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第11章・銃口の行方
#5
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要は、扉の閉まった倉庫の前で訴え続けたが、反応がないと悟ると踵を返して歩き出した。
痛む左足を引きずりながら、敷地の外に止めてあった江戸川の車へ急ぐ。
「頼む……早まったことはしないでくれ――!」
祈るような気持ちで前へ進むが、周囲は外灯もなく真っ暗闇だ。
ポケットをまさぐるが、携帯電話がない。
拘束された時に抜かれたのだろう。
「クソッ!」
とにかく、今は急いで助けを呼ばなくては……
自分を自由にしたからには、もう覚悟を決めているのだろう。
「頼む――バカなことはするな」
祈るような気持ちで要は車を目指した。
江戸川は唯人の方を見ると、ゆっくり近づいてその腕を取った。
そして、円香の死体を横目に、温室の方へと連れて行く。
敷地内には巡回するガードマンが常駐している。
この辺りは監視カメラの死角になっているとはいえ、明かりがついていれば不審に思われるだろう。
それに――
「あの男が余程のバカじゃない限り、すぐに助けを呼ぶだろう……時間がない」
「僕をどうするの?殺すの?」
腕を掴まれたまま、温室に連れ込まれて唯人はそう聞いた。
作業台の上には、まだ数本のバラの花が置かれていた。
「僕を殺すの?江戸川」
「……」
江戸川は、その不自然に美しく、毒々しほどに赤いバラの花をじっと見つめた。
「江戸川?」
黙って何も言わない江戸川の手を、唯人は軽く引いた。
が、江戸川はその手を振りほどくように身をかわすと、掴んでいた拳銃を唯人に向けた。
唯人はハッと息を飲んだ。
「悪く思わないで下さい……もうこうするしか――」
「江戸川……」
「私にはこうするしかないんだ」
銃口を向けられても、真っ直ぐに自分を見る唯人に、江戸川は声を振り絞る様に言った。
「覚えていますか?私が初めてあの屋敷を訪れた時……あなたは部屋の奥からじっと、こっちを見ていた」
「……」
唯人は黙っていた。
銃口を恐れず、まじろぎもせず。真っ直ぐ射貫くように江戸川の黒い双眸を見つめた。
「何年もかかって、ようやく居場所を掴んだんだ。あなたの父親に雇われて、信頼を得るようになって、清宮宗源のいる、あの山村の屋敷に出入りできるようになったんだ」
「……」
「これでようやく願いが叶う――そう思った」
なのに……
初めて訪れたあの屋敷で、襖の影からそっと自分を覗く子供の姿を見た。
『孫なんだ』
そう宗源が言った。
人見知りが強い子なのに、初めて会う自分に対して怖がらずに近寄るので、「余程君の事が気に入ったんだろう」と言われた。
以来、教育係として唯人の傍に置かれるようになった。
自分が、北岡の息子だとも知らず――
まるで家族の様に扱われ。
自分もいつしか、それに甘んじていた。
燃えたぎっていたマグマが――あれほど激しく燃え盛っていた憎悪のマグマが――唯人と目が合った瞬間、急速に冷えていくのが分かった。
北岡誠一郎を捨て、江戸川千景として人生をやり直す。
チーさんが言ったように、復讐など忘れて新しい人生を……
それでもいいと思った。
「全てを忘れて生きようと思った。清宮宗源も苦しんでいる。彼も悔恨と罪悪感に苛まれていると……そう思ったからだ。でも、そうじゃないと分かった」
山村の屋敷を出て、都内に移り住んだ時、彼は密かに一株だけバラの種子を残していたのだ。
「全てを処分できなかった。研究者としての自負が罪の意識より勝っていたのさ。彼は製造法を息子に教え、自分達の功績を残そうとした。恐ろしい罪を犯しても尚、プライドにしがみ付いたんだよ」
江戸川はそう言って皮肉な笑みを浮かべた。
「許そうと思ったさ……でも許せなかった。自分で断ち切れないなら、私が断ち切ってやろうと――自分の正体を明かしてやった」
「――」
「驚いていたよ。私が近づいた目的を知っていたから。最初に孫を殺してやると――そう言ったら、許してくれと懇願してきた。何度も詫びを入れてきた。そのうち発作が起きて……心臓が弱っていたからな。呆気なかったよ」
江戸川の言葉に、唯人は喉の奥で悲鳴をあげた。
それを見て江戸川は小さく笑った。
「唯人さん……お父さんは私の正体に気づいていましたよ」
「え?」
「お爺さんが死んだ後、誰かに聞いたのかもしれません。でも彼は私を追い出さなかった。遠ざけもせず、あなたの傍に置いた」
「……」
「あの日。私が家に発火物を仕掛けたことも、彼は知っていました」
「え?」
驚く唯人に、江戸川は頷きながら言った。
「そうですよ唯人さん。お父さんは知っていたんです。私が、あなた達を殺そうとしていることを。なのに彼は逃げなかった。あなた一人、外に逃がして……自分は消えることを選んだ。恐らく喜代も知っていたはず。お父さんと共にすることを決めたんでしょうね」
「そんな……そんな……」
唯人は両手で顔を覆った。
「僕は……何も……」
自分は何も知らなかった。
自分だけが何も知らず、いつも守られていた。
勝手口で、自分に向かい手を振る父と、それに寄り添う喜代の姿に唯人は唇を噛んだ。
そんな唯人に江戸川は狙いを定めると、そっと引き金に指をかけた。
