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第10章・江戸川千景
#4
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要は携帯電話の時計を見た。
午後9時。
指定された神社の傍で待っていると、見覚えのある白いマークXが目の前で止まり、中から江戸川に乗るよう指示された。
要が助手席に乗ると、車は滑る様に走り出した。
「唯人君はどうしたんですか?」
車内にいないことに気づいて、要は聞いた。
「あとで会えますよ。今は別の所にいます」
「別の所?どこです?」
江戸川は笑っただけで、それには答えなかった。
車は石神井公園を通り過ぎ、目白通りへ抜けると、そのまま関越道にのった。
どうやら埼玉方面へ向かっているようだった。
どこへ連れて行かれるのか分からず、正直不安ではあったが、乗り込んでしまった以上腹を括るしかない――要は(なるようになれだ!)と開き直った。
「君の都合も聞かず、勝手に呼び出して悪いな」
ふいにそう言われて要は視線を向けた。
急に砕けた言い方をしたことに驚いたのだ。
そう思い、よく見ると今夜はいつもと違ったラフな服装をしている。
この男にしては珍しく、黒いスウェットの上下に黒いダウンジャケット。
堅苦しいイメージがあったので、こういう格好もするのだと、少し意外な気がした。
「いいえ、別にいいですよ。ただ――どこへ行くのか教えてもらえると有難いんですが」
「いずれ分かる」
江戸川はそう答えると、チラッと要に目をやって言った。
「君とはそろそろ腹を割って話がしたかった。だから唯人さんには申し訳ないが、この場は遠慮してもらった。道中長いから、ゆっくり話もできる」
「……」
「ここなら邪魔が入る心配もない」
「……なるほど。走る密室ですからね」
その言葉に、江戸川は笑った。
その横顔を見て、要は言った。
「ねぇ江戸川さん……いえ。北岡誠一郎さん――と、お呼びした方がいいでしょうか?」
「――」
江戸川の横顔から笑みが消えた。
要は、前を走る車のテールランプを見つめたまま、続けた。
「実は、ある人から聞いたんです。かつてサキヤで行われた、ある実験の話を――」
「……」
要はそこで、あの日土方から聞いた話を掻い摘んで聞かせた。
「この事実を、麻生で知っているのは俺だけです。これは父も知らないことだ」
「なかなか突っ込んだ話をするな」
「腹を割って話をするなら、これくらいの話題が出てもおかしくないだろう?」
なるほど、というように江戸川は頷いた。
「それで?」
「あなたが正直何者なのか、実はまだよく分かっていません。でも俺は、あなたは北岡誠一郎ではないかと思っている。答えてはもらえませんか?」
江戸川は黙っていた。
一定の速度を保ったまま、車は右車線に入った。前の車を2,3台追い抜いて、すぐにまた左車線に入る。
要は答えを待った。
「もし仮に、私がその北岡誠一郎なる人物だったとして――それで君はどうしようというんだ?」
今度は要が黙り込む番だった。
そうなのだ。
仮にこの男が北岡誠一郎なら、目的はやはり復讐だろう。
だが、もし本当に復讐ならなぜ今頃?という疑念がわいてくる。
彼にとっての復讐の対象は、薬を製造し、それを使って実験を行った研究者たちだろう。実験を強行したのは咲屋昇一だから、彼も対象者の1人かもしれない。
もし、初めから復讐目的で清宮一家に近づいたなら、もっと早くに目的を果たせたはずではないか?
まさか知らずに傍にいたわけではあるまい。何年間も。
――では、この男は北岡誠一郎ではないのだろうか?
だが土方は、この男は江戸川千景ではないと言い切った。
それが嘘とは思えない。何か確証があるからそう断言したのだ。
そんな、黙って考え込む要の心を見透かすように、江戸川は言った。
「もし私が君の言う、その北岡誠一郎だとしたら……とっくの昔に行動を起こしていましたよ。でも私が清宮に雇われたのは、今からもう10年も前だ。
宗源氏は半年ほど前に亡くなりましたが、それは病死です。調べてもらえれば分かります。
正人氏は生憎なことになりましたが、その後ずっと唯人さんを守ってきたのは、他ならぬ私ですよ?」
「……」
「唯人さんも関係者の1人と見なすなら、面倒など見ずに放り出すことだって出来た。頼る術がない彼を見殺しにすることなんて簡単だ。それこそ、あなた方に手渡してもよかった。でも守ってきた――
これでも私が復讐を目論む人間だと思いますか?」
「……」
「戸籍を持たない彼を、人知れず消すのは簡単だよ。違うか?」
要は何も言い返せなかった。
表面上は筋が通っているのだ。
「そうですね……確かにそうです。でも、それじゃあ――あなたが江戸川千景ではないという点に関しては、どう説明しますか?」
「……」
「俺にそれを教えてくれた人には、何か確証があるようでした。そう断言できるだけの証拠を見つけたんだと思います。
あなたが江戸川千景ではなく、北岡誠一郎でもないとしたら――じゃあ、あなたは一体誰なんです?」
それを聞いた江戸川は、僅かに笑みを浮かべただけだった。
ここに来て、要は初めてこの男に恐怖を感じた。
何を考えているか分からな黒い双眸。
感情の読めない表情。
