永遠への階~オルセレイド王国物語~

弥生

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第35話 目覚めの鐘

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 朧な意識のどこか遠くで、甲高い鐘の音が二回鳴り響いた。
 その音に引きずられ、眠りに落ちていた思考が呼び起こされる。
 朝の穏やかな日差しが瞼の奥を緩やかに照らし出し、更なる覚醒を刺激する。
 気だるい身体を上半身だけ起こし、額に落ちた前髪をかきあげて、ゆっくりと息を吐き出した。

「ふう・・・・・・」

 霞がかった真っ白な思考に、次第に色が混じっていく。
 いつもと違う空気、いつもと違う天井、そして目の端に映るいつもと違う部屋の景色。
 ようやくここが自室ではなく、シルフィアの寝室であったことを思い出す。
 ふと、腕に肌の温もりを感じて視線を落とせば、鮮やかな白金の彩りが目に入り、思わず笑みをこぼしてしまう。

「シルフィア・・・・・・」

 アークレイに添うように、深い眠りに落ちている愛しいその人の名を呼んだ。
 頬に手を添え、サラサラと零れ落ちるように柔らかな前髪をかきあげると、シルフィアの白い額にくちづけをおとした。
 まるで夕べの再現のようだ。
 唇を離して見下ろすが、起きる気配はない。
 シルフィアは普段から寝覚めがよく、わりと早起きだと聞いていたが、やはり疲れがたまっていたのだろう。
 穏やかなその寝顔に、自然と笑みがこぼれる。
 昨夜は文字通り抱きしめあっただけだった。
 抱きしめあったまま、幾度も口づけを交わした。
 だが、それだけだ。
 口づけだけで、性的なことは何もしていない。
 いや、勢いにまかせてしまいそうな、危ない瞬間が何度もあったのは事実だが。
 シルフィア本人は全くの無自覚のまま、くらくらと眩暈がするような色香を放つのものだから、疼く身体を抑えるのは大変だった。
 普段からそのような欲求はあまり無く、自分でも淡白だという自覚は大いにあるのだが、アークレイとて何も清廉潔白というわけではない。
 そのようなシルフィアを前に、よくぞ我慢ができたものだと、自分で自分を褒めてやりたいほどだ。
 愛しい想いは尽きないが、かといって激情のまま抱くわけにはいかなかった。

 初々しい態度からも、シルフィアが初めてだろうことは簡単に想像できたし、アークレイとて男を抱くなど経験したことがない。
 酒に酔った勢いで、関係をもってしまったウォーレンとシメオンとは違う。
 そもそも、身体を繋げることだけが全てではないのだ。
 心が繋がった、それだけで今は十分だ。
 それに、無理に抱いてはシルフィアを怖がらせてしまうだろうし、きっと傷つけてしまう。
 それはアークレイにとって、決して本意なことではない。
 シルフィアが大事だからこそ・・・もっとゆっくり、時間をかけて愛してやりたいと思う。
 まあ、少し残念だったがな・・・・・・
 もう一度額に口づけを落として、アークレイは苦笑する。

 先ほど刻を告げる鐘が二つ鳴った。
 そろそろ、朝の会議が始まる時間だ。
 城中では、朝を告げるための鐘が、毎日定まった時間に2度鳴らされる。
 一度目は、朝を告げる鐘が一回。
 その鐘の音で、城の者たちは眠りから目を覚ます。
 二度目は、政が動き出す刻を告げる鐘が二回。
 その鐘の音を合図に朝議が始まり、城の者たちは動き出すのだ。
 普段のアークレイならば、一度目の鐘の音で目を覚ますのだが、自分でも気づかない程に疲れていたのだろうか。
 あるいは、シルフィアの側で眠ったことによる安堵からだろうか、鐘の音に気づかないほど熟睡していたらしい。
 だが、二度目の鐘が鳴った今になっても、誰も起こしに来ない。
 昨夜は自室に戻らなかったし、アークレイがシルフィアの部屋に居ることも当然わかっているはず。
 遠慮して誰も入って来ないのかもしれない。
 寝台の端に腰掛け、床下に転がっていたブーツを取って履こうとしたとき。

 トントン

 寝室の扉が遠慮がちに叩かれる。
 ようやく誰かが起こしに来たようだ。
 さすがに朝議の時間だ。
 そこに国王であるアークレイが居ないというのは、あまり良いことではないだろう。

 トントン

 もう1度、今度ははっきりと扉が叩かれた。
 ブーツを両方履き、ゆっくりと立ち上がって扉の前に立つ。

「起きている。何だ?」

「おはようございます、陛下。お休みのところ大変申し訳ございません」

 扉越しに問えば、落ち着きのある女性の声が返ってきた。
 意外だった。
 知らない声ではないが、本来はここにいるはずのない女性のものだ。
 西宮の侍女たちを取りまとめる侍女頭のマルヴェーレの声だった。
 マルヴェーレが起こしに来たのは、アークレイがシルフィアの部屋で一夜を過ごしたという、異例の事態のためだろう。

