花と靱(はなとうつぼ)

夏目真生夜

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第6章 瀬田

瀬田

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文禄四年(一五九五年)の七月――
 梅と勝俊、二人の懸念は当たった。
 秀吉は甥の関白、豊臣秀次を謀反の疑いありとして高野山で切腹に処した。
 秀次の死一つでは話は済まない。臣下の武将や小姓も切腹となり、謀反に連座ありと見られた大名や僧も賜死や殉死、流刑などの苛烈な処断がなされた。
 勝俊は、秀次の切腹直後に、すぐに上洛し聚楽第に参上するよう命を受けた。
(聚楽第に呼ばれるとは、もしや殿下に切腹を申しつけられるやもしれぬ)
 若狭を発つというその前夜、死の恐怖が、勝俊の額につぅと汗をこぼさせた。
 二人きりの夫婦の居室で、梅は黙ってその汗を袖でおさえると
「此度ばかりは、私を京に同道なされませ」
 三人の姫を若狭に残し、勝俊とともに京へ同道すると、梅はいうのである。
 勝俊は驚いて、梅の顔を見た。
「におう、私が切腹を賜れば、そなたにも累が及ぶ。夫婦ともに京で死ぬ気か」
 梅は笑った。
「幾度も勝俊様が、『そなたに見せたい』とおっしゃった京の地で死ぬのなら、私は本望でございます。きっと桃源郷のように美しい、佳きところなのでございましょう」
 桃源郷という言葉に、勝俊も笑った。
 勝俊にとって桃源郷は、いつも梅の体から立ち上る香りの中にあった。どんな戦場に出ても、自分の体に染みついた梅の甘い香りが、死は遠いものだと思わせてくれた。
 勝俊はついに折れた。
「におうには負けた。ともに京に連れてゆこう」
 
