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第36話 節度をわきまえない男からの餞別
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誰かに呼ばれている声が聞こえる。
ふわふわと真綿にくるまれたような温もりに、意識も体も包まれているようだ。
その温もりにもう少し浸っていたくて、再び眠りの深淵に落ちようとしたとき。
「シルフィア様・・・・・・」
ためらいがちに名を呼ぶ声が聞こえる。
それは、よく知ったレーヌの声だ。
シルフィアは朝の目覚めはよく、基本的には自分で定刻に起きる。
しかし、たまに疲れてぐっすりと眠ってしまうときもあり、そんなときにはレーヌが起こしに来てくれるのが昔からの習慣になっている。
「シルフィア様」
どこか、遠慮がちなレーヌの声。
ぼうっとした頭で重たい瞼を押し上げる。
ベッドの脇で、レーヌが穏やかな笑みを浮べてシルフィアを見下ろしていた。
「おはようございます。起きられますか?」
まだ夢の中で漂っているような、そんな浮遊感が身体を覆っている。
「・・・・・・レーヌ、おはようございます・・・・・・もう、朝、ですか・・・・・・」
シルフィアは誰に対しても敬語で話す。
それはレーヌであっても、他の侍女や騎士であっても。
両親や兄弟であっても。
それが子供の頃からの習慣となっているため、オルセレイドの者たちも驚いていたのだが、今更言葉遣いを変えることは出来なかった。
「殿下、その・・・・・・」
困ったように苦笑し、珍しく歯切れが悪い。
「どうしたのですか?レーヌ」
「殿下、あの・・・・・・もう、昼過ぎになるのですが・・・・・・」
「え・・・・・・」
シルフィアの思考が一気に現実へと引き戻された。
「え!?昼!?」
慌ててがばっと起き上がると、レーヌは驚いたように主を見て、レーヌにしては珍しく顔を赤らめて目を伏せた。
「はい。まもなく、昼を告げる鐘が鳴る頃だと思われます」
「どうして、早く起こしてくれなかったのですか?」
「いえ・・・あの、陛下が・・・殿下を休ませてさしあげるようにと・・・・・・」
「陛下?」
シルフィアは一瞬キョトンとした表情でレーヌを見て、はっとなって我に返る。
そして、自分の横、誰もいないその場所を見下ろす。
今は冷たくなったシーツ。
だが、確かに昨夜はそこにいた。
力強く暖かな腕の温もりに包まれて眠った。
腕の主は、そう、アークレイだ。
その事実を思い出し、全身の血という血が沸騰するかのように熱く滾り、かあああああっと顔が赤くなっていくのが自分でもわかった。
慌ててシーツの中へもぐりこみ、頭からそれを被ってしまった。
昨夜の出来事が、一瞬のうちに脳裏に蘇る。
アークレイのことをずっと慕っていた。
いつからかはっきりとはわからないが、やはり離宮へ供に行った頃からだと思う。
しかしこの気持ちは、アークレイにもオルセレイド王国にとっても為にはならない。
永遠に己の内にだけ秘めておこうと思っていたのに、まさかこの気持ちが受け入れられるとは思ってもみなかった。
アークレイから何度も囁かれた言葉。
『好きだ』
『愛してる』
信じられなかった。
嘘ではないかと、夢ではないかと耳を疑った。
だが、アークレイはシルフィアを抱きしめて、何度も言ってくれたのだ。
嘘ではないのだと、夢ではないのだと。
抱きしめあったまま、幾度も幾度も口づけをかわした。
軽く触れ合うものから、深く重ね合うもの。
甘くて。
熱くて。
シルフィアとて、べつに口づけは初めてではない。
だがそれは、両親だったり兄弟姉妹だったり、あくまでも家族同士の触れ合いでだけだ。
本当に、好きな人との口づけは初めてだった。
愛しくて。
たまらなく切なくて。
シルフィアのも、ねだるようにそれを求めてしまった。
はしたないと思われなかっただろうか。
恥ずかしさのあまり、シーツの中から顔を出すことが出来ない。
