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何事にも初めての時がある 1
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遂にこの日が来た。今日は土曜だ。まごうことなき土曜だった。何度携帯を見ても土曜だ。あの有栖川優理愛との約束がある土曜日だ。
前日にネットで俺は「メンズコーディング特集」のまとめサイトを読み漁り、無難な格好を目指した。アウターはいつも着ているMA1、黒のニットにビームスで買ったあまり着ないジーンズ。いつも使っている無印の黒のマフラーと黒のプーマのスニーカー。幸い今日は雪が降っていないからこれで大丈夫だろう。カバンはいつもの黒いアウトドアのリュックを背負った。
いろいろと悩んだが、シンプルでいつも通りの俺が良いと思ったのだ。普段より念入りに顔を洗い、髭をそった。行きがけに読む本としては何がいいのかかなり悩んだが、『老人と海』を持っていくことにした。俺はそれを読みながら待ち合わせの駅に向かった。
待ち合わせには二十分も早く着いてしまった。外は寒いので、駅の中で俺は本を読むことにした。『老人と海』の主人公は何事にも前向きだ。でもヘミングウェイは自殺した。不思議な話だ。
駅に着いてから十分後に有栖川から連絡が来た。
【どこにいます?】
【寒いからまだ駅の中央口の中の方】俺は今いる景色の写真を撮って送る。
【わかりました】
【俺がそっち行くけど】
【大丈夫です】
俺は仕方なくそこで待った。老人は相変わらず魚と格闘していた。この老人には「諦める」という思考自体がない。彼は生来的に前向きなのだ。どんな強敵がいても、落ちぶれても自分を信じている。そういう考えのできるやつはなかなかいない。俺は……
「また本を読んでいらっしゃるのね」
甲高い声がした。振り返ると、髪はサラサラで目は釣り目だが美人の部類に入るだろう女が立っていた。ベージュのコートにベージュのマフラー(よくわからないけれど高そうな素材だ)、茶色のスカートにタイツ、黒のブーツに革製品っぽい、高そうな黒のリュック。本当にアイドルと言われても納得してしまうようなその出で立ちに俺は多少圧倒される。
「お、おう」
よくわからない返事をしてしまった。実際、どう返せば正解なのか全くわからない。
「『老人と海?』いいわね、さらっと読めるけど奥が深い」
「そうだよな、でも俺、まだ途中だから、結末は言わないで欲しい」
「ああ、そうね」
相手が笑う。目は釣り目だが笑うと細くなってそれがまた彼女の魅力を引き立たせていた。
「今は私、『電気羊』を読んでいる」
「SFも読むんですね」
優理愛がくすくす笑う。その笑い方がまた上品で圧倒される。
「敬語禁止……、じゃなかったの?」
「あ、そう、……だったね」
なかなか難しい。ほぼ初対面の女に出会うと、俺は無意識に敬語を使ってしまうらしい。自分でも知らなかった自分の一面に俺は驚く。
「実は私も読書領域を広げようと思って。あれから積んどくしていた本をあらかた読んでしまったから、貴方が読んでいた本を読んでみようと思ったの」彼女はカバンからハヤカワの黒い文庫を取り出す。俺が持っているものと同じだ。
「でも私もまだ、主人公が取り調べを受けている最中だから、ネタバレはしないでね。感想はまた後で言うわ」
彼女は前回会った時よりもスラスラと話す。やはり本が好きだから、本のことになればしゃべれるのだろう。
「行きましょう」
その日は晴れていた。駅には人が多く、土曜日なのにスーツをまとったビジネスマンたちが多くいた。
「そういえば、お昼は食べた?」
「持ってきたの」
彼女は速足で本屋へ向かう。
「本屋の前に休憩スペースみたいなベンチがあるから、もしよかったらそこで食べましょう。お腹はすいている?」
「そこそこ」
「わかった」
俺たちは互いに『老人と海』や『電気羊』の話をしながら本屋に向かった。
前日にネットで俺は「メンズコーディング特集」のまとめサイトを読み漁り、無難な格好を目指した。アウターはいつも着ているMA1、黒のニットにビームスで買ったあまり着ないジーンズ。いつも使っている無印の黒のマフラーと黒のプーマのスニーカー。幸い今日は雪が降っていないからこれで大丈夫だろう。カバンはいつもの黒いアウトドアのリュックを背負った。
いろいろと悩んだが、シンプルでいつも通りの俺が良いと思ったのだ。普段より念入りに顔を洗い、髭をそった。行きがけに読む本としては何がいいのかかなり悩んだが、『老人と海』を持っていくことにした。俺はそれを読みながら待ち合わせの駅に向かった。
待ち合わせには二十分も早く着いてしまった。外は寒いので、駅の中で俺は本を読むことにした。『老人と海』の主人公は何事にも前向きだ。でもヘミングウェイは自殺した。不思議な話だ。
駅に着いてから十分後に有栖川から連絡が来た。
【どこにいます?】
【寒いからまだ駅の中央口の中の方】俺は今いる景色の写真を撮って送る。
【わかりました】
【俺がそっち行くけど】
【大丈夫です】
俺は仕方なくそこで待った。老人は相変わらず魚と格闘していた。この老人には「諦める」という思考自体がない。彼は生来的に前向きなのだ。どんな強敵がいても、落ちぶれても自分を信じている。そういう考えのできるやつはなかなかいない。俺は……
「また本を読んでいらっしゃるのね」
甲高い声がした。振り返ると、髪はサラサラで目は釣り目だが美人の部類に入るだろう女が立っていた。ベージュのコートにベージュのマフラー(よくわからないけれど高そうな素材だ)、茶色のスカートにタイツ、黒のブーツに革製品っぽい、高そうな黒のリュック。本当にアイドルと言われても納得してしまうようなその出で立ちに俺は多少圧倒される。
「お、おう」
よくわからない返事をしてしまった。実際、どう返せば正解なのか全くわからない。
「『老人と海?』いいわね、さらっと読めるけど奥が深い」
「そうだよな、でも俺、まだ途中だから、結末は言わないで欲しい」
「ああ、そうね」
相手が笑う。目は釣り目だが笑うと細くなってそれがまた彼女の魅力を引き立たせていた。
「今は私、『電気羊』を読んでいる」
「SFも読むんですね」
優理愛がくすくす笑う。その笑い方がまた上品で圧倒される。
「敬語禁止……、じゃなかったの?」
「あ、そう、……だったね」
なかなか難しい。ほぼ初対面の女に出会うと、俺は無意識に敬語を使ってしまうらしい。自分でも知らなかった自分の一面に俺は驚く。
「実は私も読書領域を広げようと思って。あれから積んどくしていた本をあらかた読んでしまったから、貴方が読んでいた本を読んでみようと思ったの」彼女はカバンからハヤカワの黒い文庫を取り出す。俺が持っているものと同じだ。
「でも私もまだ、主人公が取り調べを受けている最中だから、ネタバレはしないでね。感想はまた後で言うわ」
彼女は前回会った時よりもスラスラと話す。やはり本が好きだから、本のことになればしゃべれるのだろう。
「行きましょう」
その日は晴れていた。駅には人が多く、土曜日なのにスーツをまとったビジネスマンたちが多くいた。
「そういえば、お昼は食べた?」
「持ってきたの」
彼女は速足で本屋へ向かう。
「本屋の前に休憩スペースみたいなベンチがあるから、もしよかったらそこで食べましょう。お腹はすいている?」
「そこそこ」
「わかった」
俺たちは互いに『老人と海』や『電気羊』の話をしながら本屋に向かった。
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