34 / 65
第6章・動き出す駒
#5
しおりを挟む
「怯えさせてしまったのなら許して欲しい。ニュースで事故があったことを知って、いてもたってもいられなかった。本当ならもっと早く会いたかったが……あいにく私も、自由の身とは言えなくてね――」
老人は目を細めると、皺だらけの手で唯人の手を取った。
「でも、君が無事だと知った時は心底嬉しかった。よく助かったな」
「……僕は、たまたま外に出ていたんです。だから」
「そうか――それで災難を逃れたんだな。でもお父さんは残念だった」
唯人は黙って俯いた。
「今はどうしてる?1人でいるのか?」
「いいえ。江戸――父の秘書をしていた人が一緒です」
「秘書?あぁ……あの男か」
「江戸川もご存知ですか?」
「あぁ……知っているとも」
老人はそう答えた後、なぜか眉間に深い皺を寄せて黙り込んだ。
その様子に、唯人は不安を覚えた。
「そうか……彼と一緒にいるのか」
「はい。でも彼がいてくれたおかげで、僕はこうしていられるんです。もし彼がいなかったら――」
その江戸川も、今日はどこへ行ってしまったのか……
唯人は再び怖くなり、小さく身震いした。
「彼は、君に良くしてくれる?」
「江戸川ですか?はい、とても。頼りにしていますから」
「彼以外に、頼れそうな人はいないのかな?」
「江戸川以外――ですか?」
その問い掛けに、唯人は躊躇した。
「はい……あ!いいえ――1人」
1人だけいるかもしれない――と、唯人は答えた。
しかし、すぐに首を振ると「でも、僕が関わったら迷惑をかけてしまうかも……」
そう呟いて俯く。
「そうか……」
「でも、とてもいい人なんです」
「なんていう人?」
「麻生要さんと言って、どこかの会社のサラリーマンだって言ってました」
「麻生――」
その名に、老人は眉をひそめたが、唯人は気づかず続けた。
「まだほんの数回しか会ってないけど、一緒にいると楽しいんです。江戸川が教えてくれないような事を教えてくれるし、年上の人だけど、なんだか友達みたいで」
「……」
「ずっとそういう友達が欲しかったから――嬉しいんです」
老人は黙って頷いた。
「でも、江戸川はあまりよく思ってないみたいで……」
「彼の事を?」
「その人の話をすると嫌な顔をするんです」
唯人は寂しそうに笑った。
そんな唯人を老人はじっと見つめると、ふいにこんな事を言った。
「事故が起きた時。その男はどこにいた?君と一緒だったのか?」
「江戸川ですか?いいえ――彼は僕とは別に外出していました」
何故そんな事を聞くのか分からず、唯人は首を傾げた。
「そうか……それで?その後すぐ、君の元に戻ってきたのか?」
「はい……それが、なにか?」
「いや、いいんだ。気にしなくていい」
老人はそう言って笑ったが、その笑みは取って付けた様にぎこちないものだった。
「あまり遅くなると、その男が心配するな。ホテルまで送らせよう」
老人はそう言うと、枕元の呼び鈴を鳴らした。
「帰りもまた不自由な思いをさせてしまうが、悪く思わないでくれ。これもみな君の為だ」
「あの……僕は今日、何のためにここへ?」
だが老人はその質問には答えず、両手をそっと唯人の方へ伸ばして言った。
「どうか許して欲しい。でも君は1人じゃない。君を知る人間はここにもいる。それだけは覚えていて欲しい」
「……」
襖の向こうから声がした。
「あぁ。車の準備が出来たようだ」
唯人は立ち上がった。そして老人の方を見下ろしてハッとした。その目に光るものを見て戸惑う。
「最後にもう一度、その顔をよく見せておくれ」
「……」
老人に手招きされ、もう一度枕元に跪いた。
老人は手を伸ばし、皺だらけの手で何度も唯人の頬を撫で続けた。愛おしいもののように、何度も、何度も――
温かい手だった。
幼い頃、自分の手を引いて歩いてくれた祖父の手と同じ温かさだった。
