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2 魔術
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「ゴールデンスライムの蜜か。若造にしては良い趣味をしておる」
老爺は近づいてくると、皿から蜜を掬って舐め取った。
「ワシはこの甘味に目がなくてな。お前とは仲良くなれそうじゃ」
何なんだ、この爺さん。
俺は困惑した。
怒られるでも、蔑まれるでもない。
まるで、面白がっているようにすら見える。
こんな態度をしてくる奴は生まれて初めてだった。
「なあ、爺さん。あんた誰?」
「なんだ、見てわからんのか?」
窓の向こう側。
馬が豪勢な荷台に繋がれて、退屈そうに地面を蹴っている。
直後、ダリスの言っていたことを思い出した。
——確か、客が来るとか言ってた。兄さんの師範が何とか。
「爺さん、勇者候補に会いにきた師範か。それなら上にいるぞ。早く行ったほうが良いんじゃないか?」
しかし、老爺は動かない。
ますます俺に視線を向けて、考え込んでいる様子だ。
「勇者候補か。しかし、それを言うならお前も勇者候補ではないのか?」
「なんだ分かってたのか。でも、あんたは重要なところを見逃してるよ。俺は訓練を放り出して隠し事をするような不良児なんだ」
何が勇者候補だ。
俺と兄さんの間には天と地ほどの差がある。
結果は実質決まっているようなものだ。
「ならば、お前は勇者になりたくないのか?」
その質問は想定を外れた予想外からのものだった。
変なことを聞いてくる。
でも、俺には明確な答えがあった。
「なりたいわけないよ。他人のためとか叫びながら死にに行くなんて正気じゃない」
そう言うと、老爺は目を丸くした。
しばらくして、プッと間抜けた音が響く。
「ハハハッ! 確かに! 確かにお前の言うとおりじゃ! そんなの、気が狂っているとしか思えんよな」
勇者の師範がなんてことを。
てっきり蔑んでくると思っていたから、拍子抜けだ。
「勇者を導く立場が、そんなこと言って良いのか?」
「まあ、ここには誰もおらんしな」
そう言う問題ではないと思う。
「——まったく、面白い奴がいたものだ。そうじゃのう、ここは一つ面白いことを返しに見せてやるとしよう」
老爺はわざとらしく口角を上げると、袖に手を入れた。
何が出てくるかと思えば、それは木の棒切れだった。
ひょいと一振りすれば軽い音が鳴る。
「何だよ、急に——」
瞬間、ゾクゾクと違和感が体を巡った。
腕に触れる。
——鳥肌が立ってる……。
「爺さん、いったい何を——」
「ほう、初見で魔力の流れを感知できるとは……。ワシは二年かかったと言うのに、恐ろしい才能とでも言うべきか」
「魔力……? 何だよ、それ……意味がわからない」
束の間、老爺の口が開いた。
『暗転』
視界が無くなった。
いや、光がなくなった。
思わず尻餅をつく。
窓の向こう側が見えない。完全に光が遮断されている。
「な、何だ!? 何がどうなってる!?」
「蝋を持ってこい」
暗闇の中、爺いの声が聞こえた。
言葉通り、俺は慌てて手探りで蝋を見つけ出して机に置いた。
コツコツと足音が近づいてきて、蝋の前で止まる。
『発火』
瞬間、何もないところに火種が生まれた。
ボウ、と蝋燭の先に火が灯る。
「何が……起きてるんだ……」
微かに明るくなった部屋の先に、老爺の怪しげな輪郭が映し出される。
「——この世界には、数え切れないほどの未知と謎が存在しておる」
『微風』
続けて言葉が唱えられると、風が吹いて火が燃え上がり宙に舞った。
「——神秘、怪奇、怪異。人には計り知ることのできないそれに、人間は様々な名前をつけようとしてきた」
突然部屋を覆った暗闇。何もないところから現れた火。閉め切りの部屋に吹き込んでくる風。
常識では考えられない現象の数々に、俺の頭は限界を迎えようとしていた。
俺は……夢でも見ているのか?