「レーヌ・・・・・・あの・・・・・・」
「殿下。湯を浴びられますか?仕度は整っておりますが」
「あ・・・・・・はい・・・・・・お願いします・・・・・・」
「かしこまりました。では、すぐに準備いたします」
レーヌの気配が寝室なくなったのを見計らって、シルフィアはそろそろとシーツから顔をだす。
部屋の中に、穏やかな日差しが差し込んでいた。
「アークレイ様・・・・・・」
名を呼ぶたびに募る想い。
『愛している』と何度も言ってくれた。
男性である自分がそのような愛の言葉を授かるのは、酷く贅沢でおこがましいことだと思う。
しかし今は、今この瞬間は、夢のような昨夜の出来事に浸っていたい。
震える指で、そっと自分の唇に触れる。
アークレイが口づけてくれたその場所。
気のせいだろうか、まだその余韻が残っているかのように熱を帯びていた。
「アークレイ様・・・・・・」
『シルフィア、好きだ・・・・・・愛している』
優しく抱きながら、アークレイは何度も耳元でその言葉を囁いてくれた。
秘めていた想いを吐露したシルフィアに応えてくれた。
嬉しかった。
自分は何て幸せ者なのだろう。
両手を握り締め、胸元にあてて、シルフィアはゆっくり瞼を閉じた。
頬に零れ落ちる、一筋の涙。
「アークレイ様・・・私も、好きです・・・愛しています・・・・・・」
その男が目の前に現れるのは、いつも突然だった。
事前の約束もなく、目の前にフラリと現れては、「よっ」と軽く右手を上げてニヤリと笑う。
アークレイの予定を把握しているのか、まるで見計らったように、執務と執務の合間のアークレイの手が空いたときに現れる。
今この時もそうだった。
午前の執務を終えて、一旦昼食を摂った後、午後からの謁見のために、湯を浴びようと自室へ戻る途中のこと。
西宮へと続く長い廊下の柱にもたれ、左手には何やら白い布の袋を持ち、「よっ」と右手を上げて笑った男が待ち伏せていた。
「お仕事お疲れさん」
「ウォーレン・・・・・・」
第3騎士団副騎士団長といえども、王族の住まいである西宮に単独で入ることは許されていない。
そのために、アークレイを待っていたのだろう。
この男の神出鬼没ぶりには慣れたとはいえ、アークレイはため息を吐き出して肩を落とす。
最近、この男が現れたときには、碌なことが起きていない。
「何の用だ?」
なんとなくだが、察しはついていた。
だが、アークレイは平静を装い、迷惑そうな表情でウォーレンを睨む。
「何の用はないだろう?これから1ヶ月もの間、遠くの任地へ赴く旧友であり臣下でもある俺に対して、少しは労ってくれてもいいんじゃないか」
ウォーレンは、今日の午後から国境のランデイン砦へ向かうことになっている。
国境警備を主な任務としている第3騎士団の騎士たちは、一度任地へ赴任すると、1ヶ月近く国許に戻ってこない。
「ああ、はいはい。ご苦労ご苦労。気をつけて行って来い」
呆れ顔で右手をひらひら振れば、ウォーレンはくっくっと笑って肩を震わせた。
「それで?これから砦へ向かうおまえがこのような場所にいても良いのか?一応、おまえは、此度の赴任騎士団の長なのだぞ?」
『一応』を強調するが、ウォーレンは気にする様子もない。
「大丈夫大丈夫、部下に指示して準備万端さ。城を出る前に、おまえと話がしたかったんだ」
「話?」
「ああ。ちょっとそこで、いいか?」
ウォーレンが親指で指した先は、『蒼天の間』の扉があった。
「二人きりでか?ここでは駄目なのか?」
「・・・・・・俺は構わないが、困るのはおまえのほうじゃないか?」
ニヤニヤと嫌味ったらしく笑うウォーレンに、アークレイは内心で舌打ちした。
アークレイの背後には二人の執務官と四人の宮殿騎士が付いている。
『話』とやらの内容がある程度想像できるアークレイとしては、確かにあまり彼らに聞かれたいものではない。
「わかった・・・・・・」
アークレイは宮殿騎士たちを扉の外で待たせて、ウォーレンとともに『蒼天の間』に入る。
