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98.柚子争奪戦。
しおりを挟むすっかり暗くなり、星が瞬き出した頃。
カレーを完成させた生徒たちは、調理室のすぐ隣にある食堂で、それを美味しそうに食べていた。
ここの食堂には、何百人もの人が一斉に使えるだけの長机と椅子がずらりと並べられている。
そこで私は1人で夕食を食べていた。
私の周りにはまるで私を避けるように誰も座っていない。
本当は雪乃と一緒に食べる予定だったが、同じくここで合宿をしていた他校のイケメンといい感じになったらしく、攻め時ということで、雪乃はそのイケメンと夕食を共にしていた。
まあ、よくあることなので、あまり気にならないし、雪乃らしくて、逆に安心するが。
一生懸命水の量を測り、カレールーを割り入れ、調理器具を洗った…一応私も調理に参加した目の前のカレーを、私はじっと見つめる。
うちの班の手伝いをする、とこちらに来た千晴は、驚くことに本当によく動いていた。
私が水を測っている時は、先のことを考え、鍋を用意し、すぐに入れられるようにしてくれていたし、カレールーを入れる時も、入れるタイミングを私に教えて、混ぜる作業は千晴がしてくれた。
洗い物の時も積極的に手伝ってくれ、千晴のおかげでかなり手際よく作業を進められた。
時々暇を持て余し、私の髪や手で遊んでみたり、変に私に甘えてきて困ったりもしたが、それでも千晴はよく働いてくれていた。
意外だった千晴のことを考えながらも、おぼんにちょこんと置かれたスプーンに手を伸ばした、その時。
私の右隣に自然な流れで、千晴が座ってきた。
コトンッと机に置かれたおぼんの上には、もちろんカレーがある。
千晴が食べるカレーは私と一緒に作ったカレーだ。
千晴だ…と、右隣に気を取られていると、左隣からもコトンッとおぼんの置かれた音がした。
一体、誰だろう、と千晴から今度は左隣へと視線を移す。
するとそこには悠里くんが座っていた。
私と目が合い、悠里くんが優しく微笑む。
悠里くんだ…。え。
悠里くんに一度ぎこちなく微笑み、今度は前を向く。
そして私は両隣に感じる気配に、ぐるぐると思考を巡らせた。
右隣に異性として好きだと思っている千晴がいる。
左隣に推しとして好きだと思っている悠里くんがいる。
え、修羅場じゃん。
しかもこの二人相性最悪じゃん。
悠里くん、私、千晴。
突然、始まってしまった非常に気まずい夕食に、私は冷や汗を浮かべた。
「先輩」
そんな私に千晴が淡々と、だが、どこか甘い声音で声をかけてきた。
「もうこのカレー食べた?」
「い、いや、まだだけど…」
「そっか。美味しくできてるかな?これ、一緒に作るの楽しかったよね。俺、初めてちゃんと料理したけど、先輩と一緒だったから楽しかったなぁ」
「…は、はぁ」
戸惑う私に、千晴がいつも通りの調子で話を続ける。
私を見つめるその瞳はやはり甘く、焦がれるような熱を帯びており、私の頬にじんわりと熱が集まった。
「料理、結構楽しかったし、また一緒に作ろ?うちで。ね?」
「う、うん。でもその時は千夏ちゃんも誘おう。その方が心強いし」
「千夏?わかった。アイツ、先輩のこと好きだし、絶対喜ぶよ。〝お義姉様〟て、先輩のこと呼んで、もう義理の姉にしてるし」
どこかおかしそうに瞳を細め、そう言った千晴の視線が、私ではなく、私の向こう側に一瞬だけ向けられる。
すると、その視線を受けてなのか、悠里くんが徐に口を開いた。
「今日は1日大変だったけど、柚子とずっと一緒にいられたから苦ではなかったな…」
悠里くんの優しい声に、私の視線は今度は左隣へと移る。
私と目の合った悠里くんは、優しく私に微笑んだ。
それからゆっくりと話を続けた。
「今年は受験生でもあるし、またこうやって一緒に勉強しよう。うちで」
「う、うん」
悠里くんのお誘いに、私は迷わず反射で頷く。
いつも通り優しくて、けれど私を射抜くどこかねだるような瞳は甘い。
そんな悠里くんに胸の奥がキューンと締め付けられた。
「べ、勉強、一緒にしよう。でも、悠里くん、多分推薦だよね?バスケで」
「まあ、その可能性もあるけど、勉強は普通に大事じゃん?柚子が見てくれるなら、一般で受験しても安泰だろうし」
「もちろん!私が見るからには悪いようにはしないよ…!」
「じゃあ、決まり。うちにまた勉強しに来て?姉ちゃんも里緒も〝お姫様〟て、柚子のこと呼んで気に入ってるし」
優しいいつもの悠里くんなのだが、一瞬だけ、その瞳から優しさが消える。
そしてその視線は私にではなく、私の向こう側に向けられた。
…千晴だ。
そもそも私を〝お姫様〟と言っていたのは、里緒ちゃんだけだったような?里奈さんは普通に名前で呼んでくれていた気がするけど…?
