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99.心臓が痛い。
しおりを挟むな、何で水を飲んでいるだけなのに、こんなにも色気があるんだ。
ドキドキしながらも、千晴に水を半分飲ませたところで、一度、コップを千晴から離す。
水で光る形の良い唇に、私の心臓はまたドクンッと大きく跳ねた。
あの唇に、私、キスされたんだよね…。
…て、ダメだ!ダメだ!
頭の中を一瞬支配した煩悩に、私は両目をギュッと閉じ、首を横に振る。
私は悠里くんの彼女!
彼氏の隣で何考えているんだ!私!
千晴はただの後輩だ!
ダァンッ!と勢いよく千晴のおぼんにコップを置き、深呼吸をする。
それから「…全く、本当に手のかかる」と迷惑そうに吐き出すと、スプーンを再び手に取った。
私はただ、手のかかる後輩に水を飲ましていただけだ。
そこに何か特別な感情があるわけではない。
自分にそう言い聞かせながら、やっとスプーンにすくわれていたカレーを口へと運ぶ。
広がる味は馴染みのあるもので、普通に美味しい。
バクバクとうるさく鳴っていた心臓も、カレーを咀嚼するごとに、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
するとそんな私に、今度は左隣から悠里くんが「柚子」と声をかけてきた。
なので、私は一旦カレーを食べる手を止めて、「ん?」と悠里くんの方へ視線を向けた。
「俺の班と柚子の班、ちょっとカレーの見た目違うよね?柚子のカレーも食べてみたいな。食べさせてくれる?」
ふわりと笑い、伺うように悠里くんが私を見る。
悠里くんの指摘に視線を落とすと、確かに私と悠里くんのカレーはほんの少しだけ見た目が違った。
ルーの色は私の班の方が少し淡い茶色で、野菜もお肉も小さめなのだ。
少しだけ違う見た目に、私も悠里くんと同じ興味を抱いた。
「どうぞ、どうぞ。味の感想も聞かせてね」
私は快く頷いて、悠里くんがカレーを食べやすいように、おぼんの左端へお皿を寄せた。
そんな私に悠里くんは「ありがとう」と微笑むと、視線を伏せて、遠慮がちに口を小さく開けた。
…え。
突然の悠里くんの行動に私は思わず固まってしまう。
伏せられた視線はどこか儚げで、それでいて色気があり、開けられた口から見える舌や歯は、普段まじまじと見るところではないので、どうしてもドギマギしてしまった。
こ、この、悠里くんの行動は一体…。
意味がわからずに何度もまばたきをしていると、恥ずかしそうに悠里くんは視線を上げた。
「食べさせてくれないの…?」
頬を赤く染め、こちらをじっと見つめる悠里くんに、私の心臓がズキューンっと撃ち抜かれる。
お得意のラブスナイパーのご登場だ。
撃ち抜かれた心臓にパニックになりながらも、私は必死に平静を装い、悠里くんの言動の意味を考えた。
な、何故、食べさせる流れになっているのか。
冷静に、冷静に、悠里くんと私のやり取りを思い出すのだ。
『俺の班と柚子の班、ちょっとカレーの見た目違うよね?柚子のカレーも食べてみたいな。食べさせてくれる?』
そう、悠里くんは数秒前にこう言っていた。
私のカレーも食べてみたい、と。
それから、食べさせてくれる?、と。
ん?食べさせてくれる?
「…っ!!」
そ、そういうことだったのかー!
今更悠里くんのお願いの意味を理解して、大きく目を見開く。
それからまるでりんごのように頬を真っ赤にした。
何も言わずに、無言で忙しく表情を変える私に、悠里くんが「やっぱり、難しいかな?」と困ったように笑う。
「む、難しくないよ!ちょ、ちょっと待っててね!」
そんな悠里くんに私は考えるよりも先に、必死に首を左右に振り、慌ててスプーンに自分のカレーをすくっていた。
「ゆ、悠里くん。あ、あーん」
ぎこちなくそう言って、緊張で震えないように左手で右手を抑えつつも、慎重に、ゆっくりと、スプーンを悠里くんの口元へと運ぶ。
すると、悠里くんは嬉しそうに瞳を細め、その形のよい口を小さく開けた。
そしてそのまま、パクッと私の手からカレーを食べ、口元を緩めると、穏やかな表情で咀嚼を始めた。
なんと眩しくて尊い存在なのだろうか。
まさか再び推しに「あーん」体験ができるなんて。
ここは天国かな?
思わず緩んでしまう表情に、いけない!とすぐに表情に力を込める。
ここには私たち以外の生徒もいる。
公衆の面前で、鬼の風紀委員長がだらしない表情を浮かべるわけにはいかない。
「…ん、柚子のカレーも美味しいね。なんか俺のとこより、甘いかも。ほら、柚子も食べてみて?」
「へ?」
カレーの感想を述べ、流れるように悠里くんが自分のカレーをスプーンにすくって、私の口元へと運ぶ。
突然の推しからの「あーん」に私は供給過多で、一瞬意識が飛びかけた。
…が、そんな私を不思議そうに見る悠里くんの視線に、すぐに私の意識は現実へと引き戻された。
お、推しを待たせるわけには、いかない!
悠里くんの手からパクッと勢いよく食べて、もぐもぐと咀嚼する。
「美味しい?柚子?」
「ん、んん」
悠里くんに優しく問いかけられて、とりあえず頷いたが、実際はドキドキしすぎて、何の味もしなかった。
味覚が完全になくなっている。
死ぬ…死ぬ…。
バクバクと鳴り止まぬ心臓に、俯いて心臓を抑える。
そんな私の上で、千晴と悠里くんが静かに睨み合っていたことを私は知らなかった。
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