それでも日は昇る

阿部梅吉

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心は世界の「その他」なのかもしれない 

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 試験が終わってから部活は再開されたが、鈴木は相変わらず小説を書いていた。俺と伊月はビブリオバトルの全国大会に向けて練習をした。その週の金曜日に雪が降った。俺は伊月が女と一緒に帰るのを見た。すごく寒い日で、人々の吐く息は白く丸い円を描いた。学校の帰り、俺は鈴木を誘った。

「久々に本屋に行かなかいか?」

「いいよ」

鈴木は笑った。

街はすっかり冬らしくなっていた。まだ五時過ぎだと言うのに辺りは暗く、冷たい風が俺の顔に触れた。駅前の木にはイルミネーションが取り付けられており、時々色が変わった。

「寒いね」

「うん」

俺と鈴木は黙々と歩いていた。地下通路を通るべきだったのかもしれない。

「ちょっと、見て良い?」

俺が返事をする暇も無く鈴木は急に走り出し、イルミネーションに近づいた。まだ時間が早いからか、誰もその光なんか見ていなかった。人々はそこを通り過ぎるだけだ。

「LEDかな?」

鈴木は食い入るようにそれを見ていた。

「多分ね」

「青色を作る事は難しいんだよね?」

「すごく難しい」

「なんで難しんだろう?」

「きっと、自然界に青があまりないからじゃないかな。空にしかないだろ」

「今日の日向君ってすごく詩的だね」

「別に、本当のことを言ってるだけだよ。自然界に青はほとんど存在しない。不思議な色なんだ」

「青は好きだよ」

「俺も」

俺たちは黙ってイルミネーションを見ていた。人々は忙しそうに俺たちの横をすり抜けて行った。誰もかれも、みな何かに追われ、いや、追って生きているように見えた。

「詩が書けそう」

鈴木が上を見ながら言う。

「うん」

「そういえば、小説は進んでるの?」

「ちょっとだけ」

「どういう話か聞いても良い?」

「主人公は十七歳の女なんだ」

俺は語り始めた。まだ途中までしか書いていないが、鈴木に話せば何かが変わるかもしれないと思った。


 「その女は、とにかく色々な物を持っている。美人で、成績も良くて、運動もできて、男子にもてる。でも彼女はそんな自分に満足できていなかった」

「うんうん」

「何故だかわからないけれど、彼女は昔から一番でなければ気が済まなかったし、実際に彼女は努力家だった。才能もあるし器用だった。だから大抵の物事は、彼女が少し努力さえすれば手に入れることが出来た」

「素敵」

「ある時、彼女は恋に落ちた。平凡な顔立ちの男だったが、とにかく病的に歌の上手い奴だった。勉強も運動もそれなりにできるやつだった。でもその男は別の女と付き合っていたし、自分では気づいていないもののかなりの浮気性だった」

「うん」

「やがて彼はミュージシャンとして頭角を現すようになる。彼には取り巻きの女が何人もいたし、彼女には不自由しなかった。主人公は死にもの狂いで彼に近づこうとする。
 主人公のクラスには、彼女と同じように、ルックスが良くて、勉強と運動が出来て、女子にもてる男子がいる。主人公はそいつに告白されるけど、それも断るんだ。彼女は学業と並行して、彼に近づく努力をする。美人だから、そのミュージシャンも彼女の存在を知るんだな。ちょっとライブの出待ちをすれば会えるんだ。
 それで、彼も、主人公をものにしたいと考える。美人だからな。男は彼女に近づいた。適当なことを言って、家に連れ込もうとする。でも彼女は彼の家には行かないと言い張る。仕方ないから、どこかの高級レストランに入るんだ。その頃すっかり、彼は名前が知られていた。それで男は女の話を聞いているうちに、すっかり牙を失くしちゃうんだ。自分とは住む世界が違いすぎる、ってね。真面目で優秀で美人で若い主人公の話を聞いて、俺は手を出すべきじゃないと思ってしまうんだ。それですっかり、彼は彼女を無傷のまま帰らせる。

 当然ながら、彼女はひどいショックを受けるわけだ。食事をおごってもらったことは誇らしい事だったが、男が食事に誘った女を自分の家に連れて行かないのはこれが初めてだったからな。全部わかったうえで、主人公は苦しんでるんだ。なんで私の方が努力してるのに、私の方が圧倒的に他の人よりもかわいいのに、あの男を手に入れることが出来ないのかって。それは彼女が今までに味わったことのない絶望だった。殆ど初めて体験した挫折だった。男の色恋沙汰が週刊誌に抜かれるたびに、彼女は憤慨した。
 悲しい事に、彼女には自分の悩みを打ち明けられる友だちがいなかった。周囲の人間は彼女のことを完璧な存在だと思っていたし、彼女もその期待に応えようとしていた。彼女は平静を装っていたが、胸のうちでは毎日のように泣いていた。彼のことを夢見ない日は無かったし、彼以外の男はただの棒人間のように見えた。そんな日々を送りながらも、彼女は一流大学に合格する。そこで転機が訪れる」

「すごくおもしろい」

鈴木は声を高くして言った。

「そのころ、すっかり例の男はミュージシャンとしての地位を確立しつつあった。一方で彼女は大学に入り、新しい土地で何か別の自分が輝ける場所を探していた。彼女は生まれ変わることを強く望んでいた。

 大学に入っても彼女はいろんな男から告白されたが、その誘いをすべて断った。彼女の心を揺り動かす男は一人もいないと思われた。

 そんな中、一人の社会学者が彼女の目の前に現れる。彼は一度スイッチが入ってしまえば延々に自分の理論や考えを話し出すことを除けば、おおむね人当たりの良い性格だった。彼女はすっかりその先生に興味を持ってしまうんだ。学者と言ってもまだ若く、時折学生と間違われることもしばしばあるような人。その人の中には純粋に学問への興味しかない。恋愛をしても、どこか冷静と言うか、別の視点から自分を見てしまう癖がある。そんな男が恋をしても上手くいくはずがなかったし、男には本物の恋と呼べるものを経験したことがなかった。しかし主人公は諦めなかった。彼にアタックするんだ。授業の質問をしたり、彼の著作を読んで感想を言いに行ったりね。
 その甲斐あってか、学者の方も主人公のことに興味を持って行く。だから男が彼女に言うんだ。
『君はどんな勉強が好きなの?』って」

俺の話はそこで終わった。鈴木は俺の言葉の続きを待った。

「それで?」

「これで終わり。後は何もない。ここから先が思いつかないんだ」

「へえ、でも、すごく良い終わり方だと思うけど」

「そうかな、単に思いつかないだけだよ」

「もう書いてあるの?」

「書いてあるよ」

「そうしたら、どこか出版社に送ろうよ。すごくいい出来だと思う。悔しいけど」

「ありがとう」

俺は笑った。俺が前に笑ったのはいつだったか。思い出せない。今、ここにあいつがいればいいのにな……

「あいつがいればいいのにな」

思わず口にしていた。

「うん」

鈴木が言った。下を向いて、俺と目を合わせないようにした。俺にはわかっていた。鈴木は今本当に望んでいることを。そしてそれはどうしようもなく叶えられないことを。すべてわかっていた。でも俺は、そのことを、口にしない。
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