悠里くんのいつも通りなのだが、どこか様子の違う姿に首を捻る。
ーーーその時だった。
「熱っ…」
突然、右隣から少しだけ苦しそうで痛そうな声が聞こえてきた。
その声につい反射で、今度は右隣を向く。
「どうしたの?」
「ん、思ったより熱くて…」
心配しつつも、千晴の様子を伺えば、千晴はほんの少しだけ辛そうな表情で、舌を出した。
その舌は確かに熱で赤くなっている気もする。
「…もう、何してるの。水飲みな?」
可哀想ではあるが、それくらいしかできることはないので、私は淡々とそう言い、千晴のおぼんへと視線を向けた。
…が、そこには何故か水がなかった。
「水、持ってくるの忘れた」
「何やってんの…」
仕方ないので呆れながらも、私の水を千晴に差し出す。
しかし、それを千晴はじっと見つめて、受け取ろうとはしなかった。
…何故。
千晴に差し出された私の手が、しばらくその場に居続ける。
続く謎の時間に、疑念の視線を向けると、千晴は幼い子どものように笑った。
「飲ませて?先輩?」
甘えるように上目遣いで私を見る千晴に、ドクンッと心臓が跳ねる。
「は、はぁ…?じ、自分で飲みなさい…っ!」
千晴の行動に動揺を隠せないが、それでも私は千晴に差し出した手を引こうとはしなかった。
「こ、子どもじゃあるまいし、水くらい自分で飲めるでしょう!?」
「いやまだ子どもだし」
「高校生は子どもじゃない!」
「大人でもなくない?」
「そっ、れはそうだけど!」
「ひりひりしてきた…」
「…っ!!!!!!」
眉間にシワを寄せ叫ぶ私に、千晴が無表情だが、どこか堪え難そうに舌を出す。
その姿に私の中の良心が不本意だが傷んだ。
自分で飲まない千晴が絶対悪いのに…っ!
私は悪くないのに…っ!
「し、知らない!」
ここで折れるものか!と千晴のおぼんにダァンッ!と勢いよく水を置き、視線を逸らす。
それから無視を決め込み、スプーンを手に取った。
「…」
…右隣からずっと視線を感じる。
それでも私は折れることなく、そのスプーンでカレーをすくう。
スプーンに乗ったカレーからは白い湯気が出ており、熱そうだ。
今、まさにそれを口に運ぼうとしたのだが、やはりどうしても右隣の視線が気になり、私の手は止まった。
ああ、もう!
気がつけば私は一旦スプーンを置いて、千晴のおぼんに置いたコップを掴んでいた。
「ほら、こっち向いて、千晴」
「はぁい」
負けたと言わんばかりに眉を下げ、千晴の口元まで、水を運ぶ。
すると、千晴は嬉しそうにその口元を緩めた。
コップのふちを千晴の下唇にゆっくりと当て、様子を見ながら傾けてみる。
動き始めた水に千晴は目を伏せて、ゴクゴクと喉を鳴らし始めた。
長いまつ毛が綺麗な千晴の顔に影を落とし、私がコップを傾けるたびに喉仏が動く。
ゆっくりと私の手から水を飲む千晴が何故かとても色っぽくて、私は息を呑んだ。
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