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21. 帰郷
しおりを挟む「えぇぇえん、ソルくん帰っちゃうのおおぉんん」
と、ミレーナは盛大にベソをかきながらも、その豊満な胸をぎゅーっとソルの腕に寄せて抱きついていた。普通の男なら、そこで陥落しているだろう。何しろ彼女は淫魔、その色気には誰にも抗えない。
が、この勇者—————ソル・ルークは、まるで甘えん坊な妹をあしらうかのように呆れて言う。
「だーから、また帰ってくるって!次までに料理の腕上げとけよ、お前。アルガに変なもん食わせるな」
「離れろミレーナ」
と、アルガは後ろから彼女を引っ掴んでグイッとソルから引き剥がす。微かに苛立ったような彼の表情に、ミレーナはハッと口に手を添える。
「あれ、もしかしてアルガ様嫉妬おぉ~?ふふ、もっとくっついちゃおうかなあ」
「不敬罪で処するぞクソ淫魔」
「ひっどおぃアルガ様っ!!」
「まーまー」
と、ソルは兄妹喧嘩を宥めるように微笑ましく笑いながら、不意にアルガの手首を掴んで引き寄せる。アルガは、すぐにポスッとその大きな胸板に頬を預けてしまう。
「心配すんなって。俺は約束は守る男だから」
ソルは言いながら、ポンポン、と軽く頭を撫でるので、アルガは暴れる猫のようにジタバタもがく。
「は、離せっ、子ども扱いするな!!」
ソルは、アルガを軽く抱きしめたかと思うと、パッと手を離し、荷物と剣を肩に背負うと、魔王城の外門の方へと歩みを進める。
「じゃーなー!お前ら風邪ひくなよー!」
そう笑顔で手を振ったかと思うと、まるで未練などなさそうに、颯爽と去っていく。
くそ……なんであいつ「ちょっと用事済ましてくる」みたいなノリで旅立つんだ。
あいつ、わかってんのか?この魔王城に辿り着くことが奇跡に近いこと。
あいつは、ここを「帰ってくる場所」みたいに言っているが、そもそも闇の領土に勇者が単独で足を踏み入れること自体、覚悟を要する。陽光の者は、所詮光の大地の人間。
もし、帰って来なかったら?もし……あいつが、村に帰って、その居心地の良さにすっかり落ち着いて、もう闇の領土なんかに戻る気がなくなったら?それか、そのままノリで村の娘と……なんか、あーなったり、こうなったり……したら?
アルガの中に、そんな取り止めもない不安と心配が押し寄せ、気づくと、ソルを追いかけていた。
その手が、少しだけ引き留めるかのように、彼の腰に軽く周る。
「帰って来なかったら……殺す」
そんな小さな呟きとアルガの手に、「え……」と、ソルは途端に身を固まらせて動揺する。
「お前、素直すぎない?どうした?寂しすぎて死ぬなよ?」
「うるっさい!!死なねえよ!」
言いながらも、アルガは照れ隠しのつもりなのか、きゅっと先ほどより強く抱きしめるので、ソルは必死に理性で押し止めようとする。
「や、やめろアルガ……、俺だって後ろ三つ編み引かれる想いなんだから、これ以上揺らがすな!」
「後ろ髪だろ、馬鹿」
「はああぁぁん、アルガ様とソルくん、尊い……♡ お別れのキスくらいしていけばいいのにぃぃ、アルガ様はこれからソル君の体温を思い出して1人で自分を慰めなきゃいけないんだからぁ」
「ミレーナ!!!!」
とアルガは既にソルから手を離し、すぐに小さな魔力弾を作り始めるが、ソルは「そっか、そうだよな」とふと考え込む。
「あ、俺のシャツ置いていこうか?思い出せるもんがあったらいいよな」
「はああぁぁん、ソル君のシャツを抱きしめてアルガ様は毎晩……へぶっっ」
と、ミレーナの頬に小さな魔力弾が命中し、その先を遮る。
「じゃ、これ、預けとくよ」
言いながら、ソルは自分の短い三つ編みの先に巻かれた小さな飾りを外して、アルガに手渡した。それは、光る羽と翡翠色のビーズがついていて、手に取ると微かな光の魔法を感じた。
「これ、母さんがくれたんだ。俺のお守り……次に戻るまで、絶対失くすなよ」
三つ編みが解かれ、燃えるオレンジの後ろ髪が、さらりと肩に落ちる。アルガはそれを見つめながらも、受け取った羽の飾りを、まるで大切な宝物のようにキュッと握りしめる。
