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リク)賑やかな日々
しおりを挟む子供が生まれるところまで読んでみたい、と仰ってくださった方がいましたので、
蛇足とは思いますが、数年後のお話を書かせて頂きました。
よろしければご笑覧ください。
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「お戻りなさいませ、旦那様」
出迎えに出たハワードの言葉に頷き返しながら、マシューは三週間以上ぶりに戻った本邸の空気に視線を向ける。
「僕が留守の間になにか変わったことは?」
まったく面倒な用事だった。とある親族の男が借財を抱え込み、その関係から暴力事件まで起こしたもので、一族の長としてマシューが足を運ぶ羽目になったのだ。短期間で無事に解決出来たことはよかったが、顧問弁護士のマクガイヤにも随分と迷惑をかけて申し訳なかった。
来週からは議会も始まるので、またロンドンのタウンハウスに移るというのに、休まる暇がない。
「いいえ、特には。いつも通りでございました」
ハワードがいつも通りと言うからには、本当になにもなかったのだろう。安心して頷いたマシューの耳に、ゴトン、となにかが転がり落ちたような音が届いたのは、その直後のことだった。
誰かが掃除をしていて花瓶でも倒したのだろうか、と廊下の何ヶ所かに飾られている大きく重たい花瓶の存在を思い浮かべながら、ふいっと階段の方へ目を向ける。すると、ゴトン、とまた音が響いた。
ゴトン、ゴットン、と断続的な音は、徐々に近づいて来ているような気がする。
まさかあの大きな花瓶のどれかが階段を転がり落ちているのだろうか。それにしては、随分とゆったりと断続的な間隔を開けて音が聞こえてくる。
どういうことだ、とマシューは訝しげに眉を寄せるが、ハワードはなにも気にしていないようだ。あの音は聞こえているだろうに、しらっとしている。
どうせ通り道だ。なにが転がっているのかは、道すがら確かめればよい、と階段に向かって歩き出したマシューの目の前に、布の塊のようなものがゴロリと転がり出て来た。先程の音はどうやらこれだったらしい。
驚いて思わず身体を強張らせると、その布の塊はもぞりと身動ぐ。
「きゃーう」
布の塊と思しき物体は――赤ん坊だった。
マシューはギョッとする。
今この子は、明らかに階段を転がり落ちて来た。どういうことだ。
「シ――シエル!?」
何事もなかったかのようにきゃらきゃら笑って這い始めた我が子に駆け寄り、慌てて抱き上げると、ご機嫌だった子供は、その瞬間に火が点いたように泣き出した。息子ではない。娘の方だ。
「ハワード!」
ぎゃんぎゃん泣いて暴れる我が子を抱きかかえながら、マシューはこの状況に無反応な家令を振り返る。
「どういうことだ!?」
「どう、とは?」
「今この子は階段を転がり落ちて来たんだぞ? 怪我をしたらどうするんだ!」
ハワードを叱っても仕方がない。責めるべきは子守りだ。
はあ、とハワードは珍しく気のない返事をする。
「奥様が気にするなと仰られましたので」
「リュネットが?」
「はい。追い駆けるのも疲れるだろうから、放っておいていい、と」
それはいったいどういうことか、とまた顔を顰めたところに、ゴトン、と先程と同じ音が再び聞こえ始める。
まさか、と青褪める間に、もう一人の赤ん坊が階段を転がり下りて来た。なんということだ。
情けなく悲鳴を上げながら駆け寄り、次の段に落ちようとしていた小さな身体を支えた。
本当にいったいなにがどうなっているのか――たった三週間ばかり留守にしていた間に、なにがどうなったらこういうことになってしまうのだろうか。
「お坊ちゃまとお嬢様の最近のお気に入りは、階段を転がり下りることなのでございます」
相変わらず泣き叫ぶ娘と、邪魔されてご機嫌斜めで暴れる息子を抱えながら、間抜けな体勢で階段に引っ繰り返っている主人に向かい、ハワードは淡々と説明を始める。
最近、掴まり立ちを覚えた双子だが、まだまだ床を這う方が性に合っているらしく、屋敷中を這い這いして動き回っている。それがまた随分と活発に動くもので、子守りもメイド達も従僕達も追い駆けきれず、小さな暴れ馬達を止められずにいたのはマシューも知っている。
そんな可愛い悪魔のような二人が、マシューが留守にしている間に覚えたのが、階段を使って移動することだった。
