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第8章・生滅
#5
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何かを追いかけるように――
木立の間を歩いていた宇佐美は、ふいに足を止めた。
突然、開けた場所に出る。
そこにかつての集落はあった。
家屋は既に倒壊しているだろうと思っていたが、驚いたことにちゃんと形を残していた。もちろん風雨に耐え兼ね、土台だけを残して朽ちてしまっている家もあったが、大部分はしっかりとその姿を保っている。
宇佐美は集落の中へ、ゆっくりと足を踏み入れた。
原型を留めているとはいえ、住む者もいなくなり、手入れをされなくなった家は、大きく傾いたり半壊していたり……と、とても住めるような状態ではない。
それでも、人が生活していた頃の名残が随所に見られ、宇佐美は家の窓からそっと中を覗き込んだ。
家具や調度品などが置き去りのままになっている。ここを離れる時、持っていかなかったのだろうか?
(まるで夜逃げみたいだ……)
他の家はどうか分からないが、どの家も似たり寄ったりな気がした。
住民が出ていった後、もう長い間ずっと手付かずのまま……ここに放置されてきたのだろう。
そこには不思議な静寂があった。
「……」
微かに――枝を踏みしめる音がする。宇佐美は音がした方へ視線をむけた。
木立の間を、黒い影が横切る。
ついてこい――そう言ってるように感じた。
「――」
宇佐美は誘われるまま、影の後を追った。
集落の奥まで歩いていく。すると、その家は急に目の前に現れた。
宇佐美は驚いたように目を見張る。
(嘘だろう……)
そんなことってあるだろうか?
その家は、まるでつい最近まで誰かが住んでたのではないか――と思うくらい、しっかりとそこに存在してた。
周囲の家屋が、風雨に晒され荒廃が進んでいるというのに、その家は生きている――と感じる。
これは一体……
黒い影が、家の中に入っていくのが見えた。
「……」
宇佐美は息を飲む。
ここだ――
あの家が――父の生家だ。
「――」
大きく息を吸うと、意を決したように宇佐美は歩き出した。
戸を開き、中を覗く。
一瞬、カビ臭い匂いがした。でもすぐに気にならなくなる。代わりに漂ってきた生活臭を感じて、眉をひそめる。もしかしたら、ホームレスでも住み着いていたのだろうか?
廊下の先を黒い影が横切るのが見えて、宇佐美は靴のまま上がり込んだ。床板が軋み、ヒヤッとする。
このまま床が抜けたりしないだろうか?
ギシギシと軋ませながら、恐る恐る黒い影が入った部屋を覗き込む。
そこは和室だった。
真新しい畳の匂いがする。床の間には花瓶があり、花が活けてあった。微かな線香の匂い。
ここは仏間だ。
閉ざされている襖の向こうには、黒い大きな仏壇がある。
何故か、一度も来たことがないはずの家の間取りが頭の中に浮かんできた。
(これは……誰の記憶?)
室内に佇み、周囲に耳を澄ます。
背後で気配を感じた。冷えた空気。それがうなじに触れる。
「――」
宇佐美は息を吸うと、静かに言った。
「いるんだろう?そこに」
返事はない。でもいるのは分かっている。何度も感じた。あの嫌な気配。
「お前の事はもう知ってる……姿を見たいんだ。振り向くよ?」
宇佐美はそう言うと、ゆっくり背後を振り返った。
――黒いシルエットが、ぼんやりと佇んでいる。
全身に影が差しているが、顔の識別はついた。叔父が古いアルバムを開いて見せてくれた。あの写真の男だ。
宇佐美征一。
俺の――父親。
「やっと会えたな。やっと……姿を見ることが出来た」
宇佐美はそう言うと、じっと俯く影の男を見た。ヤツの周りからは、暗い闇が滲み出てくるようだった。それが冷えた空気を伴って、足元に流れてくる。
宇佐美は、自分によく似たその陰に向かって言った。
「お父さんって呼ぶべきかな?」
男は俯いたまま、ゆらゆらと揺れている。
「でも……悪いけど俺にはそんな感情、微塵もないよ」
何の感情も湧いてはこない。親子感動の対面とは程遠い。あるのはただ、絶望的なまでの虚無感だけだ。
「待ってたんだろう?この時をずっと……俺がお前に追いつく日を」
足元の床が軋む。先程まで感じていた真新しい畳の匂いが消え、線香の匂いが強くなる。
「俺、叔父さんに会ったよ。彼は実の兄を、人でなしだって言ってた。お前は死神だってさ」
宇佐美はそう言って笑うと、「母さんを殺したのはお前か?」と問いかける。
「あの日ベランダにいたよな?俺にも会ってる。なんで……」
宇佐美はにじり寄った。床板が軋む。
「なんであの時、俺も殺さなかった?俺も殺せばよかったじゃないか!目の前であんな風に母親に死なれて――」
男の体から、陽炎のような黒い炎が立ち上る。
「絶望してる俺を見て満足したか?それともまだ物足りない?」
床の間に飾られていた花瓶の花が、ゆっくりと萎れていく。室内の様相が、徐々に変わりつつあることに、宇佐美は気づいていなかった。
「俺がどんなに傷ついても、生かしておいたのはこの日の為か?」
問いかけても返事はない。負の感情をぶつければぶつける程、闇が濃くなっていく。
「希望を得てもそれを奪って絶望させて……どんなにあがいても、お前の歳は越せない。そこで全てが終わりになるように、ここまで導いて――最期は」
宇佐美はそう言うと、じっと天井を見上げた。
梁にロープが一本括られていた。先が輪になっている。
それを見て、宇佐美は小さく笑った。
「最高のプレゼントだな……」
宇佐美は近くにあった木箱を手繰り寄せた。自分が何をしようとしているのか分からない……
(いや、分かってる――よせ!やめろ!)
