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31 牢獄の家庭教師
しおりを挟む連絡を受けたマクガイヤはすぐに面会の手続きを取ったが、何故か許可がなかなか下りず、方々から手を回してようやく面会室へ通されるような状況だった。
この時点で、リュネットが逮捕されてから五日が過ぎていた。
「遅くなって申し訳ありません」
面会室に入って来たリュネットは青褪め、目の下に黒々と隈を作っている。マクガイヤは心から申し訳なく頭を下げた。
「何故か接見の許可がなかなか下りなくて……ギリンガム卿のお名前で、弁護士協会の方から手を回して頂いたんです」
カトレアの夫であるチャールズ・ギリンガムも弁護士の資格を持っている。その伝手を辿って許可が下りたのだ、とマクガイヤは説明した。
そうですか、と頷くリュネットの声に覇気はなかった。明らかに疲れているし、以前会ったときよりも痩せたように見える。そのときからまだ何ヶ月も経っていないというのに。
背筋をまっすぐに伸ばし、薄く微笑みすら浮かべているリュネットの毅然とした様子が、逆に痛々しい。ただでさえほっそりとしているというのに、その痛々しさが彼女をもっと細く小さく、吹けば消えてしまいそうな儚さに見せている。
そんな痛ましい姿を見たマクガイヤは僅かに表情を歪めてから、挨拶もそこそこに手帳を広げた。
「もう取り調べが始まっていますよね? 状況を教えてもらえますか」
リュネットは頷き、捕まってからのことを話した。
ロンドンに連れて来られたのは夜遅くになっていたので、留置所に放り込まれたあと、翌日から取り調べを開始されると言われた。従うしかないので黙って牢に入っていたが、見回りが頻繁過ぎて気配が気になり、そのまま碌に眠ることが出来ずに夜が明け、早朝からハウス警部がやって来て休憩もほとんど与えられずに尋問続きだった。
ハウスはなにを言っても信じてくれず、回答はすべて「嘘をつくな」と捻じ伏せる。リュネットは何度も繰り返し自身の潔白と、盗品のことは知らない、と主張し続けていたが、まったく聞き入れてもらえなかった。
何度も同じ質問が繰り返され、同じ答えを返し、そのすべてを嘘だと断定され、また同じ質問を繰り返され――そんな状態がずっと続いているので、精神的に参って来ている。
留置所の中が寒々としているのは我慢は出来る。食事が冷え切って粗末なのも、日に一度しか出されないのも我慢は出来る。けれど、眠れないのがつらかった。
眠れないと疲れが取れない。疲労が溜まっている状態で繰り返される尋問に、更に疲労が蓄積されていく。
「眠れないって、どういうことですか?」
メモを取りながらマクガイヤは怪訝な顔をした。
留置所の中にも簡易的なベッドはあるし、毛布も用意されている筈だ。確かに女性の身では寒さが堪えるかも知れないが、まったく眠れないということもないだろう。
「見回りが頻繁なのと、その……声を、かけられるのです」
リュネットは寝不足から痛む頭を押さえた。
四人から六人で一部屋の寄宿学校で育っているので、人の気配があって眠れないというほどに繊細ではない。けれど、人が行き来する気配が頻繁だと、そういうものとはだいぶ違ってくる。
それでもなんとかウトウトし始めると、すぐ前で咳払いをされたり、声をかけられたりする。それが夜中に何度もあり、さすがに落ち着いて眠れるような状況ではないのだ。
声かけの内容は、あまり口に出したくないようなものだ。それ故にリュネットは身の危険を感じ、眠ることが出来なくなっているという面もある。
まさか、とマクガイヤは驚いた。
「警察がそんなことをするなんて……」
リュネットも同意して溜め息を零す。まさか街の治安を守るロンドン警視庁の人間が、そんな破落戸紛いのことをするとは夢にも思わなかった。
初めの晩は、自分が緊張している所為で神経が尖っているのだと思っていたが、三日目の晩には声をかけられるようになり、これは嫌がらせなのだと気づかされた。何度かやめてくれるように頼んだが、その度に下卑た笑いを浮かべられたり嘲笑されたり、とても嫌な気分になって閉口するしかなかった。
昨夜はとうとう鍵を開けて入って来ようとする男もいたくらいだ。そんな状況でリュネットは安心して眠ることなど出来ず、一晩中緊張を強いられることになったのだから堪ったものではない。