しかし、這っている姿勢では上手く移動出来ないし、立って歩くのもまだ覚束ない。その結果、どちらが初めにやり出したのかはわからないが、二人は段差を転がり下りることを習得した。
これはとても危険なことだ。いつどんなことがあって大怪我するかわかったものではない。もちろんそんなことは母親であるリュネットもよくわかっているのだが、彼女は子供達を止めることをやめたらしい。使用人達にもそう言っているということだった。
大泣きするようなら助けてやってくれ、と言われたので、使用人達はその指示に従っているのだという。
ハワードの説明に、マシューはどうしようもない気持ちになってしまう。
妻であるリュネットは、気が強いが臆病なところがあるし、子供のことに関しても随分神経質になっていたのだが、三人も生むと考え方も変わってしまうのだろうか。
「あ、父様。お帰りなさーい」
泣き喚く双子をどうにか宥めようとしていると、上の子供の声が聞こえて来た。
「エリファレット」
普通に降りて来た長男の様子に思わずホッとする。五歳になるこの子は、さすがに自分の足で歩いて降りて来た。
「やあ、タイラー。今日はママと一緒に来たのかい?」
エリファレットと一緒に降りて来た赤毛の子供に、マシューは軽く挨拶する。彼はエリファレットよりも半年程先に生まれたリタの息子だ。
こんにちは、と幼いながらも礼儀正しく挨拶を返したタイラー・クーパーは、リタはリュネットの部屋にいる、ときちんと答えた。
以前はあまり親しくしている様子はなかったのだが、同じ時期に子供が生まれた所為か、リタとリュネットはなにかと交流しているようだ。子育ての相談でもしているのだろう。
「お前達は危ない遊びをするんじゃないぞ」
泣き叫ぶ双子を無理矢理両腕に抱えながら、やんちゃの盛りになってきた少年達に釘を刺す。記憶に間違いがなければ、この二人は階段の手摺りを滑り降りていたことがあった。ハワードに叱られていたが。
二人はにこにこと笑みを向けて頷いた。
「これからね、川に魚釣りに行くんです。いいでしょう?」
「川? 二人でか?」
「ううん。ロンとレイと、ジョーイと一緒に」
「あと、トミーとアーチーも」
ね、と二人は楽しそうに頷き合ったが、出された名前がいったい誰なのか、マシューにはよくわからない。けれど、ロンとレイというのが雑貨屋オズボーンの双子のことなのはわかった。年上の者が同行するのなら一応は安心だろうか。
いいぞ、と頷くと、二人は手を合わせて喜び、そのまま玄関の方へ走って行った。
そんな息子達の後ろ姿を見送り、マシューは疲れ知らずに泣き叫んで暴れている双子を抑えつけながら、妻の部屋を目指す。
階段を昇って行くと、さすがに子供達のぎゃんぎゃん泣き叫ぶ声が聞こえたのか、リュネットが部屋から出て来た。
「まあ、あなた……。お戻りに気づかず、申し訳ありません」
「いいよ。それよりこっちを」
陸に上がった魚のように生きがよく暴れているエトワールを渡す。ここまでくると、マシューではもう泣き止ませることが出来ない。あらあら、と苦笑しながらリュネットが受け取ると、殺人鬼に追われているかのように泣き叫んでいた娘は、ぴたりと泣くのをやめた。
「どうしたの? お腹が空いているのかしら?」
真っ赤な顔でぷくぷくと鼻を鳴らしながら母親を見上げたエトワールは、目の前の大きな胸にそっと頭を寄せ、そこを小さな指先で揉み始めると安心したのか、すっかりと泣き止んでしまった。
この双子――特に妹のエトワールの方は、生まれたときから一度もマシューに抱かれて機嫌を崩さなかったことはない。いつでも泣き叫んでいる。
いったいなにがよくないのだろうか。リュネットと同じ濃紺色の瞳の娘の様子を眺めながら、思わず溜め息が零れる。
マシューに抱かれたままだったシエルの方はいろいろとなにか諦めたのか、機嫌が悪そうな表情のまま、だらんと身体を預けている。その態度がなんだか赤ん坊らしくない。
「子守りは?」
リュネットの乳の出がよかったので、本人の希望で乳母は雇わなかった。子育てを手伝ってもらう為の子守りは二人雇っているのだが、その二人が揃って姿が見えない。
「マクドナルドさんはさっきエリファレットが怪我をさせてしまって、病院に行ってもらってるの。ブルックさんも昨日、この子達の相手をしてたら背中の筋を痛めてしまったみたいで、朝、起き上がれなかったの。ちょっと動けるようになったみたいだし、一緒に病院に行ってもらってるわ」