『流水』
ジュッと音を立てて、燃え上がっていた炎が蒸発する。
「そして……『解術』」
その呪文を皮切りに、闇が祓われ光のある世界へと戻った。
「——その神秘を、とりわけ今の人間は魔術と呼んでおる」
「魔、術……?」
突然視界を刺激する太陽光に目を眩まされながら、疑問の言葉を返す。
「そう、そしてこの魔術を探究し続けるものこそ『魔術師』である。つまりワシのこのじゃな」
すごいだろう。
そう言わんばかりに老爺は自慢げな顔を浮かべる。
魔術。
珍妙なその単語に、何故だか俺は惹かれるようなものを感じた。
「なあ、その魔術とやらって、闘気よりもすごいのか?」
「それはわからん。王都で聞けば、百人が百人闘気を支持するじゃろう。今の魔術の立ち位置とはそう言うものじゃ」
尋ねると、要領をえない回答が返ってきた。
「なんだよ。俺から見れば、兄さんが使う闘気より爺さんが今見せた術の方が怖いけど」
「大切なのはどちらが優れているかではない。己が心惹かれたものに、自ら歩みを寄せることじゃ。そして恐らく——」
老爺と視線が合わさった。
「魔術はお前の期待に応えられる」
意味深に吐かれた言葉が、みょうに胸を強く打ってきた。
「勇者の弟よ、精進することじゃ」
老爺は背を向けると、間も無くドアに手を欠けた。
「ああ、それと言い忘れていたことがあった」
思い出したように振り返る。
俺は眉を寄せた。
「——ゴールデンスライムの蜜はそのまま味わうのも至高であるが、塩を付け足すのも一興である」
試してみると良い。
そう言いのこして、魔術の老人は厨房を去って行った。
一人取り残された俺は慌てて調味料箱を漁る。
——見つけた。
ガラス瓶に収められた一握りの塩。
それを蜜の上にふりかけ、恐る恐る口の中に放り込んだ。
「……美味しい」
老爺は近づいてくると、皿から蜜を掬って舐め取った。
「ワシはこの甘味に目がなくてな。お前とは仲良くなれそうじゃ」
何なんだ、この爺さん。
俺は困惑した。
怒られるでも、蔑まれるでもない。
まるで、面白がっているようにすら見える。
こんな態度をしてくる奴は生まれて初めてだった。
「なあ、爺さん。あんた誰?」
「なんだ、見てわからんのか?」
窓の向こう側。
馬が豪勢な荷台に繋がれて、退屈そうに地面を蹴っている。
直後、ダリスの言っていたことを思い出した。
——確か、客が来るとか言ってた。兄さんの師範が何とか。
「爺さん、勇者候補に会いにきた師範か。それなら上にいるぞ。早く行ったほうが良いんじゃないか?」
しかし、老爺は動かない。
ますます俺に視線を向けて、考え込んでいる様子だ。
「勇者候補か。しかし、それを言うならお前も勇者候補ではないのか?」
「なんだ分かってたのか。でも、あんたは重要なところを見逃してるよ。俺は訓練を放り出して隠し事をするような不良児なんだ」
何が勇者候補だ。
俺と兄さんの間には天と地ほどの差がある。
結果は実質決まっているようなものだ。
「ならば、お前は勇者になりたくないのか?」
その質問は想定を外れた予想外からのものだった。
変なことを聞いてくる。
でも、俺には明確な答えがあった。
「なりたいわけないよ。他人のためとか叫びながら死にに行くなんて正気じゃない」
そう言うと、老爺は目を丸くした。
しばらくして、プッと間抜けた音が響く。
「ハハハッ! 確かに! 確かにお前の言うとおりじゃ! そんなの、気が狂っているとしか思えんよな」
勇者の師範がなんてことを。
てっきり蔑んでくると思っていたから、拍子抜けだ。
「勇者を導く立場が、そんなこと言って良いのか?」
「まあ、ここには誰もおらんしな」
そう言う問題ではないと思う。
