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77.好き。side悠里
しおりを挟む柚子の手を引きやって来たのは、人気のない空き教室だった。
ここなら誰もいないので、落ち着いて話ができるだろう。
窓の外から、柔らかな夕日が教室内に射し込む。
その光を浴びてオレンジに染まる柚子は、なんて綺麗なのだろうか。
戸惑いの表情を浮かべる柚子に、俺はそんなことを思った。
「慎に監督からの封筒、渡したんだよね?バスケ部の部室の前で」
「うん」
ゆっくりと問いかけた俺に、柚子が不思議そうに頷く。
その答えに俺の心臓は静かに加速し始めた。
柚子はやはりあの話を聞いていたのではないだろうか。
冷や汗が背中を伝い、気持ち悪い。
緊張で喉がカラカラに乾いて、息が詰まる。
しかし、このまま黙っているわけにもいかないので、俺はごくんと唾を飲んで、意を決したように口を開いた。
「……俺たちの話、聞こえてた?」
「え?」
俺の問いかけに、柚子が目を丸くする。
それからキョトンとした顔でこちらを見た。
「話ってなんの?」
まるで何も知らない様子の柚子だが、俺にはそれが嘘であるとわかる。
あまりにも完璧で隙のない、一見、嘘をついているようには見えない柚子。
しかし、よく見れば、作られた完璧な表現の中で、柚子は目を泳がせていた。
柚子は根本では嘘がつけないのだ。
そこが愛らしくて、堪らない。
…好き。
また柚子への好きが胸へと蓄積される。
こんなにも愛おしい存在、例え、俺に向ける感情が俺と同じものではなかったとしても手放せない。
柚子と恋人同士でいたい。ずっと。
「…ごめん。最初の告白は嘘だった」
俺は静かに視線を伏せ、そう切り出した。
今までのことを謝罪し、柚子ときちんと向き合う為に。
「柚子にフラれるつもりで告白したんだ。柚子にフラれて、傷心中って理由で俺への告白を全部断ろうとしてた。都合よく柚子を利用しようとしてたんだ、俺。柚子と付き合ったのも、それが理由だった」
告白の理由を包み隠さず柚子に伝えることが怖い。
けれど、きっと怖がっていては、先へは進めない。
俺は全てを告白した後、ぎゅっと自身の両手を握った。
その両手は緊張でほんのり汗ばんでいた。
「知っていたよ」
俺の耳に優しい柚子の声が届く。
あまりにも優しいその声に、俺は思わず視線を上げた。
「全部知った上で悠里くんの告白を受け入れたの。だから悠里くんは何も悪くないんだよ」
視線の先で柚子はやはり俺の予想通り、少しだけ寂しげに笑っていた。
その表情に胸がざわつく。
まるで今にも別れを告げそうな優しくも、切なげな表情に。
「柚子、違う、俺は…」
咄嗟に柚子の言葉を否定したくて、言葉を紡ぐ。
しかし、それは冷静な柚子の優しい声に阻まれた。
「違わないよ。悪いのは私だから。悠里くんは本当は私にフラれて、私のことなんて気にせずにバスケに集中できるはずだったんだよ。けど、その機会を私が奪ったの。悠里くんは優しいから、例え嘘でもずっと真剣に私に向き合ってくれたよね」
柚子が本当に申し訳なさそうに俺から一瞬、視線を逸らす。
悪いのは自分だと、自分を責める柚子の言葉を否定したくて仕方ないのだが、その隙を柚子は未だに俺に与えてくれない。
「嘘だったとしても、悠里くんは思いやりがあって、優しくて、完璧な私の彼氏でいてくれた。それが私はどんなに嬉しかったか…。私、例え嘘でもよかったの。悠里くんの為に彼女として壁になれることが嬉しかった。バスケを頑張る悠里くんを少しでも支えられている自分が誇らしかったの」
ふわりと笑う柚子は本当に嬉しそうで。
柚子の言葉に俺は、ウィンターカップの時に柚子に言われたある言葉を思い出した。
『こんな素敵な人を少しでも支えられている自分が誇らしいよ』
そう柚子は言っていた。
あの時は何も思わなかったが、今ならこの言葉の意味をきちんと理解できる。
少なくともあの時には柚子は知っていたのだ。
俺の告白が嘘だったということを。
「…別れよう、悠里くん」
柚子の口から聞きたくなかった言葉がゆっくりと紡がれる。
言われるだろうと覚悟はしていたが、やはり直接言われると、頭が真っ白になった。
暗い感情が俺を支配して、苦しくて苦しくて、息の仕方がわからなくなる。
だが、そんな俺に気づいていないのか、柚子は悲しそうに笑いながらも続けた。
「悠里くんはもう私のことまで頑張る必要はないからね。これからはバスケに専念して」
違う、違うんだよ、柚子。
何も頑張ってなんていなかった。
俺は好きでずっと柚子と一緒にいた。
「ごめんね。本当はあの時、私にフラれて晴れてバスケに専念できるはずだったのに、今まで私に付き合わせて」
何でそんなこと言うの。
柚子にフラれて、よかったはずがないのに。
付き合えたからこそ、今があるのに。
「ありがとう、悠里くん。私に夢を見させてくれて」
やめて、やめてくれ!
清々しそうに笑う柚子に胸が張り裂けそうになる。
彼女は全部が全部、違うことを言っている。
それを訂正したくて、俺はやっと口を開いた。
「最初の告白は確かに嘘だった。…けど、それ以外は全部、本当だから。柚子にどんどん惹かれて、好きで柚子の彼氏でいたし、好きだからこそいろいろやったんだよ。優しかったのも、柚子から見て思いやりがあるように見えたのも、全部、柚子が好きだから」
ゆっくりと一つ一つ丁寧に教え込むように、言葉を吐く。
柚子の認識が全て間違っていたのだと、わかってもらえるように。
「バスケの為に柚子と付き合っていたわけじゃない。ちゃんと柚子のことが好きで付き合っていたんだ」
まっすぐと焦がれる思いを胸に柚子を見れば、柚子は頬を赤く染め、うるうるとした瞳でこちらを見つめていた。
キラキラと宝石のように輝くそこには、俺と同じものはやはりない気がした。
柚子は果たして自分の気持ちの本質に気づいているのだろうか。
「別れたくない。このままがいい」
「う、うん!わ、私も!」
切実にそう訴えた俺に、柚子が嬉しそうに笑う。
その表情に俺は、ああ、と腑に落ちた。
柚子には、やはり、俺と同じ葛藤や飢えはない。
柚子は気づいていないのだ。
俺に向ける自分の感情が、恋などではなく、ただの憧れだということを。
「…」
俺の気など知らずに、花のように笑う柚子に、仄暗い感情が広がる。
ーーー気づいていないのならば、気づかせなければいい。
俺に向ける憧れの感情こそが、恋なのだと錯覚させ続ければいい。
「ふふ、へへへ」
楽しそうに口元を緩ませる愛らしい柚子の頬に、優しく触れてみる。
すると、柚子は目を丸くした。
どんな表情でも、可愛いなんて反則だ。
大丈夫。俺ならできる。
柚子に望まれて、彼氏の座にいるのは俺なのだから。
別れさえしなければ大丈夫だ。
「…好きだよ、柚子」
俺は愛おしい存在にそっと唇を重ねた。
自身の中で渦巻く、この仄暗い感情に身を委ねて。
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