「……」
宇佐美は木箱を梁の下まで持ってくると、それに乗ってロープを掴んだ。
ロープは梁にしっかりと括られている。これなら、人ひとりの重さを十分に支えられるだろう。
宇佐美はじっと男を見下ろした。男の目には何の感情も無い。ただの空洞だ。光すら届かない、深い闇。
あるのは死の静寂だけ……
宇佐美は言った。
「あの人には絶対に手を出すな。もし彼に手を出したら、その時はたとえお前が死神でも、俺が殺してやるからな」
そしてゆっくりと、ロープを首にかける。
静かに息を吸い込み、目を閉じた。
眼下に、倒れている母を見た。
あの日から、救えなかったことをずっと後悔していた。
どうしてあの場を離れたんだろう。
もっと早くヤツの存在に気付いていれば……
母だけじゃない。彼女だってきっと救えたはず――
「ごめんね……」
涙が頬を伝う。
躊躇うことなく、宇佐美は木箱を蹴飛ばした――――
木立の間を歩いていた宇佐美は、ふいに足を止めた。
突然、開けた場所に出る。
そこにかつての集落はあった。
家屋は既に倒壊しているだろうと思っていたが、驚いたことにちゃんと形を残していた。もちろん風雨に耐え兼ね、土台だけを残して朽ちてしまっている家もあったが、大部分はしっかりとその姿を保っている。
宇佐美は集落の中へ、ゆっくりと足を踏み入れた。
原型を留めているとはいえ、住む者もいなくなり、手入れをされなくなった家は、大きく傾いたり半壊していたり……と、とても住めるような状態ではない。
それでも、人が生活していた頃の名残が随所に見られ、宇佐美は家の窓からそっと中を覗き込んだ。
家具や調度品などが置き去りのままになっている。ここを離れる時、持っていかなかったのだろうか?
(まるで夜逃げみたいだ……)
他の家はどうか分からないが、どの家も似たり寄ったりな気がした。
住民が出ていった後、もう長い間ずっと手付かずのまま……ここに放置されてきたのだろう。
そこには不思議な静寂があった。
「……」
微かに――枝を踏みしめる音がする。宇佐美は音がした方へ視線をむけた。
木立の間を、黒い影が横切る。
ついてこい――そう言ってるように感じた。
「――」
宇佐美は誘われるまま、影の後を追った。
集落の奥まで歩いていく。すると、その家は急に目の前に現れた。
宇佐美は驚いたように目を見張る。
(嘘だろう……)
そんなことってあるだろうか?
その家は、まるでつい最近まで誰かが住んでたのではないか――と思うくらい、しっかりとそこに存在してた。
周囲の家屋が、風雨に晒され荒廃が進んでいるというのに、その家は生きている――と感じる。
これは一体……
黒い影が、家の中に入っていくのが見えた。
「……」
宇佐美は息を飲む。
ここだ――
あの家が――父の生家だ。
「――」
大きく息を吸うと、意を決したように宇佐美は歩き出した。
戸を開き、中を覗く。
一瞬、カビ臭い匂いがした。でもすぐに気にならなくなる。代わりに漂ってきた生活臭を感じて、眉をひそめる。もしかしたら、ホームレスでも住み着いていたのだろうか?