すでにこの世にいない人たちと自分との間には、埋め尽くせないほどの溝があることを知り、なぜか突然、涙が溢れてきた。
抑えていた感情が止めどなく溢れてきて、唯人はたまらず老人の胸に顔を伏せた。
その背を優しく撫でてやりながら、「いい子だ……いい子」と繰り返し言った。
「江戸川というその男を、君は信じている?」
その問いに唯人は無言で頷いた。
「そうか――なら私も信じよう。君がそう信じるなら、私も信じよう」
唯人は静かに顔を上げた。
老人は廊下で待機する男に、「この子を送ってあげて」と告げた。
「今日はすまなかった。でもお陰で少し元気が出たよ。ずっと君に会いたくてね――それだけがずっと心残りだった。じゃあさようなら。元気でな」
唯人は立ち上がると廊下に出た。
布団の上で半身を起こした老人に、最後にもう一度目をやろうとしたが、挨拶をする間もなく襖を閉められる。
男の後について再び車に乗せられると、行きと同様どこを走っているのかまるで分らないまま――気づけば目的地の傍まできていた。
「本当はホテルの前まで送りたいのですが、事情がありまして――ここで勘弁してください。ホテルはこの通りの先にあります」
そう言われて唯人は車から降ろされた。
「それとお願いがあります。今日あった事はどうか内密にお願いします」
「え?」
「約束してください」
唯人は黙っていたが、「分かりました」と頷くと、「その代わり」と強い目を向けて言った。
「誰にも言わないって約束するので、これだけは教えて下さい。さっき会ったあの人の名前――教えて下さい」
「……」
「絶対誰にも言いません!約束します!」
あまり長居できないのか、運転席から「早くしろ」と急かす声が聞こえた。
男はじっと唯人の目を見ていたが、やがて微かに頷くと「いいでしょう。あなたを信じます」と言った。
「彼は――土方幸造さんです」
男はそれだけ言って素早くドアを閉めると、車は猛スピードでその場から走り去っていった。
それを唯人は黙って見送った。
老人は目を細めると、皺だらけの手で唯人の手を取った。
「でも、君が無事だと知った時は心底嬉しかった。よく助かったな」
「……僕は、たまたま外に出ていたんです。だから」
「そうか――それで災難を逃れたんだな。でもお父さんは残念だった」
唯人は黙って俯いた。
「今はどうしてる?1人でいるのか?」
「いいえ。江戸――父の秘書をしていた人が一緒です」
「秘書?あぁ……あの男か」
「江戸川もご存知ですか?」
「あぁ……知っているとも」
老人はそう答えた後、なぜか眉間に深い皺を寄せて黙り込んだ。
その様子に、唯人は不安を覚えた。
「そうか……彼と一緒にいるのか」
「はい。でも彼がいてくれたおかげで、僕はこうしていられるんです。もし彼がいなかったら――」
その江戸川も、今日はどこへ行ってしまったのか……
唯人は再び怖くなり、小さく身震いした。
「彼は、君に良くしてくれる?」
「江戸川ですか?はい、とても。頼りにしていますから」
「彼以外に、頼れそうな人はいないのかな?」
「江戸川以外――ですか?」
その問い掛けに、唯人は躊躇した。
「はい……あ!いいえ――1人」
1人だけいるかもしれない――と、唯人は答えた。
しかし、すぐに首を振ると「でも、僕が関わったら迷惑をかけてしまうかも……」
そう呟いて俯く。
「そうか……」
「でも、とてもいい人なんです」
「なんていう人?」
「麻生要さんと言って、どこかの会社のサラリーマンだって言ってました」
「麻生――」
その名に、老人は眉をひそめたが、唯人は気づかず続けた。
「まだほんの数回しか会ってないけど、一緒にいると楽しいんです。江戸川が教えてくれないような事を教えてくれるし、年上の人だけど、なんだか友達みたいで」
「……」
「ずっとそういう友達が欲しかったから――嬉しいんです」
老人は黙って頷いた。
