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5 お転婆娘、煩悶する
しおりを挟むどう考えても、ギャレットから避けられている。
「納得いかないわ」
ぶすくれた表情で居間の長椅子に腰かけているジュヌヴィエーヴに、アントワーヌが苦笑を向けた。
「お前、それ何度目だ? 納得いかなくても現実なんだから、仕方ないじゃないか」
「それでも納得いかない」
クッションに八つ当たりを始めた妹の目の前に、エティエンヌがショコラを差し出した。
「ジジはちょっと性急すぎるんじゃないかな?」
「性急? そんなことないと思うわ」
受け取ったカップに尖らせた唇をつけながら、ジュヌヴィエーヴは呆れたように答える。
「あの人はお仕事でこちらにいらしているのよ? いつ帰ってしまうかもわからないのに、のんびりなんてしていられないじゃない」
大人の仕事の仕組みなどジュヌヴィエーヴは知らない。だから、ギャレットの赴任期間がいつまでなのかとかも知らないし、そこまで踏み込んで訊いてもいい間柄ではないと思っているので訊いていないし、それ故に、いきなり帰国してしまうかも知れないという不安は抱いている。
そんな不安から感じている焦りを、二人の兄達は理解してくれた。
ジュヌヴィエーヴお手製の菓子を口に運びながら、アントワーヌは「しかしなぁ」と少し苦いものを噛むような口調で呟く。
「あんなおっさんの、いったい何処がそんなにいいって言うんだか」
その口振りにジュヌヴィエーヴは鼻の頭に皺を寄せた。
「そういうことを言うものじゃないわ、アントワーヌ」
「事実だろう。お前より三十は上の男だぞ? ほとんど爺さんだ。お前の大嫌いな父さんと年が近いくらいだしな」
「あの男のことは関係ないわ! 名前を聞かせないで、虫酸が走る!」
最近ジュヌヴィエーヴは、自分がこちらに呼び寄せられた理由に薄々感づき始めている。
父――と呼ぶのも腹立たしいピエール・モンクレーヌは、関係を深めたいと思っている家にジュヌヴィエーヴを嫁がせたいのだ。やたらと男性に紹介されることで、そのことに気づいたのだ。
息子は大抵が独立してしまう。現に次男のアルフォンスと三男のジャン=ジャックは結婚して家を出ていて、父やジャン=ポールの仕事を手伝うつもりはないらしく、それぞれに役所と新聞社に勤めている。結婚相手もアルフォンスは父親の決めた相手とだったが、ジャン=ジャックは勤め先の上司の紹介だったらしい。
父の繁栄の為の道具にされようとしていることが堪らなく嫌だった。家に帰れないことも嫌で堪らない。それでも最近は出奔する機会が減っているのだが、それはジョゼフィーヌの体調があまりよくないことで、これ以上の心労をかけたくないという思いからだ。
苛々と飲み干したカップをテーブルに戻し、アントワーヌを睨みつける。
「あの人を悪く言わないで。あなただって、カトリーヌのことを雀斑の目立つガリガリの醜女って言われたら腹が立つでしょう?」
「なんだと!?」
「怒鳴らないでよ。例えなんだから」
「まあまあ」
喧嘩を始めた兄妹に、エティエンヌが割って入る。
「今のはアントワーヌが悪いよ。まずはジジに謝って。ジジもいくら例え話でも心にもないことを言うもんじゃない」
「俺は事実を言っただけだ」
「でも、ジジの好きな人を馬鹿にしたのも事実でしょう? 謝って」
弟の言うことは正論だ。アントワーヌは眉間に皺を寄せながらも、ジュヌヴィエーヴに頭を下げた。
「……悪かった」
「私もごめんなさい。カトリーヌはあなたに勿体ないくらい素敵な人よ」
「知ってる。あの英国人も立派な紳士だ」
よしよし、とエティエンヌは満足気に頷き、兄の肩を叩き、妹の頭は優しく撫でた。
「苛つくのもわかるけれど、ジジ。ここでアントワーヌやクッションに八つ当たりをしていても仕方がないことだと思うよ? 少し冷静になりな」
エティエンヌのその指摘は尤もなことで、反論の言葉が浮かばない。揉みくちゃにしていたクッションの皺を伸ばしながら、はい、と頷いた。
それでも気持ちは焦る。
ギャレットが自分と同じ気持ちであるとは思わなかったが、嫌われてはいないと思っていた。そのことに勇気を得て愛の告白をしたというのに、彼はとても素っ気ない。
