幻想使いの成り上がり

ないと

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3 許嫁①

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 かつて、始まりの勇者レクス・ベリオスはその仲間と共に魔王の始祖を討ち滅ぼした。

 魔王の勢力により貧困を強いられていた民たちは、その勇姿を讃え歓喜し、魔王殺しの偉業は瞬く間に世界に伝播した。

 国王はレクスの清純な人となりと、誇り高き志を表し彼に貴族の座を与えた。

 以来、勇者の一族は高潔な貴族の血筋に結ばれる決まりとなっている。

 レンジの許嫁、エリス・クレメールもまたその一人であった。

「レンジ、また訓練怠けてる……」

 人気のない訓練場に足を踏み入れ、彼女は呟く。

 金髪を背中まで伸ばし、美しい紅色の瞳を持つ可憐な少女は後ろを振り向く。

「エーテル。私はレンジの相手をしてくるから、奥様に挨拶をしておいて」

「かしこまりました。お嬢様」

 執事の男は恭しく胸に手を当てると、馬車を馬小屋に停めた。


 エリスは知っている。
 こういう時、あの少年がどこにいて何をしているか。

 屋敷の一階。
 扉を入ってすぐ右側に進むと、厨房の戸が中途半端に開いている。
 
「ほら、いた」

 チラリと隙間から中を覗き込んでみる。

「——なるほど、外部から新たな要素を付け加えられるのは盲点だった……」

「何やってるの? あいつ……」

 レンジはブツクサと独り言を呟きながら手元を動かす。

 テーブルには調味料という調味料が置かれていた。

「塩を付け足せばよりまろやかに。酸味を付け足せばより鋭い味わいになる。なら、ここにフルーツの果汁を加えてみると……」

 エリスは眉を顰めた。
 ゴールデンスライムの蜜の入った瓶が見えたところで、大方は何をしているのか分かった。

 しかし、今日はそれに色々施工を加えているようだ。

 一体誰に入れ知恵されたのか。

 上流階級の人間が食するにはあまりにもゲテモノ的なそれに、彼女は呆れのため息を吐いた。

「これは……なんて言えばいいんだろう。要素を付け足しすぎたせいで、味と味が口の中で喧嘩し合ってる……」

「レンジ……」

「それなら、素材同士を中和させる何かを作り出せば……!」

「レンジ!」

「うわぁ!?」

 椅子から転げ落ちる。
 レンジは見上げるようにしてエリスを視界に入れた。

「え、エリス……!? どうしてここに!」

 どうやら茶会の日程も忘れていたらしい。

「あなた、これは何?」

 机の上に視線を向ける。
 
「これは、違うんだ!」

「何が、違うの?」

 言い訳の続きを紡ぎ出そうとして、レンジは鬼の形相に口元をひるまされる。

「これは、爺さんが……」

「爺さん? ついに頭がおかしくなって幻覚でも見始めたのかしら」

 エリスは叱りつけようとして頭を振った。
 無駄だ。こいつにはもう何を言っても通用しない。

 ——これだから、いつまで経っても身内から馬鹿にされるのだ。

 自分がちゃんと導いてあげないと。

「行くわよ」

「い、行くってどこに……?」

 答えが返ってくるよりも先に、レンジは首根っこを掴まれて厨房から追い出された。
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