「怪我って?」
「あの子が散らかしていた玩具で転んでしまったの。わざとやったのよ、あの子。すっごく悪質な悪戯。叱ったんだけど、あなたからもあとで叱ってやってちょうだい」
エリファレットはリュネットに叱られてもあまり堪えない。母親を馬鹿にしているわけではないのだろうが、彼女が怒ってもたいして恐くないので、いつのまにか気にしなくなってしまったのだろう。
「それで、そのときに足首と手首を強く捻ってしまったみたいで、すごく腫れてしまっててね。本人は大丈夫だって言ってたけど、折れてたら困るじゃない」
確かにその通りだ。ただでさえこの子達の世話は大変なこともあるだろうから、ちょっとの怪我でも早く直してもらわなければ困る。
不運は重なるものだ、と苦々しく思っていると、部屋の中からリタがこちらを見ていることに気づいた。どのタイミングで挨拶をするべきか、と悩んでいたのだろう。
「やあ、リタ。元気そうだね」
「ご無沙汰致しております、旦那様」
「さっき下でタイラーに会ったんだ。うちの子の遊び相手になってくれて助かるよ」
「いいえ、こちらこそ。親しくして頂いていて、嬉しいです」
そんなことを話しながら、あれ、とマシューは違和感に気づいてしまう。
「ねえ、リュヌ。もしかして、エリファレットは外出禁止とか、そういうことにしていた?」
人に怪我を負わせるような悪戯をして叱られたというのに、さっき会った本人はケロッとしていた。反省の色もなにもなかったのに、リュネットが遊びに出かけることを許すとは思えなかった。
そうよ、とリュネットは頷く。
「反省しないから、今日は一日学習室で大人しくしているように言って、お夕飯は抜きってことになっているの」
もちろんそんなことで堪えるような子でないことは、母親であるリュネットもよくわかっている。だから、マシューが帰って来たらガツンとしっかり叱ってもらおうと思っていたのだ。
しまった、とマシューは顔を顰める。
「ごめん。川に行くって言うのを、送り出してしまった」
リュネットは驚き、すぐに怒りの表情に変わるが、マシューを責めても仕方がない。
結局エリファレットは、リュネットが叱ってもまったく反省などしていなかったのだ。ショックで泣けてくる。
悲しげに視線を落とした妻の肩にマシューは腕を伸ばして抱き寄せる。
「ごめんね、僕の落ち度だ。連れ戻して来るよ」
「そんな……お帰りになったばかりで、疲れていらっしゃるでしょう?」
「大丈夫だよ。村までなんてすぐだし」
囁いて額に口づけ、すっかりと眠ってしまったエトワールを受け取る。
「二人を子供部屋に戻したら行って来るよ」
「ごめんなさい、ありがとうございます」
申し訳なく思いながら礼を言うと、マシューは微笑んだ。
「労うなら、キスして欲しいな。ベッドの中で」
そんな夫からの囁きに、リュネットは怒ったように頬を染めたが、小さな声で「人がいるところでやめてください」と答えた。
この受け答えは昔から変わらない。それがおかしくて、嬉しくて、マシューは声を立てて笑った。
友人達と楽しく川魚を追い駆け回していたエリファレットは、連れ戻されたあと、マシューからこってりと搾られ、覚えたての文字で反省文を書かされることになった。出来がよければ許されるが、それでも本人に反省の色が見えなければ、何度でも書き直させる。
七度目のやり直しを言い渡したときにはもうすっかりと夜も更け、とっくに五歳の彼が就寝すべき時間になっていたので、仕方なく、続きは明日へと持ち越すこととなった。ホッとしている様子を見ると、まだあまり反省していないようだ。
よくあるように鞭で叩いて罰を与えるという手もあるが、痛みで覚えさせる躾というのもどうかとマシューは疑問に思っている。リュネットが幼い頃を過ごした寄宿学校で、そういう躾のされ方をしたのを嫌っていることもあるし、なるべくなら口頭で理解させたいと思っているのだが。
反省文を待つ間に、溜まっていた書類に目を通すことも出来たのはよかったが、さすがに少し疲れてしまった。欠伸を零しながら従者のバーネットを呼び、寝支度をするように言って部屋をあとにした。
「あ、旦那様。よかった」
寝酒を一杯引っかけようと思って厨房へ向かっていると、ハワードに呼び止められる。
こんな時間に何事かと思えば、浴槽の湯を抜こうと思っていたところで、どうするか、ということだった。
風呂には入るつもりだったのだが、書類整理に集中していた所為ですっかり忘れていた。湯を足してもらうように頼み、浴室へと進路を変える。
