個人授業は放課後に

須藤慎弥

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   拓也と瞬が橘を抱えて診察室に入って行った。

   由宇はというと、三人とは別れてナースステーションに行き、外科部長である父親の名前を出して「息子です」と堂々と言い放って看護師達をバタつかせていた。


(初めてお父さんの息子ですって言ったかも……)


   父親の職場に来るのも初めてなら、父の名を語って処置を頼むなんて事も初めてだ。

   息子の事故の時ですら診てくれなかった父親なので、忙しいんだから呼び出すな、と不機嫌そうに叱られるのを覚悟で、橘を父親に託したいと思った。

   親玉とどんな繋がりがあるのかは知らないが、これも何かの縁だ。


「由宇、どうした」


   待合室で気もそぞろで待っていると、それほど機嫌が悪くなさそうな父親が声を掛けてきた。

   生まれてから一度も見た事が無かった、白衣を羽織ったその姿は見紛う事なく医師そのものだ。


「あ、お父さん……!  先生、橘先生が怪我して……!  今診察室に入ったんだけど、あの、っ」
「橘先生って……あの男か?」
「うん……っ」
「どんな怪我だ」
「えぇっ?  えーっと、……俺はうまく説明出来ないから、とにかく中に入って診てあげて!  お父さん、お願いします!」
「……分かった」


   ただでさえ狼狽えている由宇が、一から説明するとなると何時間も掛かる。

   頭を下げて、早く行ってあげてほしいと頼むと父親は足早に診察室の方へ歩いて行った。

   橘のためなら、苦手な父親の目を見て話す事だって出来る。

   たとえ邪険にあしらわれていたとしても、食い下がってでも「診てあげてほしい」と頭を下げていただろう。

   短刀が見えたあの時も、命を賭して橘の身を守ろうとした由宇は、橘のためなら何だって怖くないと自身の危険は顧みなかった。

   死さえ厭わない。

   ただ橘が好きなだけ。

   好きな人、というだけ。

   真っ直ぐで正義感の塊である橘が、誇らしいだけ──。

   由宇は、父親が入って行った診察室を見詰めた。

   何だか急に心臓のドキドキが減ってきた気がする。

   父親が診てくれているというだけで、物凄く心強かった。

   心配で、不安で、泣いてしまいそうだった由宇の心はほんの少しだけ持ち直し、それから待合室で大人しく待った。

   どれだけ時間が掛かっても、橘が目覚めた時に傍に居てあげたい。

   まだ半人前な由宇だけれど、橘は由宇を「好き」だと言ってくれ、何故かすでに付き合っている事にまでなっていた。

   あの場面ではそう言うしか無かったのかもしれないが、由宇はとても嬉しかった。

   失恋に泣かなくていいなんて、今朝の自分なら考えてもみなかった事だ。


(黒板に字が書けなくなるから、か……)


   あの局面で、そこまで考えられるものなのだろうか。

   「風助さん」と慕う拓也が、さも分かったような口であんな事を言っていたが…にわかには信じられない。


「もしそれがほんとだったら……先生、かっこよ過ぎるって……」


   授業があるから、木刀も短刀もすべて左で受けたとは、咄嗟の判断にしてもそうそう出来る事ではない。

   場数を踏み、確かな腕を持ち、誰かを守りたいと強く思っての橘の正義をまざまざと思い知って、由宇はときめいた。

   「めんどくさい」を口癖のように言う橘だが、それこそ天邪鬼だといつも思う。

   橘と離れて片思いに憂うようになってから、より彼を目で追うようになっていたから分かる。

   今年から新入生を受け持った橘は、授業だけではなく各行事毎に駆り出されて協力を仰がれていた。

   顔にはしっかり「めんどくさい」と書かれてあったが、表情と行動がまったく伴っていない。

   橘は責任感と正義感の塊だ。

   誰かが困っていたら助けたくなるし、ああ見えて頼まれたら断れない性格なのも由宇は知っている。

   そんな橘を好きになれた事が誇らしい。

   どこの少女漫画かと自分で自覚してしまうほど、校内を気だるそうに闊歩する橘を目で追い、熱い視線を送り続けた。

   好きでいたかった。

   進展など望めないと分かっていても、橘と過ごした時間が尊くて簡単には忘れられず、見詰めていられればそれでいいと健気に想い続けた。

   報われる日がくるなど、思っていなかった。…本当に。

   歌音と結婚し、橘の左手の薬指に指輪が光る日を怯えて待つ事しか出来なかったのだから、それを見なくて済むと思うと心が軽くてたまらない。

   生気の抜けた冷たい唇から貰ったキスで、橘の想いは伝わった。

   けれどやっぱり、ちゃんと言ってほしい。

   親玉にではなく、誰かを守るためではなく、由宇のために、由宇だけに愛を囁いてほしい。


「ごめんな、じゃないだろ……先生。  何も謝る事なんかないよ……先生は今も昔も正義しかないんだから……」


   気を失う前に受けた橘の謝罪の意味が分からない由宇ではない。

   仕方ない状況だったにしろ、由宇に冷たくあたってしまった自身を許せないのかもしれないが、……もういい。

   何もかも、チャラだ。

   橘が由宇を好きでいてくれるなら、由宇は楽しい思い出だけ心に留めておく。

   もちろんそれは、橘に片思いしていたこの一年の記憶も、だ。



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