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85.数ある一つ。
しおりを挟む千夏ちゃんとバレンタインチョコ作りをした、次の日。
バレンタイン当日の放課後。
今日もお互いの予定が合ったので、寒空の下、下駄箱前で悠里くんのことを待っていると、とんでもなく大きな袋を二つも下げた悠里くんが現れた。
その袋からは溢れんばかりのチョコらしきものが見えている。
チョコを大量に抱える悠里くんに、私は思った。
私の推し、すごい。
さすがバスケ部の王子様だ。人気者すぎる。
「す、すごいね、悠里くん…!さすがすぎる…!」
みんなから愛されている推しに、私は何だか誇らしい気持ちになった。
まるで自分のことのように嬉しいと思える。
私以外にも、こんなにもたくさんの人に愛される悠里くんは、やはり素晴らしい人間なのだ。
ふふ、と悠里くんを見て、得意げに笑っていると、悠里くんはそんな私に苦笑いを浮かべた。
「そうなっちゃうか…」
どこか物欲しそうに私を見る悠里くんに、私は首を傾げる。
何かを求められていることは何となくわかるのだが、それが一体なんなのかは全くわからない。
推しの願いなら何でも叶えたいのに…。
悠里くんの視線の示す意味がどうしてもわからず、うんうんと首を捻り続けていると、悠里くんは言いづらそうに口を開いた。
「俺、柚子からのチョコ、楽しみにしてたんだけど…」
じっとこちらを見つめる悠里くんは、何といじらしくて、可愛いのだろうか。
全く意識していないのだろうが、私の様子を伺った結果、自然と上目遣いになっている悠里くんの視線は甘く、何とも危険なものを孕んでいた。
イケメンで、かっこよくて、可愛いなんて、私の推しは反則級の要素を兼ね備えすぎている。
健康に良すぎる。長生きしちゃう。100歳を軽くオーバーしちゃう。
「…んん!ごめん。ここにはないんだよね、チョコ」
表ではいつも通りを装っていたが、内心はお祭り騒ぎだった自分を一度咳払いで落ち着かせ、申し訳なさそうに悠里くんを見る。
すると悠里くんは「…え」と短く呟いた。
ショックを受けたような表情で。
「…俺がいっぱいチョコ貰ってるから、柚子のはいらないって思っちゃったの?それで誰かにあげちゃった?」
辛そうに眉を下げ、悠里くんが私に問い詰める。
どこか仄暗い気もする悠里くんの瞳に、私は慌てて首を横に振った。
「違う違う!全然違うよ!」
明らかに傷ついている様子の悠里くんに、胸が痛くなる。
これは言葉足らずな私が全面的に悪い。
「悠里くんの荷物になると思って持って来てないだけだよ。ちゃんとバレンタインチョコ作ったし、しかもすごいクオリティになったんだよ?もうお店レベルだから。だから学校には持って来ずに、悠里くんの家に直接届けようと思ってたの」
「そっか…」
私の必死の弁明に、悠里くんが納得したように頷く。
それから一度視線を伏せ、少し考えてからまた視線を上げ、こちらを見た。
「それ、今から俺が取りに行ってもいい?柚子の家に」
伺うようにこちらを覗く悠里くんに、ぎゅう、と心臓を鷲掴みにされる。
か、可愛い!
何でも言うことを聞きたくなっちゃう!
思わず勢いそのままに首を縦に振りそうになったが、私はそこで、ハッとした。
悠里くんが私に言った言葉は、〝我が家にチョコを取りに行ってもいいか?〟というものだ。
そんなこと絶対にダメに決まっているではないか。
推しの足を煩わせるわけにはいかない。
私が直接悠里くんのお宅へ行くべきだ。
「私が悠里くんの家に渡しに行くよ、チョコ。元々そうする予定だったし」
「でもそれだと二度手間だよね?だからこのまま俺が取りに行くよ」
「いやいや、そうしたら、逆に悠里くんが二度手間になるじゃん。だから私が渡しに行く」
「二度手間とか気にしなくていいよ?俺がそうしたいだけだし…」
「気にします」
困ったように笑う悠里くんに、私はキリッとした表情を作る。例え、私の推しである悠里くんからのお願いでもこれだけは譲れない。
絶対に推しの誘惑には負けないぞ!と強い気持ちで、悠里くんを見れば、悠里くんは引き続き、困ったように笑っていた。
その姿があまりにもいじらしくて、ぐらぐらと私の中の決意が揺らぐ。
ま、負けない!推しの誘惑には負けない!
