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第10章・江戸川千景
#3
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江戸川は静かに顔を上げた。
向かいの席に腰を下ろしたのは円香だった。
「ビックリしたわ」
開口一番に円香はそう言った。
「急にホテルを移動するんだもの。何かあったの?」
あの、深夜のカーチェイスから3日が経った。
12月も下旬。朝から雪でも降りそうな程寒い日だった。
江戸川は、急場凌ぎのビジネスホテルから、ほど近い所にある喫茶店に円香を呼び出した。
円香は珍しく時間通りにやってきた。余程心配だったのか、いつものような軽妙さはない。
一体どうしたのかというように、じっと江戸川を見つめる。
この様子では、どうやら彼女は何も知らないらしい……
父や会社の動きなど、彼女には興味がないのだろう。
もっとも、こんな軽率な娘に何もかも打ち明ける程、咲屋昇一もバカではなかろうが。
(まぁ……知らずにいるなら、それに越したことはない――)
江戸川は運ばれてきたコーヒーに円香が口をつけるのを待って、言った。
「色々あって、移動を余儀なくさせられました」
「何があったの?」
「ただの追いかけっこですよ」
江戸川は冗談めかして笑った。が、すぐに真顔に戻ると、今度はやや途方に暮れた様に言った。
「ホンと言うと、少し困ってるんです……出来れば誰かの力を借りたいんですが――」
そう言って自分を見つめる江戸川に、円香は眉を上げた。
「私?」
「力を貸してくれませんか?」
でも――と俯き、円香は少し戸惑った顔をした。
「私に出来ること?」
「あなたにしか出来ない事だと思います。今の俺を救ってくれるのは」
その言葉に、円香は思わず頬を染めた。
この男が自分の助けが必要だと、正面切って言うなんて――
これにはさすがの円香も照れ臭さに思わず身悶えした。
いつも涼しい顔をして余裕気な態度のくせに、今は自分の事を必要として助けを求めている。
しかも、自分の事を私ではなく俺だなんて……
自分に対しての垣根を完全に失くし、無防備な顔を見せてきたようで、円香は背筋がゾクゾクするような快感を覚えた。
(ふふ……気取ってるけど、コイツもやっぱり男ね)
自分が江戸川の掌中で踊らされているとも知らず、円香は嬉々として目を輝かせると、テーブルに身を乗り出し、その眼前に顔を寄せて言った。
「私、何をしてあげればいいの?」
「別に難しい事じゃないですよ。行ってみたい所があるんです。サキヤ製薬中央研究所――ご存知でしょう?」
「中央研究所?それって、狭山にある?」
「ええ」
「でも、中に入るには許可証が必要よ」
「知ってます。けど円香さんなら入れますよね?」
「……」
円香は黙って男の目を見つめた。
その目から、何かを探り出そうとするように、じっと覗き込む。
「中に入ってどうするの?」
「施設の中に温室があります。敷地の端の方ですよ。人目に付かないプレハブ倉庫の脇に……小さいけれど、温室が」
「なぜそれを知ってるの?」
「調べたからですよ」
こともなげにそう言って江戸川は笑った。
「そこへ連れて行って欲しいんです。私と――そうですね。あと2名ほど」
「行って何するの?」
それに対して、江戸川は微笑んだだけだった。
何も答えずに、ただ黙って自分を見つめる。その暗い――闇を思わせるような双眸に、円香は一瞬恐怖を感じて息を飲んだ。
が……
どこか愁いを帯びた寂しげな表情に、胸を突かれて円香はふいにキスをすると、驚く男に笑いかけて言った。
「何を企んでいるの?」
「何だと思います?」
円香の不意打ちをやんわりと受け止めて、江戸川も笑った。
「分からないわ。あなたの考えることは難しそうだもの」
「そんなことありませんよ」
戸惑う円香に、江戸川は頷いた。
「そこに行けば、面白いものが見れますよ」
「面白いもの?」
「ええ。ただし、誰にも言わず、黙って協力してくれたらの話です」
相手の言葉の裏に、何か良からぬ企みがあると感じたが、円香は恐れるどころか逆に興奮に目を輝かせた。
「それって悪い事ね?」
さぁ……と江戸川は笑うと、「でもこれだけは約束しますよ」と言った。
「協力してくれたら、面白いものを見せてあげます。あなたが今まで一度も見たことがないような、面白いものです。きっと、気に入ると思いますよ」
「ふふふ」
円香は楽しそうに笑った。
毎日同じことの繰り返しで、嫌気がさしていたところだった。
この男が何を考えているのか分からないが、でも一緒にいるとなぜか退屈しない。
いつも、何かしらの刺激を与えてくれる。
(こんな男は本当に初めてだわ――)
円香は男の方に顔を寄せ、その耳元に唇を寄せると、囁くように言った。
「悪だくみね――でも、いいわ。面白そうだから協力してあげる。中に入る手筈は私に任せて。それで?いつ行くの?」
「もうしばらく待っていて下さい。準備が整ったら連絡しますよ」
2人はそのまま喫茶店を出た。
自分よりも、はるかに背の高い江戸川の腕にしがみ付くように、円香はもたれかかると、「まだ戻らなくてもいいんでしょ?あの子の所」と誘うように見上げた。
「えぇ」
「じゃあゆっくり出来るわね」
そう言って、自分の体を強く江戸川に押し付ける。
その細い腰に手を回しながら、江戸川は心の中で駒を1つ動かした。
咲屋の娘――