そこに広がるのは、太陽と光、風と水の精霊たちが蒼天に舞う姿を描いた天井画だった。
ウォーレンがここに入ったのは初めてらしく、「ほ~・・・」と感心したように天井を見上げていた。
「で?何だ?さっさと用とやらを話せ」
部屋の中央に置かれていたソファにどかっと腰掛け、腕と足を組み、アークレイはウォーレンをぎろりと睨みあげる。
「おや?わかっているんだろう?」
「・・・・・・何がだ」
この男は、どうせシメオンから話を聞いているのだ。
べつに隠す必要はないのだが、シルフィアのことも考えて、今朝の件は公言しないようにと関係者には念押ししたのだが。
シメオンは話そうとして話したのではなく、この男にうまいこと乗せられて話してしまったのだろう。
ウォーレンはアークレイを見下ろし、「やれやれ・・・・」と呆れたように笑った。
「じゃあ、単刀直入に聞いてやる。おまえ・・・・・・シルフィア殿と寝たんだろ?」
「なっ!」
「ああ、いやいや。性行為はやってないんだっけ?せっかくの機会に勿体ないな、おまえは」
単刀直入すぎるウォーレンにかっとなって、アークレイは勢いよく立ち上がった。
「貴様っ!」
「まあまあ、落ち着けって。よかったな~って喜んでいるだけだ」
「それのどこがだ!」
「シルフィア殿と、ようやく気持ちを通じ合えたのだろう?」
「っ・・・・・・・」
目を見開くアークレイに、ウォーレンはにやっと笑った。
「よかったじゃないか。シルフィア殿も、おまえのことを好いてくれていたのだろう?」
「あ、ああ・・・・・・」
「おまえもようやく自覚したようだし、俺としても喜ばしいことだ。何しろ、おまえにとっては初恋なわけだからな」
「初恋?」
「そうだろ?おまえ、今まで誰かを本気で好きになったことなんてないだろ?ああ、誤解がないように言っておくが、おまえがお二人のお妃様を大切にしていることは俺もわかっている。だが、お二方への愛情と、シルフィア殿への愛情は違うものだろ?」
「・・・・・・」
アークレイはウォーレンから視線をそらし、ソファに崩れ落ちるように座り込むと、がしがしと右手で髪をかいた。
「俺の言うこと、何か間違っているか?」
「・・・・・・いや、間違っていない・・・・・・」
「だろ?合同演習のときといい、あれだけ公衆の面前で熱々ぶりを見せ付けていたくせに、気づいていないのは本人たちだけだなんて、ははっ、笑い話にもならないぞ?」
「べつに、そのようなつもりは・・・・・・」
「で?好きなんだろう?シルフィア殿のこと。この前は『わからない』と言っていたが」
頭から手を離したアークレイは、ふう・・・と息を吐いて顔を上げた。
「ああ、好きだ。俺はシルフィアのことが好きだ。誰よりも愛している」
「・・・・・そうか」
ウォーレンはふっと笑って、大きくうなずいた。
「じゃあ、そんなおまえに、俺からの餞別だ」
そう言うと、おもむろに、ずっと持っていた白い袋を目の前に差し出す。
「餞別?普通は逆だろ」
「まあまあ、せっかくの俺からの気持ちなんだ。受け取れよ」
訝しげに眉根をひそめたアークレイだったが、渋々それを受け取る。
袋の口を開けると、鮮やかな光沢の赤色の絹布で包まれた、正方形の箱らしきものが入っていた。
大きさでいえば、両手のひらに乗るほどのもの。
「なんだ?これは」
「まあ、開けてみろって」
「・・・・・・」
仕方なしにそれを膝の上に置き、丁寧に結ばれた布の結び目を解くと、中から上質な木で作られた箱が出てきた。
箱の蓋には、薔薇の絵が焼印されている。
上質な木箱といい、どこか高級感漂うものだ。
箱の蓋を開けると、中には藁が箱いっぱいに敷かれており、中央には赤い硝子の小瓶が沈められていた。
硝子は非常に高級なもので、しかも色つきの硝子となれば、一般庶民に手を出せるような代物ではない。
「何だ?香水か?」
アークレイも嗜みとして香を纏うが、香水はどちらかというと女性が使うもので、一般的に男性は、練り香を焚いて衣などに香りを移すほうが多い。
「いいや」
「では、何だ?」
見上げれば、ウォーレンがにんまりとほくそ笑んだ。
嫌な予感しかしなかった。
「香油、だ」
ふわふわと真綿にくるまれたような温もりに、意識も体も包まれているようだ。
その温もりにもう少し浸っていたくて、再び眠りの深淵に落ちようとしたとき。
「シルフィア様・・・・・・」
ためらいがちに名を呼ぶ声が聞こえる。
それは、よく知ったレーヌの声だ。
シルフィアは朝の目覚めはよく、基本的には自分で定刻に起きる。
しかし、たまに疲れてぐっすりと眠ってしまうときもあり、そんなときにはレーヌが起こしに来てくれるのが昔からの習慣になっている。
「シルフィア様」
どこか、遠慮がちなレーヌの声。
ぼうっとした頭で重たい瞼を押し上げる。
ベッドの脇で、レーヌが穏やかな笑みを浮べてシルフィアを見下ろしていた。
「おはようございます。起きられますか?」
まだ夢の中で漂っているような、そんな浮遊感が身体を覆っている。
「・・・・・・レーヌ、おはようございます・・・・・・もう、朝、ですか・・・・・・」
シルフィアは誰に対しても敬語で話す。
それはレーヌであっても、他の侍女や騎士であっても。
両親や兄弟であっても。
それが子供の頃からの習慣となっているため、オルセレイドの者たちも驚いていたのだが、今更言葉遣いを変えることは出来なかった。
「殿下、その・・・・・・」
困ったように苦笑し、珍しく歯切れが悪い。
「どうしたのですか?レーヌ」
「殿下、あの・・・・・・もう、昼過ぎになるのですが・・・・・・」
「え・・・・・・」
シルフィアの思考が一気に現実へと引き戻された。
「え!?昼!?」
慌ててがばっと起き上がると、レーヌは驚いたように主を見て、レーヌにしては珍しく顔を赤らめて目を伏せた。
「はい。まもなく、昼を告げる鐘が鳴る頃だと思われます」
「どうして、早く起こしてくれなかったのですか?」
「いえ・・・あの、陛下が・・・殿下を休ませてさしあげるようにと・・・・・・」
「陛下?」
シルフィアは一瞬キョトンとした表情でレーヌを見て、はっとなって我に返る。
そして、自分の横、誰もいないその場所を見下ろす。
今は冷たくなったシーツ。
だが、確かに昨夜はそこにいた。
力強く暖かな腕の温もりに包まれて眠った。
腕の主は、そう、アークレイだ。
その事実を思い出し、全身の血という血が沸騰するかのように熱く滾り、かあああああっと顔が赤くなっていくのが自分でもわかった。
慌ててシーツの中へもぐりこみ、頭からそれを被ってしまった。
昨夜の出来事が、一瞬のうちに脳裏に蘇る。
アークレイのことをずっと慕っていた。
いつからかはっきりとはわからないが、やはり離宮へ供に行った頃からだと思う。
しかしこの気持ちは、アークレイにもオルセレイド王国にとっても為にはならない。
永遠に己の内にだけ秘めておこうと思っていたのに、まさかこの気持ちが受け入れられるとは思ってもみなかった。
アークレイから何度も囁かれた言葉。
『好きだ』
『愛してる』
信じられなかった。
嘘ではないかと、夢ではないかと耳を疑った。
だが、アークレイはシルフィアを抱きしめて、何度も言ってくれたのだ。
嘘ではないのだと、夢ではないのだと。
抱きしめあったまま、幾度も幾度も口づけをかわした。
軽く触れ合うものから、深く重ね合うもの。
甘くて。
熱くて。
シルフィアとて、べつに口づけは初めてではない。
だがそれは、両親だったり兄弟姉妹だったり、あくまでも家族同士の触れ合いでだけだ。
本当に、好きな人との口づけは初めてだった。
愛しくて。
たまらなく切なくて。
シルフィアのも、ねだるようにそれを求めてしまった。
はしたないと思われなかっただろうか。
恥ずかしさのあまり、シーツの中から顔を出すことが出来ない。
「レーヌ・・・・・・あの・・・・・・」
「殿下。湯を浴びられますか?仕度は整っておりますが」
「あ・・・・・・はい・・・・・・お願いします・・・・・・」
「かしこまりました。では、すぐに準備いたします」