「でも、江戸川はあまりよく思ってないみたいで……」
「彼の事を?」
「その人の話をすると嫌な顔をするんです」
唯人は寂しそうに笑った。
そんな唯人を老人はじっと見つめると、ふいにこんな事を言った。
「事故が起きた時。その男はどこにいた?君と一緒だったのか?」
「江戸川ですか?いいえ――彼は僕とは別に外出していました」
何故そんな事を聞くのか分からず、唯人は首を傾げた。
「そうか……それで?その後すぐ、君の元に戻ってきたのか?」
「はい……それが、なにか?」
「いや、いいんだ。気にしなくていい」
老人はそう言って笑ったが、その笑みは取って付けた様にぎこちないものだった。
「あまり遅くなると、その男が心配するな。ホテルまで送らせよう」
老人はそう言うと、枕元の呼び鈴を鳴らした。
「帰りもまた不自由な思いをさせてしまうが、悪く思わないでくれ。これもみな君の為だ」
「あの……僕は今日、何のためにここへ?」
だが老人はその質問には答えず、両手をそっと唯人の方へ伸ばして言った。
「どうか許して欲しい。でも君は1人じゃない。君を知る人間はここにもいる。それだけは覚えていて欲しい」
「……」
襖の向こうから声がした。
「あぁ。車の準備が出来たようだ」
唯人は立ち上がった。そして老人の方を見下ろしてハッとした。その目に光るものを見て戸惑う。
「最後にもう一度、その顔をよく見せておくれ」
「……」
老人に手招きされ、もう一度枕元に跪いた。
老人は手を伸ばし、皺だらけの手で何度も唯人の頬を撫で続けた。愛おしいもののように、何度も、何度も――
温かい手だった。
幼い頃、自分の手を引いて歩いてくれた祖父の手と同じ温かさだった。
すでにこの世にいない人たちと自分との間には、埋め尽くせないほどの溝があることを知り、なぜか突然、涙が溢れてきた。
抑えていた感情が止めどなく溢れてきて、唯人はたまらず老人の胸に顔を伏せた。
その背を優しく撫でてやりながら、「いい子だ……いい子」と繰り返し言った。
「江戸川というその男を、君は信じている?」
その問いに唯人は無言で頷いた。
「そうか――なら私も信じよう。君がそう信じるなら、私も信じよう」
唯人は静かに顔を上げた。
老人は廊下で待機する男に、「この子を送ってあげて」と告げた。
「今日はすまなかった。でもお陰で少し元気が出たよ。ずっと君に会いたくてね――それだけがずっと心残りだった。じゃあさようなら。元気でな」
唯人は立ち上がると廊下に出た。
布団の上で半身を起こした老人に、最後にもう一度目をやろうとしたが、挨拶をする間もなく襖を閉められる。
男の後について再び車に乗せられると、行きと同様どこを走っているのかまるで分らないまま――気づけば目的地の傍まできていた。
「本当はホテルの前まで送りたいのですが、事情がありまして――ここで勘弁してください。ホテルはこの通りの先にあります」
そう言われて唯人は車から降ろされた。
「それとお願いがあります。今日あった事はどうか内密にお願いします」
「え?」
「約束してください」
唯人は黙っていたが、「分かりました」と頷くと、「その代わり」と強い目を向けて言った。
「誰にも言わないって約束するので、これだけは教えて下さい。さっき会ったあの人の名前――教えて下さい」
「……」
「絶対誰にも言いません!約束します!」
あまり長居できないのか、運転席から「早くしろ」と急かす声が聞こえた。
男はじっと唯人の目を見ていたが、やがて微かに頷くと「いいでしょう。あなたを信じます」と言った。
「彼は――土方幸造さんです」
男はそれだけ言って素早くドアを閉めると、車は猛スピードでその場から走り去っていった。
それを唯人は黙って見送った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる