悪女と呼ばれた死に戻り令嬢、二度目の人生は婚約破棄から始まる

冬野月子

文字の大きさ
54 / 64

54「また昔の男を気にしているな」

 二年生の中盤ほどまで進み、カインが登場した。
(大丈夫かしら……)
 期待よりも不安が勝ってしまい、ヴェロニカは緊張で体をこわばらせた。

 号令がかかると馬は軽快に駆け出した。
 障害を越える跳躍の高さはフィンセントよりもあるように見える。
(でも……そんなに速くはないわ)
 スピードよりも、正確に馬を操ることを心がけているのだろう。
 危なげなくカインが一回目の競技を終えたのを見届けて、ヴェロニカは大きく息を吐いた。

「ああ、緊張したわ」
「心配しすぎよ」
 緊張をほぐすようにルイーザはヴェロニカの肩を叩いた。
「だって……心配だもの」
「カイン様も慎重に乗っていたみたいだから大丈夫よ」
「……ええ」
「ほら、次はエリアス様よ」
 ルイーザの示した先に、馬に跨ったエリアスの姿が見えた。

 エリアスの馬はフィンセントの時よりも速く駆け出した。
「まあ、すごいわね」
 高い跳躍に観客席がざわつき、ルイーザが声を上げた。
「かっこいい……」
 アリサが呟いた。

(そういえば、アリサはエリアスが好きなのよね)
 少しうるんだような眼差しでエリアスを見つめるアリサの横顔は、恋する少女の顔だ。
 今もアリサはエリアスのことが好きなのだろう。
(どうして、エリアスはアリサが嫌いなのかしら)
 前世を覚えていないエリアスが、死ぬ原因となったアリサを嫌っているとは考えにくい。
 それに、それならば自身を殺したカインの方をより嫌うはずだ。

(アリサ……というよりアウロラが嫌いなのよね)
 宵の魔女の象徴でもあるアウロラの花を嫌う者は滅多にいない。
 それにエリアスも元から嫌いという訳ではなかったという。
(まるで前世の私と同じ……)
 ぞくり、とヴェロニカの背筋に何かが走るような不快な感覚を覚えた。

 もしも、エリアスが自分と同じ理由でアウロラが嫌いになったとしたら?

(……そんなことは……ありえないわ)
 エリアスも宵の魔女の影響を受けているなどということは。
 突然脳裏に浮かんだ、突拍子もない考えをありえないと思いながらも、ヴェロニカは胸の奥にじわりと不安が広がるのを感じた。



 一回目の競技の結果は一位がエリアス、二位がフィンセント、そして三位がカインだった。

「すごいわね、エリアス」
「ありがとうございます」
 ルイーザと共に選手たちの元へ向かい、ヴェロニカが声をかけるとエリアスは笑顔を向けた。
「二回目も頑張ってね」
「はい」

「カインも良かったわ」
 ヴェロニカは側にいたカインを振り返った。
「とても高く跳んでいたわ」
「ああ。あの馬は跳躍力はあるが、神経質で誘導するのが難しいんだ」
「だから少し遅かったのね」
「無理はしないと約束したからな」
 カインはヴェロニカの髪に触れた。
「二回目も慎重にいくから心配するな」
「……ええ」

「すごく不安そうに見ていたのよ」
 ルイーザが言った。
「そうだったのか?」
「……カインが上手いのは分かっているけど……」
「そんなに去年の悪夢を引きずっているのか?」
 カインの言葉に、ヴェロニカは視線を落とした。

 あれはただの悪夢ではなかった。
 前世では、ヴェロニカの願望に呼応した魔女の手により、本当にフィンセントが落馬した。
 そして今日もまた、カインを落馬させようとする魔女の声が聞こえたのだ。

「気に入らないな」
 ぽん、とカインはヴェロニカの頭に手を乗せた。
「え……?」
「前の男のことをそんなに引きずるとは」
「前の男!?」
「あの粘着質王子なら判断を鈍らせて落馬することもあるだろうが。俺はそんなミスはしないから心配するな」
 髪をくしゃりと撫でながらカインは言った。

「……ふふ、分かったわ」
 軽いカインの口調に、自分の不安を和らげようと言ったのだと気づいてヴェロニカは微笑んだ。
「いい婚約者ねえ」
(本当に)
  ルイーザの呟きに、ヴェロニカも内心頷いた。

 初めて会った時からカインは優しかった。
 最初はフィンセントへの当てつけが目的で、元婚約者の自分へ近づいたと婚約後に聞かされたが、今はヴェロニカ自身を望んでいると、そう言ってくれた。
(そういう正直なところも優しさなのよね)
 ヴェロニカの不安を取り除いてくれる、その言動はとても安心できるのだ。