レーヌの気配が寝室なくなったのを見計らって、シルフィアはそろそろとシーツから顔をだす。
部屋の中に、穏やかな日差しが差し込んでいた。
「アークレイ様・・・・・・」
名を呼ぶたびに募る想い。
『愛している』と何度も言ってくれた。
男性である自分がそのような愛の言葉を授かるのは、酷く贅沢でおこがましいことだと思う。
しかし今は、今この瞬間は、夢のような昨夜の出来事に浸っていたい。
震える指で、そっと自分の唇に触れる。
アークレイが口づけてくれたその場所。
気のせいだろうか、まだその余韻が残っているかのように熱を帯びていた。
「アークレイ様・・・・・・」
『シルフィア、好きだ・・・・・・愛している』
優しく抱きながら、アークレイは何度も耳元でその言葉を囁いてくれた。
秘めていた想いを吐露したシルフィアに応えてくれた。
嬉しかった。
自分は何て幸せ者なのだろう。
両手を握り締め、胸元にあてて、シルフィアはゆっくり瞼を閉じた。
頬に零れ落ちる、一筋の涙。
「アークレイ様・・・私も、好きです・・・愛しています・・・・・・」
その男が目の前に現れるのは、いつも突然だった。
事前の約束もなく、目の前にフラリと現れては、「よっ」と軽く右手を上げてニヤリと笑う。
アークレイの予定を把握しているのか、まるで見計らったように、執務と執務の合間のアークレイの手が空いたときに現れる。
今この時もそうだった。
午前の執務を終えて、一旦昼食を摂った後、午後からの謁見のために、湯を浴びようと自室へ戻る途中のこと。
西宮へと続く長い廊下の柱にもたれ、左手には何やら白い布の袋を持ち、「よっ」と右手を上げて笑った男が待ち伏せていた。
「お仕事お疲れさん」
「ウォーレン・・・・・・」
第3騎士団副騎士団長といえども、王族の住まいである西宮に単独で入ることは許されていない。
そのために、アークレイを待っていたのだろう。
この男の神出鬼没ぶりには慣れたとはいえ、アークレイはため息を吐き出して肩を落とす。
最近、この男が現れたときには、碌なことが起きていない。
「何の用だ?」
なんとなくだが、察しはついていた。
だが、アークレイは平静を装い、迷惑そうな表情でウォーレンを睨む。
「何の用はないだろう?これから1ヶ月もの間、遠くの任地へ赴く旧友であり臣下でもある俺に対して、少しは労ってくれてもいいんじゃないか」
ウォーレンは、今日の午後から国境のランデイン砦へ向かうことになっている。
国境警備を主な任務としている第3騎士団の騎士たちは、一度任地へ赴任すると、1ヶ月近く国許に戻ってこない。
「ああ、はいはい。ご苦労ご苦労。気をつけて行って来い」
呆れ顔で右手をひらひら振れば、ウォーレンはくっくっと笑って肩を震わせた。
「それで?これから砦へ向かうおまえがこのような場所にいても良いのか?一応、おまえは、此度の赴任騎士団の長なのだぞ?」
『一応』を強調するが、ウォーレンは気にする様子もない。
「大丈夫大丈夫、部下に指示して準備万端さ。城を出る前に、おまえと話がしたかったんだ」
「話?」
「ああ。ちょっとそこで、いいか?」
ウォーレンが親指で指した先は、『蒼天の間』の扉があった。
「二人きりでか?ここでは駄目なのか?」
「・・・・・・俺は構わないが、困るのはおまえのほうじゃないか?」
ニヤニヤと嫌味ったらしく笑うウォーレンに、アークレイは内心で舌打ちした。
アークレイの背後には二人の執務官と四人の宮殿騎士が付いている。
『話』とやらの内容がある程度想像できるアークレイとしては、確かにあまり彼らに聞かれたいものではない。
「わかった・・・・・・」
アークレイは宮殿騎士たちを扉の外で待たせて、ウォーレンとともに『蒼天の間』に入る。
そこに広がるのは、太陽と光、風と水の精霊たちが蒼天に舞う姿を描いた天井画だった。
ウォーレンがここに入ったのは初めてらしく、「ほ~・・・」と感心したように天井を見上げていた。
「で?何だ?さっさと用とやらを話せ」