眠れないからどうにかしてくれ、容疑者にも睡眠を摂る自由と権利はある筈だ、と取り調べのときに上司であろうハウスに訴えてみたが、彼は「お前が脱獄の為に見回りの者を誘惑しているのだろう」と酷い侮辱をしてくる有様なのだから、これ以上はどうしようもない。このまま静かに耐えるしかないのだ。
状況は思ったよりも悪そうだ、とマクガイヤは思う。
「窃盗事件の方は、あなたの部屋から盗品が見つかったことを除けば、ホルス男爵夫人の言い分だけが根拠となっています。どうにかして打開する為の証拠を集めてみます」
小包の消印にあったエディンバラでの聞き込みも、ハワードが指示をして進めてくれていると聞く。ホルス男爵家の方もなにかしらの証言者は見つかる筈だ。
「傷害事件の方は……どうにか被害者のナッシュ・ワイルドを捜してみます。実は、彼は何日か前にホルス男爵家を辞めていて、今のところ行方がわからないんです」
確認の為にホルス家を訪ねたところそう言われた。突然辞められてこちらも困っている、とは、応対してくれた執事の言だ。
訴えた本人に接触出来なければ、正当防衛もなにも立証など出来ない。まだ市内にいればすぐに見つかるだろう、とマクガイヤは安心させるように笑みを浮かべた。
お願いします、とリュネットは頭を下げた。
この眠れない状況が続いたとしても、あと何日かは粘れる。その間に少しでもなにかいい情報が手に入ることを願いたい。
痛む頭を押さえながら、リュネットはあたりを見回す。大部屋の面会室には、簡易仕切り越しに他にも何組か面会をしている。監視の目もそこまできつくはない。
「マクガイヤ先生。ひとつ、お願いが……」
監視に立っている警官の目を気にしながら、リュネットは胸のボタンを寛げた。ギョッとするマクガイヤを制止しつつ、下着の中から小さな巾着袋を取り出す。
「これを預かっていてください」
手許を隠しながらその袋をマクガイヤに握らせる。
「これは……」
「母の形見です」
袋を握らせたマクガイヤの手を上から強く握り締める。
「ハウス警部は何故かこの首飾りのことを知っているのです。見つかれば、盗品の一部として取り上げられると思います」
留置所に入れられるときに行われた身体検査は、凶器などを隠し持っていないか、と軽く服の上から触られた程度で、服を脱がされることはなかったので助かった。もしももっと詳しく調べられるようなものだったら、これは見つかってしまっていただろう。
リュネットの伝言だという内容は、ハワードから既に連絡を受けている。それがこれか、と頷いた。
想像だけで人を疑うことをしたくはない。けれど、この首飾りの存在を知っていて、手に入れようとしている人物など、リュネットは一人しか知らない。
マクガイヤはリュネットの気持ちを汲んで頷き、手帳をしまう手許に隠しながら首飾りも鞄の中へ落とし込んだ。
「エレノア・ホワイト、取り調べの時間だ。面会を終了しろ」
丁度鞄の留め具を締め終えたとき、ハウス警部がやって来た。この不機嫌そうな中年の顔もすっかり見慣れてしまった。
溜め息を零しつつ、仕方がないので立ち上がる。
「今日はわざわざありがとうございました」
早くしろ、と急かされるのはわかっているが、礼儀としてマクガイヤに頭を下げる。カートランド家の顧問弁護士というだけなのに、関係のないリュネットのことまで手を尽くしてもらっていて、忙しいところを本当に申し訳ない。
いいえ、とマクガイヤは笑みを向けた。
「侯爵になにかご伝言はありませんか?」
面会許可を取るにはまた時間がかかるだろうと想定し、そんなことを尋ねる。
リュネットは少し考えてみたが、ゆるく首を振った。
「なにもありません。どうかお健やかに――とだけ、お伝えください」
少し悲しげな響きを含んだその言葉を微かな笑みで残し、リュネットは鉄の扉の向こうへ消えて行った。
情報集めに苦心していたマシューの許にメグが駆け込んで来たのは、マクガイヤがリュネットとの面会が叶った頃のことだった。
「リュヌが捕まったのはヘンリーの所為よ!」
泣き腫らした顔の妹の金切り声に、寝不足のマシューは頭痛がする思いだ。
「メグ……」
「ヘンリーがジョセフ・スターウェルに加担するなんて思わなかったわ!」
「メグ、落ち着け」