廊下の先を黒い影が横切るのが見えて、宇佐美は靴のまま上がり込んだ。床板が軋み、ヒヤッとする。
このまま床が抜けたりしないだろうか?
ギシギシと軋ませながら、恐る恐る黒い影が入った部屋を覗き込む。
そこは和室だった。
真新しい畳の匂いがする。床の間には花瓶があり、花が活けてあった。微かな線香の匂い。
ここは仏間だ。
閉ざされている襖の向こうには、黒い大きな仏壇がある。
何故か、一度も来たことがないはずの家の間取りが頭の中に浮かんできた。
(これは……誰の記憶?)
室内に佇み、周囲に耳を澄ます。
背後で気配を感じた。冷えた空気。それがうなじに触れる。
「――」
宇佐美は息を吸うと、静かに言った。
「いるんだろう?そこに」
返事はない。でもいるのは分かっている。何度も感じた。あの嫌な気配。
「お前の事はもう知ってる……姿を見たいんだ。振り向くよ?」
宇佐美はそう言うと、ゆっくり背後を振り返った。
――黒いシルエットが、ぼんやりと佇んでいる。
全身に影が差しているが、顔の識別はついた。叔父が古いアルバムを開いて見せてくれた。あの写真の男だ。
宇佐美征一。
俺の――父親。
「やっと会えたな。やっと……姿を見ることが出来た」
宇佐美はそう言うと、じっと俯く影の男を見た。ヤツの周りからは、暗い闇が滲み出てくるようだった。それが冷えた空気を伴って、足元に流れてくる。
宇佐美は、自分によく似たその陰に向かって言った。
「お父さんって呼ぶべきかな?」
男は俯いたまま、ゆらゆらと揺れている。
「でも……悪いけど俺にはそんな感情、微塵もないよ」
何の感情も湧いてはこない。親子感動の対面とは程遠い。あるのはただ、絶望的なまでの虚無感だけだ。
「待ってたんだろう?この時をずっと……俺がお前に追いつく日を」
足元の床が軋む。先程まで感じていた真新しい畳の匂いが消え、線香の匂いが強くなる。
「俺、叔父さんに会ったよ。彼は実の兄を、人でなしだって言ってた。お前は死神だってさ」
宇佐美はそう言って笑うと、「母さんを殺したのはお前か?」と問いかける。
「あの日ベランダにいたよな?俺にも会ってる。なんで……」
宇佐美はにじり寄った。床板が軋む。
「なんであの時、俺も殺さなかった?俺も殺せばよかったじゃないか!目の前であんな風に母親に死なれて――」
男の体から、陽炎のような黒い炎が立ち上る。
「絶望してる俺を見て満足したか?それともまだ物足りない?」
床の間に飾られていた花瓶の花が、ゆっくりと萎れていく。室内の様相が、徐々に変わりつつあることに、宇佐美は気づいていなかった。
「俺がどんなに傷ついても、生かしておいたのはこの日の為か?」
問いかけても返事はない。負の感情をぶつければぶつける程、闇が濃くなっていく。
「希望を得てもそれを奪って絶望させて……どんなにあがいても、お前の歳は越せない。そこで全てが終わりになるように、ここまで導いて――最期は」
宇佐美はそう言うと、じっと天井を見上げた。
梁にロープが一本括られていた。先が輪になっている。
それを見て、宇佐美は小さく笑った。
「最高のプレゼントだな……」
宇佐美は近くにあった木箱を手繰り寄せた。自分が何をしようとしているのか分からない……
(いや、分かってる――よせ!やめろ!)
「……」
宇佐美は木箱を梁の下まで持ってくると、それに乗ってロープを掴んだ。
ロープは梁にしっかりと括られている。これなら、人ひとりの重さを十分に支えられるだろう。
宇佐美はじっと男を見下ろした。男の目には何の感情も無い。ただの空洞だ。光すら届かない、深い闇。
あるのは死の静寂だけ……
宇佐美は言った。
「あの人には絶対に手を出すな。もし彼に手を出したら、その時はたとえお前が死神でも、俺が殺してやるからな」
そしてゆっくりと、ロープを首にかける。
静かに息を吸い込み、目を閉じた。
眼下に、倒れている母を見た。
あの日から、救えなかったことをずっと後悔していた。
どうしてあの場を離れたんだろう。
もっと早くヤツの存在に気付いていれば……
母だけじゃない。彼女だってきっと救えたはず――
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