身に纏う黒い服装も――
その全てが夜の闇に溶けていきそうで、要はハンドルを握る江戸川を見つめたまま、静かに息を飲んだ。
車の走行音だけが、やけに鼓膜に響いた。
午後9時。
指定された神社の傍で待っていると、見覚えのある白いマークXが目の前で止まり、中から江戸川に乗るよう指示された。
要が助手席に乗ると、車は滑る様に走り出した。
「唯人君はどうしたんですか?」
車内にいないことに気づいて、要は聞いた。
「あとで会えますよ。今は別の所にいます」
「別の所?どこです?」
江戸川は笑っただけで、それには答えなかった。
車は石神井公園を通り過ぎ、目白通りへ抜けると、そのまま関越道にのった。
どうやら埼玉方面へ向かっているようだった。
どこへ連れて行かれるのか分からず、正直不安ではあったが、乗り込んでしまった以上腹を括るしかない――要は(なるようになれだ!)と開き直った。
「君の都合も聞かず、勝手に呼び出して悪いな」
ふいにそう言われて要は視線を向けた。
急に砕けた言い方をしたことに驚いたのだ。
そう思い、よく見ると今夜はいつもと違ったラフな服装をしている。
この男にしては珍しく、黒いスウェットの上下に黒いダウンジャケット。
堅苦しいイメージがあったので、こういう格好もするのだと、少し意外な気がした。
「いいえ、別にいいですよ。ただ――どこへ行くのか教えてもらえると有難いんですが」
「いずれ分かる」
江戸川はそう答えると、チラッと要に目をやって言った。
「君とはそろそろ腹を割って話がしたかった。だから唯人さんには申し訳ないが、この場は遠慮してもらった。道中長いから、ゆっくり話もできる」
「……」
「ここなら邪魔が入る心配もない」
「……なるほど。走る密室ですからね」
その言葉に、江戸川は笑った。
その横顔を見て、要は言った。
「ねぇ江戸川さん……いえ。北岡誠一郎さん――と、お呼びした方がいいでしょうか?」
「――」
江戸川の横顔から笑みが消えた。
要は、前を走る車のテールランプを見つめたまま、続けた。
「実は、ある人から聞いたんです。かつてサキヤで行われた、ある実験の話を――」
「……」
要はそこで、あの日土方から聞いた話を掻い摘んで聞かせた。
「この事実を、麻生で知っているのは俺だけです。これは父も知らないことだ」
「なかなか突っ込んだ話をするな」
「腹を割って話をするなら、これくらいの話題が出てもおかしくないだろう?」
なるほど、というように江戸川は頷いた。
「それで?」
「あなたが正直何者なのか、実はまだよく分かっていません。でも俺は、あなたは北岡誠一郎ではないかと思っている。答えてはもらえませんか?」
江戸川は黙っていた。
一定の速度を保ったまま、車は右車線に入った。前の車を2,3台追い抜いて、すぐにまた左車線に入る。
要は答えを待った。
「もし仮に、私がその北岡誠一郎なる人物だったとして――それで君はどうしようというんだ?」
今度は要が黙り込む番だった。
そうなのだ。
仮にこの男が北岡誠一郎なら、目的はやはり復讐だろう。
だが、もし本当に復讐ならなぜ今頃?という疑念がわいてくる。
彼にとっての復讐の対象は、薬を製造し、それを使って実験を行った研究者たちだろう。実験を強行したのは咲屋昇一だから、彼も対象者の1人かもしれない。
もし、初めから復讐目的で清宮一家に近づいたなら、もっと早くに目的を果たせたはずではないか?
まさか知らずに傍にいたわけではあるまい。何年間も。
――では、この男は北岡誠一郎ではないのだろうか?
だが土方は、この男は江戸川千景ではないと言い切った。
それが嘘とは思えない。何か確証があるからそう断言したのだ。
そんな、黙って考え込む要の心を見透かすように、江戸川は言った。
「もし私が君の言う、その北岡誠一郎だとしたら……とっくの昔に行動を起こしていましたよ。でも私が清宮に雇われたのは、今からもう10年も前だ。
宗源氏は半年ほど前に亡くなりましたが、それは病死です。調べてもらえれば分かります。
正人氏は生憎なことになりましたが、その後ずっと唯人さんを守ってきたのは、他ならぬ私ですよ?」
「……」
「唯人さんも関係者の1人と見なすなら、面倒など見ずに放り出すことだって出来た。頼る術がない彼を見殺しにすることなんて簡単だ。それこそ、あなた方に手渡してもよかった。でも守ってきた――
これでも私が復讐を目論む人間だと思いますか?」
「……」
「戸籍を持たない彼を、人知れず消すのは簡単だよ。違うか?」
要は何も言い返せなかった。
表面上は筋が通っているのだ。
「そうですね……確かにそうです。でも、それじゃあ――あなたが江戸川千景ではないという点に関しては、どう説明しますか?」
「……」
「俺にそれを教えてくれた人には、何か確証があるようでした。そう断言できるだけの証拠を見つけたんだと思います。
あなたが江戸川千景ではなく、北岡誠一郎でもないとしたら――じゃあ、あなたは一体誰なんです?」
それを聞いた江戸川は、僅かに笑みを浮かべただけだった。
ここに来て、要は初めてこの男に恐怖を感じた。
何を考えているか分からな黒い双眸。
感情の読めない表情。
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