 
 その日、八月になったばかりの聚楽第はひどく蒸していた。梅を伴って上がった勝俊は、秀吉が現われるわずかの間に
(におう。殿下に面を上げよと言われても、もったいのうございますと答えて、平伏したままでいよ。決して殿下に向かって、顔を上げてはならぬぞ)
 と、くどく念を押した。
 こんな時でも私の容色が殿下の目にとまるのを恐れていると、梅はひそかに驚いた。
 やがて入ってきた秀吉は、勝俊の後方で平伏する梅には、まるで注意を払わなかった。
「大蔵よ」
 秀吉はいつもの若狭少将という呼び名ではなく、字(あざな)で勝俊を呼んだ。
「はっ」と答え、勝俊が続けようとした挨拶の口上を遮って、秀吉は短く言った。
「瀬田も死んだぞ」
「それは……瀬田掃部殿のことでございましょうか」
 答えながら、瞼が震えた。
 茶人として利休七哲に数えられる瀬田掃部こと瀬田伊繁とは小田原征伐で同道し、それ以降、何度も茶事を重ねており、縁が深い。
 瀬田はその茶に似た清々しい温かい心根の持ち主だった。
 痛ましい……と額に皺が寄るのを、勝俊はこらえた。
「他に誰ぞおるかの?」
「どのようにして瀬田殿はお亡くなりに…」
「切腹じゃ。秀次の謀反に加担しておった。あれは秀次と仲がよかったからのぅ。惜しいのはあれの茶はなかなかによかったことじゃ。のう、大蔵、そちと同じように」
「恐れ多い殿下のお言葉でございます」
 そちと同じという秀吉の言葉は、よき茶を点てるということか、死んだ秀次と仲がよいということか――。勝俊の脇が、恐怖に濡れた。
「大蔵よ。本日、そちを呼んだのは他でもない。明後日、三条河原で妻妾童赤子から侍女に至るまで、秀次ゆかりの女人をみな処刑する。そなた、それに立ち会ってくれぬか?」
「みな、とは一体、何人の女でございますか?」
 そう言ったのは顔を上げ、まっすぐに秀吉を見つめる梅だった。
(梅!)
 心臓に白刃が刺しこまれたような恐怖が勝俊を貫いた。
 しかし、秀吉は気分を害した様子もなく、そばの小姓を見遣る。
「三九名でございます」
 と小姓の短く澄んだ声が座を伝った。
「はっ、かしこまりましてございまする。必ず見届けまして、殿下にご報告奉りまする」
 すかさず、勝俊は深く平伏し、梅もそれに倣った。
「儂に報告などは要らぬ。それよりも、ことの次第をおねにうまく説明してやってくれ。おねは、この件については、儂にひどく反対しておっての。えらく機嫌を損ねておるのじゃ。おねは昔からそちを気に入っておる。おねをうまくとりなしてやってくれ」
 おね、と口にする時だけ、秀吉の険しい表情の中に生き生きとした照れが混じった。
「はっ、かしこまりました」
「それでな、儂が昔、梅殿とともにそちに与えた靱肩衝を覚えておろう」
「はっ、本日も肌身離さず、大事に身に着けておりまする」
 勝俊は懐から茶入を取出し、秀吉の前に進めた。秀吉は目を見張った。
「ほう、愛い奴じゃ。先程、顔を見させてもろうたが、奥方もまことに美しゅうなられた」
「まことにありがとうございまする」
 夫婦揃って平伏した。
 秀吉は勝俊に向かって歩みを進め、低い声で
「大蔵よ。決して儂と豊臣家を裏切るでないぞ」
 そう勝俊の耳に垂らした。
「はっ。この若狭、決してそのようなことは致しませぬ」
 勝俊と梅は、さらに深く平伏する。
 秀吉はその懐に靱肩衝をねじ込むと囁いた。
「のう、大蔵。そちには特別に教えて進ぜよう。明後日の処刑の後に、この聚楽第は取り壊す。庭木は梅も桜もすべて取り払う。ここは謀反の密事がなされた忌まわしい場所じゃ。到底、残してはおけぬ」
 さらに秀吉はゆっくりと梅の方に歩みを進め、ねっとりとした口調で、
「……それにしてもまだ若く、これからも花を咲かせるはずの梅の木を切るのは惜しいものよの」
 と平伏している梅の白い首筋を撫でた。
「大蔵よ、明後日、うまくおねを懐柔した暁には、褒美にこの茶碗を遣わそう」
 その直後に秀吉が、ぱん、と金扇で膝を打つと小姓が、畳十五目程もある皿型の平たい高麗平茶碗と櫂先の大きな茶杓、それに真っ白なさらし布巾を、しずしずと運び入れた。
「勢多(せた)と水海(みずうみ)でございますな」
 これは利休七哲と称された瀬田掃部が独自に成した「さらし茶巾」という茶の湯の手法にまつわる。瀬田が自ら特注で作らせた大きな櫂先の茶杓は、瀬田の名と瀬田川にかかる唐橋にちなんで勢多、平たく大ぶりな高麗平茶碗は琵琶湖にちなんで水海、とそれぞれ名がついている。
「そうよ。そちにこれで茶を点ててもらおうと思っての。こうして用意させたのじゃ」
「殿下、申し訳もござりませぬ。私は掃部流お点前の作法を存じませぬ」
「見たこと位はあろう。それ、儂の頼みじゃ。ここは茶室ではないが、見よう見まねで点ててみよ」
 小姓が無表情で、水と湯を運んでくる。
 勝俊は目を伏せた。瀬田のお点前を見たことは何度もある。平茶碗を茶に使い、客の前で水音爽やかに茶巾を絞る所作も今、やってやれぬことはない。けれどやりこなせば、秀吉は、やはり瀬田掃門と通じておったなと見るであろう。しかし、秀吉じきじきに茶を点てよと言うのを拒むなどできようもない。
(さて、どうするか――)
 勝俊は思案顔で、茶器を見つめた。
 すると、意外なことに隣にいた梅が動いた。
「では、不調法な夫に代わりまして、私がお点前させて頂きます」
 秀吉が言葉を発する前に、梅は優雅な手つきで平茶碗を手に取った。
 たおやかな顔をしているが、手つきがやや固い。
 平茶碗の使い方を思案しているのだろうと勝俊には知れた。梅は掃門のお点前を見たことはないはずだった。勝俊がたわいもない雑談として梅に語ったのを、聞いたことがあるだけである。
 梅は茶碗に水を張り、茶巾をひたした。次に棗と茶杓を清める。ここまでは瀬田掃門のやり方とほとんど同じようである。
 瀬田流はこの後、茶碗に浸した茶巾をゆっくりと引き上げながら、茶巾を絞り、水の滴る音を聞かせることで、場に涼感を出すのである。
 におうは一体、どうするのであろうかと秀吉の様子よりも興味を持って見ていると、梅は平茶碗の水の中で茶巾を丸く回してみせた。水に円を描いてたなびく白い茶巾は黄土色の高麗茶碗に映える。ちゃぷとちゃぷと水音をたて、梅は何度も何度も茶巾を回した。
 やがて梅は手を止めて、秀吉に向かって言った。
「殿下。このように白布を水で洗いますと、私は子の襁褓(むつき)洗いを思い出しまする」
「襁褓か、なるほどの、確かによう似ておるわい」
 秀吉は、我が子お拾いの乳臭い匂いを思い出したのだろう。くっと笑った。
「けれどこのように、私の心のうちで茶巾が襁褓になってしまっては、とても茶は点てられませぬ。殿下、どうかもう降参させて頂きとうございます。
 瀬田様の茶の湯は、大津にある湖を体現した茶だと聞き及んでございましたが、私の手にかかっては童の頃に駆け回りました岐阜兼山の山河となってしまいます」
 岐阜の兼山と聞き、秀吉は改めてこの目の前の美しい妻女が故信長公の寵臣、森の娘だと思い出したのか、快活に笑い飛ばした。
「そうか。ならば、もうよい。堅苦しいお点前はやめじゃ。すぐに薄茶を用意させるゆえ、若狭とともに飲んでゆくがよい」
 若狭、とようやく昔の呼び名で呼ばれ、勝俊はほっと息をついた。
 その日、聚楽第を後にした勝俊は、門扉の所で、最後に振り返った。
 破却される聚楽第は、庭木から茶道具、床柱まで、その当世一代の芸術の骨格を、大阪の伏見城へと移されるという。
 それでも、惜しい――と思った。
 京の聚楽第という器の中でこそ、輝けるものがそこにはあった。勝俊は、明るい夕焼けの中に建つ聚楽第の姿を確かめずにはいられなかった。
(聚楽第が消える。瀬田掃部の茶の湯も消える――)
 そんな思いに砂利を踏みしめ、勝俊は梅と二人、歩いた。
 
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