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59.ご両親、ご登場。
しおりを挟む疲れた…。
何度も何度も繰り返される挨拶地獄に、私は1人放心していた。
この上品で煌びやかな世界は、私には非常に合わなさすぎる。
無理やり上げていた口角が痛い。
明日は確実に筋肉痛だ。
「柚子、はい」
今にも魂が抜け出してしまいそうな私に、千晴が水の入ったグラスを渡す。
…一体、いつの間に。
千晴は私から片時も離れず、私以上にたくさんのいかにも凄そうな方たちの対応をしていた。
そんな千晴が一体いつ、水入りグラスを用意してくれたのだろうか。
私の疑問の視線に気づいたのか、千晴は柔らかくその瞳を細めた。
「そこのウェイターから貰ったんだよ」
「…え」
千晴に言われて、その視線の先を辿れば、確かにそこには水入りグラスの置かれた銀のトレイを持っている男性のウェイターの姿がある。
よく見れば、ホールのあちらこちらに彼らはおり、そのトレイには水入りグラス以外にも、軽食やワインなども置かれていた。
「何か欲しければ、近くのウェイターに言えばいいよ。落ち着いてきたから向こうのビュッフェに行くのもありだし」
「…ビュッフェ?」
千晴の淡々とした説明に、自然と私の瞳は輝き出す。
忙しすぎて、全く見ていなかったが、まさかビュッフェがここにあるとは。
お金持ちのクリスマスパーティー。
しかもあの華守グループ主催。絶対にとんでもなく美味しいメニューたちが並んでいるはずだ。
「…ビュッフェ」
「あはは、柚子、わかりやすー」
しきりに〝ビュッフェ〟と呟く私に、千晴はおかしそうに笑った。
「それ飲んで落ち着いたら行こうね」と千晴に言われ、こくこくと何度も頷く。
やっと、挨拶地獄から解放され、少しでも楽しい時間がこれから始まるのだ。
そう私は思っていた。
この時までは。
「千晴」
厳格そうな低い声が、千晴の名前を呼ぶ。
水を飲むことを一旦やめ、視線を上げれば、そこには端正な顔立ちの40代くらいの男性と、これまた綺麗な男性と同世代くらいの女性が立っていた。
そこにいるだけで空気がひりつく男性は、威圧感が強く、威厳を感じる。
逆に横にいる女性は、とても小さく、まるで存在を消しているかのようだった。
「父さん、母さん」
2人を見つめ、千晴から出てきた言葉に、ああ、と妙に納得する。
ただものではない雰囲気はあったが、どうやら2人は、千晴のご両親のようだ。
確かによく見れば、千晴のお父さんの端正な顔立ちは、千晴と千夏ちゃんによく似ていたし、お母さんの可憐さは特に千夏ちゃんとよく似ていた。
「その娘がお前の選んだ婚約者か」
こちらを一瞥し、挨拶することもなく、すぐに千晴のお父さんは、真剣な顔で千晴に問いかける。
千晴はそんな厳格そうな父親相手にもいつも通りで、「うん」と軽い感じで、返事をしていた。
その返事に、千晴のお父さんが、上から下までじっくりと品定めするように私に視線を走らせる。
不躾なその視線に、嫌な気持ちになったが、そこは柔らかい笑みを浮かべたまま、耐えた。
これが今日の私の仕事だ。
「…うん。見た目は悪くない。だが、庶民の出だとか。そのような者が本当に我が華守に相応しいのか?」
片眉を上げて、疑うように、千晴のお父さんが千晴を見る。
しかし当の本人は、気にする様子などなく、淡々と口を開いた。
「誰が相手だろうと関係ないでしょ。俺は俺の力だけで、華守を大きくできるし。それに柚子は庶民の出だけど、優秀な人だよ?」
ゆるい声音だが、その中にはどこか強さもあり、千晴のお父さんは顔を明るくさせた。
「よくぞ言った、千晴。華守を受け継ぐ男はそうでないとな。誰の力も、どこの力も借りない。1人でやっていける絶対的な手腕こそ、華守に必要な力だ。お前はそれができる人間だ」
「…」
嬉しそうに笑い、ポンッと千晴の肩を叩く千晴のお父さんに、千晴は無表情のままで。
まるで親子には見えない会話に、私は1人隣で違和感を覚えていた。
とてもじゃないが、大切な我が子にかける言葉ではない。
「そこのお嬢さん…柚子さんといったか。柚子さんの成績証明書、それから諸々の資料をまた送りなさい。お前の選んだ女性のことはこちらも知っておきたい」
「わかった」
千晴の淡々とした返事を聞き、千晴のお父さんは満足げに瞳を細める。それから「では、また」とその場からさっさと去っていった。
ついに何も言葉を発さなかった千晴のお母さんは、去り際に、会釈だけしていた。
…何だあれは。
去っていく、2つの背中に、眉間にシワが寄っていく。
先ほどのあの短い会話を改めて思い返してみても、やはり違和感しかない。
まるで、自分の所有物が完璧であるかどうかを確認しているような千晴のお父さんのあの言動に、私はとても不快な気分になった。
それなのに、隣にいた母親は、我が息子に挨拶の一つもせず、ただ黙って聞いているだけで。
2人とも我が子を我が子として扱っていない、そんな印象を持った。
あんなのが両親なのか。
気がつけば、無意識に、私は千晴のスーツの袖をギュッと握っていた。
「あはは、何?柚子?早くビュッフェに行きたいの?」
先ほどの無表情で、どこか冷たかった千晴とは違い、優しく笑う千晴に胸が苦しくなる。
あんな両親なのに、千晴は本当に何も思っていないようだ。
「…違う」
何て言えばいいのかわからず、私はとりあえず、千晴の言葉を小さく否定して、視線を伏せた。
今、あの両親の悪口を言うのはきっと違う。
千晴自身は何も思っていないのだから。
けれど、千晴がどこかいつもひとりぼっちのような雰囲気を漂わせていたのは、あんな両親の元で育ってきたからなのかな、と思ってしまった。
勝手に自由に生きて、周りを困らせて、怖がらせて、1人になっているのだと、思っていたが、それだけではなかったようだ。
千晴は元々、寂しくて、ひとりぼっちだったのかもしれない。
今まで千晴には無条件に甘えられる環境はあったのだろうか。
それを許す存在はいたのだろうか。
千晴が育ってきた環境を考えれば、考えるほど、胸が重たくなっていく。
私が千晴にできることはなんだろう。
私は少なくとも、今、千晴が甘えられる存在の1人だ。今後も、先輩として、それを許してあげたい。
そこまで考えると、私は掴んでいた千晴のスーツの袖を離し、千晴の右手を両手で握った。
それから視線を上げて、まっすぐと千晴を見つめた。
「先輩として、千晴の面倒くらい見てあげるから。だから遠慮せずに甘えていいんだよ」
私と目の合った千晴が、その綺麗な目を珍しくパチクリさせる。
私からの予想外の言葉に、最初は驚いた様子だったが、すぐに状況を理解し、嬉しそうに笑った。
「それってプロポーズ?」
からかうように軽くそう言った千晴を、私はキッと睨みつける。
「違うわ!」
人が真剣に言っているのに、何、からかっているんだ!
バカ!
私に睨まれても、千晴はどこか嬉しそうで。
その笑顔に、私は心の底からホッとした。
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