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第5章・揺心
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8月下旬。
この日も日中は35度を超える猛暑日だった。
今年の夏は気温が高く、降水量は少ないという予報通り。
梅雨明けしてからは雨が降る日はほとんどなく、町は渇水対策のため至る所で節水をよびかけている。
アパートの事件以降、気になる事故や事件もなく、表面的には落ち着いて見えた。
とはいえ、日常的な小競り合いや事件は後を絶たない。
例の件を調べたい気持ちはあれど、目に見える事件に忙殺されてしまう。
宇佐美と知り合う前は、これが自分の日常だったが……
(奴と知り合ってまだ半年も経ってないのに)
早くも自分の人生観が変わりつつあることに焦りを感じていた。
連絡を取りたい気持ちはあれど、関わることをためらう自分がいる。
スマホのメッセージアプリを何度も開いては閉じる……を繰り返して、野崎はため息をついた。
スマホが微かに鳴動する。
メールが1件。
神原からだった。
近況を尋ねる内容のメールだ。
野崎は、宇佐美を紹介された時以来会っていないことを思い出して、早々に返信した。
幸い今は大きな事件を抱えていない。
懸案事項もないので、野崎は定時で上がると久しぶりに神原の出版社へ向かった。
連絡はしておいたので、神原はまだ退社していなかった。
「久しぶりだね」
そう言って事務所の応接室へ招き入れた。
「ご無沙汰してしまってすみません」
気にするな、と神原は笑って手を振ると、「色々事件が起きて君も大変だったろう。今は少し落ち着いたようだな」と言って座るよう促した。
「望月さんが帰ってしまったので、申し訳ないが飲み物はこれで」
そう言ってペットボトルのお茶を差し出す。野崎は笑って受け取った。
「実は、近況は宇佐美君から少し聞いているんだ」
そう言って向かい合わせに座る神原に、野崎は頷いた。
「彼自身もだいぶ戸惑っているようだった。恐らく、今まで自分の力をそこまで意識したことがなかったんだろうな……」
「俺も戸惑ってますよ」
それを聞いて神原は嬉しそうな顔をした。
「宇佐美君の感想は聞いたが、野崎の感想を聞いていなかったな。彼をどう思う?」
野崎は苦笑した。すぐには答えられず、腕を組んでしばらく考える。
「そうですね……」
そう呟いてから、「先生の言った通り、変わった子だと思いました」と答える。
「あはは、やはりそうか」
思っていた通りの答えが返ってきて、神原は嬉しそうだった。が、すぐに真顔になると、「でも過去形だな」と指摘する。
野崎は肩を竦めた。
「もちろん、今でも変わった奴だとは思ってるけど……初めの頃程ではないかな」
「そんなに認識が変わるほど、一緒にいるのかい?」
そう言われ、野崎は慌てて言った。
「そんな頻繁には会っていませんよ」
「……」
「会ってはいませんけど――」
神原の視線に促されるように、野崎は言った。
「彼と一緒にいると、何が現実で、何がそうじゃないのか……分からなくなるんです」
「……」
「自分が何を信じて動けばいいのか……」
「彼の力を信じているんだね」
「――」
野崎は黙った。
じっと俯いたまま、眉間を寄せている。
20年以上警察官として現実の世界と向き合ってきた。時には不思議に思うような事件にも遭遇したが、調べれば納得のいく答えが出る。
仲間内に霊感が強いと豪語する奴もいたが、話だけで実際に霊を見たことなど一度もなかった。
神原との付き合いでもそうだ。不思議な直感力に驚かされることも多々あったが、それを目の当たりにしたところで、本気で見えないモノの存在を信じたことはない。
なのに――
「この目で見ました」
「ほぉ……そうか」
神原は目を見張った。
「早くも人生観が変わりそうで……怖いですよ」
45の男が、本気で戸惑っている。その様子に神原は黙って頷いた。
どこかで花火でも打ち上げているのか。
時折ドーンという音が窓ガラスを振動させる。
神原は窓辺に寄って外を見たが、この角度からは見えそうになかった。
それでも諦めず、しばらく遠くを眺めていたが、ふと思い出したように言った。
「宇佐美君は両親を共に自死で亡くしている」
「……」
野崎は顔を上げた。
「父親は幼少期だと言ってたかな?あまり記憶にはないようだったが……」
「――」
「以来、ずっと母子家庭で育ってきたそうだ」
音はすれど花火の姿は見えないので、神原は諦めて再び野崎の前に腰を下ろした。
「彼のあの力はどうやら母親譲りのようだ。彼の母親にもそういう能力があったと聞いたよ。彼女はとてもセンシティブな一面を持っていて……でもそれが原因で、夫亡き後、無理がたたって体を壊してしまったらしい」
「……」
「宇佐美君はずっとそんな母親の面倒を見ながら、生活を支えていたようだ。高校時代は学校へ行きながらバイトをして……まるで苦学生だな」
「ヤングケアラーですね」
野崎はそう言って、ふと思い出した。
井上の話をしている時、どこか神妙な面持ちで話を聞いていた宇佐美の姿を――
奴はあの時、何を思って聞いていたんだろう?