「——まったく、面白い奴がいたものだ。そうじゃのう、ここは一つ面白いことを返しに見せてやるとしよう」
老爺はわざとらしく口角を上げると、袖に手を入れた。
何が出てくるかと思えば、それは木の棒切れだった。
ひょいと一振りすれば軽い音が鳴る。
「何だよ、急に——」
瞬間、ゾクゾクと違和感が体を巡った。
腕に触れる。
——鳥肌が立ってる……。
「爺さん、いったい何を——」
「ほう、初見で魔力の流れを感知できるとは……。ワシは二年かかったと言うのに、恐ろしい才能とでも言うべきか」
「魔力……? 何だよ、それ……意味がわからない」
束の間、老爺の口が開いた。
『暗転』
視界が無くなった。
いや、光がなくなった。
思わず尻餅をつく。
窓の向こう側が見えない。完全に光が遮断されている。
「な、何だ!? 何がどうなってる!?」
「蝋を持ってこい」
暗闇の中、爺いの声が聞こえた。
言葉通り、俺は慌てて手探りで蝋を見つけ出して机に置いた。
コツコツと足音が近づいてきて、蝋の前で止まる。
『発火』
瞬間、何もないところに火種が生まれた。
ボウ、と蝋燭の先に火が灯る。
「何が……起きてるんだ……」
微かに明るくなった部屋の先に、老爺の怪しげな輪郭が映し出される。
「——この世界には、数え切れないほどの未知と謎が存在しておる」
『微風』
続けて言葉が唱えられると、風が吹いて火が燃え上がり宙に舞った。
「——神秘、怪奇、怪異。人には計り知ることのできないそれに、人間は様々な名前をつけようとしてきた」
突然部屋を覆った暗闇。何もないところから現れた火。閉め切りの部屋に吹き込んでくる風。
常識では考えられない現象の数々に、俺の頭は限界を迎えようとしていた。
俺は……夢でも見ているのか?
『流水』
ジュッと音を立てて、燃え上がっていた炎が蒸発する。
「そして……『解術』」
その呪文を皮切りに、闇が祓われ光のある世界へと戻った。
「——その神秘を、とりわけ今の人間は魔術と呼んでおる」
「魔、術……?」
突然視界を刺激する太陽光に目を眩まされながら、疑問の言葉を返す。
「そう、そしてこの魔術を探究し続けるものこそ『魔術師』である。つまりワシのこのじゃな」
すごいだろう。
そう言わんばかりに老爺は自慢げな顔を浮かべる。
魔術。
珍妙なその単語に、何故だか俺は惹かれるようなものを感じた。
「なあ、その魔術とやらって、闘気よりもすごいのか?」
「それはわからん。王都で聞けば、百人が百人闘気を支持するじゃろう。今の魔術の立ち位置とはそう言うものじゃ」
尋ねると、要領をえない回答が返ってきた。
「なんだよ。俺から見れば、兄さんが使う闘気より爺さんが今見せた術の方が怖いけど」
「大切なのはどちらが優れているかではない。己が心惹かれたものに、自ら歩みを寄せることじゃ。そして恐らく——」
老爺と視線が合わさった。
「魔術はお前の期待に応えられる」
意味深に吐かれた言葉が、みょうに胸を強く打ってきた。
「勇者の弟よ、精進することじゃ」
老爺は背を向けると、間も無くドアに手を欠けた。
「ああ、それと言い忘れていたことがあった」
思い出したように振り返る。
俺は眉を寄せた。
「——ゴールデンスライムの蜜はそのまま味わうのも至高であるが、塩を付け足すのも一興である」
試してみると良い。
そう言いのこして、魔術の老人は厨房を去って行った。
一人取り残された俺は慌てて調味料箱を漁る。
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「……美味しい」
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