リュネットは使ったあとだったらしく、彼女が使っている香油の匂いが、少し冷えた浴室の中に微かに残っていた。その匂いを嗅ぎ取り、我が家に帰って来たのだと改めて実感する。
「――…ああ、ビットさん。悪いね」
着替えようと思って指輪を外して棚の上に置いていると、料理長のジェシカが熱い湯の入ったバケツを提げてやって来て、いいんですよ、と笑いながらそれを浴槽に空けていった。こういう仕事は彼女の部下のキッチンメイド達がやるものだが、彼女達は今夕食後の片付けと朝食用の仕込みを行い、そのまま厨房の掃除をしているらしく、代わりにジェシカがこちらの仕事をやることにしたらしい。
あと一往復する、と言い残して立ち去られたので、礼を言ってカフスボタンを外した。
浴槽に熱い湯がたっぷりと満たされたので、ゆっくりとそこへ身を沈める。手脚をうんと伸ばしてみると、背骨の方でゴリゴリと音がした。思っていたよりも凝っていたらしい。
よくよく考えると、今年でもう三十六歳になった。一応は気をつけておかないと、身体の何処をおかしくするかわかったものではない。
特に大病もせずに元気だった筈の父は、風邪を拗らせ、四十六歳という早さで世を去った。その年齢が近づいて来ているのだということを実感すると、子供達がまだ幼いこともあるし、しっかりしておかなければ、と思う。
なにより、最愛の妻を早々に未亡人にするわけにはいかないではないか。
「バーネット、石鹸を取ってくれるか?」
腕や肩を回して凝りを解していると、ドアが開いた音がしたので、従者が着替えを持って来てくれたのだろうと思って声をかける。すぐに石鹸は差し出されたが、その持っている手に思わず目を瞠った。
「リュヌ? どうしたの?」
意外な人物の姿に首を傾げると、彼女はちょっと頬を染めて眉を寄せる。
「……たまには、こういうこともいいかと思いまして」
言いにくそうに答えながら寝間着の袖を捲り、マシューの後ろへと回り込んで膝を落とす。
「髪を洗いますね」
「あ、うん。頼むよ」
こんなことをするのは初めてだ。驚きつつもちょっと嬉しくて、マシューは思わず口許を緩めた。
石鹸を泡立て、まずは耳の後ろのあたりに触れてくる。リュネットの細い指先が不慣れな様子で頭を擦るのは、意外と心地がよかった。マシューは目を閉じ、妻の手の感触をゆったりとした気持ちで受け入れる。
「ひと月近くも留守にして、悪かったね」
妻の顔を見上げると、いいえ、と彼女は微笑んだ。
「寂しかった?」
小柄な彼女の顔を下から見上げるようなことは滅多にないので、それが少し面白くて、つい軽口を叩く。リュネットはちょっとムッとしたような表情をして首を振った。
「子供達がいますもの」
それもそうだ。あれだけ騒がしい子供が三人もいるのだから、夫の不在程度を寂しがる暇などないに決まっている。
そんなことはわかっているが、それでも、もう少し寂しがってくれてもいいのではないか、と少々悲しく感じながら静かに目を瞑った。
「――…嘘」
髪を洗っていた手を止めたリュネットが小さく囁き、マシューの鼻先に唇を触れさせる。その仕種にマシューは瞼を上げた。
「本当は、少し、寂しかった」
そう囁いたリュネットは、頬を赤く染め、瞳を僅かに潤ませていた。
結婚してから七年も経つので、彼女のこういう表情を見るのは随分と久しぶりな気がする。そのことに驚き、恥ずかしがり屋で控えめな彼女が、自らキスをしてくれたことにも驚いた。
「リュネット……」
軽く触れるだけで離れてしまった妻の唇を引き戻し、もう一度口づけるが、彼女の顎とこちらの鼻先が当たってキスがしにくい。マシューはリュネットが逃げ出さないように腕を掴んだまま身を起こし、浴槽越しに引き寄せて改めて口づけた。
「んっ……駄目」
「何故?」
「髪――石鹸を、流して」
「ああ、そうだったね。流してよ」
「じゃあ、離して。このままでは濡れてしまうわ」
「脱げばいい」
耳朶に唇を寄せて囁きながら、寝間着の釦を外しにかかる。リュネットは少し困ったような表情をしていたが、強い抵抗はしてこなかった。
けれど、三つ目の釦に指先が触れたとき、赤ん坊の泣き声が聞こえていることに気づく。
夫婦揃ってドアの方へ目を向けると、少しして、控えめなノックの音が響いた。
「申し訳ございません。奥様は、こちらにいらっしゃいますでしょうか?」