普段は気になるほどではないのだが、寝不足の頭には女性の高い声音はかなりキンキンと響く。痛む蟀谷を押さえながら、潤んだ瞳で睨んでくる妹を座らせた。
「取り敢えず、泣き止んで落ち着いてから話してくれるか?」
ぐすんぐすんと鼻を鳴らしている妹にハンカチを差し出し、自分も対面のソファに腰を下ろすと、全身がズシッと重たくなったような気がした。思っていたよりも疲れが溜まっていたようだ。思わず溜め息が零れる。
捕まったリュネットはどうしているだろうか。連絡を受けてからすぐにロンドンに来て、面会の申し込みを何度もしているが、何故か一向に許可が下りない。弁護士のマクガイヤですら拒否されている有様で、伝手を辿って上層部に掛け合っているがどうなっていることやら。
そもそも面会が拒否されるのがおかしな話だ。まだ留置所にいて、刑が確定しているわけでもない。その容疑も窃盗と傷害というもので、殺人などの凶悪なものでもないのだから、面会を禁じられるような状況ではない筈だ。
マシューが三度目の溜め息をついた頃、メグはようやく泣き止んだ。
「……お兄様、ヘンリーと会う約束をなさっていたでしょう?」
真っ赤になった鼻の下をハンカチで押さえながら、ぽつりとメグは言葉を紡いだ。
確かに約束をしていた。二週間ほど前にヘンリーから手紙が届き、大事な話があるから会いたい、と申し込まれていたので了承したのだ。
「あれ、ジョセフ・スターウェルに頼まれてのことだったらしいの」
「なんだって?」
思わず眉間に皺が寄るが、それよりも深く皺を刻みつけたメグが、眦を吊り上げた。
「ヘンリーがジョセフ・スターウェルに頼まれて、お兄様をヒース館から誘き出したのよ! リュヌから引き離したの!」
妹の興奮した声に再び頭痛を覚える。
「……メグ、順序立てて話してくれ」
興奮してまた涙を溢れさせ始めた妹を宥めながら額を押さえた。
確かにこれでは話が通じないだろう、と理解したメグは、何度も深呼吸を繰り返して気分を落ち着けてから、なるべく興奮しないように抑えながら話し始めた。
ヘンリーは結婚式以来、学生時代の友人であるジョセフと度々連絡を取っていたらしい。
結婚式の夜に行われたパーティーの場で、二人が親の決めた許婚であるという話を聞いたヘンリーは、ジョセフから「侯爵の手からリュネットを取り返したい」と相談を受け、協力することにしたのだという。
何故そんなことをしようと思ったのかと問えば、年若いリュネットが女慣れしたマシューに騙されていると思ったのだ、と言っていた。
女学校育ちで社交界にも出ていないリュネットは、マシューのような遊び慣れた大人の男の魅力には敵わず、ころりと騙されていても不思議ではない。散々弄ばれ、飽きたら簡単に捨てられ、身も心も傷つけられる前に解放したい、とジョセフから熱心に訴えかけられ、心打たれて同意したのだ。
本来なら自分達のように幸せな結婚をする筈だった友人のことを憐れに思い、許婚を取り返すのを手伝うよ、と申し出たのだと言う。
「馬鹿よ! あの人!」
メグは腹立たしげに吐き捨てた。
ジョセフの話が嘘だなんてすぐにわかった筈だ。何故なら、スターウェル親子が社交界で広めていた噂によると、リュネットは病を得て保養地で療養していることになっていたのだから。その病が癒えたら結婚することになっている、という話になっていたのはメグもなんとなく聞き及んでいるし、マシューの雇った探偵の調べた話でもそうだった筈だ。その話とリュネットの様子の違いなど一目瞭然だったろうに、ジョセフの話を信じてしまっている。
人が好いとは思っていたが、こんなにも騙されやすい人だとは思わなかった。そんなところが可愛いと思っていた自分にも腹が立つ。
「――…僕を誘き出して、どうするつもりだったんだ?」
マシューは腹の底から怒りが湧き上がって来るのを感じた。それを爆発させない為に拳を握り締め、静かに耐える。
メグは鼻を啜り、気持ちを落ち着けるように息を吸う。
「ジョセフがリュヌを迎えに行くつもりだった、と聞いているわ。お兄様さえいなければ、簡単に連れ出せると思ったのですって」
マシューのいなくなった屋敷を訪ね、リュネットをロンドンに連れ戻すつもりだったという。そうして、そのまま教会に向かう予定だったとか。その為に領地からもロンドンからも離れたヨークにマシューを呼び出したのだ。