初めて気持ちを告げてから既にひと月近く――七日前に三度目の告白をしてから、ギャレットと会えなくなってしまった。いつもの場所に行っても彼がいないのだ。
一応、彼の仮住まいの場所は知っている。突然の夕立ちで濡れたときにタオルを貸してくれたからだ。そこに直接訪ねようかとも思ったが、さすがにそれをすることは躊躇われた。
悲しみと苛立ちが込み上げてきて、ジュヌヴィエーヴはまたクッションに皺を寄せ始める。どうしてなにもかも上手くいかないのだろうか。
「ジジ~」
鬱々とした気分でクッションを抱き潰していると、アンリ=シャルルがやって来た。
「おじいちゃまがよんでいるよ。いっしょいこう?」
五歳の甥っ子は小さな手を差し出して来て、エスコートしてくれるつもりらしい。
父からの呼び出しなど碌なものではない。絶対に面倒事なのはわかっているが、断りにくいようにアンリ=シャルルを迎えに寄越したのだろう。
溜め息をつきつつ、差し出された小さな手を取った。
「なんだ。今日も出かけないのか?」
家の中にいたジュヌヴィエーヴに、父はにやにやとした顔を向けた。
ギャレットに会う為にほぼ毎日出かけていたからだが、ここのところ会えない日が続いているので、天気があまりよくないこともあり、家で大人しくしていた。
しかし、そのことを素直に答えてやる義理もないので、黙って睨み返すだけに留める。
「暇をしているなら、これから出かけるぞ」
別に暇をしているつもりはないが、予定がないのは事実だ。それでも父と出かけるのだけは御免だった。
「お断りします。ジョゼの傍についていたいので」
「ジョゼフィーヌは今日は朝から体調がよくないと報告を受けている。お前がついていてもなんにもならんだろうが。いいから来い」
父は明らかに不機嫌な声で命じてきた。
こういうときの父は、例えではなく、本当にジュヌヴィエーヴに縄をかけて連れて行く。
面倒なことになりそうだ、と思いつつ、ジュヌヴィエーヴは肩を竦めて勝手に部屋を出た。背後で父が鼻を鳴らすのが聞こえたが、反論するのも面倒だった。
部屋に戻ると待ち構えていたようにメイド達が部屋に入って来て、外出用のドレスを着つけようとしてくる。盛大に溜め息を零しながらも彼女達に任せた。
すっかり夏の盛りの今、エンパイアスタイルの白い薄物のドレスと、涼しげな水色のレースのストールはジュヌヴィエーヴの美しさを際立たせた。メイド達は自分達の仕える少女の美しさに満足気な笑みを浮かべ、髪型を整えると、ボンネットを被せて日傘を差し出した。
気乗りしない外出は憂鬱そのものだが、仕方がないこともある。お守りのように、小間物箪笥から一枚のハンカチを取り出すと手提げに入れ、もう一度溜め息を零しながら玄関へと向かった。
今日はジャン=ポールもおらず、本当に父と二人きりのようだ。うんざりする。
しばらく馬車に揺られて行くと、何度か会ったことのある織物商のルノワ家の屋敷へと辿り着いた。今日の約束はこちらの家とらしい。
ルノワ家の息子アランはとても嫌味な男で、他人を馬鹿にする笑い話でなければ、自慢話ばかりしているし、ジュヌヴィエーヴはあまり好きではない。年齢はエティエンヌと同じ二十五歳の筈なのだが、精神的にとても幼い男だ。
そんな男と「二人で散歩に行って来なさい」と父は言い出した。冗談ではない。
一応は父の顔を立てて、失礼にならない態度でやんわり断ろうと思ったのに、アランもその両親も乗り気だった。これはどうやら、今日は初めからこういう予定で話が通っていたようだと感じる。
あれよあれよと二人で家を出された。
(適当なところで、体調が悪いって帰らせてもらうか)
仕方なく並んで歩き出す。アランの話はいつものように、同年代の誰それの実家は事業が傾いているとか、誰それの令嬢はお高く留まっているが醜女だとか、そういう人を貶すものばかりだった。聞き苦しくてうんざりする。
話の半分も聞かずに無表情で適当に相槌を打ちながら、徐々に距離を取り始める。並んで歩いていることさえも不快だった。
ジュヌヴィエーヴだって父や長兄のことは悪し様に言うので、アランの言動のすべてを咎めることは出来ない。それでも、友人として仲良く付き合っている筈の人々のことを、こうも悪く言う様は聞くに堪えない。
(ムッシュウ・スターウェルなら、絶対にそんな悪口なんて言わないのに……)