あれはリュネットの身の回りの世話をしてくれている侍女のエリザベス・ホーンの声だ。
リュネットは慌ててマシューの手を叩き落とし、石鹸だらけの手を洗って釦を留めながら立ち上がり、返事をする。
「ごめんなさい。どうかしましたか?」
ドアを開けに行くと、ぎゃんぎゃん泣き叫ぶ二重奏が派手に響いてくる。
子守り達が揃って怪我をして身動きが取れないので、ホーンが子供の様子を気にかけてくれていたらしい。不慣れな彼女は疲れたような顔をして、はい、と困ったように頷いた。
「お嬢様が急に泣き出されまして……おしめではなかったので、お腹が空かれたのかと」
「こんな時間に?」
「そう思ったのですけれど、ちっとも泣き止まれませんし、その声でお坊ちゃまも起きてしまわれて……」
お陰で二人揃って泣き喚いているらしい。リュネットは思わず溜め息を零しながら、ホーンの抱えるエトワールを受け取る。
「モンゴメリさんもごめんなさい。子供部屋に戻りましょう」
シエルを抱いているモンゴメリに謝ると、くるりと振り返り、
「そういうわけだから、あなた。湯冷めされないうちに上がられてね」
と言い残し、さっさと浴室を出て行ってしまった。
残された主人に、家政婦と侍女はなんとも申し訳なさ気な目を向けてから、そっとドアを閉めて行く。
マシューは閉ざされたドアを眺めながら、大袈裟なくらいの溜め息を零し、泡を流す為に手桶に湯を汲む。最近こんなことばかりだ。
子供達は可愛い。多少手を焼くこともあるが、三人とも五体満足で元気だし、揃ってリュネットに似ていて天使のように愛らしいし、なにも文句をつけるところはない。しかし、夫婦の時間を邪魔されるのだけはなんとなく腹立たしかった。
リュネットも子供が生まれて以来そちらにかかりきりだし、二人目を作ろうとしたら予期せぬ双子で、育児の方で天手古舞いだ。お陰で彼女は夜になると疲れ切ってすぐに寝てしまうし、食事の時間さえゆっくりと一緒にいることがままならず、リュネット本人に言うつもりはないが、なかなかに悲しいことだ。
だからもう一人子守りを雇うか、乳母を雇おうと提案しているのだが、一人目のときをなんとか乗り切ることが出来ていたので、双子でも大丈夫だと思っていたのだろう。こういうところが彼女の考えの甘いところだ。
もう一度大袈裟な溜め息を零して湯から上がると、タイミングよくバーネットがやって来る。そのシラッとした表情が今はなんだか腹立たしかった。
「なんだ、今頃」
「お着替えをお持ちしようとしたときに、奥様がご自分がやるからと仰られたので控えておりましたが、どうやら事情が変わられたみたいでしたので」
まったくその通りなのだが、他人から改めて言われると舌打ちがしたくなる。
苦々しく思いながら差し出されたタオルを奪い取り、さっさと着替えを済ませた。
自分の寝室に戻ってみても、リュネットはまだ子供達を寝かしつけているのか、不在だった。そのことにもがっかりしながら、仕方なくベッドに潜り込む。
久しぶりに我が家に帰って来たというのに、相変わらず娘には犯罪者でも見たかのように泣き叫ばれ、その片割れも嫌そうな顔をしてこちらを見て来るし、上の子は天使の顔をしながらも捻くれてきているときてる。最愛の妻も構ってくれないし、散々だ。
今夜も独り寝か、と寂しく感じていると、ベッドが僅かに軋む。ふっと顔を上げると、リュネットが腰を下ろしたところだった。
「シエルとエトワールは眠った?」
「ええ。ちょっとぐずっていただけみたい」
そう言ってリュネットは微笑むと、マシューの頬に手を伸ばしてきた。
「だから、今度はあなたのことをあやしに来たのよ、マシュー」
その口振りにマシューは軽く双眸を瞠り、すぐに意地の悪い笑みを浮かべた。
「僕は子供達ほど簡単じゃないよ?」
「そうね。わかっているわ」
余裕ぶった口調で微笑んでいるリュネットだが、頬に触れるとそこがすごく熱くなっていて、彼女が耳朶の方まで真っ赤になっていることは容易に想像がつく。それが堪らなく愛しかった。
「久しぶりだから、加減が出来ないかも知れないな」
キスをしながら熱を含ませた声音で囁くと、リュネットは小さく頷く。ちろりと舌を覗かせながら、微かな声で「覚悟は出来ています」と答えた。
甘い香りのする首筋に口づけながら、今夜はもう子供達が夜泣きをしないように、とマシューはひっそりと祈った。
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