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エピローグ
しおりを挟む春の気配が徐々に遠退いてきた頃、一通の招待状が届いた。
待ち望んでいたそれを手にしたメグは、足取りも軽く長姉のタウンハウスを訪れる。
「こちらにも届いていますよ」
すっかりと大きくなった腹を抱えたカトレアは、訪ねて来た末妹に微笑んで答えた。
「来月の頭ですって。お姉様、大丈夫?」
「そうね。産み月は七月の予定だから、なんとか大丈夫だと思うわ」
出産予定までにはひと月と少しある計算になる。余程無理をしない限り参列しても大丈夫だろう。
お腹を摩りながら「うふふっ」とカトレアは思い出し笑いをした。
「なぁに?」
「うちの子とお兄様が大喧嘩した話、メグちゃんにしたかしら?」
「聞いてないわ。ヴィオラと? サミーと?」
「ヴァイオレットよ」
今思い出してもおかしくて堪らない。
兄が領地に戻ってからいくらもしないうちに、兄から『リュネットが求婚を受け入れてくれた』という報告の手紙が届いた。結婚の時期は未定だということだったが、一緒に暮らしていることだし、そう先にはならないだろう、と書いてあった。
煮え切らない態度で濁しながら「口出しするな」と言っていたくせに、結果は予想よりもずっと早く出たようだ。カトレアは祝福の言葉を認めて返信したが、その話を聞いて怒り出したのはヴァイオレットだった。
『エレノア先生は私の先生なのに!』
前々任の家庭教師が幼馴染みから求婚されたという理由で辞めて行ったので、結婚したらリュネットは家庭教師をしてくれなくなるとわかっていたらしい。
折角ゴードンの後任になる者も無事に決まり、リュネットが約束通り、花が芽吹く頃にはヴァイオレットの家庭教師に来てくれる話になっていたのに、結婚したらそれは叶わない。ヴァイオレットは物凄く腹を立て、その怒りを伯父宛ての手紙に書き殴った。
姪を可愛がっている律儀な伯父はすぐに返事をくれたが、それがまたヴァイオレットの気に障ったらしい。ヴァイオレットはマシューからの手紙を丸めて顔を真っ赤にして怒り、子守りやメイド達をおおいに困らせた。
普段はお姉さんぶってませた言動をする娘が珍しく癇癪を起しているので、気になって手紙を見せてもらうと、小さい子を相手になんとも大人気ない内容であるのは確かだった。
呆れて兄に苦情を入れると、彼はすぐにロンドンに戻って来て、ヴァイオレットに面と向かってこう告げた。
『エレノア先生は僕と結婚することになったから、ヴィオラの先生にはなれないんだ。ごめんね』
勝ち誇ったかのように微笑む兄の姿は完全に子供だった。悪戯に成功したときのサミュエルとテオドールとまったく同じ表情をしていた。
いつもは鷹揚というか、誰に対しても穏やかに接する兄にしては意外な態度で、それが小さな姪に対するものだったので、カトレアはますます呆れた。
ヴァイオレットはぎゃんぎゃん泣きながら抗議するが、求婚を受け入れられて上機嫌な兄はさらりと受け流す。
なんとか娘を宥めようとカトレアは尽力したが、マシューが大盤振る舞いで火に油を振りかけるかのような態度を取り続けるので、ヴァイオレットは荒れに荒れた。娘が生まれてもうすぐ九年――あんな姿は一度として見たことがないほどの荒れっぷりだった。
マシューにとって、彼と同じくリュネットに好意を寄せるヴァイオレットは、どうにかして追い落としたいライバルなのだろう。ますます大人気ない。
丁度その場に、予定より一日遅れて訪れたジュヌヴィエーヴの姿には救われた。リュネットにそっくりな彼女が宥めてくれたので、泣きながら伯父に殴りかかっていたヴァイオレットは落ち着きを取り戻し、一応は騒動が収着した。
事情を聞いたジュヌヴィエーヴは、
『まあ、そうでしたの。あの子が決めたことなら祝福致しますわ、カートランド卿。リュネットをよろしくお願い致します』
と孫娘が嫁入りすることをあっさりと認めていたが、