ギャレットの口から悪口を聞いたことはない。そもそも彼は口数が少ないのだが。
唯一誰かに対する愚痴のようなものを聞いたことがあるのは、同僚がなかなかに世話焼きの人で、とても気にかけられているのが少し気疲れする、と苦笑交じりに話していたことだけだ。それも嫌がっているというより、自分の行動がそうさせてしまっているのがわかっているので申し訳ない、という反省に起因する言葉だ。アランの話とは全然違う。
よく回るアランの悪口雑言を聞き流しながら、ジュヌヴィエーヴはどのタイミングでお暇するかを計っていた。
「ジュヌヴィエーヴ、聞いてるかい?」
声をかけられてハッとする。まったく聞いていなかった。
ジュヌヴィエーヴは静かに笑みを浮かべる。
「……ごめんなさい、ボーっとしてしまったみたい。暑さの所為かしらね」
これはしめたものだ。暑気に当てられたことにして、このまま退散させて頂こう。
そんなことを考えたのだが、アランは大袈裟に「それは大変だ!」と声を上げ、ジュヌヴィエーヴの腕を掴んだ。
「え、ちょっと……っ」
そのまま引っ張って行かれるので、ジュヌヴィエーヴは焦った。
チャラチャラしている見た目のアランだが、成人男性ではあるので力は強い。ジュヌヴィエーヴなどが敵うわけがない。
木陰に連れて行かれると、そこへ無理矢理座らされた。
「少し涼んで行こう。ここなら涼しいね」
そんなことを望んではいないというのに。お節介な男だ、と思いながら曖昧に返事をして、どうにかして立ち去ろうとタイミングを計る。
「ジュヌヴィエーヴ」
溜め息をついてお守りのハンカチの入った手提げを握り締めていると、アランの手が肩に触れた。
「きみは本当に綺麗な子だね」
その囁き声に、ぞわりと肌が粟立った。
(――…なに!?)
アランの目つきに危険なものを感じ取ったときには、彼の手はジュヌヴィエーヴの両肩をしっかりと掴み、顔が間近までぐっと迫っていた。
「いやっ!」
思わず手提げを振り上げ、アランのご自慢の高い鼻先に見事にぶつけた。
痛みに涙目になったアランは、攻撃してきたジュヌヴィエーヴを睨みつける。彼のプライドを酷く傷つけたらしいことはすぐにわかった。だが、こんな男の好きにさせるつもりは欠片すらない。
更に掴みかかって来たので、もう一度手提げを振り回し、その手を逃れて身を翻す。しかし、一瞬遅れて腕を掴まれて引き戻される。
「触らない、でっ!」
後ろの倒れ込む反動を利用して半身を捻りながら脚を振り上げ、側頭部を蹴り飛ばす。アランは短く悲鳴を上げて倒れ込んだ。
その隙に素早く立ち上がって走り出し、今度こそ逃げ出すことに成功する。
(ああっ! 嫌だ、嫌だ! なんて男なの!)
掴まれたところを無理矢理振り払ったので少し捻ったらしく、手首がずくんと痛んだ。その鈍痛が先程の悍ましさを思い起こさせ、更に嫌な気分にさせた。
父はどうやらアランと縁づかせるつもりらしい。あんな男と。
腹立たしさと嫌悪と、無力な自分の身が嘆かわしくて、思わず涙が溢れてきた。
僅かに乱れた姿で泣きながら走るジュヌヴィエーヴの姿は奇異に映るのは当然で、すれ違う人々が怪訝そうな目を向け、人によっては顔を顰めて汚いものを見るような視線を投げかける人もいた。そんな視線を感じながら、ジュヌヴィエーヴは街中を走り抜ける。
家には帰りたくない。まだ父は帰っていないだろうが、同じ空気を吸うのすら嫌だった。
曇天からパラパラと雨が降り始め、ジュヌヴィエーヴを濡らす。この情けない涙を隠してくれるのなら、濡れるのもまたいい。
濡れた所為で服地が身体に纏わりつき、その不快さに顔を顰めて足を止める。雨はだいぶ強くなってきていた。
ふと目の前を見上げると、見覚えのある住居の前に立っていた。
気づかぬうちにギャレットの仮住まいの前まで来ていたのだ。
(来るつもりなんてなかったのに……)
こんな惨めな姿であの人の前に立ちたくはない。彼の前に立つときは、綺麗に整えて姿で、自信に満ちた表情で胸を張って立っていたいのだ。
それなのに、ジュヌヴィエーヴの手はふらふらと目の前のノッカーに伸び、それを握り締めていた。
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