個人授業は放課後に

須藤慎弥

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9一2

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 キスが嫌なわけじゃない。

 橘が何も、何も、何も、なんっっにも説明をしてくれないせいで、何故こんな事をするのかという動揺に頭がおかしくなりそうだった。

 力など入れていないが、押した反動で唇スレスレまで来ていた橘の体を離すことは出来た。

 だが彼は、無言のままジッと三白眼で見詰めてくる。

 居心地が悪いほど凝視してくるので視線を逸らそうと思うのに、何故だかそれは出来なかった。

 由宇の心臓は、見詰められた分だけドキドキが加速して苦しくなってきている。


「……せ、先生……」


 とても息苦しくて我慢出来ず、自分で橘の胸を押したというのに力無く広い胸元に倒れ込んだ。


(あったかい……)


 風呂上がりでお互いポカポカしていて、おまけに由宇の頬は熱でもあるかのように真っ赤になっていた。

 橘はジッと動かないまま静かな時が流れる。

 相変わらず抱き締めてはくれないけれど、たくさんの思いが交錯した今日はとても疲れていて、橘の胸に体重を掛けて瞳を瞑った。

 ここは温泉かけ流しのため、浴槽から溢れ出た新湯の水音が余計に眠気を誘う。

 今にも寝てしまいそうだった由宇をソッと引き剥がすと、橘が頭上で「フッ」と笑った。


「今日はぼたん鍋らしいぞ」
「……へっ?」
「腹減ったろ。  部屋戻ろうや」
「うん……」


 マイペースな橘は、由宇の心の湿っぽさにはまるで気付いていないのか、部屋へ戻る最中「ぼたん鍋~♪」と呑気に自作の歌を唄っていた。

 すでに部屋には鍋がセッティングされていて、いつでも食べられる状態だ。

 ぼんやりとした由宇をよそに、橘がいそいそとぼたん鍋を仕上げてくれて食べてはみたが、あまり味が分からない。

 初めて食べるそれを味わってみたいのに、対面する橘の顔を見るとポッとなってしまって食事に集中出来なかった。


(何なんだろ……これ……。  ふーすけ先生の顔が怖いから、こんなドキドキすんのかなぁ……?)


 三白眼で「美味い、美味い」と本当に美味しそうに鍋を食べる姿を見ては箸が止まる。

 昨日と何も変わらない現状のはずが、今日はちょっと違った。


(俺、変だ……熱あんのかも)


 顔がずっと熱いし、うまく呼吸が出来ないほど息が苦しいし、これは絶対に体調不良だと思い、あまり鍋には手を付けないまま由宇は立ち上がった。


「先生、ごめん……。  俺もう寝ていい?」
「あ?  どうした」
「なんか具合悪そう……」
「悪そうって何だよ。  自分の事だろ」


 言いながら橘が傍へやって来て、大きな掌が由宇のおでこに触れる。

 露天風呂と鍋で温まっているはずの橘の掌はヒヤリと冷たくて、ピクッと体が揺れた。


「熱は無さそーだけどな。  体調悪りぃなら寝てろ。  来いよ」
「あっ、いや、先生は食べてていいよ!」


 由宇を連れ立ってベッドのある部屋へ行こうとした橘を、慌てて引き止めた。

 触れられたおでこが熱を持っている気がして、ドキドキがうるさくてかなわない。


「あんな量一人で食えるか。  俺もう腹いっぱいだし」
「えぇ……じゃあ食べるよ」
「食わなくていーって。  無理する事はない」
「でも残したら勿体な……」
「うるせーな。  具合悪そう、なんだろ。  早く横になれ。  寝るまでここに居てやっから」
「でも……」


(先生が居たら余計に眠れない……かもしれない……)


 何とも甲斐甲斐しく、ベッドに上がった由宇の体を毛布でぐるぐる巻きにして、さらに掛け布団までかけてくれた橘が、端に腰掛けてポフッと掛け布団を優しく叩いた。

 戸惑う由宇をよそに、悪魔は悠然と微笑む。


「ペナルティ整理は保留にしてやる。  ゆっくり寝やがれ」
「…………だからペナルティって何なんだってば……」
「あんまうるせーとペナルティどんどん増えるぞ。  いいのかよ」
「よくない!」


 またそのうんざりなワードが出て来て、思わず橘を睨んだ。

 優しく出来ないと言いながら、今こうしてここに居てくれているこれは優しさではないのかと思うと、頭が混乱してくる。

 橘の行動も、言動も、どうも言っている事とチグハグ過ぎて、それが由宇を悩ませている事に気が付けていなかった。

 人の気配があれば安心して眠れるのだろうが、寝顔を橘がジッと見詰めてくるかと思うと緊張して未だ瞳も瞑れない。


「……ねぇ先生、横に居てくれなくてもいいよ。  俺一人でも寝られる」
「はい、1追加」
「えっ!?  追加ってもうやめてよ!  先生居たら眠れないんだって!」
「なんで」
「なんでって……」


(そんなの分かんないよ……)


 由宇自身もハッキリしない体調不良で、それが何故か橘を見ていると悪化する。

 顔ごと橘から逸らすと、顎を取られて元の位置に戻された。


「お前、この期に及んでまだ俺の事が嫌いとかぬかすんじゃねーだろうな」
「それはないよ!  な、ないけど……」


 ひんやりとした橘の掌が、また由宇のおでこに触れてゆっくりと撫でられた。

 愛しい者への愛撫のように、どうしてこんなに温かい事をするのに「優しく出来ない」なんて言うのだろう。


「幸せにしてやるって言ったろ。  お前が抱えてる重てぇもんは俺が全部片付けてやる。  なんも心配するな。  ひょろ長一家の件の解決は見えた。  次はお前だ、由宇」
「……っっ!」


 不意打ちの名前攻撃に、ついにグサッと心臓をやられた。

 ただでさえドキドキがうるさかったのに、今度はモヤモヤまでし始めて本当に熱にうなされそうだ。


「分かったら目瞑れ。  なんなら子守唄歌ってやろーか」
「先生が子守唄!?  こわっ。  黒魔術でも掛けられそうだからいらない!  おやすみ!」
「はーい、5追加。  おやすみ。  ポメ」


(……っポメに戻ってる……!)



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