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第7章 三条河原
三条河原
しおりを挟む三条河原の殺戮のその日。
梅は、大名の妻女とわからぬよう、地味な小袖を着、笠を被り、京の人々でひしめく刑場の鹿垣にとりついた。梅は、必死で夫の姿を探したが、処刑人にも見届け人の中にも、その姿を見つけられず、焦っていた。
刑場の南側には小高い塚が築かれ、三方に乗った秀次の首が西に向けて置かれている。
「さあ、これが謀反人、秀次の首である!! 今生の別れに、今ひととき、皆に拝ませてやる」
無慈悲な官吏の野太い声が鴨川の流れに乗って響き渡ると、白装束の女人と子らが刑場の中へ押し込まれるように、なだれ込んだ。
半刻ほどたって一族の秀次の首との対面が終わると、髭面の男がうら若い側室の一人に近づいた。その側室は六歳ほどの男児を抱いていた。
こういう時は、まず真っ先に嫡男から処刑されるのだと、梅は母から教えられて知っていた。
「仙千代丸ッ」
凄絶な母の絶叫に、梅がその子の名を聞き知った瞬間、男児の体は二度槍で突かれ、ジャッと音立てて河原に放り出された。四人の男児と一人の姫は、みな槍で二度の串刺しにされた。子らが抵抗するため、見ている者にはより哀れを誘う。凄惨な地獄絵図に等しい景色である。
けれど梅は夫の姿が見つからぬ以上、かわりに見ておかねばという思いで、目をそむけずその光景を見守り続けた。幼い姫の遺骸は川に投げ捨てられ、その際にはひときわ大きな念仏と悲鳴が上がった。
どれほどの時がたったのか。
むせ返るような血の匂いの中、「におう」と、どこかで自分を呼ぶ声がした。殺される者、見る者が咳き込むような勢いで唱える念仏に混じって、「におう」「におう」とその声は続いていた。
声の在り処を探して、梅が再び刑場内を見回すと、秀次の首の近く、鹿垣の外側に勝俊が立っていた。
なぜ、こんな所にと梅がそちらに近づこうとすると、勝俊は片手を軽く上げて止めた。
「にゃおう」
その瞬間、勝俊の胸元から小さな黒猫が顔を覗かせた。
半日がかりの処刑が終わった。
夕闇迫る鴨川の水は、血の色に染まり、まだらに濡れていた。黒猫を抱いた勝俊は言った。
「幼い姫が飼っていた子猫が逃げてな。ともに牛車に乗せられてここまで連れてこられたものの、白刃に怯えたらしい。周りの者には子猫を捕まえると言いおいて、私一人が鹿垣の外に出た。すばしこい猫で、やっと秀次様の首のすぐ近くで捕まえたらな……」
勝俊はそこで言葉を切って、くしゃっと泣くように顔を顰めた。
「子も女もみな、殺される瞬間、こちらを見るのだ」
「秀次様の首を見るのですね」
「そうではない。みな、この猫を見るのだ。ある者はせめて猫だけでも生きてという無垢な顔で。ある者は、我が恨みよ、猫に乗り移れ、とでも言い出しそうな顔で。ある者は、この猫のように我も助けてたもれと、とりすがるような顔で」
「気のせいでございますよ」
「そうではない。刑場の中で官吏として見るべきであったな。何だか千々に乱れる死者の思いの全てを浴びた気がする。におうよ、私はこの京の行く末がどうなるのか恐ろしい……」
「何を気弱なことを。女である私も、あのむごい刑の有様を全て見たのですよ」
これまでに何度も戦場に出ている男の言葉とは思えない。
この人は詩想が溢れすぎていると、梅は怒りを滲ませた。
「そなたはまるで変わらぬな」
勝俊は心の底から感嘆の声音を漏らした。
それから歌うように続けた。
「さあ、私はこの猫をおね様に献上してこよう。おね様以外に猫を救える方はおらぬ」
(きっとこの人は、処刑の有様など一言も伝えずに子猫の愛くるしさで、おね様を丸め込み、また名物を手にして若狭に帰ってくるのだろう)
と梅は思った。
それを頼もしいような愛おしいような、それでいてひどく憎らしいような、不思議な心地で梅は受け止めていた。
猫の飼い主である小さな姫の死に様が脳裏に浮かび、梅は思わず、我が身を抱いた。その袖はかすかに血の匂いを含んでいた。
この秀次事件は多くの奇貨を歴史にもたらした。
秀吉の言葉通り、聚楽第は破却され、その豪華絢爛な内装や調度品、茶器は召し上げられるようにして、伏見城へと移築された。
そしてこの秀次事件に関与し、秀吉の不興を買った大名は総じてみな、関ヶ原の戦いで徳川方である東軍に属することになってゆく……。
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