 離れたところから女子たちの声が聞こえてきた。
「また大勢に囲まれているのね」
 ルイーザの声に、振り返るとフィンセントが女生徒たちに囲まれているのが見えた。

 長くフィンセントの婚約者候補と思われてきたヴェロニカが、カインとの婚約が決まってから、フィンセントへのアプローチはより激しさを増していた。
 卒業までに婚約者を決めるよう、国王から命じられているという噂もある。
 残り半年ほど。皆必死なのだろう。

「また昔の男を気にしているな」
 ヴェロニカがフィンセントの方へ視線を送っているとカインが言った。
「……そういう訳では」
「ヴェロニカ様」
 エリアスはヴェロニカの前へ立った。
「次の試合でも全力を尽くします」
「……ええ。頑張ってね」
「王太子殿下には負けません」
 その瞳の奥に、見たことがないような強い光を宿してエリアスは言った。


 二回戦は順位の低かった順から行われる。
 最後から三番目、カインは一回目同様危なげなく競技を終えた。

「今度は落ち着いて見られた?」
「ええ」
 ルイーザに尋ねられてヴェロニカは頷いた。
 カインと話して安心できたのだろう、最後まで不安になることなく見ることができた。

 カインの試合を見守っていたエリアスは、準備をするために馬の元へ向かおうと振り返った。
 馬を連れたフィンセントがこちらへ向かってくるのが見えた。

 道を開け、フィンセントが通り過ぎるのを待とうとしたエリアスの前でフィンセントは立ち止まった。
「私は必ず勝つ」
 前方を見つめたままフィンセントは口を開いた。
「キングとなり、ヴェロニカをクイーンに指名する。……そうして彼女に私の気持ちを伝える」
「――さようでございますか」
「邪魔はさせない」
 わずかにエリアスへ視線を送ると、フィンセントは再び歩き出した。

「……未練がましいな」
 ぽつりとエリアスは呟いた。
 既に婚約者のいるヴェロニカに、今更想いを伝えようとするとは。
(優しいヴェロニカ様はきっと心を痛めてしまうだろう)
 エリアスの腹の奥に、ふつりと怒りの熱が帯びた。
『ほんに、不快な奴よ』
 その熱に呼応するように、エリアスの頭の中に声が響いた。
『落馬させて彼奴の鼻をへし折ってやろう』
「……そのようなことをしなくとも、私が勝つ」
 一回目の競技ではまだ余力があった。
 馬も馬場に慣れ、二回目はもっと速い記録が出せるだろう。

『我はあの男が気に入らぬのだ。国を滅ぼした愚かな王子がな』
 あざ笑うような声がエリアスの耳元に残った。


 大歓声に包まれながらフィンセントの馬が走り出した。
「速いっ」
 ルイーザが思わず声を上げたほど、その速度は明らかにこれまでで一番だった。
(速すぎないかしら……)
 軽々と一つ目の障害を飛び越えるのを見守りながら、ヴェロニカの胸に不安が広がった。
 見守る観客の多くは、フィンセントの優勝を期待するだろうし、フィンセントとしても王太子としてエリアスには負けたくないだろう。
 けれど優勝するためには、少なくとも一回目より速い記録を出さないとならない。
(でも、あんな速く走ったら……)

 最後の障害を越えようと、馬が前脚を高く上げた。
 大きな身体が跳ね上がると、もがくように両脚をばたつかせる。
 その乱れた動きに、鞍上のフィンセントの身体も大きく揺れ、地面へと振り落とされた。

 観客席から悲鳴が上がった。
 地面へと倒れ落ちたフィンセントの元へ騎士や教師たちが駆け寄る。
(え――)
 目の前で起きた出来事にヴェロニカは息を呑んだ。
(どうして……まさか……魔女?)
 花壇で聞いた声を思い出す。
(でもあれはカインのことで……殿下じゃなかったわ)

 呆然としながら見つめていると、倒れていたフィンセントの頭が動いた。
 ゆっくりと、自らの力で起き上がる。
「……大丈夫そうね」
 見守っていたルイーザが安心したように口を開いた。
 騎士たちに両脇から抱えられながら、フィンセントは馬場から出て行った。
 しばらくして、教師から最後に行う予定だったエリアスの二回目の競技は中止となり、彼が優勝したことが告げられた。



「意外な結果だったな」
 観客席から出るとカインが待っていた。
「大丈夫か? 顔色が悪い」
 ヴェロニカの頬に手を触れるとその顔を覗きこむ。
「……驚いてしまって……」
「去年のことを思い出したか」
 ヴェロニカが小さく頷くと、カインはヴェロニカを引き寄せその背中に手を回した。
「馬術に落馬はつきものだ。だから必ず落ちる訓練もする。王太子も自力で立ち上がってただろう、そう恐れるな」
「……ええ」
 カインに背中を撫でられると、心が落ち着いてくるのをヴェロニカは感じた。

「エリアス様」
 こちらへ向かって歩いてくるエリアスに気づいてルイーザが声をかけた。
「優勝おめでとう」
「ありがとうございます」
「殿下の落馬のせいで二回目の競技ができなかったのは残念ね」
「――自信があったようですが。『必ず勝つ』と仰られていましたし」
「まあ、そんなことを言っていたの?」
「自身の力を過信したか、もしくは勝ちにこだわり焦ったか。いずれにしても、勝負の場では冷静になるのが大事だな」
 カインが言った。

「ヴェロニカ様」
 エリアスはヴェロニカの前に立った。
「今夜のパーティでクイーンになってくださいますか」
「ええ」
 ヴェロニカはエリアスを見上げて笑顔を向けた。
「私でよければ喜んで」
「ありがとうございます」
 ヴェロニカを見つめ返して、エリアスも笑顔で答えた。

あなたにおすすめの小説

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

〖完結〗どうやら私は悪役令嬢に転生したようです。破滅したくないだけなのに、なぜか婚約者が溺愛してくるのですが?

藍川みいな
恋愛
「お前は、無理……」 これが、初めて好きな人に告白して言われた言葉。 つらくて、悲しくて、会社を飛び出した私は交通事故にあって死んだ……と思ったら、大好きだった乙女ゲームの悪役令嬢ミシェルになっていた。 破滅確定の悪役令嬢に転生してしまった私は、運命を変えようと頑張る決意をする。 だけど、なぜか婚約者のウィルソン様が前世でフラれた彼と全く同じ顔をしていた。しかも、婚約破棄をする素振りは全くなく、溺愛してくるんですけど!? *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *小説家になろう様にも投稿しています。 本編52話+番外編5話で完結になります。 誤字報告ありがとうございます。承認不要との事でしたので、こちらでお礼を失礼します。

氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁

瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。 彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

【完結】断罪された悪役令嬢は、二度目は復讐に生きる

くろねこ
恋愛
公爵令嬢リリアーネ・アルフェルトは、 聖女と王国第一王子に嵌められ、 悪女として公開断罪され、処刑された。 弁明は許されず、真実を知る者は沈黙し、 彼女は石を投げられ、罵られ、 罪人として命を奪われた――はずだった。 しかし、彼女は教会の地下で目を覚ます。 死を代償に得たのは......... 赦しは選ばない。 和解もしない。 名乗るつもりもない。 彼女が選んだのは、 自分を裁いた者たちを、 同じ法と断罪で裁き返すこと。 最初に落ちるのは、 彼女を裏切った小さな歯車。 次に崩れるのは、 聖女の“奇跡”と信仰。 やがて王子は、 自ら築いた裁判台へと引きずり出される。 かつて正義を振りかざした者たちは、 自分が断罪される未来を想像すらしていなかった。 悪女は表舞台に立たない。 だがその裏側で、 嘘は暴かれ、 罪は積み上がり、 裁きは逃げ場なく迫っていく。 これは、 一度死んだ悪女が、 “ざまぁ”のために暴れる物語ではない。 ――逃げ場のない断罪を、 一人ずつ成立させていく物語だ。

〖完結〗旦那様が私を殺そうとしました。

藍川みいな
恋愛
私は今、この世でたった一人の愛する旦那様に殺されそうになっている。いや……もう私は殺されるだろう。 どうして、こんなことになってしまったんだろう……。 私はただ、旦那様を愛していただけなのに……。 そして私は旦那様の手で、首を絞められ意識を手放した…… はずだった。 目を覚ますと、何故か15歳の姿に戻っていた。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全11話で完結になります。

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

〖完結〗王女殿下の最愛の人は、私の婚約者のようです。

藍川みいな
恋愛
エリック様とは、五年間婚約をしていた。 学園に入学してから、彼は他の女性に付きっきりで、一緒に過ごす時間が全くなかった。その女性の名は、オリビア様。この国の、王女殿下だ。 入学式の日、目眩を起こして倒れそうになったオリビア様を、エリック様が支えたことが始まりだった。 その日からずっと、エリック様は病弱なオリビア様の側を離れない。まるで恋人同士のような二人を見ながら、学園生活を送っていた。 ある日、オリビア様が私にいじめられていると言い出した。エリック様はそんな話を信じないと、思っていたのだけれど、彼が信じたのはオリビア様だった。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。