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第6章・動き出す駒
#6
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ホテルのある通りに横付けされた車の中から、江戸川は下りて運転席に側に回ると、その開いた窓越しに円香を見た。
「遅くまで連れ回してごめんなさい。お連れの方、心配してるわね、きっと」
「多分」
そっけない返事に円香は笑って江戸川を見上げた。
軽く顎を上げ、上目遣いに挑発する。
江戸川は黙って円香の唇を塞いだ。
夜の帳が下りた街はビルの明かりやネオンサインで明るく彩られ、車のライトが光の帯のように走っている。昼間とは違う街の動きは、まるで眠ることを知らない生き物のようだった。
寒さなど気にも留めず、白い吐息を履きながら進む群衆は、どこからともなく現れては消える霧のように、夜の街に溶けていく。
江戸川は素早く身を起こすと、「また連絡します」とだけ言って車から離れた。
その後ろ姿に円香は微笑むと、重ねた唇の熱さに思わずゾクリとした。
らしくない――
たかがキスひとつで。こんなに体が熱くなるなんて……
ふいに、男の後を追いかけて連れ戻したい衝動に駆られて円香は苦笑した。
(冗談やめてよね)
円香はエンジンを吹かした。
餌を投げて釣り上げたのは自分の方だ。それに食いついた間抜けな魚はあの男の方で、自分じゃない。
円香は荒々しくアクセルを踏み込みながら、そう自分に言い聞かせた。
魚は自分じゃない……
けれど、自分があの男に振り回されつつあるのを感じずにはいられなかった。
今日一日一緒にいて、意識していたのは常に自分の方だった。
誘いをかけるのも、腕を組むのも、キスを迫ったのだって自分の方だ。
あの男から望んできたものなど何ひとつなかったことに気づいて、円香はムシャクシャした。
こんなに思い通りにならない男は初めてだった。
それに――自分をここまで捕らえて離さない男も。
(まだリリースしてあげるもんですか!)
陸に引き上げて、命乞いをさせてやる――円香はもどかしさに何度も唇を噛みしめながら、込み上げる闘志に1人笑みを浮かべた。
「江戸川!」
駆け寄ってきた唯人に腕を掴まれ、江戸川はハッとした。
「今までどこに行ってたの?心配したんだよ」
「すみません、ちょっと……」
そう言って江戸川は言葉を切った。
ソファから立ち上がり、こっちへ近づいてくる要に気づいて、僅かに顔を曇らせる。
「あ……要さんが会いに来てくれたんだよ。退屈だったから、今までずっとここで話をしていたんだ」
「こんばんは。遅いお帰りですね」
要はそう言って江戸川の前に進み出た。
「ちょっと近くを通ったものだから様子を見に来たんですよ。そしたら、唯人君が寂しそうにソファに座ってたから、話し相手になってただけです。そんなに怖い顔しないで下さい」
要は苦笑しながらそう言った。唯人は不安そうに江戸川を見上げた。
江戸川はため息をつくと、唯人の肩を押して部屋に戻るよう促した。
「江戸川さん」
「話し相手になってくれたことは感謝します。行きましょう、唯人さん」
「でも――」
「よかったら、一緒に夕飯でもどうです?」
その言葉に江戸川は振り向くと、小さく首を振った。
「申し訳ないですが今日は遠慮します」
「そうですか」
なら別にいいや、というように要は肩を竦めると、「それじゃあまたの機会に」と笑った。
江戸川は鋭い一瞥をくれて立ち去ろうとしたが、要はその背に向かって言った。
「江戸川さん。父は俺以外にも衛星を飛ばしてます。そいつらは、もう標的を確認しましたよ」
「――――」
江戸川は無言で振り返った。その目を見て、要は言った。
「グレーのレクサス。表に止まってます」
「……なぜ、それを?」
「別に……ただ、子は必ずしも親の味方とは限らないって事ですよ。前にも言ったでしょう?俺は期待をかけられるほど出来のイイ息子じゃないって」
「……」
「向こうの連中が嗅ぎつけるのも、時間の問題だと思いますよ」
唯人は2人が何の話をしているのか分からず、不安になって江戸川の腕を掴んだ。
掴んだ腕から、微かな怒りが伝わってくる。
「ご忠告感謝します」
江戸川はそれだけ言うと、唯人の肩を押して歩き始めた。
「おやすみ唯人君。またね」
そう言って手を振る要に応えようと唯人も手を振りかけたが、その腕を強引に掴んで江戸川はエレベーターに乗り込んだ。