馬鹿だわ、ともう一度吐き捨てる。
あの夜、リュネットの怯えた様子を見ていなかったのだろうか。ジョセフに腕を掴まれ、強張って真っ青になっていた姿を見ておいて、二人に幸せな結婚が出来ると思っているとは愚かの極みだ。
そんな計画が、何故かリュネットの逮捕という事態に切り替わってしまった。
こんなことは聞かされていない、自分は関わっていない、とヘンリーは必死に弁解していたが、リュネットが監獄の中へと連れ去られた原因の一端になっているのは、どう考えてもジョセフに協力したヘンリーの所為だ。マシューがあの場にいれば、事態はもう少し違っていたことだろうに。
メグは腹立たしくて堪らなかった。人の好い夫には、兄と親友をくっつけようとしている計画があることは話していたし、彼もその計画に乗ると言っていてくれたのに、選りに選ってあのジョセフ・スターウェルの計画を手引きするとは。
ごめんなさい、とメグは涙を零した。
「お前が謝ることじゃないだろう」
妹からの謝罪にマシューは苦々しく呟いた。
いいえ、とメグは首を振る。
「私の夫が原因の一端だもの。許せないし、許される筈もない」
ヘンリーがジョセフに絆されなければ、きっとこんなことにはなっていなかった。
メグは涙を流しながら跪き、祈るように手を組んで兄を見上げる。
「どうか……どうか、リュヌを助けて」
妹の懇願を見つめていると、握り締めたマシューの拳からぽとりと赤い雫が滴った。強く握り締めすぎて爪が食い込んだらしい。
いけない、と自分の気持ちを落ち着ける為に掌を開き、傷口から血が零れ落ちないように掌を上向かせながら、大きくと息を吸い込む。
「もう泣くな、メグ。リュネットは必ず助けるから」
「お兄様……」
己にも言い聞かせるように妹に告げる。
「なんとしてでも助け出してみせる。どんな手を使ってでも……」
そこへ執事のサンダースが来客を告げに現れた。やって来たのはチャールズだった。
「チャールズ、どうなりました!?」
留置所に入れられたリュネットへの面会は、マシューが申し込んでも、マクガイヤが申し込んでも許可が下りなかったので、チャールズから弁護士協会を通して抗議を申し入れてもらったのだ。
「なんとか許可は下りたよ。マクガイヤが接見している」
掴みかからんばかりのマシューをやんわりと押し留め、チャールズは力強く頷いて見せる。その言葉に思わずホッとした。
マクガイヤを伴って留置所に行ったついでに警視庁舎にも顔を出し、一通り探りを入れて来た、とチャールズは言う。
「カートランドの名前を出したのがいけなかったようだ。詳しくはまだわからないが、カートランド家の関係者とは面会させないようにと、誰かから圧力がかけられている」
つまり、弁護士であるマクガイヤにも面会の許可が下りなかったのは、カートランド家の顧問弁護士だと名乗っていた所為なのだ。
その答えにマシューは眉を寄せた。
「それは……いいのか?」
「よくないに決まっているだろう。完全な違法行為だよ」
本来、留置所に入っている人間への面会は許可されている。多少の制限はあるものだが、一切許可がされないなんてことはあり得ない。弁護士すらも拒否されるなどは、決してあってはならないことだ。
関わっている警察官は懲戒免職ものだ。腹立たしげに答えたチャールズは大きく溜め息をついた。
「圧力の主はすぐに突き止めてみせる。こっちだって伊達に何年も弁護士をやっていないし、警察内部にもそれなりには顔が利くんだから」
「すみません、感謝します」
礼を言って頭を下げるマシューに、チャールズは首を振る。
「なにを言っているんだ。これくらいどうってことないよ、お義兄様。たまには頼ってもらわないと、年上としては寂しいものなんだけどね」
肩を竦めて軽口めいたことを口にするが、その表情はまだ僅かに険しい。
「とにかく、そんな違法行為までされている留置なのだから、取り調べの状況もどうなっているかわかったものじゃない。暴力を振るわれているとは思いたくないが、まともなものではない可能性もある。出来るだけ早く出してあげないと」
まずは逮捕状を掲げて来たジョン・ハウス警部のことについて調べてみよう、とチャールズは言う。事務所で雇っている調査員を動員して既に探らせていると言うので、マシューも懇意にしている探偵に動いてもらうことにした。