ソルはふっと微笑んで、そんなアルガの額に軽くキスを落とした。それから、すぐにさっと身を翻し、再び門の外へ向かう。
最後にアルガに口づけをしなかったのは……きっと彼に触れてしまえば、抑えられなくなって、もはや戻る意思が崩れてしまいそうだったから。
一度決めたことは、曲げない。それが彼の信念であり、自分たちの未来のため。ソルはその固い意志を胸に、一歩を踏み出していた。
曇り空に、一陣の風が吹き抜け、ソルの明るい赤髪を揺らした。アルガはその背中をしばらく見つめながらも、やがてそっと目を背け、魔王城に戻っていった。
◆
「ほう……先代魔王カイザールが生きていていたとは。そして、お前はそれを討ち取ったと?」
陽光の国の王都ルミエルザにて、ソルは玉座の前で膝をついていた。
「はい。カイザールは跡形もなく四散したため、残ったのは……これだけですが」
アルガはそう言い、一本の魔族の黒い腕を捧げた。しかしそれはカイザールのものではなく、城で討ち取った中級魔族の腕だった。
王はそれを受け取り、しばらく眺めたうち、ソルに視線を戻す。
「して、新たなる魔王は?討ち取ったのか?」
ソルは一瞬黙り込み……静かに首を振った。
完全に嘘をつくことはできなかった。 なぜなら、魔王が討ち取られれば、自然と闇の領土は後退し、周辺の魔物が格段に減る。すぐに見抜かれる嘘をつけば、ソルの身が危ぶまれるためだ。
「俺は……力不足でした。魔王に傷を与えることはできても、致命傷は与えられなかった。激しい闘いの末—————俺は、一旦引き下がることを選びました。敵陣で一度捕えられて仕舞えば、きっと弱みを握られる」
ソルは顔を上げて、まっすぐに王を見つめた。その瞳には、確かに誠実さが宿っている。
王はまだ全ての疑念を拭いきれていないようだったが、「ふむ……」と小さく声を漏らし、ため息をついた。
「やはり、貴様の『陽光の印』はただの見せかけ————魔王城に辿り着き、カイザールを倒したことは認めるが、その功績は最低限といったところだな」
本当は、ソルはすでに、光の魔法と太陽の力を扱うことができていたが、それは静かに隠した。王との謁見は、短く、淡々と終わった。
王は情け程度の褒美をソルに持たせ、ブラン村への帰郷を許した。王都にて鍛錬していた仲間たちも、ソルと共に、一旦帰ることにした。
ブラン村には、相変わらず太陽の光がさんさんと降り注いでいた。村人たちは彼を祝福し、盛大に出迎え、母も妹も目に涙を浮かべながら、ソルを強く抱きしめた。 その瞬間、ソルが「帰ってきてよかった」と感じたのは言うまでもない。
「ブラン村の英雄!国王に認められた、勇者!!」
村人たちは口々にソルを称え、子どもたちは目を輝かせて、ソルの冒険譚をせがんだ。
魔王城の冷たさとは何もかも違う。帰郷の安堵をかんじながらも、しかしソルは心から笑うことはできなかった。 始終、アルガのことが胸に残る。気づく者はいなかったが、彼の笑顔にはどこか影が差していた。
「お兄ちゃん……何か、隠してる?」
ああ、ルナは、別だよな。と、ソルは妹に詰め寄られて、思い知らされる。彼女はまた一段と月の力を熟練させて、そのおかげか、前より勘が鋭くなっている気がした。
夜まで続いた祝賀のあと、静かな寝室にて、ルナは手元にお守りのようにオラクルカードを握りしめてソルを見つめた。
「……ソル兄がずっと大切にしてた、お母さんのお守り、髪につけてないの、すぐにわかったよ」
妹の指摘に、ソルは「ああ……はは、そうだな」と曖昧な笑みを浮かべて、なんとなく視線を逸らす。
「『道中で落とした』なんて下手な嘘ついても、信じないからね?だって、あの髪飾りずっと大事にしてたじゃん」
いつも近くで兄を見ていたルナが、気づかない訳がなかった。彼女はソルを見つめて、心配するように静かに問うた。
「……ねえ、魔王城で、何があったの?」
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