半ば放り込まれるようにエレベーターに乗せられ、唯人は困惑した。
江戸川は怖い顔をしたまま、部屋に着くまで一言も言葉を発しなかった。
「遅くまで連れ回してごめんなさい。お連れの方、心配してるわね、きっと」
「多分」
そっけない返事に円香は笑って江戸川を見上げた。
軽く顎を上げ、上目遣いに挑発する。
江戸川は黙って円香の唇を塞いだ。
夜の帳が下りた街はビルの明かりやネオンサインで明るく彩られ、車のライトが光の帯のように走っている。昼間とは違う街の動きは、まるで眠ることを知らない生き物のようだった。
寒さなど気にも留めず、白い吐息を履きながら進む群衆は、どこからともなく現れては消える霧のように、夜の街に溶けていく。
江戸川は素早く身を起こすと、「また連絡します」とだけ言って車から離れた。
その後ろ姿に円香は微笑むと、重ねた唇の熱さに思わずゾクリとした。
らしくない――
たかがキスひとつで。こんなに体が熱くなるなんて……
ふいに、男の後を追いかけて連れ戻したい衝動に駆られて円香は苦笑した。
(冗談やめてよね)
円香はエンジンを吹かした。
餌を投げて釣り上げたのは自分の方だ。それに食いついた間抜けな魚はあの男の方で、自分じゃない。
円香は荒々しくアクセルを踏み込みながら、そう自分に言い聞かせた。
魚は自分じゃない……
けれど、自分があの男に振り回されつつあるのを感じずにはいられなかった。
今日一日一緒にいて、意識していたのは常に自分の方だった。
誘いをかけるのも、腕を組むのも、キスを迫ったのだって自分の方だ。
あの男から望んできたものなど何ひとつなかったことに気づいて、円香はムシャクシャした。
こんなに思い通りにならない男は初めてだった。
それに――自分をここまで捕らえて離さない男も。
(まだリリースしてあげるもんですか!)
陸に引き上げて、命乞いをさせてやる――円香はもどかしさに何度も唇を噛みしめながら、込み上げる闘志に1人笑みを浮かべた。
「江戸川!」
駆け寄ってきた唯人に腕を掴まれ、江戸川はハッとした。
「今までどこに行ってたの?心配したんだよ」
「すみません、ちょっと……」
そう言って江戸川は言葉を切った。
ソファから立ち上がり、こっちへ近づいてくる要に気づいて、僅かに顔を曇らせる。
「あ……要さんが会いに来てくれたんだよ。退屈だったから、今までずっとここで話をしていたんだ」
「こんばんは。遅いお帰りですね」
要はそう言って江戸川の前に進み出た。
「ちょっと近くを通ったものだから様子を見に来たんですよ。そしたら、唯人君が寂しそうにソファに座ってたから、話し相手になってただけです。そんなに怖い顔しないで下さい」
要は苦笑しながらそう言った。唯人は不安そうに江戸川を見上げた。
江戸川はため息をつくと、唯人の肩を押して部屋に戻るよう促した。
「江戸川さん」
「話し相手になってくれたことは感謝します。行きましょう、唯人さん」
「でも――」
「よかったら、一緒に夕飯でもどうです?」
その言葉に江戸川は振り向くと、小さく首を振った。
「申し訳ないですが今日は遠慮します」
「そうですか」
なら別にいいや、というように要は肩を竦めると、「それじゃあまたの機会に」と笑った。
江戸川は鋭い一瞥をくれて立ち去ろうとしたが、要はその背に向かって言った。
「江戸川さん。父は俺以外にも衛星を飛ばしてます。そいつらは、もう標的を確認しましたよ」
「――――」
江戸川は無言で振り返った。その目を見て、要は言った。
「グレーのレクサス。表に止まってます」
「……なぜ、それを?」
「別に……ただ、子は必ずしも親の味方とは限らないって事ですよ。前にも言ったでしょう?俺は期待をかけられるほど出来のイイ息子じゃないって」
「……」
「向こうの連中が嗅ぎつけるのも、時間の問題だと思いますよ」
唯人は2人が何の話をしているのか分からず、不安になって江戸川の腕を掴んだ。
掴んだ腕から、微かな怒りが伝わってくる。
「ご忠告感謝します」
江戸川はそれだけ言うと、唯人の肩を押して歩き始めた。
「おやすみ唯人君。またね」
そう言って手を振る要に応えようと唯人も手を振りかけたが、その腕を強引に掴んで江戸川はエレベーターに乗り込んだ。
半ば放り込まれるようにエレベーターに乗せられ、唯人は困惑した。
江戸川は怖い顔をしたまま、部屋に着くまで一言も言葉を発しなかった。
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