「せーんぱい」
眉間に力を込め、誘惑に耐えていると、気だるげな聞き慣れた声が聞こえてきた。
その声のおかげで私の中を支配していた、推しの言うことは何でも聞きたい欲がパーンッ!と弾け飛ぶ。
救世主でもある声の主の方へと視線を向けると、そこには嬉しそうに瞳を細める千晴が立っていた。
「先輩、昨日はチョコありがと。美味しかった」
私と目の合った千晴が改めてふわりと笑う。
そんな千晴に、悠里くんは「…え」と表情を曇らせた。
「…あー。先輩の彼氏さんじゃん」
今、悠里くんの存在に気づきました、と言いたげな態度で、悠里くんを見て、千晴が意味深な笑みを浮かべる。
それからどこかおかしそうに口を開いた。
「先輩のチョコ、なかなか美味しかったでしょ?あれ、うちで作ったんだよ?それで最初に食べたのが俺ね?」
ふふ、と笑い、少しだけ千晴が顎を上げる。
まるで見下すようなその視線に、私は思わず千晴の頭をぱちん、と軽く叩いた。
「悠里くんに対して頭が高いわ。変なことで偉そうにしない」
「えー。別に変なことじゃないし、重要なことでしょ?」
「どこも重要じゃないけど?」
睨む私に、千晴がおどけたように笑う。
全く価値観のわからない男だ。
「でも俺は初めて先輩の手作りチョコをもらった男だよ?大事な初めてをもらったのは俺」
「…お父さんをカウントしなければの話ね」
「うん。だからやっぱり俺が最初の男じゃん」
呆れたように千晴を見れば、千晴はどこか怪しげに色っぽく微笑んでいた。
…これは私の初めての手作りチョコをもらった話をしているんだよね?
別のものの話はしていないよね?
「彼氏さんは初めての男じゃないもんねぇ。しかも俺の前でチョコ作ってくれたんだよ?最高でしょ?」
「…」
ニヤニヤと笑う千晴に、悠里くんはずっと黙っていた。
その表情は未だに曇っており、どこか不愉快そうだ。
推しにあんな顔をさせるだなんて、なんと罪深い男なのだ、千晴。
もう許せない、と、千晴に何か一言物申そうと私は口を開いた。
…が、それは続く千晴の言葉に遮られた。
「先輩からのチョコ、めっちゃ美味しかったけど、一番美味しかったのは、先輩から直接食べた、先輩の口についてたチョコだったなぁ」
「は、はぁ!?」
なんでもないことのように紡がれた千晴の言葉に、私はその場で叫ぶ。
なんてことを言ってるんだ!コイツは!
「あれは口じゃなくて、口の横!語弊がある言い方はやめなさい!」
確かに千晴は私から直接チョコを食べた。
だが、それは私の口からではなく、口の横からだ。
千晴の言い方では、まるで私たちがキスしたみたいではないか。
顔を真っ赤にして千晴を鬼の形相で思いっきり睨む。
すると千晴は楽しそうにその綺麗な瞳を細めた。
「どっちでも同じじゃん?美味しかったなぁ、先輩のく・ち・び・る」
「バッカ!せめてチョコと言いなさい!チョコと!」
恥ずかしさと怒りで、もうおかしくなりそうだ。
頬に集まる熱に、眉間に入っていく力。
千晴を睨む瞳には、激しい羞恥と怒りの感情がこれでもかというほど込められており、まさに般若のような顔に私はなっていた。
ーーーそんな時だった。
突然、私の視界が何者かによって奪われた。
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