「構わん」

 きいっと扉を開くと、マルヴェーレが深々と頭を下げて立っていた。

「ローランリッジ宰相様がお見えでございます」

「シメオンか・・・・・・」

 やれやれ・・・と肩をすくめるが、朝議への召集のためだろう。

「わかった。すぐに行くので、待っているように伝えてくれ」

「かしこまりました」

「それと、顔を洗いたい。すまないが、湯を用意してくれないか」

「はい。すでに用意しております。すぐにお持ちいたしますか」

「ああ、頼む。それと・・・・・」

 アークレイは自分の身体を見下ろし、僅かに苦笑する。
 昨夜はそのまま眠ってしまったので、衣服が皺になっていた。
 上着を着るとはいえ、さすがにこの格好で朝議に出るのは、国王としていかがなものか。
 その上着も、寝台の上に雑に投げ捨てたままだ。
 皺になってしまうと心配していた、シルフィアの言うとおりになっているかもしれない。

「ロディオスに、服を一式用意するように伝えてくれ」

「はい。すでに指示し、用意しております」

 準備の良いことだと感心する。
 アークレイの祖父の時代から、王城で勤めてきたマルヴェーレに任せておけば何も心配はない。

「侍従をお呼びしてよろしいでしょうか」

 アークレイの身の回りの世話が許されているのは、あくまでもアークレイ付きの侍従のみ。
 侍女頭のマルヴェーレであっても、シルフィア付のレーヌといえども許されない。
 だが、アークレイ付きの侍従は全員男性だ。
 シルフィアが男性であったとしても、通常は王妃の部屋に男性が入ることは許されていない。
 それ故に、マルヴェーレはアークレイの許可を確認したのだ。

「ああ、構わん。呼んでくれ」

 すでに服が用意されているのならば、自室には戻らず、ここで着替えたほうが早いと考えた。

「かしこまりました」

 一旦寝室に戻ったアークレイは、未だ眠りにつくシルフィアを起こさぬように、寝台の枕元に置いてあった己の剣を取る。
 床に落ちていたマントと、寝台の上に無造作に投げ出された上着を手に取り、アークレイは再びシルフィアを見下ろした。

「いい夢を・・・シルフィア」

 夕べ散々味わったシルフィアの唇に、軽く口づけを落とす。
 目覚めのときまで共にいたいのだが、アークレイの立場としてそれは許されることではない。
 それはまた、式を終えてから存分にさせてもらうことにする。

 居間に戻ると、アークレイ付の侍従のうち、最古参のロディオスがすでに控えていた。
 アークレイがまだ赤子だった頃から世話をしてくれている、実に信頼できる侍従だ。
 ロディオスの助けを借り、用意されていた正装に着替えて、最後に剣帯を腰に巻いた。
 アークレイは、ふー・・・・・と深く息を吐き出し、気を引き締める。
 毎朝のこの瞬間は、私から公へと意識を変えるための儀式のようなものだ。
 それをシルフィアの部屋で迎えるというのも、どこか不思議な感覚だが。

「すまないな、部屋を占拠してしまって」

 部屋の隅に控えていたレーヌを振り返れば、レーヌはすっと頭を下げた。

「シルフィアはもう少し寝かせてあげてくれ。やはり、最近の疲れも溜まっているようだ」

「かしこまりました」

 その答えに頷き、踵を返してシルフィアの部屋から出ると、アークレイ付きの宮殿騎士とともに、濃紺の宰相服を身に纏ったシメオンが廊下で待っていた。

「おはようございます、陛下」

 一旦頭を下げてゆっくりと顔を上げたシメオンの、わざとらしすぎるほど爽やかな笑顔。
 シメオンのことだ。
 昨夜何があったか、とっくにわかっているだろう。
 そしてそれは、すぐにアークレイの悪友ウォーレンに伝わってしまう。
 いつもは2人をからかう立場にあるアークレイだが、逆にからかわれてしまうだろうことは目に見えていた。