(残り2つ……あと2つだ)
腰に回した手に力を込めて、胸中で小さく笑う。
あと2つ――
向かいの席に腰を下ろしたのは円香だった。
「ビックリしたわ」
開口一番に円香はそう言った。
「急にホテルを移動するんだもの。何かあったの?」
あの、深夜のカーチェイスから3日が経った。
12月も下旬。朝から雪でも降りそうな程寒い日だった。
江戸川は、急場凌ぎのビジネスホテルから、ほど近い所にある喫茶店に円香を呼び出した。
円香は珍しく時間通りにやってきた。余程心配だったのか、いつものような軽妙さはない。
一体どうしたのかというように、じっと江戸川を見つめる。
この様子では、どうやら彼女は何も知らないらしい……
父や会社の動きなど、彼女には興味がないのだろう。
もっとも、こんな軽率な娘に何もかも打ち明ける程、咲屋昇一もバカではなかろうが。
(まぁ……知らずにいるなら、それに越したことはない――)
江戸川は運ばれてきたコーヒーに円香が口をつけるのを待って、言った。
「色々あって、移動を余儀なくさせられました」
「何があったの?」
「ただの追いかけっこですよ」
江戸川は冗談めかして笑った。が、すぐに真顔に戻ると、今度はやや途方に暮れた様に言った。
「ホンと言うと、少し困ってるんです……出来れば誰かの力を借りたいんですが――」
そう言って自分を見つめる江戸川に、円香は眉を上げた。
「私?」
「力を貸してくれませんか?」
でも――と俯き、円香は少し戸惑った顔をした。
「私に出来ること?」
「あなたにしか出来ない事だと思います。今の俺を救ってくれるのは」
その言葉に、円香は思わず頬を染めた。
この男が自分の助けが必要だと、正面切って言うなんて――
これにはさすがの円香も照れ臭さに思わず身悶えした。
いつも涼しい顔をして余裕気な態度のくせに、今は自分の事を必要として助けを求めている。
しかも、自分の事を私ではなく俺だなんて……
自分に対しての垣根を完全に失くし、無防備な顔を見せてきたようで、円香は背筋がゾクゾクするような快感を覚えた。
(ふふ……気取ってるけど、コイツもやっぱり男ね)
自分が江戸川の掌中で踊らされているとも知らず、円香は嬉々として目を輝かせると、テーブルに身を乗り出し、その眼前に顔を寄せて言った。
「私、何をしてあげればいいの?」
「別に難しい事じゃないですよ。行ってみたい所があるんです。サキヤ製薬中央研究所――ご存知でしょう?」
「中央研究所?それって、狭山にある?」
「ええ」
「でも、中に入るには許可証が必要よ」
「知ってます。けど円香さんなら入れますよね?」
「……」
円香は黙って男の目を見つめた。
その目から、何かを探り出そうとするように、じっと覗き込む。
「中に入ってどうするの?」
「施設の中に温室があります。敷地の端の方ですよ。人目に付かないプレハブ倉庫の脇に……小さいけれど、温室が」
「なぜそれを知ってるの?」
「調べたからですよ」
こともなげにそう言って江戸川は笑った。
「そこへ連れて行って欲しいんです。私と――そうですね。あと2名ほど」
「行って何するの?」
それに対して、江戸川は微笑んだだけだった。
何も答えずに、ただ黙って自分を見つめる。その暗い――闇を思わせるような双眸に、円香は一瞬恐怖を感じて息を飲んだ。
が……
どこか愁いを帯びた寂しげな表情に、胸を突かれて円香はふいにキスをすると、驚く男に笑いかけて言った。
「何を企んでいるの?」
「何だと思います?」
円香の不意打ちをやんわりと受け止めて、江戸川も笑った。
「分からないわ。あなたの考えることは難しそうだもの」
「そんなことありませんよ」
戸惑う円香に、江戸川は頷いた。
「そこに行けば、面白いものが見れますよ」
「面白いもの?」
「ええ。ただし、誰にも言わず、黙って協力してくれたらの話です」
相手の言葉の裏に、何か良からぬ企みがあると感じたが、円香は恐れるどころか逆に興奮に目を輝かせた。
「それって悪い事ね?」
さぁ……と江戸川は笑うと、「でもこれだけは約束しますよ」と言った。
「協力してくれたら、面白いものを見せてあげます。あなたが今まで一度も見たことがないような、面白いものです。きっと、気に入ると思いますよ」
「ふふふ」
円香は楽しそうに笑った。
毎日同じことの繰り返しで、嫌気がさしていたところだった。
この男が何を考えているのか分からないが、でも一緒にいるとなぜか退屈しない。
いつも、何かしらの刺激を与えてくれる。
(こんな男は本当に初めてだわ――)
円香は男の方に顔を寄せ、その耳元に唇を寄せると、囁くように言った。
「悪だくみね――でも、いいわ。面白そうだから協力してあげる。中に入る手筈は私に任せて。それで?いつ行くの?」
「もうしばらく待っていて下さい。準備が整ったら連絡しますよ」
2人はそのまま喫茶店を出た。
自分よりも、はるかに背の高い江戸川の腕にしがみ付くように、円香はもたれかかると、「まだ戻らなくてもいいんでしょ?あの子の所」と誘うように見上げた。
「えぇ」
「じゃあゆっくり出来るわね」
そう言って、自分の体を強く江戸川に押し付ける。
その細い腰に手を回しながら、江戸川は心の中で駒を1つ動かした。
咲屋の娘――
(残り2つ……あと2つだ)
腰に回した手に力を込めて、胸中で小さく笑う。
あと2つ――
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