86 / 108
86.特別な一つ。
しおりを挟む「…ふぇ!?」
突然奪われた視界に、変な声を出してしまう。
しかし反射的に反撃しようとしなかったのは、その何者かが、私の推しである悠里くんだとわかったからだった。
鼻に届いた柔らかくも優しい香りが、悠里くんだと教えてくれた。
後ろから何故か抱きしめるように、悠里くんが私の目を覆い隠している。
わけのわからぬご褒美すぎる状況に、私はどうしたらいいのかわからず、固まった。
「…そんなかわいい顔、俺以外に見せないで」
悠里くんがそう私の耳元で囁く。
懇願するような切なげな声に、私の心臓は小さく跳ねた。
か、かわいい…?
私の今の顔が…?
怒りで震え上がっている般若顔が…?
バクバクとうるさい心臓をなんとか抑えて、平然を装う。
すると、私の耳にどこか暗く、けれども甘い声が届いた。
「柚子の彼氏は誰?」
「え、あ、ゆ、悠里くんです…」
悠里くんからの予想外な質問に、あたふたしながらも、私は何とか答える。
そんな私に悠里くんは続けた。
「柚子が一番好きなのは?」
「ゆ、悠里くんです」
「…うん、そうだよね」
ぎこちなく頷いた私の耳に、悠里くんの柔らかな声が入る。
それからゆっくりと私の目を覆っていた悠里くんの手が離された。
視界が戻ったと同時に、今の悠里くんの様子が気になって、後ろを振り向く。
「…?」
そして、視界に入った悠里くんに私は首を傾げた。
こちらをまっすぐと見つめる悠里くんが、どこか仄暗い瞳で、優しく笑っていたからだ。
その表情が何故かとても辛そうで、胸がざわついた。
どうしたんだろう…?
推しの原因不明の異変に、不安が広がっていく。
どうしたの、と今まさに聞こうとした、その時。
悠里くんはいつもの優しい笑顔を私に浮かべた。
まるで先ほどの今にも消えてしまいそうな笑顔が嘘かのように。
「それで華守が言ってたこと、詳しく聞いてもいいかな。なんで華守の家でチョコ作ったの?なんで華守にもチョコをあげたの?それも俺よりも先に」
あれ?
怒っていらっしゃる?
いつも通りの笑顔に見えた悠里くんから、何故か見えない圧を感じて、目をぱちくりさせる。
き、気のせいかな…。悠里くんが怒る要素なんてないし…。
よくわからない怒りを感じながらも、私はあくまで冷静に説明を始めた。
「…悠里くん、バレンタインは私の手作りがいいって言ってたでしょ?でも、私の手作りなんて悠里くんにあげたら、最悪悠里くんが三途の川を見ることになるって、私、ずっと悩んでたんだよね。そしたら千晴が提案してくれたんだ。千晴の妹ちゃんの千夏ちゃんと一緒にチョコを作ればって」
そこまで言って、改めて悠里くんを見てみる。
すると悠里くんの笑顔からあの圧がほんのり和らいでいる気がした。
そもそも圧を感じていることさえも、気のせいな気がしてきた。
…うん、きっと気のせいだ。
優しい悠里くんに限って、私に謎の圧をかけるなんてあり得ない。
私の勘違いで決まりだろう。
やっと気づいた自分の勘違いに、私はほっと一息ついた。
それから冷静なまま続けた。
「千夏ちゃんのおかげで失敗することなく、健康面でも被害の出ないチョコができたの。だからぜひ、食べて欲しいな。そのお礼で千晴にもチョコをあげたんだよ」
ついに全てを伝え終え、悠里くんに柔らかく笑う。
そんな私に悠里くんは「…なるほど」と納得したように神妙な顔つきで頷いた。
そして少し考えてから、どこか言いづらそうに、ゆっくりと口を開けた。
「ごめん、俺、かっこ悪いこと言うんだけど、本当は一番に柚子の手作りチョコが食べたかったんだ。できれば、俺だけが食べたかった。誰にも食べさせたくなかった」
寂しそうに笑い、気まずそうに視線を伏せた悠里くんに、ドキューン!と心臓が射抜かれる。
で、出た…、ラ、ラブテロリストだ…。
悠里くんが今まさに嫉妬しているのだと思うと、辛そうな姿に胸が痛くなるが、その愛らしい独占欲に、ついときめいてしまった。
苦しんでいる相手にときめくなんてあり得ないし、言語道断だというのに。
「ご、ごめんね、悠里くん。そうとは知らずに、私…」
気持ちを切り替えて、私は悠里くんに申し訳なさそうに眉を下げる。
だが、悠里くんはそんな私を責めることなく、私と同じような表情を浮かべた。
