個人授業は放課後に

須藤慎弥

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9一6

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 新しい浴衣と、替えたばかりのシーツが程よく温まってきた。

 まだ気持ちは落ち着かないのに、当然の如く抱き枕と称して後ろから抱き締めてくるので由宇は寝たフリをしようとしている。

 瞳を瞑っていれば、この意味不明なドキドキも一緒に夢の中へと旅立っていけると思っていた。


「放課後、勉強やっからな。  二学期中に理系の頭に切り替えねーと二年から文系クラス行きだぞ」


 せっかくウトウトしていた由宇のお腹を擦りながら、橘が静かなトーンで語り掛けてくる。

 思わずパチッと目を開けて振り返ると、考えナシに振り向いたせいで橘と鼻先がぶつかった。


「えっ、わっ!  近いな!  ……急に真面目じゃん、先生」
「ポメがあんあん言ったの思い出させんなっつったからだろ。  俺って超優しい。  なんて優しいセンセーなんだ」


 しみじみと呟く橘に呆れて、ぶつかった鼻先を撫でながら由宇は背中を向ける。

 見詰められてしまうとどうしても心穏やかでいられなくて、そうする事しか逃げ道がないのだ。

 意味不明なドキドキを悟られないように、瞳をギュッと瞑ったまま反論した。


「先生は優しくはないっ。  あ、いや、たまに優しいけど!  全部ではない!」
「それ褒めてんの?  けなしてんの?」
「どっちもっ」
「首出しやがれ。  血出るまで吸い上げてやる」


 橘は決して優しいだけではないと知ってしまったから、思ったまま本音を言っただけである。

 指先でうなじを晒された気配がして、慌てて手のひらで庇って守りに入った。


「やめろよ!!  ふーすけ先生ほんとに吸血鬼に見えてくる!」
「牙あったら迷わずお前のココ噛み付いてやんのに」
「先生ならきっと一瞬だね……」
「だな、俺仕事は早ぇから。  苦しまねーように一瞬でやってやるよ」
「もう誰かやっちゃったんじゃないの!?  そう聞こえたけど!」
「やってねーよ。  一人目の予約はもうポメに決まってんだし」
「何でだよ!  嫌だよ!」


 こうしていつも揶揄ってくるから、それが本音なのかただの軽口なのか分からなくなる。

 密着している体から橘の体温を感じるだけで心がうるさいのに、言い合いをしているといくらか治まるためか由宇はつい牙を向いてしまうのだ。


(何回聞いてもちっとも説明してくれないし……!)


 自分で気が付かないと意味がないと言われてしまったが、一体何を気付けというのだ。


(分かんないもん……気付きようがないじゃん……)


 その難題の答えは、キスをした意味、いやらしい事をした理由、橘の「俺のもん」発言、それらすべてに関する事……なのだろうか。

 温かい腕と少しだけ冷たい指先が、未だ浴衣の上から由宇のお腹付近を撫で回している。

 カーテンの隙間から覗く無数の木々と、夜空に浮かぶ満点の星空をぼんやり見ていると、何故自分は橘とこうしてこの場所に居るのかという当初の疑問が湧いてきた。


「ポメ寝たのか?」


 急に黙りこくった由宇が寝てしまったと勘違いしている橘の声が、やけに優しい。

 たまに垣間見える大人の顔と穏やかな声は、戸惑う由宇の心をこれでもかと揺さぶる。

 怜の一件があるからと、何の興味もない相手をこんなにも美しい風景を拝める場所に連れて来るだろうか。

 しかも二晩連続、おまけにいやらしい事付きで。


「………………寝た」
「寝ろ」
「寝たって言ってるじゃん」


 瞬時に言い返すと、橘の右手が由宇の顔面を覆った。


「うむっっ」
「いいから寝ろ。  明日六時起きだからな」
「六時で間に合うの?  ふーすけ先生、支度遅いのに」


 長髪気味の頭はボサボサで、三白眼は一本線に、バスローブを脱ぎ去って全裸でリビングへと出て来た寝起きの橘は、完全に目覚めるまで二時間はかかっていたように思う。

 今朝もほとんど同じ様子で、起きて二時間、だらしなく浴衣を羽織った姿で仏頂面をかましていた。

 ここから学校までどれくらいかかるのか分からないけれど、橘だけでも早めに起きて目を覚ます努力をした方がいい。


「うるせーな。  お前が見てんのって日曜の朝の俺だろ。  平日の俺は違う」
「どう違うんだよ!」
「明日になれば分かる」
「意味分かんない!  変な人!」
「ペナルティ20追加」
「追加多いよ!!  変な人って禁句だったんだ!」
「次喋ったらさらに20追加すっからな。  こりゃペナルティ整理大変だぞ」
「…………ッッ!?」


 ダメだ。  橘に口では敵わないと、何度思い知ったら噛み付くのをやめられるのだろうか。

 喋るとペナルティとやらがさらに追加されるので、もう知らない!と心の中でだけ憤慨して由宇は瞳を閉じた。

 お腹付近を撫で回していた手のひらが動かなくなったが、代わりにきゅっと抱かれた温かさに眠気を誘われてしまった。

 背中で感じる橘の体温と心臓の音は、落ち着くようで落ち着かないけれど、何だかふわふわとした気持ちである事は確かだ。

 どんなに揶揄われても、いやらしい事をされても、橘を拒絶するに至らない。

 同性にあんな事をされれば、ここから逃げ出してもおかしくはないはずなのに、由宇は懲りずに橘の腕の中である。

 昔の名残りが色濃く残るヤンキー先生の芯のある考え方や物言いは、狭い世界で生きてきた由宇にとってはとても頼りがいがあって大きく映る。

 だからといって、どう考えても橘も由宇も越えてはならない一線を越えてしまった。


(……でも……何されてもふーすけ先生のこと嫌いになれないなんて、俺どっかおかしいのかなぁー……)


 夢へと旅立つ間際、小さな溜め息を溢した由宇はそんな事を考えていた。



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