「ああ、おはよう、シメオン」

 なんとか冷静さを保って笑顔で返す。

「お部屋には一旦戻られますか?」

「・・・いや、いい。そのまま行く」

「かしこまりました」

 口元に笑みを浮べて恭しくおじきしたシメオンに、一瞬苦虫をつぶしたような顔で見返したアークレイだったが、すぐに平静さを装い、本宮に向かって廊下を歩き出す。

「お目覚めはいかがでしたか?陛下」

 案の定、一歩後ろに控えたシメオンが、どこか笑いを含んで声をかけてきた。

「ああ、とてもいい目覚めだった」

「それはようございました。さぞかし、いい夢を見られたのでしょうね」

「・・・・・・からかうのは止せ、シメオン」

「おや、私にからかわれるような夢でも見られたのですか?」

 意地の悪い質問に言葉を詰まらせる。

「・・・・・・ああ、いい夢だったよ」

 だが開き直ってそう答えると、シメオンがふふっと口元に笑みを浮べた。

「お気持ちを確かめられたのですか?」

「ああ・・・・・・」

「そうですか・・・・・・それはようございました」

 そう言うシメオンは、どうやらシルフィアの想いを知っていたらしい。
 嬉しそうに微笑むシメオンは、心からシルフィアの幸せを願っているようだった。

「まだお休みでいらっしゃいますか?」

「ああ」

「そうですか。それはまあ・・・・・・そうでしょうね・・・・・・お辛いでしょうね」

 しみじみと頷いたシメオンの口調には実感がこもっていて、どこかシルフィアに同情めいたものが含まれていた。

「辛い?」

「ええ・・・・・・陛下にはおわかりにならないかも知れませんが・・・・・・」

 そう言うシメオン自身、体調が悪いのか顔色があまり優れない。
 歩き方も幾分ぎこちない。
 時々痛みに耐えるかのように眉根をひそめるシメオンだったが、どうも何か、勘違いをしているらしいということにアークレイは気づく。
 シメオンが言わんとしていることを何となくだが感じ取り、呆れて苦笑する。

「シメオン」

「は」

「俺とシルフィアの名誉のために言っておくが・・・やっておらんぞ?」

「え?」

「やっておらぬ、と言ったのだ」

 シメオンは一瞬首をかしげ、驚いたように目を見開いた。

「え、ええ?」

「何を驚く」

「え、いえ・・・ですが・・・・・・」

「あのな・・・・・・俺とウォーレンを一緒にするな」

 そう言い返してやると、シメオンはぐっと詰まったように苦い顔をする。
 正直かなり危なかったのだが、寸でのところで踏みとどまったことは言わないでおく。

「俺はあいつと違って『紳士』だからな。シルフィアに無理強いはさせたくない」

「・・・・・・それも、そうですね」

 妙に納得したような顔でシメオンは頷いた。

「そうですか。でも、よろしゅうございました」

「ん?何がだ?」

「失礼ながら、陛下は最近お疲れのようでしたし、私どもも心配していたのですよ。ですが今朝は、陛下の表情が随分と明るいような気がしましたので」

「明るいか・・・そうだな。軽くなったのかもな・・・身も心も・・・・・・」

 アークレイは口元に笑みをたたえ、柔らかなシーツの海で未だ深い眠りに落ちているだろうシルフィアを思い浮かべた。

「シメオン」

「はい」

「人の心とは・・・・・・不思議なものだな」

 シメオンは一瞬目を見開き、アークレイの穏やかな横顔を見上げて、ふっと表情を和らげた。

「左様でございますね・・・・・・」

「俺は・・・・・・あの話を、もう1度考え直してみようかと思う」

「あの話とおっしゃいますと?」

「同性婚を認める法律だ」

「え?」

 今度こそシメオンは驚きで目を見開いた。

「真でございますか、陛下」

「ああ。今のままでは、シルフィアは戸籍上、俺の『弟』になってしまう。そうではなく、俺はあの人を、正式に、誰にはばかることなく『正妃』として迎えたいのだ」

「陛下・・・・・・」

「当然のことながら、強い反発は予想される。ファーリヴァイアやリヒテランからも圧力はかかるだろう。そんなに簡単にいくとは思っていない。しかし、どれだけ困難な壁が立ちふさがろうとも、俺は確固たる法を作りたい。それも、できるだけ早くにだ」

「・・・・・・・」

 シメオンは、強い意思で前を見据えるアークレイを見上げる。

「殿下が羨ましい・・・・・・」

「ん?」

「シルフィア殿下が羨ましいですよ。陛下からこんなにも愛されているなんて」

 アークレイは一瞬うっとなって、困ったように天井を見上げた。

「からかうな、シメオン」

「べつにからかってなどおりませんよ、陛下」

「・・・・・・それより。例の件、なにか報告はあったか?」

 自分の照れくささを誤魔化すように話をそらしたアークレイに苦笑しつつも、すぐに顔を引き締めて、シメオンは仕事の顔へと素早く変えた。

「はい。ケテルラーダからの報告によりますと、動きがあったようです」

「そうか・・・・・・」

 アークレイの顔も、険しいものに、王の顔へと変わる。

「・・・・・・シルフィアと、妃や王子たちの護衛の数を増やせ」

「はい」

「食事も気を配れ。騎士、侍従、侍女、料理人をはじめ、下働きの者たちや出入りの者たちまで、身元を再度徹底して調べあげろ」

「かしこまりました。さっそく手配いたします」

 アークレイが王位に就いてから、無我夢中で築き上げてきたこのオルセレイドという国。
 前王の急逝のため一度は不安定になった国政だが、ようやく良い方向に風が吹き始めたというのに、それを遮ろうとする者がいる。
 だがそれも、国王という地位にある己が超えなければならない試練だ。
 アークレイは、長く険しい頂への階段を独りで上り続けていた。

「やれやれ・・・・・・気が抜けないな・・・・・・」

「心中お察しいたします」

 アークレイは瞳を閉じて、瞼の裏にシルフィアの姿を思い描く。
 悲しむことがないように、涙を流すことがないように。
 再び開けられたアークレイの瞳には強い意思が湛えられ、その先にある頂をまっすぐに見据え続けていた。
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