「いや、謝らないで、柚子。俺が勝手に嫉妬しているだけだから」
「あ、謝るよ…。私なんかが悠里くんを煩わせるなんて許されないよ」
「なんかじゃない。柚子は俺の大切な彼女。大切だからこそ、煩わされるんじゃん」
「は、は、はぅあ…」
真剣な顔で、だが、どこか焦がれるようにまっすぐと私を射抜く悠里くんに、思わず変な声で返事をしてしまう。
良すぎて悠里くんのことを直視できない。
一体、いくら払えば、〝大切な彼女〟と毎日言ってもらえるのだろうか。
そういうサブスクはないのか。
悠里くんに〝大切な彼女〟と言ってもらえるサブスクが。
もう悠里くんしか見えなくて、ふわふわと夢心地でいると、「ねぇ」と面白くなさそうな千晴の声が私の耳に辛うじて入ってきた。
「俺もいるし、なんならここ下駄箱前だからたくさんの生徒もいるんだけど。公衆の面前で2人だけの世界にならないでよ」
「…っ!!!!」
千晴の指摘に、私は慌てて意識を覚醒させる。
それから急いで周りを見れば、全員がサッと私から視線を逸らした。
つまり、逸らす前はこちらを見ていたということだ。
な、な、な、何ということだ!
生徒の目がある場所で、悠里くんに骨抜きにされてしまうとは!
泣く子も黙る、鬼の風紀委員長として、真面目な姿をなるべく見せようと普段から意識しているのに!
これでは推し活に勤しむ、ただの女子高生ではないか!
推し、恐ろしい!
「い、行こう!悠里くん!帰ろう!じゃあね、千晴!」
これ以上、恥ずかしい姿は見せられない、と慌てて、私は声を上げる。
そのままギクシャクしながらも、千晴に手を振ると、千晴は何故かどこか愛おしそうに柔らかく微笑み、「じゃあね、先輩」と言った。
「華守」
そんな千晴を悠里くんが真剣な声で呼ぶ。
「…確かに柚子の最初の手作りチョコを食べたのは華守かもしれないけど、柚子が初めて本命に渡す手作りチョコを食べられるのは俺だから」
それから悠里くんは強い瞳で、そう千晴に言い放った。
千晴は何も言わないが、どこか面白くなさそうだ。
睨み合っているようにも見える2人に、私は頷いた。
「確かにそうだね」
淡々とした私の言葉に、悠里くんは嬉しそうに瞳を細め、千晴は不愉快そうに眉をひそめた。
正反対な2人に、私は2人の相性はやはり最悪だ。会わせない方が絶対にいい。と思ったのだった。
0
あなたにおすすめの小説
生まれ変わったら極道の娘になっていた
白湯子
恋愛
職業専業主婦の私は、車に轢かれそうになってた子どもを守ろうとして死んでしまった。しかし、目を開けたら私は極道の娘になっていた!強面のおじさん達にビクビクしながら過ごしていたら今度は天使(義理の弟)が舞い降りた。やっふぅー!と喜んだつかの間、嫌われた。何故だ!構い倒したからだ!!そして、何だかんだで結婚に焦る今日この頃……………。
昔、なろう様で投稿したものです。
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
【完結】二度目の子育て~我が子を可愛がったら溺愛されました
三園 七詩
恋愛
私は一人娘の優里亜の母親だった。
優里亜は幼い頃から体が弱く病院でほとんどの時間を過ごしていた。
優里亜は本が好きでよく私にも本の話をしてくれた。
そんな優里亜の病状が悪化して幼くして亡くなってしまう。
絶望に打ちひしがれている時事件に巻き込まれ私も命を落とした。
そして気がつくと娘の優里亜が大好きだった本の世界に入り込んでいた。
溺婚
明日葉
恋愛
香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。
以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。
イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。
「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。
何がどうしてこうなった?
平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる