのだ。
少年達の笑顔に向けて、そうです、ともう一度頷いたリュネットだったが、すぐにその表情を冷たげなものに変える。その様子に二人は目をぱちくりとさせた。
「プレゼントを開けるのは楽しみですね。けれど、病気になってしまってはその楽しみは失われることでしょう」
ミーガンでもちょっと驚くような低い声で告げると、二人はさすがに表情を強張らせる。
「病気になんてならないもん」
「そうだよ。意地悪言わないでよ、エレノアお姉さん」
「あら。病気になっても平気なのではなかったのですか?」
意地の悪い声音で冷たく微笑むと、少年達は身震いした。そうして、二人して顔を見合わせてもじもじしていたかと思うと、揃って服を脱ぎ始めた。
「いい子ですね、お二人とも」
リュネットはにっこりと笑う。
そんな一連の遣り取りに、へえ、とミーガンが感嘆の声を漏らした。
「うちの妹が小さいとき、やっぱりお風呂を恐がってたんだけど、そういう風に言い聞かせればよかったんだねぇ」
「いつも通用するわけではないと思うわ。サミュエルさんもテオドールさんも素直で聞き分けのよい方達だったから上手くいったのよ」
「まあ、いい子達でよかった」
すっかり裸になった二人は素直に浴槽に入ったが、お湯が熱いとか、もう出たいとか、すぐに騒ぎ始める。頭を洗ってやろうと石鹸を泡立てれば、顔に泡がついた、と泣き喚き、結局リュネットとミーガンもずぶ濡れになりながら洗う羽目になった。
「……前言撤回」
顔に張りついた前髪を払い除けながら、ミーガンがうんざりしたように呟いた。本当にね、とリュネットも苦笑した。
「あら、終わっちゃった? 間に合わなかったみたいね」
文句を垂れている子供達の身体を拭いていると、タオルを抱えたリタがやって来た。
「遅いよぉ。何処に行ってたの」
「ちょっとハワードさんに話があって……ごめん。あとはやっておくから、あなた達もお風呂頂いちゃいなさいよ。それだと風邪ひくわ」
「え? でも、まだ仕事が……」
「今夜はもういいって、旦那様が。みんな疲れただろうから、少し早めに休むようにって」
夕食はパンとスープなどで簡単に済ませるので給仕もいらない、と言われたらしく、従僕達も感謝しているらしい。滞在客であるマリゴールド夫婦も心得たもので、最低限の用事だけは頼ませてもらうが、あとは自分達で出来ると言っていたという。
「本当にうちの旦那様って、寛容な方よねぇ」
他のお屋敷ではこうはいかないだろう、とミーガンが零すと、子供達に寝間着を着せかけているリタも笑った。
細々した仕事はまだ当然残っているのだが、主人達の世話をしなくていいとなると、その分だけほんの少しだけ余裕が出て来る。心から有難く思いながら、取り敢えずは風邪をひく前に、濡れた身体を温めて乾いた服に着替えなければ。
少年達がまたきゃあきゃあと騒ぎ出した声を背中に聞きながら、リュネットとミーガンも使用人用の風呂場に向かった。
風呂場に着くと何人かは外で冷えた足を足湯で温めていたりして、ずぶ濡れの二人を見て驚いたようだが、腕白少年達を風呂に入れていたと愚痴れば、すぐになにがあったのか察してくれたらしく、心から労ってくれた。
すぐに夕食にしてくれるという声を聞き、二人はギリギリまでなんとか身体を温め、慌てて身支度を整えてから休憩室へと駆け込んだ。
テーブルの上にはもう食事が揃っていて、ハワードさえも席に着いている状態だったが、リタが上手く言っておいてくれたらしく、お咎めはまったくなかった。有難く思いながら席に着くと、
「皆揃ったようなので、食事の前ですが、少しだけ話があります」
とハワードが口を開いた。
何事か、と皆が若い家令を注視する中、彼の口から語られたのは、リタが明日いっぱいで退職するということだった。
突然の話にリュネットは驚いたが、噂をなんとなく聞いていたミーガンもアニーも特に驚いた様子は見せず、他のメイド達がほんの少しだけざわついただけだった。
「リタには六年ほど勤めてもらったかと思います。とても残念ですが、結婚が決まったということなので、皆で祝福しましょう」
話はそれだけだ、と打ち切られたので、各々リタに拍手を送ってから食事を始める。
「こんなに急な話で、人手は大丈夫なの?」
明日いっぱいとはまたなんとも急な話だ。今はタウンハウス勤めのメイド達もいるが、当主であるマシューが社交シーズンに入って再びロンドンに移れば、その人員もいなくなってしまうではないか。
「大丈夫じゃない? すぐに求人出すと思うし」
ね、とアニーに同意を求めると、あっさりと肯定の言葉が返る。
随分と落ち着いているな、とリュネットは思った。もっとも、元々必要最低限と思われるメイドの数で仕事を熟していたようなので、分担場所がほんの少し増える程度、としか捉えていないのかも知れない。今までの慣れもあるのだろうか。
真似出来ないことだな、と感心して溜め息が零れる。同じ立場に立たされたら、リュネットはきっと慌ててしまうだろうし、そのことで失敗もたくさんしてしまうような気さえもする。
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