唯人は顔を上げると、向けられた銃口を真っ直ぐに見つめ、そしてゆっくりと目を閉じた。
痛む左足を引きずりながら、敷地の外に止めてあった江戸川の車へ急ぐ。
「頼む……早まったことはしないでくれ――!」
祈るような気持ちで前へ進むが、周囲は外灯もなく真っ暗闇だ。
ポケットをまさぐるが、携帯電話がない。
拘束された時に抜かれたのだろう。
「クソッ!」
とにかく、今は急いで助けを呼ばなくては……
自分を自由にしたからには、もう覚悟を決めているのだろう。
「頼む――バカなことはするな」
祈るような気持ちで要は車を目指した。
江戸川は唯人の方を見ると、ゆっくり近づいてその腕を取った。
そして、円香の死体を横目に、温室の方へと連れて行く。
敷地内には巡回するガードマンが常駐している。
この辺りは監視カメラの死角になっているとはいえ、明かりがついていれば不審に思われるだろう。
それに――
「あの男が余程のバカじゃない限り、すぐに助けを呼ぶだろう……時間がない」
「僕をどうするの?殺すの?」
腕を掴まれたまま、温室に連れ込まれて唯人はそう聞いた。
作業台の上には、まだ数本のバラの花が置かれていた。
「僕を殺すの?江戸川」
「……」
江戸川は、その不自然に美しく、毒々しほどに赤いバラの花をじっと見つめた。
「江戸川?」
黙って何も言わない江戸川の手を、唯人は軽く引いた。
が、江戸川はその手を振りほどくように身をかわすと、掴んでいた拳銃を唯人に向けた。
唯人はハッと息を飲んだ。
「悪く思わないで下さい……もうこうするしか――」
「江戸川……」
「私にはこうするしかないんだ」
銃口を向けられても、真っ直ぐに自分を見る唯人に、江戸川は声を振り絞る様に言った。
「覚えていますか?私が初めてあの屋敷を訪れた時……あなたは部屋の奥からじっと、こっちを見ていた」
「……」
唯人は黙っていた。
銃口を恐れず、まじろぎもせず。真っ直ぐ射貫くように江戸川の黒い双眸を見つめた。
「何年もかかって、ようやく居場所を掴んだんだ。あなたの父親に雇われて、信頼を得るようになって、清宮宗源のいる、あの山村の屋敷に出入りできるようになったんだ」
「……」
「これでようやく願いが叶う――そう思った」
なのに……
初めて訪れたあの屋敷で、襖の影からそっと自分を覗く子供の姿を見た。
『孫なんだ』
そう宗源が言った。
人見知りが強い子なのに、初めて会う自分に対して怖がらずに近寄るので、「余程君の事が気に入ったんだろう」と言われた。
以来、教育係として唯人の傍に置かれるようになった。
自分が、北岡の息子だとも知らず――
まるで家族の様に扱われ。
自分もいつしか、それに甘んじていた。
燃えたぎっていたマグマが――あれほど激しく燃え盛っていた憎悪のマグマが――唯人と目が合った瞬間、急速に冷えていくのが分かった。
北岡誠一郎を捨て、江戸川千景として人生をやり直す。
チーさんが言ったように、復讐など忘れて新しい人生を……
それでもいいと思った。
「全てを忘れて生きようと思った。清宮宗源も苦しんでいる。彼も悔恨と罪悪感に苛まれていると……そう思ったからだ。でも、そうじゃないと分かった」
山村の屋敷を出て、都内に移り住んだ時、彼は密かに一株だけバラの種子を残していたのだ。
「全てを処分できなかった。研究者としての自負が罪の意識より勝っていたのさ。彼は製造法を息子に教え、自分達の功績を残そうとした。恐ろしい罪を犯しても尚、プライドにしがみ付いたんだよ」
江戸川はそう言って皮肉な笑みを浮かべた。
「許そうと思ったさ……でも許せなかった。自分で断ち切れないなら、私が断ち切ってやろうと――自分の正体を明かしてやった」
「――」
「驚いていたよ。私が近づいた目的を知っていたから。最初に孫を殺してやると――そう言ったら、許してくれと懇願してきた。何度も詫びを入れてきた。そのうち発作が起きて……心臓が弱っていたからな。呆気なかったよ」
江戸川の言葉に、唯人は喉の奥で悲鳴をあげた。
それを見て江戸川は小さく笑った。
「唯人さん……お父さんは私の正体に気づいていましたよ」
「え?」
「お爺さんが死んだ後、誰かに聞いたのかもしれません。でも彼は私を追い出さなかった。遠ざけもせず、あなたの傍に置いた」
「……」
「あの日。私が家に発火物を仕掛けたことも、彼は知っていました」
「え?」
驚く唯人に、江戸川は頷きながら言った。
「そうですよ唯人さん。お父さんは知っていたんです。私が、あなた達を殺そうとしていることを。なのに彼は逃げなかった。あなた一人、外に逃がして……自分は消えることを選んだ。恐らく喜代も知っていたはず。お父さんと共にすることを決めたんでしょうね」
「そんな……そんな……」
唯人は両手で顔を覆った。
「僕は……何も……」
自分は何も知らなかった。
自分だけが何も知らず、いつも守られていた。
勝手口で、自分に向かい手を振る父と、それに寄り添う喜代の姿に唯人は唇を噛んだ。
そんな唯人に江戸川は狙いを定めると、そっと引き金に指をかけた。
唯人は顔を上げると、向けられた銃口を真っ直ぐに見つめ、そしてゆっくりと目を閉じた。
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