もしかしたら、自分と井上を重ね合わせていたのでは……
「そんな母親も、彼は8年前に亡くしている。ちょうどその頃だ、私が彼と出会ったのは」
この日も日中は35度を超える猛暑日だった。
今年の夏は気温が高く、降水量は少ないという予報通り。
梅雨明けしてからは雨が降る日はほとんどなく、町は渇水対策のため至る所で節水をよびかけている。
アパートの事件以降、気になる事故や事件もなく、表面的には落ち着いて見えた。
とはいえ、日常的な小競り合いや事件は後を絶たない。
例の件を調べたい気持ちはあれど、目に見える事件に忙殺されてしまう。
宇佐美と知り合う前は、これが自分の日常だったが……
(奴と知り合ってまだ半年も経ってないのに)
早くも自分の人生観が変わりつつあることに焦りを感じていた。
連絡を取りたい気持ちはあれど、関わることをためらう自分がいる。
スマホのメッセージアプリを何度も開いては閉じる……を繰り返して、野崎はため息をついた。
スマホが微かに鳴動する。
メールが1件。
神原からだった。
近況を尋ねる内容のメールだ。
野崎は、宇佐美を紹介された時以来会っていないことを思い出して、早々に返信した。
幸い今は大きな事件を抱えていない。
懸案事項もないので、野崎は定時で上がると久しぶりに神原の出版社へ向かった。
連絡はしておいたので、神原はまだ退社していなかった。
「久しぶりだね」
そう言って事務所の応接室へ招き入れた。
「ご無沙汰してしまってすみません」
気にするな、と神原は笑って手を振ると、「色々事件が起きて君も大変だったろう。今は少し落ち着いたようだな」と言って座るよう促した。
「望月さんが帰ってしまったので、申し訳ないが飲み物はこれで」
そう言ってペットボトルのお茶を差し出す。野崎は笑って受け取った。
「実は、近況は宇佐美君から少し聞いているんだ」
そう言って向かい合わせに座る神原に、野崎は頷いた。
「彼自身もだいぶ戸惑っているようだった。恐らく、今まで自分の力をそこまで意識したことがなかったんだろうな……」
「俺も戸惑ってますよ」
それを聞いて神原は嬉しそうな顔をした。
「宇佐美君の感想は聞いたが、野崎の感想を聞いていなかったな。彼をどう思う?」
野崎は苦笑した。すぐには答えられず、腕を組んでしばらく考える。
「そうですね……」
そう呟いてから、「先生の言った通り、変わった子だと思いました」と答える。
「あはは、やはりそうか」
思っていた通りの答えが返ってきて、神原は嬉しそうだった。が、すぐに真顔になると、「でも過去形だな」と指摘する。
野崎は肩を竦めた。
「もちろん、今でも変わった奴だとは思ってるけど……初めの頃程ではないかな」
「そんなに認識が変わるほど、一緒にいるのかい?」
そう言われ、野崎は慌てて言った。
「そんな頻繁には会っていませんよ」
「……」
「会ってはいませんけど――」
神原の視線に促されるように、野崎は言った。
「彼と一緒にいると、何が現実で、何がそうじゃないのか……分からなくなるんです」
「……」
「自分が何を信じて動けばいいのか……」
「彼の力を信じているんだね」
「――」
野崎は黙った。
じっと俯いたまま、眉間を寄せている。
20年以上警察官として現実の世界と向き合ってきた。時には不思議に思うような事件にも遭遇したが、調べれば納得のいく答えが出る。
仲間内に霊感が強いと豪語する奴もいたが、話だけで実際に霊を見たことなど一度もなかった。
神原との付き合いでもそうだ。不思議な直感力に驚かされることも多々あったが、それを目の当たりにしたところで、本気で見えないモノの存在を信じたことはない。
なのに――
「この目で見ました」
「ほぉ……そうか」
神原は目を見張った。
「早くも人生観が変わりそうで……怖いですよ」
45の男が、本気で戸惑っている。その様子に神原は黙って頷いた。
どこかで花火でも打ち上げているのか。
時折ドーンという音が窓ガラスを振動させる。
神原は窓辺に寄って外を見たが、この角度からは見えそうになかった。
それでも諦めず、しばらく遠くを眺めていたが、ふと思い出したように言った。
「宇佐美君は両親を共に自死で亡くしている」
「……」
野崎は顔を上げた。
「父親は幼少期だと言ってたかな?あまり記憶にはないようだったが……」
「――」
「以来、ずっと母子家庭で育ってきたそうだ」
音はすれど花火の姿は見えないので、神原は諦めて再び野崎の前に腰を下ろした。
「彼のあの力はどうやら母親譲りのようだ。彼の母親にもそういう能力があったと聞いたよ。彼女はとてもセンシティブな一面を持っていて……でもそれが原因で、夫亡き後、無理がたたって体を壊してしまったらしい」
「……」
「宇佐美君はずっとそんな母親の面倒を見ながら、生活を支えていたようだ。高校時代は学校へ行きながらバイトをして……まるで苦学生だな」
「ヤングケアラーですね」
野崎はそう言って、ふと思い出した。
井上の話をしている時、どこか神妙な面持ちで話を聞いていた宇佐美の姿を――
奴はあの時、何を思って聞いていたんだろう?
もしかしたら、自分と井上を重ね合わせていたのでは……
「そんな母親も、彼は8年前に亡くしている。ちょうどその頃だ、私が彼と出会ったのは」
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