部屋の中央に置かれていたソファにどかっと腰掛け、腕と足を組み、アークレイはウォーレンをぎろりと睨みあげる。
「おや?わかっているんだろう?」
「・・・・・・何がだ」
この男は、どうせシメオンから話を聞いているのだ。
べつに隠す必要はないのだが、シルフィアのことも考えて、今朝の件は公言しないようにと関係者には念押ししたのだが。
シメオンは話そうとして話したのではなく、この男にうまいこと乗せられて話してしまったのだろう。
ウォーレンはアークレイを見下ろし、「やれやれ・・・・」と呆れたように笑った。
「じゃあ、単刀直入に聞いてやる。おまえ・・・・・・シルフィア殿と寝たんだろ?」
「なっ!」
「ああ、いやいや。性行為はやってないんだっけ?せっかくの機会に勿体ないな、おまえは」
単刀直入すぎるウォーレンにかっとなって、アークレイは勢いよく立ち上がった。
「貴様っ!」
「まあまあ、落ち着けって。よかったな~って喜んでいるだけだ」
「それのどこがだ!」
「シルフィア殿と、ようやく気持ちを通じ合えたのだろう?」
「っ・・・・・・・」
目を見開くアークレイに、ウォーレンはにやっと笑った。
「よかったじゃないか。シルフィア殿も、おまえのことを好いてくれていたのだろう?」
「あ、ああ・・・・・・」
「おまえもようやく自覚したようだし、俺としても喜ばしいことだ。何しろ、おまえにとっては初恋なわけだからな」
「初恋?」
「そうだろ?おまえ、今まで誰かを本気で好きになったことなんてないだろ?ああ、誤解がないように言っておくが、おまえがお二人のお妃様を大切にしていることは俺もわかっている。だが、お二方への愛情と、シルフィア殿への愛情は違うものだろ?」
「・・・・・・」
アークレイはウォーレンから視線をそらし、ソファに崩れ落ちるように座り込むと、がしがしと右手で髪をかいた。
「俺の言うこと、何か間違っているか?」
「・・・・・・いや、間違っていない・・・・・・」
「だろ?合同演習のときといい、あれだけ公衆の面前で熱々ぶりを見せ付けていたくせに、気づいていないのは本人たちだけだなんて、ははっ、笑い話にもならないぞ?」
「べつに、そのようなつもりは・・・・・・」
「で?好きなんだろう?シルフィア殿のこと。この前は『わからない』と言っていたが」
頭から手を離したアークレイは、ふう・・・と息を吐いて顔を上げた。
「ああ、好きだ。俺はシルフィアのことが好きだ。誰よりも愛している」
「・・・・・そうか」
ウォーレンはふっと笑って、大きくうなずいた。
「じゃあ、そんなおまえに、俺からの餞別だ」
そう言うと、おもむろに、ずっと持っていた白い袋を目の前に差し出す。
「餞別?普通は逆だろ」
「まあまあ、せっかくの俺からの気持ちなんだ。受け取れよ」
訝しげに眉根をひそめたアークレイだったが、渋々それを受け取る。
袋の口を開けると、鮮やかな光沢の赤色の絹布で包まれた、正方形の箱らしきものが入っていた。
大きさでいえば、両手のひらに乗るほどのもの。
「なんだ?これは」
「まあ、開けてみろって」
「・・・・・・」
仕方なしにそれを膝の上に置き、丁寧に結ばれた布の結び目を解くと、中から上質な木で作られた箱が出てきた。
箱の蓋には、薔薇の絵が焼印されている。
上質な木箱といい、どこか高級感漂うものだ。
箱の蓋を開けると、中には藁が箱いっぱいに敷かれており、中央には赤い硝子の小瓶が沈められていた。
硝子は非常に高級なもので、しかも色つきの硝子となれば、一般庶民に手を出せるような代物ではない。
「何だ?香水か?」
アークレイも嗜みとして香を纏うが、香水はどちらかというと女性が使うもので、一般的に男性は、練り香を焚いて衣などに香りを移すほうが多い。
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嫌な予感しかしなかった。
「香油、だ」
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