いろいろと話を詰めようと思ったときにメグがまたぐずぐずと泣き出したので、部屋に行くように指示をしていると、面会を終えたマクガイヤがやって来た。
「リュネットはどうだった?」
気が逸って前のめり気味に尋ねると、マクガイヤは暗い表情をして申し訳なさそうに首を振った。その様子を見てメグが暴れ出しそうだったので、メイドを呼びつけて部屋に連れて行かせる。
こちらも落ち着いて話を聞く為にお茶を運ばせてから、改めて面会の様子を尋ねた。
「尋問は、毎日同じことの繰り返しだそうです。何度も同じ質問をされ、それを否定すると、嘘をつくな、と恫喝される――その繰り返しだそうです」
もう少し耐えられる、とリュネットは気丈にも言っていたが、あの疲労具合を見る限り、そう長くは保ちそうにない。どんなに頑張ってもあと三日といったところだろう。
眠れていないことが一番の原因だ、とマクガイヤは訴える。
まさか、とチャールズは顔を顰めた。
「眠らせないなんて……そんなことをするか?」
「でも、リュネット嬢がかなりお疲れなのは事実です。目も真っ赤で隈も出来ていたし、痩せて……あまりにもお労しかったです」
たった五日程のこととはいえ、リュネットは瑞々しさを失ってかなり窶れていたし、薄暗い面会室の中にいても明らかに顔色が悪かった。いつ倒れてもおかしくないと思えるほどの様相だった。
倒れて介抱されるならまだいいが、あの状況ではそれも怪しい。意識が朦朧としているところを責め立て、自供させるつもりかも知れない。
そんな自供が裁判の役に立つか、とチャールズは腹を立てるが、マクガイヤは暗い表情のまま「あの様子を見ればそう感じます」と答えた。
一見暴力は振るわれてはいないが、これは明らかに暴力だ。体力的にも精神的にも追い詰め、無理矢理に罪を認めさせようとしている。
「何故そこまで……っ」
尋問を受けるリュネットの苦痛を思い、マシューは言葉を詰まらせた。
いくらなんでも酷過ぎる。早く冤罪を証明しないと、リュネットが壊れてしまう。
「他にはなにかなかったか?」
「どうかお健やかに、とご伝言を承って来ました」
その言葉にマシューは表情を歪めた。そう言ったときのリュネットの表情までもが思い浮かび、胸が苦しくなる。
自分は健康を害しかけているというのに、他人のことを気遣うなんて、馬鹿だ。
「それと、こちらをお預かりして参りました」
今はまだなにも出来ないでいる自分の無力さを腹立たしく思っているマシューに、マクガイヤは鞄の中から小さな巾着袋を取り出した。
受け取ったマシューは結び目を解き、その中身を確かめる。
「これは……お母上の形見の首飾り」
繊細な銀細工が縁取るスターサファイアの首飾りには見覚えがあった。
無事だったのか、とマシューは驚いた。
「留置所に入るときの身体検査でも発見は免れたようです。けれど、今後はいつ見つかるかわからないだろうということで、お預かりしたのです。わたしが持つよりも、侯爵がお持ちになる方が安全かと思いまして」
「わかった。預かっておく」
リュネットが唯一持っている亡き両親と繋がる形見だ。
この首飾りが狙われている、とリュネットは言い残して行ったという。つまり今回のことは、ドナルド・スターウェルが裏で糸を引いている可能性がかなり高い。
以前からスターウェル家の調査を頼んでいる探偵の話に因ると、ジョセフはロンドンをふらついていることが確認されているが、父親であるドナルドは時折こちらに顔を出しつつも、ほとんどは領地にいるようだということは掴めている。もう少し詳しく身辺を探るべきだ。
「バーネッ……ああ、いないんだった」
忠実な従者を呼びかけて、マシューは額に手を当てる。三日前に使いに出したのを失念していた。
秘書のような職務も兼任している優秀な従者が出かけているらしいことに、チャールズは不思議そうに首を傾げた。彼がいなくなったら身支度以外にも不便だろうに。
何処に行かせたんだ、と尋ねると、マシューは微かに唇を笑ませた。
「切り札を取りに行かせた。海の向こうにね」
リュネットの身を守る為の最大のカードが、海の向こうにある。
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