『でも、以前も申し上げましたけれど、婚前交渉だけはお控えくださいましね?』
と底冷えするような笑顔で釘を刺していた。どうやら兄の素行を軽く調べていたらしい。
顔を真っ赤にして涙目で怒るリュネットと違い、ジュヌヴィエーヴは氷のような笑みを浮かべて怒るらしいことを知ったマシューは、思わず身震いしていた。女性に対してそんな態度をするのは珍しい、とカトレアは兄の様子を面白く思って眺めていたのだった。
「――…で? ヴィオラは納得したの?」
カトレアの話を聞いていたメグも、兄のことには呆れたらしい。
「納得するわけないじゃない。今度は泣きながらリュネットさんにお手紙を書いていたわ」
リュネットからも間を置かずに返事があり、ヴァイオレットの教師を引き受ける旨が記されていた。ヴァイオレットは大喜びだった。
そして、カトレアにも手紙が届けられた。しかも内容は『兄君がしつこいので家庭教師の仕事は続けることにしました。ご迷惑でなければ雇ってください』というものだった。
今度はマシューからカトレアに抗議の手紙が届いたのは言うまでもない。
「もう本当に、お兄様にも困ったものだわ。お陰で流産するかと思ったもの」
お腹は張るし痛むし、かなりつらかった、となんとか無事だった腹を撫でながらカトレアは笑う。
一連の騒ぎがあったのは三月のことだという。メグは遅めの新婚旅行から帰国したばかりの頃で、まったく知らなかった。姉達が忙しそうだったので訪問も遠慮していたのだが、まさかそういった事情もあったとは思わなかった。
「しつこいって、お兄様なにしたの?」
リュネットは昔からマシューに対して怒りの沸点が低いが、メグ以外の第三者を巻き込んで怒ったりすることはあまりなかった筈だ。
「何度も訊いたのですって。きみは本当に僕の妻になってくれるのか、家庭教師の仕事を続けられなくなるけどいいのか、本当は仕事を続けたいのだろう、って。大丈夫だと言っても、思い出したように何度も同じ質問をされて、とうとう頭に来てしまわれたそうよ」
「お兄様……」
馬鹿なのかしら、と本気で呆れてしまう。
あの兄はそんなネチネチとした性格だっただろうか。見慣れた伊達男の格好つけたすまし顔しか思い浮かばず、リュネットに縋る姿が想像つかなかった。
とにもかくにも『本当に辞めても後悔しないのか?』とあまりにもしつこく訊かれた為、諦めようと決心した気持ちがグラついたらしい。リュネットは家庭教師の仕事に復帰することを決めた。
カトレアは大歓迎だった。ヴァイオレットはよく懐いているし、リュネット自身のことも気に入っている。
しかし、今度は領地にいる家政婦のモンゴメリとメイド頭のサラ、タウンハウスのメイド頭ポリーから、切実な嘆願書が寄せられた。家令のハワードまで連名だったので何事かとギョッとしたのは言うまでもない。あまりにも驚きすぎて今度こそ流産するかと思った。
「私ね、一番長くお兄様の妹をやっているけど、お兄様が子供っぽい癇癪持ちだとは知らなかったわ。だって昔からあんな調子だったから」
嘆願書の内容に因ると、以前にマシューは、リュネットとの間になにかあり、癇癪を起して彼女を閉じ込めたことがあるらしい。すぐに自分の態度を反省して謝罪していたが、モンゴメリ達は普段は温厚な主人のそんな行動におおいに戸惑ったということだ。
ようやく結婚する話が持ち上がり、マシューも上機嫌で落ち着いてきたというのに、リュネットが出て行くことになったら、今度こそなにをしでかすかわからない。リュネットの身に危険が及ぶかも知れない。だからどうにか治まるように協力してくれ――というものだった。
しかし、リュネットの腹立ちも終息を見せない。あのバーネットまでも、二人の仲裁を求めてチャールズに連絡を寄越すくらいなのだから、かなり深刻だったようだ。
カトレア達もやきもきした。なかなか身を固めない兄がようやく妻を娶る気になったというのに、このまま立ち消えになっては面倒だ。
そこで出された妥協案が、この招待状だった。
マシューとリュネットは結婚する。そのあとリュネットは二年間の期限付きで、ヴァイオレットの家庭教師としてカトレアの許へやって来る。但し、月に一度はマシューの許へ帰省するのが条件だ。社交シーズン中も家庭教師の仕事を優先させつつも、出来るだけ妻としての立場も熟すことを要求してきたが、それは状況に応じてということで決着している。
結婚しているという事実があれば、マシューを安心させられる。リュネットは彼の妻であり、マシューは彼女の夫であるのだ。神の前で誓いを立てた二人を誰かが引き裂こうとするのは容易ではない。
それでもマシューを納得させるまでにひと月かかった。このときは学友でもあるアンソニーがかなり説得に力を注いでくれたが、マシューは子供のようにごねてかなり面倒だったらしい。話を聞いたマリゴールドが時折愚痴りに来ていた。
リュネットの方も渋々だったらしい。説得に当たっていたのは主にモンゴメリと、一番仲がいいというハウスメイドのミーガンだったのだが、リュネットは元々結婚願望があったわけでもないし、マシューの態度に腹を立てていたこともあるので、別にしばらくは結婚出来なくても構わないと思っていたようだ。一緒に暮らさないのに結婚をする意味はあるのか、と怪訝そうにするので、マシューの為だ、頼む、と根気よく訴えて了承を取りつけたという。
兄がそんな状態で、リュネットは苦労しそうで可哀想だ、とメグは溜め息をつく。兄がそんなにもリュネットに執着するとは思わなかった。
恋は盲目だという言葉があるが、マシューの態度はまさにそれだろう。今までどんな女性と懇意にしても、深い間柄になっても、一度としてこんなことになったことはなかったというのに、リュネットのことだけは違うようだ。
遅れて来た初恋は性質が悪いな、と妹達は溜め息を零した。
「それにしても、もう少し時期をずらしてくれてもいいものなのにね」
招待状を開いたカトレアは苦笑する。
リュネットの祖母であるジュヌヴィエーヴは、顧問弁護士であるローガンとチャールズの協力の下、ドナルドは隠居させ、息子のジョセフが家督を継ぐという方向でノースフィールド伯爵家の件をすべて片付けて手続きを終え、先週に帰国したばかりだ。来月の結婚式にまた渡航して来るとなると、見た目は若くとも、老人と呼べる実年齢の身体には堪えることだろう。
もう少し期間を開けるなり、多少急ではあるが、ジュヌヴィエーヴが滞在中に挙式出来るように計画すればよかったのに。
「それもこれも、リュネットさんと喧嘩していたのが原因ね」
リュネットと揉めていた為にすべての手配が遅れたのは確かだ。あの騒動がなければ、もっと早くに招待状の手配も出来たし、今月中には挙式出来た筈だ。そうしたら、ジュヌヴィエーヴにはもう少し滞在を延期してもらって、そのまま参列してもらえたことだろう。
つまり、すべてマシューが悪いのだ。
まったくだわ、とメグも頷く。なにもかもあの兄が悪い。
それでもこれで一安心だ。ふらふらしていた兄は最愛の女性を見つけて一途に思っているし、不遇続きで生きて来たリュネットも心穏やかに暮らせる環境を手に入れられる。
「……あら、いけない。もう行かなくちゃ」
時計を見たメグは慌てて立ち上がった。
「このあとリュヌと一緒にマダム・ミレーユのお店に行くの」
「まあ。もしかして、結婚式のドレスのお仕立て?」
「そうよ」
リュネットは半月ほど前からタウンハウスに来ている。議会が開会しているので、貴族議員のマシューはそちらに出席する為にひと月前から来ているし、世の中は社交シーズンに突入している。親類に会わせる為にマシューが連れて歩いているのだ。
「私がお兄様が選ぶものよりも、うんとリュヌに似合うドレスを選んであげるの」
メグは満面の笑みを浮かべ、もうすぐ義姉となる親友の待つ仕立て屋へと向かう為、足取り軽く姉の家を辞した。
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